メディアとつきあうツール  更新:2003-07-10
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

選挙と報道'92
参院選喧噪の陰で
忘れられた危険な動き
「選挙予測報道規制案」

≪リード≫
ここにリードが入る

(「放送批評」1992年09月号)

 「自公民」で過半数確保なるか、台風の目「細川新党」は認知されるか、「連合」候補やタレント候補はどこまで通用するのか――本誌がお手元にあるころには、第16回参議院通常選挙の喧騒も収束し、これらの問題にも決着がついている。

 座っていても汗が出る暑さに、テレビ、新聞、雑誌と連日の選挙関連報道で、うんざりしている読者も多かろう。で、「放送批評」を開くと、ここでも「選挙」の話題。

「選挙予測報道規制? 自民党が出したけど反対が多いからすぐ引っ込めて、もう片付いたんじゃないの」

 と放り投げたくなる気持ちはわかるが、ちょっと待っていただきたい。この問題、片付いたというほどには、みんなまじめに考えていない。とりあえず引っ込めたものの、すっぱり諦めたとは思えないのが自民党。野党は反対したというが、初めは自民党案に乗り気だったフシもあり、なんとも頼りない。「憲法」や「民主主義」やらを持ち出して反対したマスコミの言い回しも、建て前ばかりで虚《うつ》ろに響く。

 表面的にはせいぜい2週間でマスコミの話題から消えた選挙予測報道規制だが、どっこい問題の根は深いのだ。それをここで検証しておきたい。

法案浮上から収束まで

  まず、選挙予測報道規制案が突然浮上し、突然沈んでいった経緯を整理しておく。

 発端は、1993年5月27日に開かれた与野党政治改革協議会の実務者会議(座長・森喜朗自民党政調会長)である。同会議は、与野党間で政治改革のテーマを整理し絞り込む、いわば地ならし機関。この席で自民党は、選挙予測報道規制に対する考え方を説明した。

 ついで29日の会議では、要旨「新聞や雑誌(政党その他政治団体の発行は除く)において、選挙の期日前一定期間は、その選挙に関し、公職(政党その他政治団体にかかわる公職も含む)に就くべき者または数の予想に関する報道・評論を掲載できない。NHK、民放その他放送も同様とする」という規制案を提示している。

 一定期間とは7日間(衆参院、知事、政令指定都市首長選挙)、5日間(政令都市議員選挙)、3日間(その他)の3種類。違反した場合の罰則は、公選法第242条の2に定める「人気投票の公表の禁止違反」に準じ、2年以下の禁固または10万円以下の罰金。これを改正公職選挙法に盛り込めないかというのである。

 野党側はこれを党に持ち帰って検討、6月3日にまた会合が開かれた。この時は、自民党が「公選法には人気投票の公表の禁止が定められているが、同規定が新設された昭和27年にマスコミの世論調査が行われていれば、同じように禁止されたはず」と主張。対して野党側は「報道の自由」を盾に反対、または消極的な意見を述べ、結論は持ち越された。

 つぎの会合は6月5日だったが、この日は共産党を除く与野党が「選挙に関する報道の実態には、公正の観点から見て種々問題がある」との認識で一致。しかし、法制化には野党側から慎重意見が続出し、共産党は全面的に反対を主張。結局「なお報道の自由や有権者の立場をも踏まえた多面的な検討の必要がある」とされ、与野党は合意に至らなかった。この結果、今国会での法制化は見送られ、問題は立ち消えのかたちとなった。

 なお、新聞は毎日が28日に大きく取り上げ、政治部副部長の署名記事で「規制は許容できない措置」と批判。読売も31日の社説で「規制は短絡的発想」と批判した。テレビは3日、NHK川口幹夫会長が定例記者会見で「選挙に限らずすべての放送に制限を加えられるのは困る」と述べ、規制案に反対を表明。同じ日、民放労連も規制反対声明を出している。

 業界団体のもの言いは、火が消えたあとから遅れてやって来た。新聞協会は6月11日に編集委員会が「容認できない」との見解を発表、民放連は15日に報道委員会が「再燃しないことを強く望む」との見解を発表した(残念ながら、あとから言う者ほど間が抜けてみえる)。競馬記事式の選挙予測が得意な週刊誌は関心を持ったはずだが、小火《ぼや》が消えて見物するものは何もないと考えたのだろう、取り上げた雑誌はあまり見当たらない。

したたか自民党の立ち回り

 以上が今回の大雑把な経過だが、実はこの小火、発火地点だのスプリンクラーの作動状況だのを調べていくと、見るべきところがいろいろある。

 第1は、自民党のしたたかで機敏な立ち回りである。

 先ほど規制案が突然浮上して突然沈んだと書いたが、これは水の上だけを見ればそう見えたという話。自民党にとって選挙情勢報道は、かねてから不満のタネだった。選挙運動の終盤に「○○候補、断然リード」「すでに当選圏内に」などと報道されると、取れるはずの票を失って、落選の憂き目を見ることさえあるという不満である。

 よく引かれるのが90年2月の第39回衆院総選挙。鹿児島3区で元党税調会長・山中貞則が社会党新人に28票差で破れ、落選している(2人区でトップは二階堂進)。どのマスコミも「二階堂・山中で決まり」と書いたからだ、というのである。このときはテレビ開票速報で当確が誤って打たれ、鹿児島の民放3社が役員減給など社内処分を余儀なくされるというオチまでついた。もっとも山中の敗北は、1に反消費税、2に自民農政批判のせいという見方もあるが。

 いずれにせよ自民党は、選挙予測報道になんらかの規制がかけられないかと、ずっと機会をうかがっていたことは確かである。この3月、党の政治改革本部が宮沢首相に提出した「緊急改革に関する答申」でも、与野党協議でさらに検討を要する事項として「投票に予断を与える報道のあり方」をしっかり盛り込んでいる。

 そして、突然野党側に提案したように見えるが、水面下では事前に打診し、社会党をはじめ非常に前むきとの感触を得たうえで提案したのだといわれている(1993年5月28日付「毎日新聞」)。それでも自民党関係者が、規制案がそのまま法制化に結びつくと思っていたとは考えにくい。一種のアドバルーン、機を見ていつでも降ろすことを考えていたはずで、事実そうなった。このあたりの立ち回り方がなんともしたたかなのだ。

 あるいは、規制の条文案まで用意してあることを見せつけ、マスコミの自己規制を促せばよしとする――つまり、脅しの意味合いもあったのだろう。

 アドバルーンは降ろしたものの、自民党は規制を2度と口にしないといっているわけでは決してない。それどころか「報道にはいろいろと問題がある」点では野党の合意を取り付け、今後の検討課題としてちゃっかり土俵上に残してしまった。

社会党も「不公正」では認識一致

 第2に見るべきは、野党側の大ボケぶりである。

 選挙予測報道規制の推進者のひとり、石井一・自民党選挙制度部会長は「野党側が猛反発すると思ったら、意外と前向きだった」(前掲「毎日新聞」)と述べている。

 少なくとも27日と29日の段階では、一部を除き野党側からはっきりした反対の声は出なかった。明確に反対したのは共産党。報道の自由に照らしていかがと述べたのは社民連。野党第1党の社会党は、反対ではなく、むしろ好意的に聞いていたというのだから呆れる。

 先に要旨を引用したが、自民党案は、およそどうにでも取れるきわめて曖昧な内容である。規制(禁止)する報道の中身について定めている部分は、「公職に就くべき者または政党その他の政治団体にかかわる公職に就くべき者もしくはその数の予想にかかわる報道または評論」である。

 では公職に就かないであろう者またはその数の予想ならいいのだろう、外れたってその場合は当選だから文句をいわれることもないし――なんて屁理屈は通用しそうにない。

 ○○候補は当選(落選)しそうだ、○○党は何議席くらい取りそうだ、○○候補当選の暁には政調会長は確実だという予測は、選挙戦終盤では一切禁止できなくなる。世論調査をもとに「総選挙終盤情勢 本社調査」などと見出しをつけた新聞の予測記事、注目選挙区や話題候補の情勢記事も終盤では書けなくなる。

 それだけではない。条文は「……者またはその数の予想にかかわる」とあり、かかわり方の解釈次第では、当落・議席予測に限らない報道に対する規制手段となりうる。

 たとえば、選挙終盤に政党や候補者にかかわる大事件が発生したとして、その報道に1行「これで○○党は議席を失うことが確実」と書いても、2年以下の禁固または10万円以下の罰金に問われかねないことになる。なんとも剣呑《けんのん》な規制案ではないか。

 あるいは、知事選に立候補者2人で投票日前日に1人が急死した場合、「対立候補なしのため当選確実」と報じたら2年以下の禁固または10万円以下の罰金が課せられるのだろうか。まるで冗談ではないか。

 自民党案に反対する根拠はいくらもある。規制は言論・報道の自由に抵触する。選挙予測報道は有権者に判断材料を提供し、健全な民主主義発展のために有益である。選挙予測報道は政治の流れを予測し、ひいては国や社会全体の進路見定めることにもなる。マスコミを規制して政党機関紙誌を例外とするのは危険な情報操作につながる……。

 社会党の国会議員たるものが、自民党から提案を示された段階でこれらのうちひとつとして思い至らず、党に持ち帰って検討した結果ようやく反対を決めたというのは、なんなのか。

 ようするに彼らは、言論や報道というものをまじめに考えたことなど1度もないのだと思わざるをえない。日頃「憲法擁護」だの「自民党横暴」だのというが、あれは呪文かお題目の一種で、なにか考えたうえで唱えているわけではないのだろう。

言論機関の反論根拠も甘い

 第3に、自民党案に対するマスコミの対応である。

 目に着いたのは、全国紙でいちばん頑張った毎日、いつもと社説の様子が違うので意外だった読売。朝日は、どうせアドバルーンで流れると決めつけていたせいか、さらりとあつかった。ほかには日経や長崎新聞が社説で反対を表明している。

 だが、「言論・報道の自由」という建て前を掲げておおげさに反論しているだけ、かえって嘘っぽく聞こえることは否めない。

 在京のある新聞記者はこう語っている。
「言論・報道の自由を、こんなに簡単に口にしていいのかと思いますね。伝家の宝刀として納めておき、いざというときに抜かなければ、自由が泣く。自由が手垢にまみれて安っぽくなる。だいたい、何かいえば自分に返ってくるんです。皇太子結婚の報道協定、事件報道での人権問題など、一方で自由をみずから放棄しかねない振る舞いをしながら、自由自由は滑稽ですよ」
 まったく同感である。

 今回の自民党の提案が、本当にターゲットとしているのは全国紙やテレビではなく、地方紙だという見方がある。地方ではマスコミが、地元有力企業としての利権争いから特定候補者に肩入れして露骨な紙面代理選挙戦を繰り広げる例が少なくないというのである。そんな新聞が選挙予測報道の規制反対を唱えても、説得力はない。

 社説で政権党に媚びを売る大新聞、一見ヤクザ風の人間を使い自社商品を売り込んで恥じない大新聞、世論調査の資料を番記者経由で派閥に流した公共放送、遺族に「どんなお気持ちですか」とカメラとマイクを向けるテレビ局、社長のお友達の訴えで雑誌をつぶしてしまう大出版社――実際、こういったものが「言論・報道の自由」「真実をありのままに報道する使命」など、いえばいうほど疑いたくなる。

 まあ、テレビと雑誌は、今回は沈黙していたのに等しいから、説得力もなにもあったものではないのだが。

 もうひとつ、マスコミの反論で気になったのは、「選挙予測報道は、有権者の投票行動にほとんど影響を与えない。だから規制は不当だ」という主張である。長崎新聞の社説はこれを反対の根拠のひとつにしている。有識者のなかにも「予測報道は有権者に対し、認識のレベルでは影響を与えるが、投票行動には影響しない」という意見がある。

 こうした主張は、86年の衆参両院同日選挙後に行われた共同通信調査センターの調査と、同じ年の東大新聞研の調査に基づいている。どちらの調査でも、報道の影響で投票日直前に投票する候補者を変えた人は、2%とか4%という数字だった。

 だが、これは6年前と古いうえ、特定の選挙のデータだけをもとにしているので、選挙予測報道規制への反対の根拠にするには、やや説得力に欠けるようだ。選挙予測報道が投票に影響を与えるかどうかといえば、やはり与えると考えるべきではないか。

 とくに、テレビによるダイレクトな選挙報道はますます活発化している。90年2月の衆院選は、史上初の5党首討論会はじめ、NHKは大河ドラマ抜き、民放はCM抜きの選挙速報番組など、テレビは選挙報道で大きく盛り上がった。こうした傾向は今後も続き、テレビが選挙に与える影響は大きくなる一方だと思われる。

堂々たる主張・案論が聞きたい

 さて自民党は、これからも折りにつけ規制案を振りかざすだろう。とりわけ、出版業界が事業税免税措置の延長と引き替えにポルノコミック自主規制を要請されたように、なにかとバーターで持ち出されてくるのが怖い。マスコミは、どう応じていけばいいのか。

 もっとも必要なのは、「言論・報道の自由」を建て前でなく本音に、言い訳でなく主張に改めること――そのためにまず、みずからの社会的責任を問い直し、身を律することだろう(当たり前すぎてつまらない結論だが)。

 そして、「選挙予測報道は投票行動にあまり影響しない」という主張はやめて、「投票行動に大きく影響するが、有権者のために絶対必要である。影響するからこそ、公正で中立な報道をこれまで以上に心がける。また、影響するからこそ、それを政党機関紙ごときに独占させるわけにはいかない」と堂々と主張したらどうか。

「政治改革で他に協議することはないのか」と、一喝するくらいでないと、有権者や一般大衆はついてこないと思うのだが。

 なにしろ、共産党を除く与野党が「選挙に関する報道の実態には、公正の観点から見て種々問題があることで認識は一致」しているのだ。ほとんどの政治家に「不公正」と認識されて反撃しないマスコミは、なるほど分をわきまえているとでも感心すればいいのか。

 なんとも困ったものである。

(「新聞協会報」吉澤正一氏、「民間放送」砂川浩慶氏、堀木卓也氏に資料協力を得ました)