メディアとつきあうツール  更新:2003-07-10
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

政治とテレビ
〜政治的圧力に屈しないために
報道部門の立て直しを〜

朝日新聞社アエラムック「……がわかる。」シリーズの「マスコミ学」編から。大学を選ぶ高校生〜就職を考える大学生むけの入門書です。
(AERA Mook「新マスコミ学がわかる。」2001年11月)

●新マスコミ学がわかる。≪目次から≫

新マスコミ学への誘い 服部孝章○
技術革新による劇的な大変化で、より良き明日をつくる未知なるテーマに取り組む

マスコミ就職 篠田博之
求められる人材の中身が変わってきた

ジャーナリストの職能運動 桂 敬一
職業的使命を達成するためにプロフェッショナリズムの確立を

マスコミ報道の課題
報道被害 事件の傷に加えプライバシーが暴かれ二重の傷に 山田健太○
表現の自由と法規制
  国家による報道規制、報道機関によるプライバシーの侵害 眞田範行
メディアの自己検証 法規制で問われるメディアの自律 田島泰彦○
記者クラブ問題 「権力を監視する番犬」の役割を果たすために 原 寿雄
少年や精神障害者に対する配慮報道
  実名か、匿名か その法的根拠、社会的配慮を考える 鈴木秀美

新聞・報道
新聞の未来 流通、販売制度に新しい展望が開けるか 大井眞二
報道の危機 利益優先主義が報道の質を低下させている 藤田博司
客観報道 ニュース表現そのものに報道側の意図が反映する 藤田真文○
差別表現 機械的な書きかえはナンセンス 伊藤高史

出版
新業種の参人相次ぐ 出版社、書店、取次会社が変わりつつある 清田義昭
出版流通経路を解剖する
  コンビニエンスストア、オンライン書店など、多様化する販売ルート 早川友久
ベストセラー ベストセラー偏重、ロングセラー軽視は出版界にマイナス 松田哲夫
広がりを見せる電子出版 ダウンロード、産地直送で本を読む 河上 進
書店の多様化
  オンライン書店、新古本店で書店のイメージが大きく変わる 川井良介

放送
放送の未来 斬新なアイデアと豊かな感性が求められている 砂川浩慶○
デジタル放送 「受け手」だった市民が表現メディアに参加する 須藤春夫○
スポーツ放送権 インターネットは放送権の概念を大きく変える 隅井孝雄○
政治とテレビ 政治的圧力に屈しないために報道部門の立て直しを 坂本 衛○
テレビ番組の「やらせ」
  視聴者がとらえた真実が制作者によって裏切られるとき 渡辺武達

広告
広告の未来 売れる仕組みを科学的に追求する広告戦略 伊藤洋子○
21世紀型広告の新戦略を探る 企業と消費者の共有関係を作る 岡本慶一
時代を映す鏡 サラリーマンの悲哀、親子の断絶を描き出す 青木貞茂

※筆者に放送批評懇談会会員(○印)が多いので、会のPRがてら目次を紹介しておきます。

「政治とテレビ」を象徴する
佐藤栄作のエピソード

 「政治とテレビ」の関係を語るうえで欠かせない事件を、まず紹介しましょう。

 それは1972年6月の佐藤栄作首相(当時)の退陣記者会見。佐藤は冒頭「テレビは真実を伝えてくれるので、私は直接テレビから国民の皆さんにご挨拶する。テレビはどこだ? 偏向的新聞は大嫌いだ」と発言し、怒った官邸クラブの新聞記者たちは一斉に退席。佐藤栄作は空っぼの会見場で、NHKのテレビカメラにむかってしやべり続けたのでした。

 この象徴的なエピソードは、次の3つのことを示しています。

 第1に、テレビは政治家の言葉を「ナマでダイレクトに」視聴者に伝えることができる。第2に、だからこそ政治家はテレビを「新聞よりも役に立つ」と考えている。第3に、にもかかわらずテレビは政治家の「言葉以外の全状況」を視聴者に伝えてしまう。

 テレビ報道の特性は、新聞報道と比べるとハッキリします。政治面を見ればわかるように、新聞は政治家の発言をそのまま羅列はせず、記者が重要と考える部分だけを「 」でくくって引用し、前後に背景や解説、論評をつけます。

 もちろん、テレビも映像を編集して発言の一部だけを紹介したり、前後に記者やコメンテーターの解説や論評をつけることはありますが、1分なら1分の発言部分は政治家の語りそのもの。新聞が趣旨だけを「 」に要約して伝える発言とは、質的にまったく異なります。

 また、新聞の「 」は言葉だけですが、テレビは言葉と同時に、顔の表情、服装の様子、周囲の状況などを、すべて同時に伝えます。

 佐藤栄作の例でいえば、憮然《ぶぜん》として記者たちの退席を見送り、ひとりぼっちで空《むな》しく語る状況が全体として映し出され、言葉では伝えにくい孤立無援の様子や傲慢《ごうまん》な態度が、すべて伝わってしまうのです。

 ただし、NHKのカメラは引いて(ワイドで)撮るとまずいと思ったらしく、佐藤の顔のアップ映像に終始しました。それでも、NHKには「お前のところは佐藤の御用放送か」「すぐ切れ」という抗議電話が殺到しました。

「のど自慢」は
知られざる政治番組

 以上については、30年後の今日でもまったく変わっていません。

 それどころか、このようなテレビの特質は、テレビの普及拡大、ENG(エレクトリック・ニューズ・ギャザリング)をはじめとする中継技術の進歩、多メディア・ 多チャンネル化の進展などによって、ますます巨大なメリットになりました。

 着実に進む活字離れや新聞離れとあいまって、報道におけるテレビの役割は、かつてないほど大きくなっています。30年前の佐藤栄作の記者会見あたりを境に、政治報道における新聞とテレビのウェイトに変化が起こりはじめ、現在ではテレビのほうが桁《ケタ》違いの影響力をもつに至っています。

 佐藤栄作がそうだったように、政治家はテレビの特質を明確に理解し、つねにテレビを最大限に利用することを念頭に置いて行動します。月曜朝刊の新聞政治面が、ほとんど「××日のテレビ番組によれば……」というテレビの後追いばかりなのは、政治家が、重要な問題はテレビを使って国民・視聴者に直接話したいと考えているからです。

 2001年の小泉純一郎首相の靖国参拝問題にせよ、アメリカの同時多発テロにせよ、政治的な問題をテレビが報道するとき、テレビの映像がつねに政治性を帯びることは、いうまでもありません。

 一見政治とは関係なさそうな、たとえば「××博覧会開催」や「××トンネル開通式」報道でも、それを地元に誘致した政治家にとっては政治性を帯びます。番組の時間が長ければ長いほど、テープカットする自分の姿がアップで映れば映るほど、有効な政治宣伝になるわけです。

 日曜昼のNHK「のど自慢」も、地元議員が誘致し「オレが呼んだ」と政治宣伝に利用するケースがよくあり、「知られざる政治番組」といえます。

 ですから、テレビにとつてもっとも重要なことは、テレビを利用したがっている政治家を画面に出しながら、しかも彼らに一方的に利用されずに、報道機関として伝えるべきことをきちんと伝えること。また、政治家が画面に出ない場合でも、彼らに一方的に利用されないようにバランスをとり、報道機関として伝えるべきことを伝えることでしょう。

官僚がテレビ局
社長を呼びつける

 しかし、この点で日本のテレビは、きわめて深刻な問題を抱えています。最大の問題は法制度や社会的な構造上、テレビが政治に非常に弱いことです。

 まず、娯楽以外の報道にもっともカを入れているテレビ局は、日本放送協会という特殊法人で、放送法によってこと細かな規制を受けています。NHKのトップ人事は政府や国会の意向に逆らえませんし、毎年の予算も国会で承認を受ける必要があり、時の政府与党を批判しにくい。というより、まったく腰くだけ状態です。

 民放も免許事業として政府の影響力を強く受け、民放キー5局はすべて旧郵政省(現・総務省)官僚の天下りを役員クラスに受け入れています。旧郵政族の有力議員は官僚をコントロールし、「行政指導」の名目で官僚がテレビ局社長を呼びつけることが、つねに可能な構造なのです。

 1960年〜70年代に頻発《ひんぱつ》した政治的な圧力による放送中止事件のような露骨な事例は減ったものの、「この問題は政治家を刺激しそうだから、やめておこう」というテレビ側の自主規制はかえって増加しています。

1999年のテレビ朝日のダイオキシン報道、青少年問題におけるテレビ元凶論など、政治家や官僚が一体となってテレビを批判し、圧力をかける事件も頻発しています。

 テレビは、つねに政治家や官僚など「お上」の顔色をうかがいながら報道している、とても脆弱なメディアなのです。

 たとえば政治家は「ナマでダイレクトに話したい。そんな番組なら出る」といいます。そのような政治家をスタジオに呼び、好き放題に語らせないためには、ナマでダイレクトに政治家とわたり合える司会者やインタビュアーが必要になります。

 しかし、それができる人は全局を見わたしてもせいぜい十数人で、ほとんどがテレビ局の社員ではありません。そして、それができる番組の数も1ケタ、いや、3つ4つしかないのが、日本のテレビの現状です。

 呼んだ政治家にただ相づちを打っているだけのテレビは、いかに「客観」報道などと弁解しようとも、ただ政治家に寄り添って利用されているだけの存在です。テレビ映像はほとんど政治性を帯びるのですから、一方的に利用されないためには、テレビ局側に確固とした「主観」が必要なのです。

 政治家はテレビを利用したい。国民もテレビから情報を得たい。しかも、肝心のテレビは政治的な圧力に弱い。これは日本のメディアにとって、きわめて不幸な状況です。報道部門を立て直さなければテレビに未来はない、とさえいえると私は思います。

≪Column 社会を動かしたメディア≫
米国の同時多発テロ報道

 映画など足元にも及ばない迫力だった。

 2001年9月11日夜(日本時間)アメリカで起こった同時多発テロは、「テレビの力」をかつてない衝撃をもってまざまざと見せつけた。

 世界貿易センタービルに航空機が突入し、巨大ツインビルが相次いで崩壊する瞬間は、日本でも生中継された。

 テレビは数千人以上が死ぬ瞬間を、全世界にリアルタイムで伝えたのである。

 何百万何千万の人びとを夜中や明け方まで釘付けにする力は、テレビ以外のメディアにはなく、テレビの中でも報道部門以外にはない。

 だからこそ、テレビ報道の立て直しが急務なのだ。