メディアとつきあうツール  更新:2003-07-10
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

制作プロダクションの現実

≪リード≫
ここにリードが入る

(「創」1993年06月号)

●見出し1

 昨年来、テレビを大きく揺り動かしたいわゆる″やらせ″騒動は、放送局の下請けとして自転車操業を続ける制作プロダクションの現在を象徴する事件でもあった。

 一連の騒動の第一弾は、大阪の朝日放送が九二年七月に放送した「素敵にドキュメント」。サブに「追跡! OL、女子大生の性・24時」と銘打たれたこの番組に登場したOL、白人男性、黒人米兵が、制作スタッフの知人や仕込みのモデルだったのだ。

 番組には制作プロダクションのタキオンが深く関与していた。企画そのものが持ち込みで、実質的な制作もタキオン。仕込みもタキオンの担当プロデューサーが行った。

 一方、仕込みが発覚した直後の昨年九月二十四日、朝日放送は「長年信頼関係にあった『タキオン』に対して厳重に抗議しました」との文書を出し、「当社のプロデューサーは現場におらず、報告もなかったので知らなかった」「『タキオン』は稲塚秀孝社長の指示でやったと聞いている」などと弁明した。

 つまり、″やらせ″映像をチェックできなかった責任は認めるが、悪いのは制作を請け負ったタキオンで、自分たちは彼らにだまされたのだ、という姿勢を打ち出したのである。

 番組の「制作著作」を掲げる放送局がこんな言い逃れを図るとは笑止千万だ。朝日放送もこんな対応では誰も納得しないことに気がついたのだろう。翌二十五日には「すべての責任は局にある」との修正発言をした。番組は打ち切られ、社長以下関係者の減俸減給処分なども行われた。

 しかし、軌道修正されたとはいえ、こうした対応で、放送局の本音――制作プロダクションがいい番組を作ったときは局の手柄にし、悪い番組を作ったときはプロダクションに責任を押しつけて逃げるという本音が明らかになったことは、確かである。

 その後、タキオンはどうなったか。
 もちろん、朝日放送との関係は途絶えた。局から「″やらせ″を指示したと聞いている」と名指しされた稲塚社長は、辞任して秘書室長に降格し、さらに肩書きを外してただの「企画・営業担当」となった。関係者の減俸や停職処分も行われ、仕込みをやった担当ディレクターは辞めていった。そしていま、タキオンという会社はない。

 会社ぐるみで″やらせ″に関与とのイメージが焼きついてしまった同社は、タキオンという社名を放棄。新たにゼット(Z)と変更して再起を図ったのだ。Zは「……XYZ」のZ、つまり「もうあとがない」との意味が込められている。

 それにしても、事件の後遺症は重い。タキオンは八五年、テレビマンユニオンから稲塚ら″団塊の世代″が独立して設立された。当時の社員はわずか八人。それが八年で社員九十名弱、年商二十二億円を超える中堅どころに育った。ここまでは順風満帆ともいえる成長で、ようやくプライムタイムに権利関係が局と対等のレギュラー番組を持てるかという矢先のつまずきだった。

 Zの稲塚秀孝はいう。
「残念ながら、とても立ち直ったとはいえない段階です。朝日放送さんとの関係修復もできていない。こちらから関係改善をお願いに行く立場ではないから、いまは実績を積み重ねるだけ。いい番組を作り続け、どこかで関係正常化ができれば、そこが再建の一歩になると思う。それにはまだ時間がかかる」

 稲塚は事件については、ドキュメントと銘打った番組で再現でもなんでもない″やらせ″をしでかしてしまった以上、何をいわれても仕方がないと思っているらしく、弁解じみた発言はしていない。ただ、仕込みを自ら指示したことだけはないと断言した。

 ″やらせ″は、局とプロダクションの歪んだ構造――一方的に支配される下請け構造を象徴した事件ではなかったかと水をむけても、
「プロダクションの環境がよくないということは、理由にはならない。時間がない、人手もカネもないというのはその通りだが、みんな同じギリギリのところで作っているんだから。やったほうが悪いので、環境のせいじゃありませんよ」
 としかいわない。

 もちろん稲塚としては、そう答えるほかないだろうが、放送関係者の多くは、朝日放送の一件と制作プロダクションの劣悪な環境とを結びつけて理解する。理由にならなくても、大きな背景であることは確かなのだ。

「発覚したとき、局のプロデューサーの名前を聞いて、さもありなんと思った。直接的にいったのか間接話法でいったのかは知らないが、局側がミスリードした――局の威光を笠に着て、とにかく撮ってこい、絵になるものをもってこいと、下請けのタキオンに強いプレッシャーをかけた可能性が大きいと思う」(あるプロダクション関係者)
 との声まで聞かれたほどだ。

 朝日放送のケースが事実そうだったかどうかは別にしても、これは局と制作プロダクションの関係を語る一般論として通用する。放送局との歪んだ関係を背負わされたプロダクションは、Zだけではない。

●見出し2

本文 放送局とプロダクションの歪んだ関係を端的に示すのは、局が出す番組制作費が著しく安いということだ。

 とくにドラマ系の場合が厳しく、「番組製造原価が制作費の八〜九割に達することもザラ」(制作会社社長)。残りの一〜二割から人件費やオフィス賃料などを出せば、手元にはほとんど何も残らない。「十年、二十年と自転車操業でやってきて、資本の蓄積が何もない」(同)というのは、プロダクション社長の決まり文句である。

 しかし、賞取りの常連とか有力タレントを抱えた一部のプロダクションを除けば、完全に買い手市場のマーケットだから、局の提示する金額や納期、著作権の帰属などの条件を拒否できない。拒否すれば切られてそれまでとなる。

 そこで、劣悪な条件でも仕事を取る。銀行を拝み倒して運転資金の融資を受ける。なんとか納品しても、ギリギリだから次の仕事を選ぶ余裕などない。また、同じような条件で仕事を取る。プロダクションの多くは、この悪循環から抜け出せない。人材を育てる余裕もない。カネのためにつまらない仕事を続ければ、モラルも低下する。

 「放送局にもプロダクションにも″商品″という概念がない」「プロダクションはビジネスになっていない」「企業の体をなしていない」というのも、誰に聞いても返ってくる自嘲の声である。

 それでもZの稲塚は、
「いい番組を作り続け、放送局や視聴者に結果でみせるしか、われわれの生きる道はない」
 という。プロダクションの局に対する陳情型の権利要求は、ちょっと違うのではないか――いいものを作って高く売ることに徹すべきで、そのためのリスクはプロダクションが負うほかないのではないか、と主張するのである。「もうあとがない」との決意を新社名ににじませるZは、あくまで放送局との商売に徹する生き方を選ぶわけだ。

 しかし、制作プロダクションをいくつか回ると、地上放送局だけを相手にする下請け構造から脱却し、新しく生き延びる道を模索するケースもみられる。

 いまわが国では、多メディア・多チャンネル化の波が、放送のあり方を大きく変えようとしている。これまでもっぱら放送局の下請けとして自転車操業を余儀なくされてきた制作プロダクションのあり方も、当然、大きく変わってくる。

 たとえば、時空工房。TBS系列の東京ビデオセンターにいた鈴木克信が、フリーのプロデューサーをへて八〇年に設立したプロダクションである。社員はグループで七十名、年商二十億円程度を数える中堅で、TBS「噂の!東京マガジン」、読売テレビ「谷村新司のテレビ裸の王様」など情報系番組を得意とする。

 時空工房は九二年六月、JICという関連会社を作った。東名阪三社の制作会社などと共同で設立した会社で、CSやCATVなどのニューメディアを視野に入れた制作会社のネットワークである。社長の鈴木克信は、その狙いを次のように語る。

「JICの最大のテーマはCATVで、これを制作会社連合によるまったく新しい事業形態で担って行こうとするもの。多チャンネルCATVの時代の″総合ソフト・ディベロッパー″と称していますが、放送局とは違う発想とやり方でローカルの情報を集めて発信する。そして、放送局に頼らない商売を目指す。目標は日本版CNNですよ」

 たとえば、JICが百人の機動記者を全国に展開させる。彼らは八ミリのビデオカメラを持ち、取材、撮影、レポートを一人でこなす。このニュース取材システムとCATVネットワークを合体させる。ニュースはCATVで流すだけではなく、既存テレビ局に売ってもいいし、海外との連携を図ってもいい。

 制作プロダクションがいくつか集まったところで可能となるシステムだろうかと疑問を口にすると、鈴木は即座に「けっして夢物語だとは思っていない」と反論した。

 大学新卒の記者百人の月給がひとり二十万円(ちょっと安いと思うが)として二千万円。機材や諸経費を入れても月一億円。年十二億円ならば、全然不可能な数字ではないというのだ。

 もっとも、カネは最終的にどこからか調達しなければならないが、大資本の導入前にシステムだけは作っておき、経営と資本の分離を図る。この構想はすでに準備段階は終え、実行段階に入りつつあり、機動記者システムも三年後くらいには実現したいという。

「僕は日本の報道を変えたいんですよ。報道というか、報道と情報の合体したものが、カネになると考えている。必ずやってみせますよ」
 と、鈴木は自信に満ちた顔でいった。

 JICはCATVに狙いを定めた制作会社連合だが、時空工房は本体のテレビ制作においても″連合″を指向する。現在でも、番組ごとに四〜五社の制作会社で組んで作っている。

 イーストとかオフィス・トゥー・ワンといった大手が中小のプロダクションと組むのとは違い、時空工房の場合はほぼ同規模の制作会社が連合する。一つの番組を四週持つより、月一回の番組を四つ持つほうが、リスクが分散できるという理屈だ。連合で対応すれば、スタッフも必要以上に抱え込まなくてすむ。

「時空工房が社員百人や二百人の会社になる必要はないと思っている。個々の会社ではなく、共同で制作するグループとして力を持てればいい。最終的には資本を持ち合うなどして、ごくゆるやかな連合体ができれば、と考えている」(鈴木克信)

 形はどうであれ、制作プロダクションが再編の時期を迎えていることは確かなようである。

●見出し3

 クリエイティブネクサスの藤井潔も、テレビ以外の道を模索するプロダクション経営者のひとりである。

 藤井は、かつてNHKのドキュメンタリー・ディレクターとして「永平寺」や「核戦争後の地球」などの秀作を撮り、N特やNスペを育てた。八五年にNHKを退職してネクサスを設立したのは、あくまで現場に立ち会って番組を作りたかったからだと聞いたことがある。

 しかし藤井は自らを、
「僕はテレビが心底好きで、関心の第一はテレビにある。テレビと心中するつもりの古い作り手だ」
 と語りながらも、
「プロダクションとしては、売り上げに占める地上波の比率を減らし、非テレビ部門を増やす方向を目指す。これはうちに限らない。売り上げの八割とか九割をテレビに依存しているプロダクションの多くが、その比率を五割とか六割まで下げたいと思っているはずだ」
 と断言する。

 クリエイティブネクサスの場合、テレビに代わるメシの種のひとつは、自治体の博物館などにおける映像展示分野。マルチメディアやハイビジョンといった新しい技術に、テレビのノウハウを加味してプレゼンすると、思いのほか評価が高く、全体のプランニングまで任されるようになってきたという。

 もうひとつは、ゲームソフト。こちらはネクサスインターラクトという別会社で手がけている。社員は七人で、まだ単一プロジェクトを請け負うチームに過ぎないが、将来のマルチメディアへの布石でもある。

 しかし、かつてNHKの管理職など肌に合わない、あくまで現場に踏みとどまって番組を撮るのだと語った″テレビ職人″の藤井潔と、ゲームや映像展示というのは、正直いってしっくりこない。

 こうした模索は、四十五人の社員を擁し年間十五億円を売り上げるに至った制作プロダクションのサバイバル、それも否応なしに選択せざるをえなかった生き延びる道ということなのか。

 ところが、藤井はこう力説する。
「これは、サバイバルじゃない。巨大な市場が未来にむけて開かれている。クリエイティビティを持った人間が、その市場でどのようによいポジションを占めるか。いまが大きなチャンスなんです。これだけのクリエイティビティを持ちながら、地上波の轍を踏んで新しい時代にまた下請けというのは、われわれにとって不幸どころか、視聴者やユーザーにとっても不幸な話。新しい幕が開く今度は、舞台の真ん中で踊ろうじゃないか。そのために準備しようじゃないかという前むきな挑戦であって、後ろむきに探した生き延びる道ではない」

 現在の多メディア・多チャンネル化の波は、悶々しながら消耗戦を戦ってきた制作プロダクションにとって、初めて訪れた巨大なチャンスというのである。

 さらに藤井は、近い将来ぜひやるつもりで準備している戦略として、カルチャーの違う個性的な制作プロダクション四〜五社による緩やかな企業連合構想をあげた。

 四〜五社が集まれば、放送局内の制作者集団に匹敵するパワーを持つ。この連合は、対ステーションにものをいうだけではない。連合として資本調達力を発揮し、局からの受注によらない番組を制作し販売することを目指す。局に売るだけでなく、世界という市場も視野に入れている。まだ水面下での準備段階だが、現在までに三社の参加が固まったといい、遅くても来年半ばまでには立ち上げたい意向のようだ。
 これも、プロダクション再編の動きのひとつである。

 藤井潔は、最後にこんなことも付け加えた。
「放送局、それもNHKという局にいた人間の目から、制作プロダクションの人たちを見ると――こういう言葉が当たっているかどうか、でも――ほんとに一生懸命で、いじらしいというか。ほんとに″虫″ですね。彼らは局のやり方を知らないが、知っている人間からみると、よくここまでやるなと。NHKでも、ここまで虫じゃないし、純粋ではなかった。だからこそこの人たちを、いまのような状態においてはおけない。正当な報酬と拍手が得られるようにしなくては」

 この連中からさらに収奪しようという不心得の制作者など、許してはおけないといわんばかりである。

 「制作プロダクションの人たち」というとき、藤井は自分のところの若い社員たちを思い浮かべているようだったが、こういうのを「信頼関係」というのだ。 これに比べて「長年信頼関係にあった『タキオン』に対して厳重に抗議しました」という「信頼関係」の薄っぺらさ、空しさには、慄然とせざるをえない。

●見出し4

 さて、トゥデイ・アンド・トゥモロウの社長で、ATP(全日本テレビ番組製作社連盟)理事長も務める村木良彦は、制作会社が既存放送局以外とのビジネス指向し再編を模索する放送界の現状を、こう俯瞰する。

「テレビ四十年、NHKと民放の共存体制を続けてきたわが国の放送は、ここにきて″制度疲労″、″組織疲労″が表面化してきた。いわゆる″やらせ″問題にも、そうした側面が多分にあると思う。中選挙区制や五十五年体制が制度疲労を起こし変革を余儀なくされているのと、まったく同じことがテレビにも起こっている」

 テレビは時代を映す鏡というのは、その通りなのである。
 これまでのシステムは、媒体の保護をもっぱらにし、肝心の制作部門、ソフト部門を置き去りにしてきた。放送法で保護されるのはNHKという公共団体であり、BS政策で保護されるのはJSBという国策会社であったというように、そもそも政策そのものが媒体の保護を目指したわけだ。

 そのうえ、わが国の制作プロダクションは、早いもので一九六〇年代、多くは七〇年代半ば以降に事業として独立したから、十五年とかせいぜい二十年の歴史しかない。その間、余裕も余力もなくひたすら突っ走ってきたから、「制作プロダクションは、依然として″自立″への発展途上にある」(村木)といわざるをえない。

 制作部門は政策や制度面で置き去りにされたが、番組の中身という質的な面からも空洞化してきたと、村木はいう。

「視聴者の好みが多様化する。一分ごとに視聴率が出る。視聴者もリモコンで絶え間なくチャンネルを切り替える。テレビ番組は、そんなテンポに合わせて、急激に使い捨ての″消費型″プログラムへと変質してしまった。同時に″蓄積型″の番組が軽んじられた。しかし、消費型番組をいくら作っても、残るのは誰と仕事したどこに行ったという経験だけで、文化蓄積が残らない。結局、制作者は体力を消耗し、制作力が落ちてくる」

 近頃やたらに目立つ情報系バラエティとか情報エンターテインメントと称する番組は、まさにこの″消費型″という言葉がぴったりする。先日もラーメン屋の紹介番組を見たら一時間に店が百軒ばかり出てきて驚いたが、制作力や取材力というよりこれは体力勝負である。

「しかし、どうやらそのツケが回ってきた。消費型ばかりで蓄積型がなければ消耗するだけだと、制作プロダクションも気づきはじめた」
 と、村木はみる。外注化によって、局の制作力も低下しているが、現場で消耗戦を戦うプロダクションのほうが少し先に、これではダメだと気づきはじめたというのだ。

 そこで村木が強調するのは、プロダクションが放送以外の展開を図るにも、蓄積型ソフトの制作を目指せという戦略である。

 実際、トゥデイ・アンド・トゥモロウでは、ハイビジョンによる世界各国の美術遺産の収録を進めている。派手ではないが、質の高い映像を少しずつ、着実に蓄積している。これを対話型CD−ROMで作品化するなど、マルチメディア的な展開を考えているようだ。

「もうその場限りの消費型には飽き飽きしたですよ。映像情報財と呼んでいますが、財として腐らない映像を撮っていこうと思っている」
 マックを背にした村木良彦は、そう締めくくった。

 もう「あとがない」と決意表明したZをはじめ、いくつかの制作プロダクションの模索をみてきたが、取材で会った誰もが例外なく、制作者の誇り、自信、意地といったものを強烈に感じさせた。

 いま、制作プロダクションに求められている最大の課題が、制作者の誇りと意地を賭けた自己変革であることは、間違いなさそうだ。