メディアとつきあうツール  更新:2003-07-10
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

テレビ高収益の構造

リード入る(「SAPIO」2000年00月号)

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 日本の放送業界の売上高は、99年度におよそ2兆8000億円だった。

 うちNHKの売上高は、放送法に「受信設備を設置した者は協会と受信契約をしなければならない」旨が定められた受信料収入で、6334億円。これを除く2兆1600億円余りが、民放の売上高となる。

 世界最大・最強の放送局NHKは、関連団体を合わせて売上高9000億円に迫る拡大路線を突っ走っている。だが建前は非営利だから、商業放送の民放と同列に論じるわけにはいかない。以下は民放テレビに限って話を進めよう。

 さて、2兆1600億円という事業規模そのものは、この国では、それほど巨大な業界とはいえない。民放全社を合わせても、NTTグループの売上高10兆円超の4分の1以下。ダイエー1社の売上高2兆2048億円にも及ばない。NTTグループの従業員は22万人だが、民放業界はせいぜい3万人。東京キー局の社員数は1200〜1500人だ。「中小企業が百何十か集まったチャチな業界」とすらいえる。

 ところが、テレビ局は利益率がとても高い。経常利益率(経常利益÷売上高×100)は民放150社平均で9・6%。利益率1割は、情報メディア産業の中でも群を抜く。これを超える利益率を上げるのは大当たりしたゲーム会社くらいだろう。

 テレビ局の利益率の高さは、東京キー局の2強を見ると、一層はっきりする。民放の儲け頭であるフジテレビは、売上高3135億円に経常利益322億円で、経常利益率は11%。民放第2位の日本テレビは、売上高2869億円に経常利益526億円で、経常利益率は実に18・3%。とくに日テレの2割近い数字は、特筆に値するというか、ムチャクチャというか、とんでもない利益率である。

 見逃せないのは、こうしたテレビ局の利益が、東京都心の一等地に自社ビルを構え、日本で最高水準の人件費を払い、福利厚生も目一杯充実させて、なお生じていることだ。

 フジは臨海副都心、TBSは赤坂に、それぞれ地域で最大級の高層ビルを持つ。日本テレビは狭い麹町《こうじまち》で頑張ってきたが、汐留のJR跡地に新社屋を建設する。テレビ朝日も六本木で、森ビルと組み都心最後といわれる巨大再開発に着手する。賃金も、制作現場の30歳で1200万〜千数百万円といった破格の水準にある。

 これらのコストをすべて支払い、細かい話だが、退職給与引当金なども税法上は要支給額の40%を超えて計上すると有税積立になるところ100%まで計上(その分、利益を圧縮)するというような手を尽くして、なお年商の1〜2割が残るのだ。テレビ局が、日本でも珍しい高収益企業であることは間違いない。

 もっとも日本のテレビ局は、東京キー局/大阪準キー局/地方局の3つに分かれ、売上高が3000〜2000億円/800〜600億円/100億円以下と、規模のケタが違う。自社制作率を見ても10割/4割/2割と、収益構造がまったく異なる。ここでいうテレビ局は東京キー局を指している。

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 さて、このようなテレビ局の高収益は何に起因するのか。

 最大の理由は、極めて単純なことで、買い手が多く売り手が少ない、だから値段がつり上がるという話である。

 先にフジと日テレの売上高を紹介したが、両者の放送事業からの収入を比べると、丸めた数字で2800億円と2700億円となり、差が縮まる。フジのほうが、お台場のイベントなど放送事業以外の売り上げが大きいわけだ。

 「タイム」と「スポット」の収入を比べると、タイムがフジ1447億円に日テレ1404億円とさらに差が縮まり、スポットではフジ1138億円に日テレ1152億円と逆転する。 タイムとは、時間売りの番組提供(または提供料)のこと。「この番組は××、○○、△△の提供でお送りしました」と名前を出すスポンサー企業が局に支払う金額がタイムである。

 スポットとは、番組と番組の間の1分間(ステーション・ブレイクと呼ぶ)に流すCM(またはCM料)のこと。番組と連動しない単発売りCMがスポットである。なお、プライム(19時〜23時)も全日(6時〜24時)も日テレはフジより視聴率がよいから、スポット収入が多い。視聴率は数年かけても逆転不可能という差がついているので、もっと差が開いてもいいのだが、フジは若い層(とくに20〜30代女性)に強く日テレはファミリーに強いため、若い層へのテレビCMを重視する企業がフジに出稿する。タイムでフジが勝るのも、「月9」ドラマなどの若い女性の個人視聴率で日テレを上回るからだ。

 タイム収入のおよその金額をキー局の夜の1時間ドラマを例に示すと、まず数千万円〜1億円近くを、企業数社が分担して出す。ここから電通など広告会社が2割程度を取った残りの金額が、テレビ局に入る。

 テレビ局が一般管理費、番組宣伝費、設備・技術料、ネットワーク料(地方局に配分する電波料)を差し引いた残りが番組制作費。これが1時間番組で2000〜3000万円。本体のスリム化を進める局は、制作プロダクションへの外注を増やしてコストダウンを図っている。

 一方のスポット収入も、広告会社が中間マージンを取った残りをテレビ局が取る。平均単価は15秒換算で200〜400万円程度といわれる。こちらは、番組制作費には回らず局の丸儲けとなって、非常においしい。

 このタイムとスポットの合計金額は、テレビ局の収入の9割以上を占める。広告収入こそが、放送局の高収益をもたらす源泉なのである。

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 ところで、タイムは業界の自主基準によって放送時間の1割と決まっている。スポットは、54分から始まるようなミニ番組を増やして番組間の空きを捻出する手はあるが、やはり限界がある。

 しかも、テレビ局の数は増えない。筆者が子どもの頃からMXテレビが登場した最近まで、東京のテレビは1、3、4、6、8、10、12の7チャンネルで変わらず、CMを流せるのは民放5社だけ。そして東京キー局による地方系列化は、年々強化され続けた。

 一方、テレビに広告を出す企業の事情を考えてみる。企業がテレビに支払う広告費は、だいたい売上高(前期の結果と今期の見込み)に比例して決まってくる。すると、早い話がテレビ広告費というのは、GNP(国民総生産)のおおむね0・25%前後の水準で一定する。

 そして、GNPは国民や企業や政府の不断の努力によって右肩上がりに推移する。だからテレビ業界の成長は、少なくともGNPの伸びと同じ右肩上がりになるはずだ。

 実際には、テレビに広告を出そうという企業は、その時代時代の伸び盛り――GNPの伸びより成長率が高い企業であり、それが入れ替わり立ち代わり、競ってテレビのCM枠を買う。

 しかも、タイム・スポットとも時間に限りがあり、局の数も増えない。テレビ局のCM枠は当然、買い手市場でなく売り手市場になる。テレビ局の仕事量はそう変わらないのに、売上高だけが伸び、結果として高収益がもたらされるわけだ。

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 テレビ局の高収益の理由として、企業から何千万円も取って番組に半分も回さない、外に丸投げして暴利をむさぼる、制作会社を安くこき使う、という話をよく聞く。確かにそんな側面もあるが、それらはテレビ局の高収益構造にかかわる本質的な問題ではない。それは「木を見て森を見ない」議論だ。

 給料が高すぎ、社屋が立派すぎ、エロ事件でつかまるアホ社員が多すぎなども事実ではあるが、言い過ぎないほうがよい。それは放送局の「構造」と「体質」をごっちゃにし、体質をあげつらって構造を問わない不毛な議論に陥りがちだからだ。

 給料が高いのも社屋が立派なのも基本的によいことだ。それが、社会に開かれていない特殊な構造やルールによって不当にもたらされる場合にだけ悪いことなのだと主張しなければ、テレビ局批判は成立しない。

 その立場からする、テレビ局の高収益構造の問題は何か。

 最大の問題は、放送局が政治や行政と不透明な関係――上からは免許、下からは軟弱な政治報道や天下り受け入れなど――を結び、半世紀近くの間、護送船団方式による保護を受けてきたことだ。とりわけ、ニューメディアの芽をことごとく摘んできた郵政省の失政の責任は甚大である。今後本格化するデジタル放送でも、放送行政は同じ失敗を冒す恐れが強い。

 第2の問題は、電博や放送局のいうまま高いカネをテレビに投じてきたスポンサーの社会的責任である。カネを出す企業がテレビに注文を出さなければ、テレビは変わらない。

 第3の問題は、以上の当然の帰結として、テレビ局が視聴者の方向を全然むいていないことである。企業の出す広告費は視聴者が商品に上乗せして払ったカネであり、本当の客は視聴者だとテレビが思わなければ、テレビは変わらない。