メディアとつきあうツール  更新:2003-07-10
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

阪神・淡路大震災
報道の記録<前篇>
――神戸局・大阪局

≪リード≫
死者五千人以上、負傷者数万人、避難民約三十万人、建物損壊約十万棟……。
一九九五年一月十七日午前五時四十六分、淡路島北を震源に近畿地方を襲った地震は、伊勢湾台風をしのぎ、戦後最大にして最悪の自然災害となった。
阪神大震災を、テレビはどのように伝えたか。
その報道に問題はなかったのか。
また、放送局にはどんな課題が残されているのだろうか。
今回は甚大な被害を受けながら立ち上がった神戸局・大阪局に焦点をあてる。(「放送批評」1995年06月号)

≪参考リンク≫
阪神大震災を調べる!!

はじめに

 阪神大震災は、巨大災害を伝える放送のあり方に、さまざまな教訓を与え、さまざまな課題を残した。そこで小誌は、地震によって直接的な影響を受けたと思われる放送局にアンケート調査を行い、阪神大震災の教訓や課題を整理して、放送にたずさわる方への参考に供したいと考えた。

 アンケート用紙は三月下旬に、NHK大阪、毎日放送、朝日放送(以上テレビとラジオ)、NHK神戸、読売テレビ、関西テレビ、テレビ大阪、サンテレビ(以上テレビ)、大阪放送、FM大阪、FM802、ラジオ関西、兵庫FMラジオ(以上ラジオ)の十三局の社長(NHKは放送局長)あてに送付し、すべての局から回答をいただいた。テレビとラジオは別々に質問しており、有効回答数はテレビ八局、ラジオ八局である。

 まず、震災報道が引き続くなかでアンケート調査に応じてくださった各局に、心からお礼を申し上げたい。ご協力ありがとうございました。

地震の第一報

 地震発生の瞬間の一月十七日午前五時四十六分、阪神地方のテレビは、三局がローカル番組を、一局がネット番組を放送中だった。テストパターンなどを流していた局は二局、放送準備中で電波送出前が一局である(ここではNHKは一局と数える)。

 ローカルの生番組を放送中だったのは朝日放送だけで、「おはよう天気です」を激しい揺れが襲う瞬間がオンエアされた。出演者が安全な場所への避難や火気の注意を呼びかけた直後、電源断によって放送はとぎれ、中断は四分間続いた。

 他二局のローカル番組は、録画による紀行ものと、CG画面に音楽をつけた天気予報で、地震を伝えるアナウンスなどはなかった。一局は五時四十九分にテロップを入れ、もう一局は、五時五十五分の通常ネット番組冒頭で地震を伝えた。

 ネット番組を放送中だった局は、その番組のキャスターが五時五十一分四十八秒に地震発生を伝えた(東京から)。内容は「北陸・東海地方で強い地震。各地の震度は岐阜で4、八日市・山口市で3など」というものだった。

 地震発生の瞬間に放送していなかった三局のうち、一局は予定時刻より一分早い五時四十九分に放送を始め、地震を速報した(近畿ブロック放送)。一局は四十九分にテロップを入れ、予定時刻通りの五時五十五分に放送を始めた(ネット番組)。一局は予定時刻通りの六時三十分に放送を始めたが、地震について伝えたのは八時十四分だった(ローカル放送)。

 以上の地震第一報では、肝心の神戸や淡路島の情報(震度)は伝わらなかった。神戸の情報がなかったからだ。これは放送局のせいではなく、気象庁の速報システム(回線を含む)の故障による。地震情報を伝えるシステムが、地震によって壊れたのでは、お話にならない。放送局は気象庁の手落ちを厳しくとがめるべきである。

 「近畿地方で、淡路島北を震源とする、震度5〜6程度の地震発生」という情報(場所、震源、震度の三つを含む、かなり確度の高い情報)をテレビが最初に伝えた時刻は、八時台と答えた一局を除くと、六時三分二十秒から六時二十三分まで、ばらつきがある。情報源を気象台とか気象庁とする局が多かったが、キー局経由の情報とする局もあった。早い局と遅い局で二十分以上も差があったことはやや驚きである。遅かった局は原因を探ってほしいと思う。

 一方、ラジオは、ほとんどが二十四時間放送を実施していた。ローカル番組を放送中が六局、ネットまたは全国放送が二局である。生放送では、火の元の注意や、ラジオを聞き続けるように呼びかけがあった。ただし、録音番組の放送中でDJもおらず、地震直後のアナウンスができなかった局もある。

 なお、地震直後から午前六時三十分までのNHKラジオ放送は、ラジオ第1、第2、FMとも総合テレビの音声をそのまま流用した放送である。つまり、NHKの放送に限っていえば、午前六時三十分までは、神戸で燃え盛る火を逃れながらラジオを聞いた人も、北海道でストーブに当たりながらテレビを見た人も、同じ情報しか得られなかったわけだ。それでよかったのかという疑問は残る。今後の課題のひとつである。

 ラジオでは、三局で地震による放送の中断があった。一局は十三秒、一局は三十一秒間の中断で、停電による。いずれもバックアップ電源が作動するまでの中断と思われる。一局だけ、スタッフ避難によって十四分間放送を中断したという事例があった。この放送局は本社屋と神戸営業所ともに全壊の罹災証明を受け、いずれも使用不能とのことである。

 ラジオ各局にも、場所、震源、震度の三つを含む情報を最初に伝えた時刻をたずねたところ、五時五十八分がもっとも早かった。これはテレビよりも五分も早く、情報源はウェザー・ニュース社である。なお、同社を情報源にあげたテレビ局は一つもなかった。このほか、通信社を情報源とするラジオ局がいくつかあった。

地震関連番組の放送量

 各局は、地震の直後または放送開始直後から地震報道体制に入った。十七日のテレビ各局の編成をみると、まずNHKは五時四十九分から総合テレビの全国放送で地震情報を伝えた。途中にはさまれる天気やニュースを除いて、近畿でも首都圏でも北海道でも、同じ番組(東京、大阪放送局、神戸放送局を中心に、各地を結ぶ番組)を流したということである。教育テレビは、六時三十分まで総合テレビと同じ地震情報で、定時番組に戻ったあと、午後一時から安否情報を中心に放送した。これは大阪発の全国放送である。

 民放テレビ各局は、地震発生を伝えた早朝のローカル番組以降、ネットワーク放送に移行して、もっぱら全国放送となった。十七日の編成をみると、早朝と夜にローカルの地震関連番組がある以外、ほとんどが東京キー局発の全国放送となっている。もちろん阪神地区の局もそれに映像を送っている(いわゆる上りネット)が、その累計時間はたずねていない。なお、独立U局のサンテレビだけは例外で、すべての番組がローカル放送である。

 各局とも、報道特別番組を組んでおり、十七日と十八日は、ほぼ地震一色の放送となった。地震関連番組の放送時間は、地震以外のニュースや天気予報の時間とはっきり区分できないケースが多いので、地震以外のニュースも含むとしてたずねた。七つの放送局(NHKは総合テレビ)の放送時間は、十七日が十八時間十五分を最長に十八時間以上が六局、十六時間十二分が一局だった。

 十八日は二十四時間、二十三時間三十分が二局、二十三時間八分、二十二時間六分、二十時間十四分、十一時間五十三分である。

 十九日は二十三時間十五分、十九時間四十五分、十八時間、十五時間三十五分、十四時間三十八分、六時間二十分、五時間五十三分である。

 つまり、ほとんどの局が十七日早朝からほぼ終日地震関連番組を流し、そのまま十八日に突入してほぼまる一日地震を報じた。三日目の十九日になると、ほぼ終日地震関連を流した局、それに準じた局、数時間程度に抑えた局に、はっきりわかれてくる。当日はとりあえず地震一色となったが、落ち着いてくるとともに、各局が自局の体力、役割、性格などを考えながら独自の編成を打ち出していった様子が読み取れる。

 十七日から二十三日までの一週間の地震関連番組の合計は、百四十二時間十三分、百十四時間三分、百三時間五十二分、百時間四十五分、九十九時間二十四分、八十九時間二十分、五十一時間五十一分となっている。未曾有の大報道だったことが、この数字からうかがえるだろう。

 なお、各局は地震直後からネット放送へ移行したが、自局の編成は、自局とネットワークの編成責任者が協議しながら決めたとしている。震度5以上の場合は自動的にネット放送に移行すると協定を結んでいる系列もある。

 ただし、「協議しながら」とはいうものの、実質的に東京キー局が編成の主導権を握った系列が少なくない。ある関西の準キー局から東京キー局に、系列特番で地元被災者むけ情報提供枠をもっと増やしてほしいという声が上がったが、キー局は全国放送(全国むけ報道)が基本という姿勢を崩さなかったため、関西から不満が出たという話がある。民放はほぼ横並びでネットワーク放送に移行したわけだが、そのことによる反省の余地もありそうだ。

 一方、ラジオも十七日は地震報道一色となり、地震関連を十八時間以上流したのが六局、十七時間と十六時間が各一局だった。翌十八日は二十四時間が七局、二十三時間三十分が一局で、すべての局がまるまる一日を地震関連番組にあてた。十九日もほぼ終日が六局で、十三時間三十分と十三時間二十五分が各二局だった。

 一週間の地震関連番組合計は、二十四時間放送ということもあって、百六十一時間(十七日七時から一週間連続)を最長に、最短でも八十四時間四十二分と、テレビよりもはるかに多くなっている。 テレビがネットワーク放送または全国放送中心だったのと対照的に、民放ラジオはほとんどがローカル放送である。すべてローカルだったのが三局、ときおりネット番組をはさんだのが四局である。

 当然、その内容も地元被災者むけに重点をおいた局が多い。災害緊急放送として、被災者のサバイバル情報(避難勧告、食糧や飲料水の配給情報、交通情報、その他生活情報)だけを、外国語放送も交えて二十四時間放送した局がある。そのほか、一月二十八日までの特別編成期間中ほとんどすべてを被災者むけ情報とした局、十七日午前六時から連続六十九時間被災者むけ情報を流した局がある。

 ただし、NHKラジオ第1はラジオの中では例外で、ほとんどのテレビと同じように、全国放送が中心となった(十七〜十八日)。被災者むけ情報は随時放送され、二十日からは神戸市役所に「生活情報放送センター」を設けて三月十八日まで生活情報を放送した。NHKFMは安否情報をメインに生活情報をはさんでおり、うち安否情報の放送時間は一月三十日までに合計百六十二時間三十分。なおNHKラジオ第2は、十七日午前六時四十五分以降はすべて通常番組となっている。

取材活動

 二つのラジオ局をのぞいて各局は、地震後に取材スタッフを出した。ほとんどのテレビ局では、十七日午前五時五十五分から六時四十五分までの間に、最初の取材クルーを局から送り出した。八時二十分という局が一局だけある。NHKや準キー局では、十七日におおむね二十〜三十クルー(一クルー二〜四人程度)を出した。この数字には他局や系列局の人員だけで構成するクルーは含まない。

 十七日の取材のねらいについては、「ともかく被災現場に行くのが基本姿勢で、現場では目に着くものすべてを取材するということだったようだ」「震災の状況を手当たり次第」「被害状況を可能な限り取材」「できるだけ早く災害の全容を伝える」「地震の規模や被害状況など事態の全貌をとらえることをまず優先した」「被害の実情をより早く把握し、全国に発信すること」などの回答があった。

 どの局も、震災の被害状況を把握できないままに取材クルーを送り出したことがわかる。被災者をのぞく大多数の視聴者と同様、放送局が震災の被害状況を把握したのは、ヘリによる空撮映像が流れてからのことだった。

 ラジオでは、十七日に取材クルーを出さなかった局が二つある。一局は人員確保ができず不可能という理由である。もう一局は理由を明記していないが、はじめから被災者への情報提供に徹しようとしたという理由も考えられる。

 ラジオのクルーは、NHKをのぞけば各局とも一〜三クルー(一クルー一〜四人程度)を出した。この数字には他局や系列局の人員だけで構成するクルーは含まない。ラジオ取材が局を出たのは、午前十時以降が三局あるなど、テレビよりかなり遅かった(これもNHKはのぞく)。

 取材にはさまざまな困難がともなった。最初の三日間、取材の主な障害となったことをたずねたところ、すべてのテレビ局(八局)が「道路渋滞」と「電話の不通」をあげた。ついで「道路や橋の損壊」「行政からの情報不足」「食糧等スタッフの装備不足」(以上六局)、「停電・断水」「スタッフの不足」(以上五局)、「鉄道などの不通」(四局)となった。

 スタッフ不足から、カメラマンや技術スタッフがカメラにむかってしゃべったというケースもあった。

 ラジオ局(十七日に取材クルーを出さなかった局は答えていないため六局)でもほぼ同じで、取材班は「道路渋滞」「道路や橋の損壊」「電話の不通」(以上六局)、「行政からの情報不足」「スタッフの不足」(以上五局)、「鉄道などの不通」「食糧等スタッフの装備不足」(以上四局)などに悩まされた。

 ラジオで目立つのは「中継手段の不足」(六局のうち四局)である(テレビは八局のうち三局)。ラジオは中継に電話を利用することが多いためと思われる。また、「スタッフの『災害経験』不足」という項目でも、ラジオ(六局のうち三局)がテレビ(八局のうち二局)を上回った。

 そのほか、「行政以外からの情報不足」をあげた局が、テレビ、ラジオとも三局あった。これは、電気、ガス、水道、NTT、鉄道会社などからの情報不足を指しているものと思われる。

 取材におけるスタッフ不足は、災害がきわめて大規模で広範囲にわたったせいもあるが、地震で社員の出社に影響が出たことも関係している。

 十七日昼までの社員の出社状況をたずねたところ、テレビは不明が四局、残り四局は社員の一七〜五〇%程度と答えており、混乱がうかがえる。ラジオは、社員が少なく把握しやすいためか、不明は一局だけだが、残り七局は二〇〜七〇%程度とばらつきがある。うち四局が三〇%以下である。

 十七日いっぱいの社員の出社状況については、テレビが五〇〜八〇%、ラジオが三〇%の一局をのぞいて五〇〜八〇%だった。

 「かなりの社員に影響があり、業務に支障があった」のはテレビ三局、ラジオ五局で、「一部の社員に影響があったが、業務に支障はなかった」のはテレビ四局、ラジオ二局である。「ほとんどの社員が出社できず、業務に大きな支障があった」というのは、テレビとラジオ一局ずつだった。

 出社には自転車やバイクが大活躍したほか、マイカーの利用や、徒歩で何時間もかけて出社した人も多い。自宅から一気に十数分走って出て来た人もある。マイカーを途中で放棄し、後は歩いたケースもある。放送局員と知って自転車を貸してくれたり、車に乗せてくれた市民も少なくなかった。ケガをものともせず出社した社員もあった。家族を残しておくのが危険な状況で、家族づれで出社し、家族を社に泊めたという局もあった。

 アンケートに記載された例で、もっとも時間がかかったのは、大阪から神戸市のラジオ局に出社したケース。阪神間が不通のため大阪から関西国際空港まで南下し、K・CATを利用して淡路島に渡り、そこから共同汽船の高速艇で神戸港にたどりつき、さらに港から社まで歩いたという。所要時間は約八時間であった。

 このほか、アナウンサーは公衆電話からレポートを送り、記者はホームビデオを撮りながら出社するなど、出社中も報道にたずさわった例が、どの局でもみられた。

他地域からの応援

 系列局からの応援については、五つのテレビ局に対して、系列キー局から応援の申出があり、各局ともこれを受け入れた。周辺の系列局から応援の申出があり、これを受け入れたという局も二局あった。また、二つのテレビ局が「系列間の協定により自動的に応援体制が敷かれた」としている。

 NHK大阪とNHK神戸については、NHK東京および周辺のNHK放送局から応援の申出があり、これを受け入れた。

 独立U局一局は、他局に応援を要請していないが、近畿地方の同じ独立U局から応援の申出があり、人員二人とカメラ一台を受け入れた。

 ラジオでは、系列キー局から応援の申出があった局が二局、周辺系列局から応援の申出があった局が二局、系列間の協定により自動的に応援体制が敷かれたという局が一局(以上NHKはのぞく)。他局に応援を要請しておらず、応援の申出もないというラジオ局は二つあった。

 つまり、民放ラジオにおける系列キー局や周辺系列局の応援は、テレビほどではなかった。ラジオの独立性はテレビよりも強いといえる。ただし、系列などとは一切無縁だという各地のラジオ局が、阪神地方の独立局に応援を申し出ることは、あってもよかったのではないか。

 応援状況については、NHKが、NHK東京から約二百人・ヘリ三・カメラ二十、その他NHK局から約三百人・ヘリ二・中継車十・カメラ三十など。これは取材関連だけの数字でテレビとラジオを含む。

 民放テレビの応援状況は、応援人員の多い系列順に、
  約四百五十人・ヘリ三・中継車十二・カメラ七十
  約二百十人・ヘリ十五・中継車十・カメラ四十七
  約百五十人・ヘリ三、中継車六・カメラ二十
  約六十人・ヘリ十・中継車五・カメラ十二
  約五十人・ヘリ二・中継車三・カメラ七
という規模だった。

 いずれもピーク時の数字と思われるが、ややヘリの数が多いのは一日のべで数えているのかもしれない。なお、ヘリにはジェット機なども含む。

 民放ラジオの応援状況は、多くても人員で数名から十名程度、中継車が一台というような規模だった。

課題と教訓

 CMについては、NHKをのぞくテレビ局とラジオ局(各六局)が、ほぼ全面的にCMをカットすることを基本とした。一部CMをカットしたと答えたラジオ局は「CMをカットしたかったが、技術者の不慣れで自動送出モードから手動モードに切り替えられず、やむなくズルズルとCMが流れた」と付記している。

 地震の収益に対する影響(NHKをのぞく)は、テレビ六局のすべてが「減収になる」とし、一局が一月は前年同月比▲一〇%、二月は同▲二〇%と答えている。ラジオは、七局のうち六局が「減収になる」とし、一局が「とくに影響はない」としている。一局が一月は前年同月比▲四・五%、二月は同▲三・五%と答えている。

 最後の質問は、今後どのような対応を必要と考えるか、である。「地震検証番組など防災関連番組の制作」「自局の防災キャンペーン」「地震マニュアルの見直し」「社員の災害取材研修・教育」などの項目を十九並べて、それぞれについて「ぜひとも必要」「どちらかといえば必要」「どちらともいえない」「どちらかといえば不要」「まったく不要」のいずれかを選んでもらった。

 それぞれ、+2、+1、0、-1、-2として、十九項目それぞれのポイントを集計し平均を出すと、その項目がどのくらい必要と思われているかを表す数字(+2〜-2)が得られる。数が+2に近いほど必要とされていると判断できるわけだ。

 結果は、ポイントが高いものから、地震マニュアルの見直し(1・94)、地元自治体との連携強化(1・63)、クルーとの連絡手段(無線等)の確保(1・56)、地域住民との連携強化(1・56)、電力・ガスなど防災機関との連携強化(1・5)、地震検証番組など防災関連番組の制作(1・38)、局舎や大型機材の耐震化(1・38)、社員の災害取材研修・教育(1・19)、中継機能の強化・拡充(1・19)、機動力(SNGなど)の強化・拡充(1)となる。 これらの項目は、阪神地区の十六の放送局が「どちらかといえば必要」か、それ以上に必要と考えていることになる。

 テレビ局とラジオ局でかなり違うと思われる項目も少なくない。 テレビだけで集計し平均を出したとき、ポイントが高いのは、地震マニュアルの見直し(1・88)、クルーとの連絡手段(無線等)の確保(1・88)、機動力(SNGなど)の強化・拡充(1・38)、局舎や大型機材の耐震化(1・38)など。テレビ局はこうした対応が必要だと考えている。クルーとの連絡手段には、比較的かかりやすいとされた自動車電話や携帯電話も想定されているだろう。

 ラジオだけで集計し平均を出したとき、ポイントが高いのは、地震マニュアルの見直し(2)、地元自治体との連携強化(1・88)、地元住民との連携強化(1・75)、電力・ガスなど防災機関との連携強化(1・75)、災害時の局内指揮系統の見直し(1・67)などである。ラジオ局は、とりわけ地元との連携の必要性を痛切に感じている。

 ラジオ局がそのように考える背景として、ラジオが地元に根差した(本質的にローカルな)メディアであること、ラジオが携帯性や伝播性から非常時に不可欠のメディアであること、地元被災者への情報提供こそが使命だとラジオ局が自覚していること、放送局の規模が小さく情報収集に地元の協力が不可欠なこと、などを指摘できるだろう。

 さらに、自局の防災キャンペーン(1・13)、系列キー局との連携強化(1・13)、スポンサーとの災害時の連絡強化(1・13)他系列との役割分担の研究(1・13)、他メディアとの役割分担の研究(1)などは、いずれも全体では1に達しない項目である。

 ラジオがキャンペーンに適したメディアであること、ラジオは系列のしばりがゆるく独立性が高いこと、したがって系列やメディアを越えた提携の可能性があること、地元の小さなスポンサーをたくさんかかえており広告会社が仕切るテレビとは違うこと、などが読み取れる。また、ラジオは取材力に限界があるために、系列やメディアを越えた提携の可能性を探っているのだとも考えられる。

 最後に、自由意見欄に書かれた内容をひとつだけ紹介して、筆を置くことししたい。

「放送局そのものがこれほどの被害を受けるということ、放送局の全員が被災者になるということは、想定にはなかった。そうしたゼロ以下の、マイナスからの放送開始であった。こうした事態では、マニュアルよりも、個々のスタッフの意志、判断力、行動力に負う部分がきわめて大きいと感じている」(後篇につづく)