メディアとつきあうツール  更新:2003-10-01
すべてを疑え!! MAMO's Site(テレビ放送や地上デジタル・BSデジタル・CSデジタルなど)/サイトのタイトル
<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

衛星普及は予想を超える急ピッチ……

生き残りをかけた
”民放衛星”(民放BS)構想

≪リード≫
1991年4月にJSB(現WOWOW)が本放送開始。
衛星放送(もちろんアナログ)普及も、年内600万突破の勢い。
日本経済がまさにバブルの頂点にあったころ。
民放には独自の放送衛星を打ち上げるという構想があった。
実際には郵政の反対で実現しなかったが、
NHKに対抗し衛星波を獲得しようとする民放の、
焦りの一策ではあったろう。
そうまでして民放が乗りたかった衛星は、
1000万の顧客を見込む、あくまでBSアナログ放送。
BS-4段階でゼロからのBSデジタル普及を求められようとは、
このときは誰も気づいていない。

(「放送批評」1991年05月号)

好スタートを切ったJSB

 わが国初の民間衛星放送JSB(現WOWOW)が、すべり出し好調である。1991年4月1日の本放送開始時点で加入契約数は20万件を突破。これは当初の目標の倍だ。

「デコーダーのIC生産が間に合わず困っている。2月3月は契約から設置まで1〜2か月待っていただいている状況です」(JSB取締役業務部長・桑田瑞松)

 本放送移行にともなうソフト戦略も着々と進めており、すでにバラマウント、ユニバーサル、ワーナーの新作放映権を獲得。ディズニー、オライオン、フォックス、コロンビアについても契約締結は時間の問題である。

 JSBでは、普及の弾みをつけるには初年度が勝負とみており、9月までに50〜60万、92年3月までに90〜100万世帯の加入 を見込んでいる。きらに2年後200万、3年後に300万の加入を得て単年度黒字化、6年後に累積赤字をなくしその翌年からは配当を出すという強気の見直しである。

 一方、全体の衛星受信世帯数も月20万程度ずつ増えており3月末で420万。このペースならは2年半で(実際はもっと早いだろう)1000万の大台に届く。NHK2波とJSBの衛星2チャンネル時代は、予想をはるかに上回る好スタートをきったといえるだろう。

 そこで気になるのが、民放各社の衛星多チャンネル戦略である。民放関係者にJSBの好スタートの感想をたずねると、
「カメラでもオーディオでも、新しいものに必ず飛びつくマニアの20万や30万はいますよ。立ち上がりだけをみてJSBが一般に認知されたと考えるのは早計だ」
 との冷やかな見方が多い。

 しかしJSBの役員を招いて話を開くといった動きが頻繁で、民放各社の星への目が、以前とは違って真剣になってきたのも事実。というより、衛星受信世帯の普及が急で、ようやく”尻に火が看いた”印象が強い。

 民放は、どんな戦略を用意して星の時代に臨もうとしているのか。

「民放で独白の星をあげる」

 実は民放には、衛星多チャンネル時代にむけてキー局各社の戦略を統括するような特別の組織はない(早急に作るべきだと思うが)。いま民放の対応をとりまとめているのは民放連だ。しかし民放の衛星戦略の「真のオピニオンリーダー」(事情通)と目されているのが郵政官僚出身でフジテレビ常務の富田徹郎である。局長までつとめた”大先輩”だけに郵政にとっては手強い相手。郵政省の受付に「この者出入り禁止」として富田の顔写真が”手配”されたこともある。まず、富田に民放の星への取り組み方を聞いた。

 富田は、いわゆるBS-4段階(1997年頃)の衛星放送普及を世帯2500万(全世帯の3分の2が衛星放送受信機器を持つ)と想定。
「この時、民放が衛星放送を手にしていなければ民放に未来はない」
 と断言する。そして、その段階の民放衛星放送のあり方をこう語る。

「次期放送衛星では、民放は各系列ごとに1チャンネルが必須条件と考えている。これはJSBのような有料放送ではなく、現行地上波と同様のCM放送。そして、8チャンネルのBS-4でNHKと相乗りするのではなく、民放各系列が協力して民間放送衛星を打ち上げたい。以上は民放キー局のコンセンサスを得た話と考えてもらってよいでしょう」

 基本的な考え方は三つ。まず第一に日テレ、TBS、フジ、テレ朝、テレビ東京を中心とする各系列ごとに1チャンネル。星ひとつ打ち上げるだけで全国放送が可能となる衛星メディアは、ローカル局の存亡にかかわる大変革をもたらす。系列ごと、そして民放全体でひとつの星――運命共同体に乗らなければ、”炭焼小屋”化の恐怖におぴえる地方局を納得させることはできない。また、系列局だけでなくグループ各社や新規参入組も巻き込んだ”総力戦”が展開されることを意味する。

 第二はフリーテレビ(無料放送)。NHKとJSBの”有料”放送2つにさらにペイテレビが加わっては、金銭的な負担が大きすぎ、視聴者に受け入れられることは不可能との判断である。衛星放送は地上波に比べて10分の1程度しかコストがかからず、多チャンネルでもナショナルスポンサーを付けてやっていけるというのだ。

 第三のNHK・JSBと民放”二つの星論”については多少説明を加えておく必要があるだろう。これまでは、97年に8チャンネルのBS-4が打ち上げられるという郵政省の方針だけが、オバケのようにひとり歩きしてきたからだ。

 民放がNHKやJSBとは別の衛星を打ち上げるという構想が浮上したのは、90年の後半以降。その背景にあるのはまず、米国の対日市場開放要求だ。かねてから郵政省はBS-4を自らが開発を主導する国産衛星と位置づけてきたが、これがスーパー301条がらみで開放を迫られた。米国の要求は、レジスターをチンと鳴らせ――米国製衛星を購入せよという圧力で、従来の構想に”二つ星”構想が割り込む余地が生じたわけだ。

 また、BS-4が構想された頃はシステムで1000億円などといわれた衛星調達額が、円高や技術革新によって急激に低下したことも大きい。加えて好況や地価高騰で東京キー局の資金調達力もアップし、民放だけで調達することが大した困難ではなくなってきたのだ。

 きらに、衛星放送受信世帯の伸びが予想以上に急なことが、民放に星への参入を急がせる要因となった。BS-4がNHKとの相乗りだと、衛星調達法人が公益法人となり、米国の要求通り衛星の仕様を決めて公開するなど特別の手続きが必要になってくる。すると打ち上げまでに1年半くらい余計な時間がかかってしまう。これでは先行するNHKやJSBと民放の差は開くばかり。「民放の参入は1日でも早いほうがよい」(富田常務)から、民放だけで米国から星を買い、95年頃に打ち上げる二つ星論が主流の考えになってきたのである。

郵政省という厚いカベ

 では、富田が民放を代表していう構想通りに、ことは運ぶのだろうか。実はこれがかなり危い情勢なのだ。

「最大のガンは郵政省。頭が堅いというか、”1法人1衛星8トラポン”の古いお題目を唱えるばかりで、民放の主張に耳を貸そうとしない。民間の星を上げるとなれば、事業者の申請を調整するだけで何年もかかる。その間にNHKに叩きのめされたくなければ同じ星に乗れとの”有難い”御託宣です」(ある在京民放キー局幹部)

 このお題目は、1989年2月に出た「衛星放送の将釆展望に関する研究会」報告書のまま。その後、衛星調達の対外開放など前述した状況変化を受け、郵政は90年10月に「次期放送衛星問題研究会」を発足させた。同研究会の報告書はこの3月にもまとめられる予定だが、ここで民放の主張が取り上げられることは望み薄の状態である。

「郵政省はまず衛星調達法人をつくり、その後で利用主体(事業者)を決めるとしている。民放はまず利用主体を決め、衛星はその自主調達に委ねるべきと主張した。郵政は民放が調達法人に加わるなら星に乗せるが、拒否するなら星の免許は出さない(遅らせる)という脅しに出ている。こんな理不冬な話はない」
 と、ある民放首脳は嘆く。

 郵政がかつてのお題目にこだわるのは、自ら設立した通信・放送衛星機構(打ち上げ計画や仕様書を作り、宇宙開発事業団なに委託して衛星の設計・製作、打ち上げなどを実施する)の存在意義が薄れてしまうから。また、衛星の調達を通じて(憧れの通産のように)メーカーに影響力を行使することができなくなってしまうからだ。

 対する民放は、免許という首根っこを抑えられている監督官庁だけに、これまでは”恭順”の姿勢を示しつつ自らの主張を小出しにしてきた。だが研究会の報告書の内容いかんでは、民放はより一歩踏み込んだ積極的な衛星自主調達運動に乗り出すものとみられる。そろそろ態度をハッキリさせないと、本当に間に合わなくなってしまう。

 とはいえ、首根っこを抑えられていることに変わりはないから、経団連やJETROあたりを味方にして郵政を突き上げるとか、郵政の顔色を見ながら世論に訴えるくらいの手しかない。ウルトラCは、米国と密かに手を結んで政府を動かす手。なにしろ衛星放送の登場は民放にとって「昭和28年に日本テレピが開局して以来最大の変革」(前出・民放首脳)である。”大正力”(正力松太郎)ならそこまでやったのではと思われるのだが……。

民放はゼロ戦、NHKはB29

 さて、以上主として対郵政をめぐる衛星問題は、衛星多チャンネル時代のほんの序章にすぎない。民放の抱える問題は山積している。

 その最大のものはローカル局だろう。民放キー局は系列ごとに運命共同体となるといっているが、中央が北から南まで地方の面倒を見きれるはずはない。「97年は民放苦難《クナん》の年」という富田フジテレビ常務も、
「ローカルは本当に大変です。衛星時代とともにローカル局再編成の波が襲うことは間違いないでしょう」
 と語る。地方ブロックごとに”整理”される局もありうるとの見方だ。

 また、民放は地上と衛星で同じ広告放送を考えているが、その共存は本当に可能なのか。いち早くFNN企画を設立するなど衛星対策で突出しているフジ・サンケイは、
「星の時代の勝負はやはりソフトが決め手。当社はソフトには自信がある。深夜帯で昼やゴールデンとは違った実験、経験を積んできたし、地上と星で棲み分けることは十分可能」(富田)という。新聞、映画、出版、通販などグループを挙げてメディア・ミックスを進めていることも自信の裏付けとなっている。

 しかし、民放はNHKやJSBに対抗しつつ、民放同士で食い合いをしなくてはならないのだ。富田の比喩を借りれば「NHKは四発エンジンのB29、対する民放はゼロ戦」だが、5機のゼロ戦はいつまでも編隊飛行を続けるわけではない。

 さらに、衛星の価格は安くなったとはいえ、スーパーバード(予備機は打ち上げ失敗、本体は故障)やBS-3a(太陽電池の回路不調で当初7年の寿命が2年ともたず)の例にみられる不測の事態が付きものなのだ。

 こうみてくると、90年代というのは民放にとって生き残りを賭けた厳しい時代になることは確実だ。

 民放史上最大の試練の時代をいち早く乗り切るのはどこなのか。視聴率のコンマ・何パーセントに一喜一憂している気楽な時代は終わったのである。