メディアとつきあうツール  更新:2003-07-09
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

郵政省失政録
≪後編≫
JSB St.GIGA 東京第六局 BS-4 ハイビジョンに見る官僚たちの失政

≪あとからの「まえがき」≫
日本のテレビ・ラジオは、免許を握る監督官庁・郵政省(2001年以降は総務省)に頭が上がらない。系列としてテレビと一体化する新聞も同じだ。その郵政省は、これまでテレビをどうしてきたか? テレビが今日の隆盛を見ているのは、本当に郵政省のお陰だろうか? 郵政省のテレビ政策は、ほとんど失政の繰り返しではないのか? 発表当時の1992年、電通のみなさんがコピーを郵政省内で配りまくったこの原稿、いまでも立派に通用する。今日ただいまのどの問題に通用するかを、≪あとからの注≫で解説! (「放送批評」1993年02月号巻頭)

≪このページの目次≫

JSB(現WOWOW)
テレビのわからぬ人が作った”うちの会社”

 日本衛星株式会社(=JSB、チャンネルコールネームはWOWOW)が大苦戦に陥っている。

 郵政省はこの新しい民放テレビ局を「うちの会社」と呼ぶ。郵政は自らの主導によって13グループが乱立した申請を”一本化”し、初代社長には郵政省事務次官出身の溝呂木繁を、その次の現(92年11月末現在)社長には放送行政局長出身の徳田修造を送り込んだのである。

 91年4月にJSBが本放送――民放初の有料放送を開始した時点では、前年12月からの4か月で20万件以上の加入契約があり、これは目標の倍という好調なすべり出しだった。

 しかし、わが国衛星多チャンネル化のホープとして周囲の期待を一身に集めたJSBも、バブル崩壊のいまとなっては、郵政省失政録という悲劇の、一幕の主人公といわざるをえない。

 同局の今日までの経緯は、前号に記した東京12チャンネルの顛末《てんまつ》と似ている。12チャンネルでは郵政の恣意的な決定により日本科学技術振興財団に免許が下ろされ、JSBでは郵政主導で一本化がまとまった。この点は違うという見方もあるかもしれない。だが、郵政が、最高裁によって否定されたほど手続き不備が露骨だった免許方針を改める程度には利口になり、あるいは自らの直接的な利権確保のため立ち回れるくらいには大人になったと思えば、この違いはむしろ当然。ただ、国民不在、経済原則無視の免許だったことは共通している。

 郵政が多少ズル賢くなったことを除き、開業後に技術的なトラブルが続出したこと、みんなが少しずつ出資したため経営の核がなく無責任な放漫経営がまかり通ったこと、開業後に不況に突入し財界からの資金が滞ったことなどは、よく似ている。

 そして、結局12チャンネルは日本経済新聞の手に渡ったが、JSBも似たような末路をたどる可能性が高い。今回も、郵政はまず五大新聞の電波担当を回って打診した。JSBは再建を引き受ける出資グループの傘下に入る以外に立ち直りは不可能ではないか、というところまで追い詰められている。

 最近では契約者の獲得の落ち込みが一段と厳しくなり、月3万の大台を割り込んでいる。10月以前の時点で、新規加入の獲得1件につき、なんと8万円以上のコストがかかる。「新規契約者にデコーダーをタダでくれてやり、2年間タダで見せるのと同じ」(JSB首脳)ことを、郵政の「うちの会社」は続けているのである。まったく正気の沙汰ではない。こんな会社が長続きするはずがない。

「JSB会長である斎藤英四郎経団連名誉会長は、すでに半年くらい前から『現社長には経営感覚がない。テレビがわかっていない。郵政はなぜ推薦してきたのか』との怒りを口にしていた。現執行部の退陣は固まっています」(事情通)

 もちろん経団連名誉会長にもテレビがわかっていなかった。だから、JSB会長を引き受けたのだろう。目先が効かなかったのは郵政だけではない。バブル時代に湧いた泡銭を投げ、とりあえずバスに乗ろう、うまくすれば衛星でひと儲けだ、とスケベ根性を出した財界、関係各社の責任も見過ごせない。

 さて、JSBに見るべき郵政の失政パターンは、免許というオールマイティーのカードをちらつかせながら、新しいメディアに橋頭堡を築こうとする放送局や民間会社――メーカー、金融、商社、流通、情報関連など――から資金を引き出し、郵政翼賛会的な国策会社や団体を作るというものである。

 出来あがった会社や団体は、みんなが少しずつ(時にはいやいや)カネを出し合うため、当たり前の経済原則にのっとった経営ができない。しかも郵政省は、その会社や団体を重要な天下り先として人を送り込み、ことあるごとに介入する。いままで付き合いのなかった民間会社も(憧れの通産省のように)コントロールできるようになる。郵政に新しい利権が生まれるのである。

 しかも、一方で集中排除だの、総合編成が必要だの、有料放送時間は何%だのと、古くからの規制を振り回すから、生まれたものは輪をかけて育たない。

 JSBはその典型だが、ハイビジョン推進協会なる団体も同じパターン。これが将来、たとえばBS−4段階で放送局に格上げされるとすれば、それは第二のJSBになるのだ。地域は東京に限られるが、東京第六局も同じである。

 だが、こうしたものが生き延びることのできた時代はすでに終わっている。郵政がそのことに気づくまでに、行き行きて倒れる放送局の屍が、いくつ必要なのだろうか。

≪あとからの注≫ 発足当時「JSB」と名乗った日本初の有料民間衛星放送局は、現在は「WOWOW」《ワオワオ》として知られている。松下電器産業が経営再建に乗り出してから、その経営は徐々に軌道に乗っていったが、初期は「民間」の名に値しない、郵政省の露骨な支配会社だった。

財界の利権漁り、密室談合免許、郵政官僚天下り、初期の「呉越同舟」「船頭多くして船山に上る」式の経営不在、倒産一歩手前の経営不振、民間による再建……。最初から純粋の民間にやらせれば、どれほどよかったかと嘆息するばかりである。

WOWOWのすべり出しがよかったことは、この国には、どんな家電・家庭用情報機器が出てもすぐに飛びつく数十万人(世帯)がいることを示している。スタートから半年程度の普及度合いは、その後数年間の普及度合いとは異なり、初期のほうが勢いがよいのだ。もちろん、BSデジタルでも同じことが起こっている。それを指摘するのが専門家だと思うが、この国のこの業界には専門家なんていないのだ。

デコーダーの「逆ざや」も、新しくスタートするデジタル放送に共通する問題である。WOWOWは民間放送だったので、新規加入1件あたり8万円も投下して、社長はクビになった。現在、NHKは地上波総合テレビで、民放は地上波自局系列で、地上波BSデジタルのCMをガンガン流しているが、本来ならばその投下資本額は、BSデジタルの普及コストとしてBSデジタル局が背負わなければならない。実は、それを支払っているのは、BSデジタルなどハナから見るつもりがない大多数の国民だ。

St.GIGA
斬新編成もむなしく”倒産一歩手前”

 JSBの音声独立チャンネルに乗っている衛星デジタル音楽放送株式会社(St.GIGA)に至っては、JSBよりも一層悲惨な状況である。残念ながらこの会社は、事実上「倒産している」(大手都市銀行関係者、商社関係者など)。

 もちろん会社は存続しているが、毎月2000〜3000万円の収入に2〜3億円の支出という収支構造は相変わらず。累積赤字は40億円以上にのぼる。同社はBS−3のトランスポンダ使用料が払えないと言い出している。

 7月の増資は目標の15億円の半分以下で、大部分はマザー・エンタープライズのオーナーでもある福田信社長が個人的に調達した。それ以外に応じたのはエフエムジャパン(J−WAVE)など4社で出資額は1億3000万円。J−WAVEは曾山克己社長が独断で5000万円を出し、取締役会は事後承認だった。これは郵政の意向を受けたもので、年明けにもJ−WAVEがSt.GIGAの”身元引き受け人”として名乗りを上げる公算が大きい。

 ついでだから書いておくが、J−WAVEの相談役・会長(いずれも取締役)は、斎藤英四郎と花村仁八郎。ふたりはJSBの会長・相談役コンビである。経団連会長の平岩外四も両社の非常勤監査役に顔を出している。繰り返すが、こういう人が役員に入っている会社は普通の会社ではないのである。

 50億円もポンと出す人か会社があれば、St.GIGAはとりあえずサービスを続けられる。この広い世の中、そのくらい出す人はなんとか見つかるだろう。だから、実態はともかく、倒産は避けられるかもしれない。

 しかし、わが国放送の将来のためには、この会社は一度会社更生法を適用したほうがよい。というのは、St..GIGAこそ衛星ニューメディアの時代に、郵政省の恣意的な裁量によって無定見な免許が下され、会社が倒産一歩手前まできている最初のケースだからだ。

 この音声放送局がJSBの音声バンドに乗るという話が出たとき、JSBは猛反対した。これによってJSBはBモード音声放送ができない世界唯一の衛星放送局になってしまうからである。そこに「マスコミ集中排除原則」という時代遅れの証文を取り出し、強引に割り込ませたのは郵政省だった。

 さらに、現在までに次のような問題が知られている。

 郵政省内に郵政の方針を1人決めしていた某がいた。某と大学・学年が同じ某代議士がSt.GIGA設立に熱心に動いた。この件に熱心だった音楽関係者が3人いるが、1人はさっさと撤退し1人は脱落した。某と残る1人の付き合いは、役人としての範を越えたといわざるをえない。余談だが、某の"愛人"はある民間衛星放送局にいる某である。

 以上についてそれぞれ複数の証言者があり、もちろん伏せた名前もすべて特定されている。もうひとつ、秋葉原の地名が出てくる重要な証言もある。12チャンネルは30年前の話だが、これは数年前から現在まで引き続いている話である。

 筆者は、St.GIGAの斬新な編成を高く評価したい。衛星放送にJSBのような映画専門局がひとつくらいあってもいいと思うし、St.GIGAのようなユニークなラジオ局もあっていいと思う。「既存の放送局などクソくらえ。彼らには決して真似できないオレたちの放送を流すのだ」と、たとえば大手商社を途中で辞めてSt.GIGAに入った人間たちには、共感できる部分のほうが大きい。

 しかし、そのことと同社の設立にまつわる不透明さ、あるいはそのことと現在の危機を招いた杜撰な経営とは、相殺にはできない。どんなにすばらしい放送であろうと、ダメなものはダメなのだ。

 そして、そこに郵政省があってはならない形で関与したことを、複数の証言者が認めている。できた放送局は倒産の一歩手前なのだ。これが失政でなくて何だろうか。

 ここでも、郵政省の免許をはじめとする行政方針が、恣意的に振り回され、誰もそれをまともにチェックできないわが国放送制度の悲しさを、指摘しなければならない。そして、右に書いた話が、関係者の間では半ば公然と語られているにもかかわらず、誰に遠慮してか何も語ろうとしないマスコミの悲しさもまた……。

≪あとからの注≫ この後、St.GIGAには任天堂が再建人として手を貸すことになり、データ放送を始めたが、事実上の実験に終わった。一般家庭には遅々として普及しないが、ホテルなどの事業者の一括加入でなんとかしのいでいる。

なお、下線部分は、当時の「放送批評」編集長・青木貞伸が「雑誌の品位を保つため」という理由でカットしたため、誌上には掲載されなかった。もう時効が成立していると思うので、ここでは掲載する。

東京第六局(現MXTV=東京メトロポリタンテレビ)
番組イメージまで指導される
都民不在テレビ

 東京に第六の民放UHFテレビ局ができる――といっても大方の都民には寝耳に水だろう。この都民不在の”都民テレビ”構想を、前代未聞の露骨なやり方で進めたのは郵政省だった。

 東京に新たなテレビ局をと熱心だったのは、1964年に東京新聞を系列に収めた中日新聞。当時の社長は「電波を持たない新聞は翼のない鳥だ」といい、東京での「波取り」を盛んに画策した。一方、鈴木都知事をはじめ都庁サイドは、80年代半ばからU局設立運動を展開。こうした動きに地元企業や商工団体の思惑も重なり、第六局設立の機運が生まれた。マスコミも含めて企業はカネ儲けのネタを探す、都はPRの場を求める。これは自然なことである。

 そして、これらの動きを交通整理し、限られた公共の電波を国民(この場合は都民)のためもっとも有効に活用させることが、テレビ局に免許を下す郵政省の役割のはずだった。だが、この1年、東京U局をめぐって郵政がしたことは、まったく逆だった。郵政省は新局開設に当たって、放送に対する強引な介入を重ねたのである。

 郵政は92年2月末「東京UHF民放テレビ局開設のための基本的考え方について」という文書を出した。これには、新局のイメージ(番組の中身)、資本構成及び人的構成(出資比率や社員数)、今後のスケジュールなどが、強引かつ詳細に書かれていた。

 東京にできるテレビ局は「郵政テレビ」ではない。自治体は出資するが純粋な民間会社、それもれっきとした”言論機関”だ。その番組イメージや社員数を役所がうんぬんすることは、許し難い暴挙である。それは、言論機関としての放送局の自律や不遍不党を危うくするから、やってはいけないのだ。

 過去、テレビ局の開設に当たって、この種の文書が出たことはない。陰で同じような調整をしたかもしれないが文書は公にはなっていない。だから1992年2月に出た文書は、わが国放送史上に残る郵政の愚劣文書といってよかった。

 文書が出されたのは、92年6月まで放送行政局長だった人物の奇態なキャラクターに負うところ大という。この人物、同僚局長はバカ呼ばわり、部下を私用人同様コキ使う、放送関係の講演会で自分のおっ母さんの思い出話やカラオケ持ち歌リスト入り資料(厚さ3センチ)を配ったヘンな人。「論際」疑惑にも登場している。露骨な介入は同局長の勇み足というのだ。

 けれども「ヘンな局長のヘンな政策でした」では済まない。放送局の免許申請からいわゆる”一本化”をへて免許が降りるまでのプロセスが、ここでも不透明なことが問題なのだ。本来なら独立した第三者機関でもつくってオープンに議論すべき事柄が、密室で郵政省の恣意的な裁量で決まってしまう。郵政族はじめ政治家が利権あさりに暗躍しても、誰にもわからない。

 一局長の暴走を、クビを切らない限りは止められなかった郵政省の組織も、非常に問題である。かつての「省益」に代わり「局益」という言葉が聞かれるようになったが、郵政でも通信部門と放送部門は必ずしもしっくりいっていない。通信政策局あたりでは放送行政局の批判も聞かれる。しかし、それはその場限りの感想に過ぎない。メザシの頭を横に突き刺す串――郵政省全体としての戦略を立案し、各局をチェックする組織も機能もないから、実効性がともなわない。

 大臣は「お客さん」ですぐ代わる。事務次官もどうせ2年後には組織の威を借りて天下るのだから、何もしない。伝統的に力ある者が就くとされる課長ポストや審議官クラス以上になると、将来の事務次官候補は非常に絞られてくるから、力のある人物ほど貝になっていく。その結果、国民のため、21世紀の日本のためという官僚の存在意義は、二義的な目的に後退してしまう。

 例によって、東京U局について新聞・テレビなどマスコミはまったく報道しない。新聞は当事者として出資しており、テレビは新聞と系列関係にあるからだ。新聞のなかでも東京新聞は「熱意が認められて」1社だけ比率が高い。89年に郵政相のリクルート疑惑に触れた社説を差し替えた甲斐はあったというわけだろう。第六局については、郵政省の発表をさながら大本営発表として、はしゃぎながら伝えるだけだ。

 第六局問題は、新局長のもと仕切り直しが行われたが、それでもすでに放送局の中核となる新会社の社長は決まっている。こうしてテレビはますます不健全なメディアに堕していく。

≪あとからの注≫ その後、東京第六局は、呉越同舟の無責任体制の中で入り込んだ「3人組」に、ボロボロになるまで食い物にされた。この3人組は、正常化のためセゾングループからに送り込まれた元TBS副社長を、なんと追い出してしまった。こうした経緯を記事にしたのは「放送批評」誌だけである。

その後遺症は長く続き、石原慎太郎・東京都知事は、当選直後のテレビ番組でテリー伊藤に、「あのどうしようもないテレビ局、なんとかしてよ」といったほどであった。

BS−4
衛星調達の破綻を認めず方針ゴリ押し

 衛星多チャンネルの”メイン・イベンター”BS−4は、現在のところ93年5月には電波監理審議会の答申が出て、利用主体の決定をはじめとする重要事項が定まるものと考えられている。打ち上げは早くても97年である。

 しかし、一見すると結論が出るのはまだ先の話と思われがちなBS−4、早くも郵政省失政録綴《つづり》りに綴《と》じ込まなくてはならない。そうしないと、いつまでたっても綴りのページは膨らみ続けるばかりのように思われる。

 BS−4問題における郵政の失政で最大のものは、衛星調達の失敗である。郵政省は調達法人を先決めし、そのうえで衛星に乗る利用者を決定しようという方針。対して民放や経団連は衛星利用者を先に決め、乗ると決まった事業者の自主調達に委ねるべきだと主張した。これは入れられなかったが、なにしろ郵政省の方針は、衛星の搭乗券を振りかざしてのゴリ押しだから、引き下がらざるをえない。

 しかし、92年になると、郵政省の進める調達方式は資金的に困難があることが表面化した。郵政が唯一絶対の調達法人と考えた「通信・衛星放送機構」(この10月に「通信・放送機構」に組織変更)は担保能力のない公的法人だから、衛星のようにリスクの大きい事業では融資も債務保証も受けられない。

 そこで8チャンネルをフルに使うとされているBS−4を2つに分け、最初の1機に乗るNHKとJSBにネジ込んだが、前者は放送法上、後者は余裕なしとの理由で、未知の利用者のための債務保障を拒否。そこで大蔵省と交渉したがダメ。思い余った当時の担当局長は、自民党の有力逓信議員に陳情したが「帰れ」と怒鳴られ、省に帰って担当課長を「お前のせいだ」と怒鳴りつけ、課長は入院してしまった。

 郵政は、公式にはこの10月中旬にようやく公的法人による調達を断念。代わってNHKなどを中心とした「民間法人」設立を進めるという。

 だが、これが郵政の色がつかない本当の民間なら、事業者の自主調達と変わりないから無意味。一方郵政色の強い法人なら機構と同じだからますますもって無意味。政府の一部門としての存在意義が薄れてきたため、行革の対象として将来の民間法人化が決まっている機構をスライドさせれば、NHKの関わり方によっては放送法上の疑念が生じる。そもそも、そんなものに進んでカネを出そうという企業や団体などあるはずがない。あれば機構に債務保証をつけているだろう。

 結局、郵政は「衛星調達はどうしても郵政が主導しなければならない」と考えているわけだが、そのことに合理的な理由づけはない。かつては「利用者決定の前に、公正で中立的な法人が衛星を確保する必要がある」という理由づけを口にしていたが、来年にも利用者が決まり、設立される法人がNHKうんぬんでは、この理由は成り立たない。郵政主導の衛星調達は完全に破綻してしまった。

 にもかかわらず郵政は「国策としてBSの継続性の確保が必要だから」と郵政主導の方針を崩さない。しかし、郵政のやり方の破綻とは、国策の破綻そのものである。

 なぜ、破綻――自らの失政を認めて、誰もが納得できる新しい国策を打ち立てようとしないのか、理解に苦しむ。衛星国産化という国策は、米国にネジ込まれてあっさり捨てたことがあったではないか。

 すでに、BS−4で利用できる8チャンネルすべてを利用する、BS−4は97年に打ち上げるといった”国策”もいったん白紙に戻し、衛星放送のあり方を根本的に考え直すべきだという意見が続出している。2つの先行する民間衛星放送局の危機は、誰の目にも明らかなのだ。郵政は立ち止まり、場合によっては引き返す勇気を持つべきではないだろうか。もっとも、そうなれば過去のBS論議は、まるごと郵政省失政録に放り込まなければならないが。

≪あとからの注≫ 2002年7月、文部科学省系の独立行政法人「航空宇宙技術研究所」がオーストラリアで超音速小型実験機の飛行実験をおこなったが、実験機の打ち上げに使われたロケットが墜落し、失敗に終わったという事件があった。この研究所は、95年から次世代超音速旅客機(SST)の開発に向けて研究しているという。

引退したYS-11を除けば、日本製の現世代旅客機が飛んでいるのをほとんど誰も見たことがなく、しかもオモチャのような実験機すら打ち上げることができない「航空宇宙技術」力で、大事故を起こしたコンコルド以外誰も開発に着手しようとしない超音速旅客機を開発……。一目で、無理筋とわかる話だが、誰も知らないところで税金が湯水のように使われ、失敗しても誰も責任を取らない。その行政法人の役員は役人の天下り。これが日本の官僚制の実態である。

郵政省もこれと同じ。一目で無理とわかるはずの衛星国産化に拘泥《こうでい》し、バカ高いBSを何機も打ち上げ、税金をムダ遣いしまくった。もちろん誰も責任を取らず、現在では衛星は打ち上げも含めて安い海外に発注されている。

ハイビジョン
国内不況背景に見切り発車か?

 BS−4をめぐる状況を、いっそう難しくしているのがハイビジョンである。実はこのハイビジョン、郵政省失政録に取り上げるべき典型事例と断言するには、その将来を決定づける不確定要素が大きすぎるようにも思う。ようするに、ハイビジョンそのものがよくわからない。

 1992年夏ころまでは、NHKが開発したMUSE方式のハイビジョンは世界の孤児になるような印象があった。メーカーの若い技術者などに聞いても「デジタルのほうがいいに決まっている」といった口振りだったからだ。

 だが、最近家電メーカー各社が立て続けに出したフルスペックのハイビジョン受像機を見ると、このままそこそこ普及してしまうような気もする。メーカー11社による「ハイビジョン実用化放送の早期実現」の要望も、どうやら本音らしい。いま、家電不況、AV不況がドン底の状態で、メーカーは売るものがなくて困っている。現行のハイビジョンが谷底から抜け出すための脱出ロープ――溺れる者のつかむ藁になりつつあるのだ。

 すると、アメリカのFCC(連邦通信委員会)が2008年に地上波で全面移行すると決めたデジタルハイビジョン(方式の決定は93年6月)を尻目に、日本ではMUSEハイビジョンがそこそこ普及してしまうかもしれない。その場合、MUSE方式の採用が正解か不正解かという答えが出るのは、かなり先――10年後とか20年後のことになる。不正解であれば郵政省失政録の分厚い補遺が必要で、それは「放送批評」がまだ存続していたら書くが、ここでいまMUSEかデジタルかと聞かれても筆者には判断がつかない。

 それでも郵政のハイビジョン推進戦略には、いくつかはっきりした疑問がある。まず指摘すべきは、ハイビジョン規格の世界統一にきわめて甘い見通しを立てていたため、唯一実用段階に達していたハイビジョンを持つ国として当然発揮すべきリーダーシップが発揮できなかったことだ。日本側は国際会議に出かけては欧米の反撃に合い、帰国して「思ってもいなかった」を連発した。「政治的イシューに変質してしまった」など言い訳にもならない。それこそ政府の仕事である。

 アメリカでデジタルという新しい方向が出てくれば、それがどんな可能性を持つか検討し、どう対応すべきか議論があって当然だが、それがないのもおかしい。これはNHKのほうが罪が思いが、NHKにも郵政にも、自分たちのやっていることと違うものが出てきたら、目と耳をふさぎ顔をそむけて駆け抜けようとする体質が染みついている。官僚機構に特徴的な行動パターン、条件反射である。

 杜撰な未来予測、通産省との縄張り争い、息のかかった推進協会をつくりこれに免許を下ろすといういつもの癖も出る。こうして、多くのことが不透明なまま、MUSEハイビジョンはBS−4段階で”見切り発車”するものと思われる。

 さて、ここまで綴ってきた失政の数々で、郵政省の失敗のパターンはおおよそ浮き彫りになったと思う。そして、恣意的な行政裁量、免許をちらつかせるゴリ押し、杜撰な未来予測、不毛な省際戦争、権益拡大のための新組織設立、その組織の無責任な経営体制、誤った政策をすぐには修正できない硬直的な体質、郵政内部でのチェック機能の欠如、郵政省としての長期的な統一メディア戦略の欠如といった問題が、飽きるほど繰り返えされ、この国の放送システムを歪めてきたことが、おわかりだろう。

 筆者も含めて、それをまともに批判してこなかったマスコミ関係者1人ひとりの責任が、いま、問われなければならない。

≪あとからの注≫ 結局、アナログ方式(MUSE方式)ハイビジョンは、正規の受像機が100万台、受信だけはするがNTSC方式に変換して映す「似非受信機」が100万台、合計約200万台しか普及しなかった。2000年にはデジタル方式のハイビジョンがスタートし、アナログ方式のハイビジョンは、惨めな失敗に終わってしまった。

実はデジタルBSによる高精細度放送(HDTV)は、アナログBSによるMUSE方式の高精細度放送(HDTV)とは互換性がなく、まったく別の放送であり、本当は「ハイビジョン」と呼ぶのはおかしい。「ハイビジョン」は後者の通り名だからだ。ところが、前者を「ハイビジョン」と呼ぶことで、結果的にアナログ方式(MUSE方式)ハイビジョンの惨めな大失敗が糊塗《こと》されたわけである。

これは「敗戦」を「終戦」と言いくるめ、失敗した事実を直視しまいとしたのと同じで、日本人の習性なのかもしれない。「負けた」ら「なぜだ?」となるが、「終わった」ら「そうか」となる。だが、失敗を失敗と認めず、同じようなことを始めれば、また失敗するに決まっている。

筆者は、92年段階でハイビジョンが失敗すると予見できなかった反省を込めて、2000年段階から「デジタルBSは失敗する」「アナログ・ハイビジョンの二の舞になる」と主張している。もちろん、NHK、民放、総務省、メーカー、学者、アナリストが束になって成功するといったところで、失敗に終わることはすでに明らかだ。始末に悪いのは、デジタルBSが大荷物になるとき、その推進者たちは全員隠居していて、なんら責任を取ることができないことである。