メディアとつきあうツール  更新:2003-07-09
すべてを疑え!! MAMO's Site(テレビ放送や地上デジタル・BSデジタル・CSデジタルなど)/サイトのタイトル
<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

テレビ”やらせ”多発で
ハリキル監督官庁・郵政省
行政介入エスカレート

≪リード≫
ここにリードが入る

(「放送批評」1993年05月号)

 朝日放送、読売テレビ、NHKのいわゆる”やらせ”問題をきっかけに、郵政省の放送局に対する露骨な介入が続いている。その背後には、自民党などのテレビに対する”注文”だの”批判”だのの陰もちらつく。例によって新聞をはじめとするマスコミは、郵政省の一連の対応がはらむ問題を、ほとんど取り上げない。これは見過ごせない事態である。

 まず、郵政省の一連の対応を紹介しておこう。

 最近の″やらせ″シリーズの第一弾は、朝日放送「素敵にドキュメント」の「追跡・女子大生、OLの性24時」に登場したOLや外人男性がテレビ局の仕込みだった一件である。これについて郵政省は、郵政大臣渡辺秀央から朝日放送社長藤井桑正に宛てた平成4年11月4日付の文書により、

「貴社が企画・制作し、本年7月に自ら放送を行うとともに他の放送事業者に提供した一部の放送番組において、真実でない報道が行われ、大きな社会問題を引き起こしたことは、言論報道機関である放送事業者に対する国民の信頼を著しく損なうものであって、放送の公共性と言論報道機関としての社会的責任にかんがみ極めて憂慮すべき事態であり、誠に遺憾である。

 今後、このようなことのないよう厳重に注意する。

 なお、今回の措置は、貴社の再発防止のための真摯な取組を前提としたものであり、改めて、貴社に対し、放送の公共性と言論報道機関としての社会的責任を深く認識し、放送法及び番組基準の遵守・徹底、外部に制作を委託した番組のチェック機能の確立等再発防止への取組を強く求めるものである。

 おって、貴社の再発防止の取組状況について、当分の間、四半期毎に報告されたい。」(改行原文のまま)

 との厳重注意を行った。”文書により”といっても、社長を呼び頭を下げさせるのが郵政のしきたりだ。同時に、朝日放送から番組供給を受けた放送局に対して厳重注意とともに再発防止の取り組みを求め、民放連に対しても再発防止の取り組みを要請している。

行政処分をちらつかせる郵政

 ”やらせ”第二弾は、読売テレビ「どーなるスコープ」で「出張アンケート・看護婦さん大会」に出てきた看護婦がほとんどニセモノだった一件。これについて郵政省は、郵政大臣小泉純一郎から読売テレビ社長青山行雄に宛てた平成5年1月22日付の文書(右文書の「本年7月」を「昨年11月」に置き換え、以下同文)により、やはり厳重注意を行った。

 供給を受けた広島テレビや民放連に対する注意・要請も前回と同様だったが、今回はテレビ放送を行う一般放送事業者全社(つまり民放テレビ局すべて)に対し各地方電気通信監理局長名で、

「今般、一部の放送事業者が制作・放送した放送番組において、真実でない報道が行われ大きな社会問題を引き起こしたことは、言論報道機関である放送事業者そのものに対する国民の信頼を根本的に損なうものであって、放送の公共性と言論報道機関としての社会的責任にかんがみ、極めて憂慮すべき事態となっています。

 貴社におかれましても、放送法及び番組基準等の遵守・徹底を図るとともに、外部に制作を委託した番組のチェック機能の見直しを行う等、このような事態が発生することのないよう、よろしくご配意のほどお願い申し上げます。」

 とする文書が出た(前回一度注意された会社宛ての文面は、これと多少異なる)。「お願い申し上げます」と結ばれているが、実際は各社の代表者が呼ばれ、個別に手渡されたのである。

 さらに、郵政省放送行政局長の木下昌浩は、1993年1月25日に開かれた記者会見で、読売テレビの件についての措置を説明し、
「このようなことが再び起こらないように期待している。このような事案発生があるようであれば、さらなる厳しい措置を検討せざるをえないと考えている」
 とコメントした。

 報道陣が厳しい措置とは何か聞くと、
「明確に描いているものはない。再免許の時期になるので、そのときなどになにか検討をするということも……。再免許のとき、条件を付することができる。免許期間、放送時間は(法的に)明記されている。(これは)行政処分の内容の一部だと思う」
 と答えている。

 つまり、今後同様の問題が引き続けば、文書による注意などの行政指導から一歩踏み込んだ厳しい措置――たとえば再免許の際、免許期間や放送時間などに関する条件をつけるといった行政処分を検討することもありうるとした。

 こうした発言は、電波法第76条の1(電波法・放送法などに違反したときは、三か月以内の営業・放送停止や放送時間の制限ができる)や、同104条の2(免許再公布の際に条件や期限を付けることができる)を根拠にしているものと思われる。

 なお、第三弾のNHK「奥ヒマラヤ 禁断の王国・ムスタン」については、郵政は2月3日に「真実でない放送が行われたとすれば極めて遺憾である」との放送行政局長談話を出したほか、NHKに対して事実関係の報告を求めた。近いうちになんらかの対応がなされる見込みである。

番組内容の是非に介入される危険

 テレビ局の極めて程度の低い”やらせ”――インチキな映像づくりからすれば、放送を所管する役所がこれくらいやって当然だとお思いの方も少なくないだろう。実際、郵政の対応を問題視しないマスコミは、そう思っているわけだ。

 筆者は小誌に「郵政省”失政”録」を書いた直後、読者から「民放の”やらせ”を放置している郵政省は職務怠慢だ。もっと厳しく放送停止や免許取り消しの処分をすべきだ。この問題を取り上げたらどうか」という手紙をもらったことがある。視聴者からそんな声があがるのも無理はない。

 だが、今回の文書注意や免許に関わる措置うんぬんの発言は、郵政省に本来与えられた”放送行政の舵取り”という役割から、まったく逸脱するものといわざるをえない。

 その理由は、今回の郵政省の対応に、テレビ局が制作・放送した番組の内容の是非についての、郵政省による価値判断が含まれているからである。引用文書では「一部の放送番組において、真実でない報道が行われ」と認定し、そのことを「憂慮すべき事態であり、誠に遺憾」としている部分だ。

 郵政省がこのような言い方をして「言論報道機関」に影響力を行使するには、少なくとも第一に、郵政省にその権限を認めるとの国民的な合意がなされなくてはならない。第二に、郵政省が「真実でない報道」と認定するシステム(番組のモニター体制、問題提起から調査・決定までの仕組み)および個別事例ごとの決定のプロセス(どこをどう検討し「真実でない報道」との結論を得たかという理由)が明らかにされなくてはならない。第三に、以上の認定システムと決定プロセスにおいて、官僚の恣意的な裁量が入り込まないことを保障するシステムが必要である。

 以上のような条件が整っていないと、たとえば郵政大臣や放送行政局長が「この放送局はよろしくない。社長を呼んで圧力をかけよう」と勝手に思い込んだ場合、これを阻止できない。

 郵政に「そんなことはしないから信頼しろ」といわれても、「そうですか」と引き下がるわけにはいかない。Uターンや東京12チャンネルから、文字多重放送、CATV、JSB、StGIGA、CS放送、BS調達、東京第六局、ハイビジョンまで、郵政省の放送行政は失敗の山。恣意的な行政裁量、免許をちらつかせるゴリ押し、杜撰な未来予測、不毛な省際・省内戦争、権益拡大のための新組織設立とその無責任経営、誤った政策を修正できない硬直的な体質、郵政内部でのチェック機能の欠如、郵政省としての長期的な統一メディア戦略の欠如といった問題を飽きるほど繰り返してきたこの役所を、信頼しろというほうが無理である。「郵政族のドン」が逮捕されるご時世であるから、大臣も信頼しないほうが安全だ。

視聴者に向いて立たない放送局

 では、郵政省は先ほど掲げた三つの条件を満たしているかというと、もちろん、なにひとつとして満たしていない。

 そもそも、郵政省に放送内容の是非を判断し影響力を行使する権限があるとの国民的な合意がない。テレビ局は免許で頭を抑えつけられ、新聞も系列テレビの利害から沈黙し、郵政省の問題を指摘しないため、国民は問題の所在を知らされていない。その結果、郵政のやりたい放題がまかり通っているだけだ。放送局を何とかしろという声が郵政に届いているとすれば、それはほかに窓口がないからにすぎない。放送局は、あの連中にいってもしようがないと視聴者に思わせるに至った自らの堕落と、視聴者の声を受け止める窓口を作らない怠慢を、深刻に反省すべきだろう。

 第二の点――「報道が真実であるか真実でないか」を認定する体制があるかについても、郵政省にそんなシステムも能力もないというほかはない。だいたい、そんなことを郵政官僚に判断できると考えるほうがどうかしている。たとえば、皇太子妃が決定しマスコミ各社も事実をつかんでいた段階で、そのことを報じなかったりぼかしたりする皇室報道を、筆者は「真実でない報道」だと思う。あるいは、テレビ局の免許が下りたことだけを報じて、その裏側にある利権構造を報じない報道を、筆者は「真実でない報道」だと思う。だが、それを論じたり認定するのは、郵政の仕事ではない。

 第三の点――官僚の恣意的な判断が入り込まないための何らかのシステムは、今回の問題にとどまらず放送行政全般について痛切に必要だと思うが、これもない。東京第六局やBS調達問題などで明らかになったように、郵政本来の仕事である放送行政の円滑な運営・調整が、官僚の恣意的な判断によって損なわれることを防ぐシステムが存在しないのだ。郵政に頼んでもいない仕事をチェックする省内システムなど、あるはずがない。

 筆者は、仮に三つの条件が満たされた場合でも、郵政省に放送番組の内容の是非を判断し「言論報道機関」に影響力を行使することは、認めるべきではないと思う。内容の是非についての判断は、なによりも言論報道機関の自律と責任に委ねるべきで、どうしてもそれだけでは足りないという場合は、官僚機構から独立した第三者機関の手に委ねるべきだろう。

 まして、条件がひとつとして満たされていない現段階では、今回の一連の対応は暴挙といわざるをえない。しかも、”やらせ”と関係ないテレビ局を呼びつけたり、放送施設に対する免許を放送内容に対する影響力行使の手段として使う可能性をほのめかすに至っては、過剰介入もいいところである。それが放送をよくすることにつながると本気で思っているらしく、言論報道機関の公正中立な立場を危うくするとの思考力が働かないことが、放送行政を所管する官庁として情けない。

 札幌テレビ出身で社会党参議院議員の中尾昭幸は、2月22日に逓信委員会の質問に立ち、1月25日の木下放送行政局長会見などにふれて「許認可権の行使をにおわせる”脅し”ではないか」と質した。郵政大臣も放送行政局長も「自浄努力が基本」と述べ、とりあえず免許を問題としたりはしない慎重な姿勢をみせた。

 しかし、郵政省は今回の一連の対応がおかしかったと認めたわけでは、決してない。今後も同じ問題が繰り返される可能性は極めて大きいといわなければならない。