メディアとつきあうツール  更新:2007-10-11
政治的公平,不偏不党,放送法,政治とテレビ,メディア規制,総務省/すべてを疑え!! MAMO's Site
<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

「政治的公平」の議論は番組で深めよ
(政治介入・公平中立・政治とテレビ)

―特集 テレビ放送の「政治的公平」―

≪特集のリード≫
テレビの総選挙報道や政党広報番組をめぐって、総務省から民放2社に厳重注意が出された。放送法第三条の二に規定される「政治的公平」を理由とした初の厳重注意である。同規定が政治報道に対する行政介入の根拠となる危うさがあらためて浮き彫りになるだけでなく、放送界の自主規制機関たるBRCによる改善勧告が行政指導の下敷きとされたことで、波紋がさらに広がっている。「政治的公平」規定と放送の自由、自主規制機関の判断、そして放送事業者は「政治的公平」をどう確保していくか、などを論点に、研究者や弁護士、ジャーナリストの論考でテレビ放送の「政治的公平」を考える。 (「月刊民放」2004年09月号 特集「テレビ放送の『政治的公平』」

≪特集の目次≫

●政治的公平と放送の自由 大阪大学大学院高等司法研究科教授 松井茂記
【資料】テレビ朝日、山形テレビに対する総務省の「厳重注意」(全文)
●自主規制機関の判断と行政指導 弁護士 田中早苗
【資料】放送局に対する「厳重注意」の系譜
●「政治的公平」の議論は番組で深めよ ジャーナリスト 坂本 衛
●政治的公平と放送事業者 青山学院大学名誉教授/放送倫理・番組向上機構理事長 清水英夫

≪このページの目次≫

※テレビ論にも「テレ朝と郵政のキャッチボール」など関連論考があります。

ご注意 このページの資料を引用し「公平・中立は特定番組でなく番組全体(チャンネル)から判断すべき。総務省・旧郵政省もその見解」と主張する者をWeb上で見かけましたが(それは間違いではない)、1)総務省・旧郵政省は与党の顔色を見てその見解を変えることがある、2)トップが与党政治家の組織はもともと公平・中立ではないのだから、総務省・旧郵政省に公平・中立の判断を委ねるべきではない、の2点をお忘れなく(以上2点に触れないと誤解を招く)。なお、専門家でなければ、このページを読まない限りこのページに掲載している資料を見つけ出すことはできず、専門家であれば上の主張を匿名でするはずがありません。【2005年2月追記】

 毎日新聞は「自民党が放送法の改正―『政治的公平』規定の削除を検討開始」と(2004年)7月20日付朝刊で伝えた。自民党は「自民党チャンネル」を持つか「自民党アワー」のような番組を流すかしたい。それには放送法の第三条の二第一項「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない」の第二号「政治的に公平であること」の規定が邪魔になるから、その改正を目指すというわけである。

 もっとも当の自民党は、安倍晋三幹事長が「私は承知していない。党として正式に検討しているということを承知していない」と述べるなど、意図がいまひとつ明確でない。

【後からの注】 安倍幹事長記者会見 平成16年7月20日(火) 於:党本部平河クラブ会見場
Q:本日、一部報道で自民党が放送法の改正を検討しているとの報道がありましたが、これについて幹事長のご見解をお聞かせ下さい。
A:私は承知しておりません。
Q:放送法について、幹事長のご見解をお聞かせ下さい。
A:放送は、公共の電波であり、その公共性がしっかりと担保されなければならないという中において、放送法が定められているということであると思います。この問題について、本日の毎日新聞によれば、米国では87年にフェアネス・ドクトリン(公正原則)がなくなり、各局がそれぞれの立場を明確にした上で、主張するようになったとの記述がありますが、これが日本で果たして、どのように位置づけをしていくかということをいづれにしても色々な人が検討していくということは当然のことなのだろうと思います。まだ、党として正式にこれを検討しているということを私は承知しておりません。
(以上 自民党ホームページ http://www.jimin.jp/jimin/kanjicyo/1607/160720.html より)

 1993年10月25日、衆議院で行われた椿貞良・前テレビ朝日取締役報道局長の証人喚問で、自民党議員は「自民党を敗北させなければならないといったのは放送法違反では」と聞いた。その後、テレビ朝日『ニュースステーション』などに対し執拗に繰り返された政治的圧力も「政治的に公平でないのがけしからん」という趣旨。2003年11月9日のテレビ朝日『選挙ステーション』への自民党幹部出演拒否も、不公平を不服としたもの。

 つまり自民党はこの10年来、テレビは政治的に公平でなくては困ると言い続けている。それが、いきなり「政治的公平」規定を外す判断に傾くとは考えにくい。しかし、CSチャンネルを持ちたいと試算してみたことは確かであるから、毎日の記事はよいタイミングの問題提起になったといえるだろう。

 本稿では、そんな政治の思惑を踏まえつつ、視聴者にとってあるべき放送局の「政治的な公平」とは何かを論じたい。

基幹放送とそれ以外で異なる事情

 先の毎日新聞から取材を受けたとき、私が最初に口にしたのは「CSに自民党チャンネルができてもまったく構わない」という意見だ。いまも、その考えに変わりはない。

 CS放送は、ラジオも数えれば300チャンネル規模の多チャンネル・専門・有料放送で、見たい者だけが特定のチャンネルを選んで見るというルールが確立している。

 地上放送を想定する放送法が放送局に政治的な公平を求めた理由は、(1)テレビ電波は希少有限の公共財産で局はそれを借りて放送する、(2)テレビはスイッチを入れると否応なく茶の間に飛び込んでくる、(3)映像と音で再現するテレビは影響力が大きい、などだろう。

 しかし、(1)はデジタル化による多チャンネル化が進んだ結果、撤退する放送局すら相次ぐありさまだから、放送したい者に放送させて別に不都合はない。(2)もアンテナを立て加入申し込みをし毎月料金を支払うというハードルがあるCS放送には、当てはまらない。(3)も視聴者数がケタ違いで、地上波テレビとCS放送を同列に置く必然性がない。

 だから、CS放送において、あくまで政治的な公平を貫かなければならない理由は、成り立ちにくい。現にCS放送の主要コンテンツのうちアダルトとギャンブル関連の一部チャンネルは、明らかに放送法第三条の二第一項第一号「公安及び善良な風俗を害しないこと」に反するが、立派に放送中だ。スター・チャンネルですら、深夜はボカシ入りの性交シーンを堂々と放映しているではないか。

 このことを考えれば、何も放送法第三条の二をいじらなくても、自民党チャンネルや民主党チャンネルや創価学会チャンネルや共産党チャンネルは開設できるだろうと、私は思う。CS放送の「ピースチャンネル」はNHK出身者が社長で自衛隊広報番組を流す政治的チャンネルだが、開設できた(ただし、経営不振のためか、今年に入り放送停止中)。

 金持ちの大政党だけがチャンネルを持つことにならないかという懸念については、CSはそんなに高くない(年間コストは数億円)と指摘しておく。平成14年分政治資金収支報告書の要旨(平成15年9月12日付官報)によれば、日本共産党中央委員会の収入は400億円以上、社会民主党でも37億円以上だから、持とうと思えば持てる。社民党が1チャンネルで、10倍金持ちの共産党が10チャンネル持てば確かにバランスが悪かろうから、これは別途、歯止めを考えればよい。

 以上、まず主張したいのは、基幹放送の地上放送(アナログ・デジタルどちらも)やチャンネル数が少なく放送主体も地上放送と共通するBS放送(同)を除くCS放送やCATVなどでは、政治的な公平は見直しても構わないということである。

テレビ局は番組通じ、議論を深めよ

 では、基幹放送についてはどうか。

 まずNHKについては、放送法第三十二条で「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」とされている。ほとんどの国民が受信料を支払わなければならないNHKの政治的な公平は、厳格に貫かれなければならない。これは国家公務員法第一〇二条「政治的行為の制限」の規定に準じると考えるべきだ。

 もっとも現実には「今回の『のど自慢』は自分が持ってきた」と地元で語る国会議員が少なくない。NHKのBS10周年記念式典では、大物経営者が居並ぶなか、国会議員だけは全員の名前を読み上げた。NHKは、予算や事業計画で国会の承認を必要とするため、そもそも総務委員をはじめとする国会議員に弱く、政権党や政治家の介入を招きやすい。政府寄りの放送局との疑念を持たれないようNHKはなお襟を正すべきであると思う。

 地上波の商業放送については、NHKほどの厳格な縛りを適用する必要はないと考えるのが自然な考え方だろう。

 日本のテレビは事実上、新聞と系列化しているケースがあり、新聞の編集責任者がテレビの社長に就任する人事を固定している放送局もある。それでいて、新聞社の政治的な主張は自由(実際には朝日新聞のように「不偏不党」を謳う社も、憲法改正試案を出した読売新聞のように「政治的な主張」を全面に出す社もある)だが、テレビは絶対にダメというものでもないはず。「○○新聞ニュース」と銘打って新聞をそのまま読む報道番組があるから、そこではすでに政治的な公平が崩れている可能性もある。

 とくに、新聞を取らない、または読まない若者が増えているから、テレビから政治的な主張が姿を消すと、政治的な問題が何も理解できない日本人が増えて困る。

 とはいえ、NHKに加えて民放4〜5系列しかない地上波テレビの寡占状況を思えば、商業放送をただちに「政治的に公平」でなくするわけにはいかない。地上放送局には当面、現在の公平を求め続けるしかあるまい。

 何よりも、もっと広範で国民的な議論を重ねる必要がある。そのためにテレビ局は、政党から政治的公平に関する抗議を受けた際にはきちんと報道し自己検証する、政治的公平についての歴史的な経緯や海外の事例を報じる、視聴者アンケートや討論番組を企画するなど、自ら政治的公平の議論を深めていくべきだと思う。少なくとも「一部の政治的な勢力が放送法を改正したので、明日からは××党ベッタリのテレビ局が登場してもOK」などというやり方は、ナンセンスだ。

 議論が深まっていき、現在の「政治的な公平」を緩和する方向性が示されたとしても、「社説放送」のような番組を限定的に認めることから始める、選挙公示期間中はあくまで公職選挙法の規定に従う、というような歯止めが必要であると思う。

事実を伝え、権力を監視する

 とりあえず基幹放送とそれ以外の放送に分けて「政治的公平」を考えると、右のようなイメージに落ち着く。だが私は、そもそも政治家の「政治的な公平」の受け止め方に、大きな誤解があると考えている。

 「公平」を辞書で引くと「かたよらず、えこひいきのないこと」とある。すると「政治的な公平」は「政治的な側面で、特定の政治勢力に偏らず、特定の政治勢力にえこひいきのないこと」を意味することになる。

 そこで「政治的な公平」とは、特定の政治勢力から等距離の立場に身を置くことだと考えている人が多い。とくに自民党が「偏向報道だ」というときは、「自民党と民主党では民主党側に寄っている。だからおかしい。自民党の応援をせよとは言わないが、厳正中立であるべきだ」と主張したいように見受けられる。自民党が先の参院選(04年7月)で、一部テレビ局の年金問題の報道に対して「政治的公平・公正を強く疑われる番組放送があった」とする抗議文を、当該局や報道各社に送り付けたのもそうだ。

 一見すると、これは当然の主張にも思えるが、実は正しくない。

 たとえば、自民党の元首相が料亭で1億円小切手を受け取り、政治資金収支報告書に記載せず党で使い、バレたら修正報告するというのは、法律違反の疑いが濃いからテレビや新聞が批判的に報道して当然だ。これは与党の汚点だから、野党が批判するのも当然だ。すると、マスコミと野党が「自民党はおかしい」という同じ主張をすることになる。

 するとマスコミの主張が特定の政治勢力に偏っているわけだから「政治的に公平」でない。ではやめたほうがよいかといえば、そんなことはない。もっとやれというほかない。ある政党が金権まみれでデタラメなら、マスコミは自らを支える国民大衆の立場から、「ある党だけ」を批判してもよく、それは政治的に不公平でもなんでもないからだ。

 テレビ局が年金問題で政府案に疑問を抱き解説を頼んだ者が、民主党に知恵を貸していても、同様に不公平とはいえない。

 だから放送局は、「マスコミは自民党と民主党の中間点に立つべきだ」というような声に対しては、事実を伝え、政治権力をチェックするのが言論報道機関の務めであると、断固として主張すべきだ。「政治的に公平であること」は、自民党―公明党―民主党―社民党―共産党の「左右の真ん中に立つこと」を、まったく意味しないのである。

 「放送法は第一条で不偏不党を掲げているから、放送局は政党間の中庸に立つべき」という人があるが、これも誤解。放送法第一条には「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること」はじめ3つの原則に従い、「放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ること」が放送法の目的だと書いてある。「放送の不偏不党、真実及び自律を保障する」の主語は誰かといえば、放送局ではなく、法の制定者たる国会であり、法の執行者たる政府であり、法の番人たる裁判所であり、法の享受者たる国民である。

 なお、いつか野田聖子郵政大臣(当時)を取材したとき周囲の官僚とこの話になり、私は右のように主張したが、官僚はまるで理解しておらず、議論は帰りのエレベーター前まで続いた。大臣はニコニコ笑っていたが、わかっていたかどうか。

 原則3つめには「放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」とあるから、放送局は、民主主義を否定する独裁政党が出てきたら、中立どころではない。放送局は、21世紀のヒトラーに抵抗し批判し叩き潰しても、文句は出ないのが放送法なのだ。

 放送法第一条の改正を検討中とは聞かないから、テレビ局は放送法を盾にとり、もっと政治的に踏み込んで、権力の腐敗や堕落を報道してもよいと思う。必要なのは、それを政治的に公平にやることだ。むろん、ある政党の腐敗だけを盛んに取り上げ、別の政党の同じような問題を黙っていては不公平である。

 日本のテレビは政治に弱く、権力のチェック機能を十分に果たしていない。政治的公平以前に、そのほうがよほど問題だろう。

官僚でなく独立行政委が判断すべき

 最後に、どこの誰が「政治的に公平」かどうか判定するかという問題に触れよう。

 椿発言事件の後、郵政省の江川晃正放送行政局長(当時)は、93年10月27日の衆院逓信委員会で「政治的公正は郵政省が判断する」と答弁し、物議を醸した。(注 雑誌掲載時には93年が94年となっていました。お詫びして訂正します)

 10年後の今年6月22日、3月に山形テレビが自民党山形県連の広報番組を放送した問題で総務省は、放送法で編集上求められる「政治的な公平」の義務を怠った重大な過失が認められたとして、厳重注意を行った。同時に総務省は、テレビ朝日『ニュースステーション』が昨秋の衆院選挙中に民主党の閣僚名簿を長時間取り上げた問題で、「政治的な公平」を図るうえで遺漏があったとして、これも厳重注意を行った。

 しかし、そもそも自民党の政治家を大臣にいただく官僚が、自民党が関係者としてかかわる番組の「政治的な公平」を判定するということが、全然公平ではない。放送局はこれに異議を申し立てるべきである。

 40年ほど前、日本テレビに『大蔵大臣アワー』なる番組があり、田中角栄がレギュラーだった。実質的に自民党と角栄のPR番組だったが、当時の郵政省電波監理局長は国会答弁で「一つの番組ですべての政治的な観点を打ち出すということは編集上も難しい」「むしろ、全体の番組構成の中において政治的な公平性が保たれていることが必要」などと繰り返し述べていたことが思い起こされる。

 官僚に政治的公平など期待できないことはこの国の常識だ。報道・言論の自由と密接にかかわるこの種の判断は、免許行政と同様に、政府から独立性を保つ第三者機関(独立行政委員会)が担当すべきだと思う。

【サイト掲載に際しての付記】
 以下の資料の赤字部分をお読みください。【資料3】で「ニュースステーション」は同日の放送だけを見た場合、政治的公平に遺漏があったので厳重注意処分とし、【資料4】で政治的公平は郵政省(現・総務省)が判断するといい、【資料5】で政治的公平の判断は、一つの番組ではなく当該放送事業者の番組全体を見て判断をする必要があるといい、【資料6】で一つの番組だけで政治的公平の判断はしないといっています。【資料5】と【資料6】は同じことであり、どちらも【資料3】と矛盾しています。

 ということは、総務省(旧・郵政省)は、ある番組については1番組(1回)だけを見て政治的公平に問題ありと厳重注意を出し、ある番組については番組全体(番組シリーズ全体または1チャンネル全部=ある放送局の全番組)を見て政治的公平に問題ないと判断するのです。

 ようするに総務省(旧・郵政省)は、恣意的に(勝手気ままに)テレビ番組の政治的公平を判定し厳重注意を出したり出さなかったりするのであり、その恣意的な行政の証拠が公式文書に残っているのだから、放送局は総務省に抗議しなければおかしい。また、総務省に政治的公平についての勝手気ままな判断をさせることは、言論・表現の自由を侵害し人びとの利益を損なう恐れが強いから、政治家は総務省からその判断する権限を取り上げるか、勝手気ままな判断をしないよう歯止めを設けるか、しなければならない。自民党がこのままの状況でよいと考えるのは十分理解できますが、民主党はじめ野党が何も手を打たないのは、私には理解しがたいことです。

 なお、文中「地上波」という言葉を使っていますが、執筆時は「地上放送」。私は(昔はよく使っていましたが、最近では)「地上波」という言葉は使わないほうがよいと思っています。また初出誌では「CS」と頭文字だけでは書かず「CS放送」と書くきまりだそうなので、そのようにしてあります。

【資料1】 放送法第一条と第三条

放送法
昭和二十五年五月二日法律第百三十二号 最終改正:平成一六年六月九日法律第八八号

第一章 総則

(目的)
第一条 この法律は、左に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。

一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。

二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。

三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

第一章の二 放送番組の編集等に関する通則

(放送番組編集の自由)
第三条 放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

(国内放送の放送番組の編集等)
第三条の二 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

一 公安及び善良な風俗を害しないこと。

二 政治的に公平であること。

三 報道は事実をまげないですること。

四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

2 放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送の放送番組の編集に当たつては、特別な事業計画によるものを除くほか、教養番組又は教育番組並びに報道番組及び娯楽番組を設け、放送番組の相互の間の調和を保つようにしなければならない。

3 放送事業者は、国内放送の教育番組の編集及び放送に当たつては、その放送の対象とする者が明確で、内容がその者に有益適切であり、組織的かつ継続的であるようにするとともに、その放送の計画及び内容をあらかじめ公衆が知ることができるようにしなければならない。この場合において、当該番組が学校向けのものであるときは、その内容が学校教育に関する法令の定める教育課程の基準に準拠するようにしなければならない。

4 放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送の放送番組の編集に当たつては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するための音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。

(番組基準)
第三条の三 放送事業者は、放送番組の種別及び放送の対象とする者に応じて放送番組の編集の基準(以下「番組基準」という。)を定め、これに従つて放送番組の編集をしなければならない。

2  放送事業者は、国内放送について前項の規定により番組基準を定めた場合には、総務省令で定めるところにより、これを公表しなければならない。これを変更した場合も、同様とする。

(放送番組審議機関)
第三条の四 放送事業者は、放送番組の適正を図るため、放送番組審議機関(以下「審議機関」という。)を置くものとする。

2 審議機関は、放送事業者の諮問に応じ、放送番組の適正を図るため必要な事項を審議するほか、これに関し、放送事業者に対して意見を述べることができる。

3 放送事業者は、番組基準及び放送番組の編集に関する基本計画を定め、又はこれを変更しようとするときは、審議機関に諮問しなければならない。

4 放送事業者は、審議機関が第二項の規定により諮問に応じて答申し、又は意見を述べた事項があるときは、これを尊重して必要な措置をしなければならない。

5 放送事業者は、総務省令で定めるところにより、次の各号に掲げる事項を審議機関に報告しなければならない。

一 前項の規定により講じた措置の内容

二 第四条第一項の規定による訂正又は取消しの放送の実施状況

三 放送番組に関して申出のあつた苦情その他の意見の概要

6 放送事業者は、審議機関からの答申又は意見を放送番組に反映させるようにするため審議機関の機能の活用に努めるとともに、総務省令で定めるところにより、次の各号に掲げる事項を公表しなければならない。

一 審議機関が放送事業者の諮問に応じてした答申又は放送事業者に対して述べた意見の内容その他審議機関の議事の概要

二  第四項の規定により講じた措置の内容

(番組基準等の規定の適用除外)
第三条の五 前二条の規定は、経済市況、自然事象及びスポーツに関する時事に関する事項その他総務省令で定める事項のみを放送事項とする放送又は臨時かつ一時の目的(総務省令で定めるものに限る。)のための放送を専ら行う放送事業者には、適用しない。

【資料2】 総務省の報道資料(山形テレビ関係)

報道資料

平成16年6月22日

総務省

株式会社山形テレビのいわゆる「政党広報番組」の放送に関する問題への対応

 総務省は、本日、本年3月20日に株式会社山形テレビ(以下「山形テレビ」という。)が放送した「自民党山形県連特別番組 三宅久之のどうなる山形!(地方の時代の危機)」について、放送番組の編集に当たっては放送法第3条の2第1項第2号に基づき「政治的に公平であること」が求められるところ、下記の理由により、放送番組の編集上求められる注意義務を怠った重大な過失があったものと認められたため、山形テレビに対し、情報通信政策局長名の文書により、今後このようなことのないよう厳重に注意するとともに、今回の事態を厳粛に受け止め、放送法の遵守への取組の徹底を強く要請しました。

 また、社団法人日本民間放送連盟に対しても、情報通信政策局長名の文書により、本件事案を踏まえ放送番組の編集上求められる「政治的公平」の確保の在り方についての検討等を要請しました。

1 本件放送番組のように、特定の政党が企画制作し放送局に持ち込まれるいわゆる「政党広報番組」については、一般の報道番組等と異なり、その性格上、その一つの番組の中で、他の政治的主張や意見を取り入れる余地がないものであることから、放送事業者は、その放送に当たり、一党一派に偏ることがないよう相当程度厳格な注意を払う義務がある。

2 この点に関し、政治的な公平を確保するために山形テレビが配慮したとされる三つの事項のうち、「他の党を誹謗中傷するような発言がないこと」及び「想定される選挙の3か月以内は立候補予定者を番組で取り扱わない、とする当社の内規に触れず、また選挙を意識して特定の人物や政策を強調していないこと」は、いずれも上述の注意を払ったことを積極的に説明するものではないと考えられる。

 また、残る「機会均等への配慮」についても、それのみをもって足りると判断した理由が明確でない。また、「結果平等が図られない段階で放送し、政治的公平に関し慎重さと配慮に欠けていた」と事後的に山形テレビが判断していることも、この点を裏付けるものである。

 なお、「機会均等への配慮」についても、当該番組の内容に、国会議員の活動報告に加えて、県会議員の活動報告も相当程度含まれていることからすれば、国会議員を選出している政党のみに同様の企画を打診した行為が機会均等を図る上で十分な措置だったとは言い難い。

3 さらに、山形テレビが本年4月28日に開催した放送番組審議会においても、同審議会委員長のまとめとして「今回は軽率のそしりを免れない」等の厳しい指摘を受けている。

4 以上のことから、放送法第3条の2第1項第2号に規定する「政治的に公平であること」との関係において、放送番組の編集上求められる注意義務を果たしたか否かの点について、山形テレビから十分に納得のできる説明がなされておらず、当該注意義務を怠った重大な過失があったと認めざるを得ない。

連絡先 : 情報通信政策局地上放送課(担当者名と電話・FAX番号は略)

【資料3】 総務省の報道資料(テレビ朝日関係)

報道資料

平成16年6月22日

総務省

株式会社テレビ朝日の「ビートたけしのTVタックル」等における報道に関する問題への対応

 総務省は、本日、

(1) 平成15年9月15日に株式会社テレビ朝日(以下「テレビ朝日」という。)が放送した「ビートたけしのTVタックル」の藤井孝男衆議院議員に係る報道において、下記1の理由により、放送法第3条の2第1項第3号に規定する「報道は事実をまげないですること」との関係において、放送番組の編集上求められる注意義務を怠った重大な過失があったものと認められること

(2) また、平成15年11月4日にテレビ朝日が放送した「ニュースステーション」の第43回衆議院議員総選挙に係る一部の報道について、下記2の理由により、放送番組の適正な編集を図る上で遺漏があったものと認められること

 から、テレビ朝日に対し、情報通信政策局長名の文書により、今後このようなことのないよう厳重に注意するとともに、再発防止に必要な措置を講ずることを要請しました。

1 「ビートたけしのTVタックル」関係

(1) 平成15年9月15日にテレビ朝日が放送した「ビートたけしのTVタックル」のVTRで、国会で北朝鮮の拉致問題が取り上げられた際に、藤井議員の実際とは違う別の場面のやじの映像を編集し使用したことにより、同議員が北朝鮮の拉致問題に消極的な印象を与えたとされたものである。

(2) この編集においては、あらかじめ抜き出した国会審議のダイジェスト保存版から、北朝鮮の拉致問題に関する質問と、そのおよそ10分後に行われたコメ支援問題での藤井議員の不規則発言を直接繋げた編集であり、誤った編集であったとテレビ朝日も認めているところである。

(3) これは、本件放送に関する本年6月4日の「放送と人権等権利に関する委員会(BRC)」勧告においても、「テレビ朝日はやじがどの発言に対応するか確認すべきなのに怠った重大な過失責任がある」とされているところであり、放送法第3条の2第1項第3号に規定する「報道は事実をまげないですること」との関係において、放送番組の編集上求められる注意義務を怠った重大な過失があったと認められるものである。

2 「ニュースステーション」関係

(1) 平成15年11月4日にテレビ朝日が放送した「ニュースステーション」の菅政権閣僚名簿に係る報道に関し、テレビ朝日は、社内調査の結果、「ニュースステーション」の第43回衆議院議員総選挙期間中の報道について、「全体として見れば放送法及びテレビ朝日の放送番組基準の公平・公正の原則に違反してはいない。しかし、同日の放送だけを見た場合は、番組内での「シリーズ企画」などトータルの発想に欠けていたこと、選挙戦終盤の企画として成立させるためには、前日、翌日などの対応について周到に企画を準備した上で放送に望むことが当然であった」こと等の理由により、「配慮に欠けた構成であり、反省すべき点がある」としているところである。

(2) これは、放送法第3条の2第1項第2号に規定する「政治的に公平であること」との関係において、放送番組の適正な編集を図る上で遺漏があったと認められるものである。

連絡先 : 情報通信政策局地上放送課(担当者名と電話・FAX番号は略)

【資料4】 郵政省・江川晃正放送行政局長の答弁(1993年10月)

第128回国会 衆議院 逓信委員会 第2号(平成5年10月27日)

○江川政府委員 政治的公平ということにつきましては、放送法は表現の自由を保障する一方で、御案内のように、同法第三条の二の第一項第二号におきまして、放送番組の編集に当たっては「政治的に公平であること。」というふうに求められているところでございます。

 そこで、その政治的公平であることというのはどういうことかということにつきましては、政治的な問題を取り扱う放送番組の編集に当たりましては、不偏不党の立場から、特定の政治的見解に偏ることなく、放送番組が全体としてバランスのとれたものでなければならないと考えておりまして、あわせて同項第四号の趣旨との関連におきまして、政治的に意見が対立している問題については、積極的に争点を明らかにし、できるだけ多くの観点から論じられるべきものだというふうに考えております。

 それで、では政治的公正をだれが判断するのかというところでございますが、これは最終的には郵政省において、そのこと自身の政治的公正であったかないかについては判断するということでございます。ただ、その判断材料につきましては、放送番組の編集に当たっては自主性をたっとぶという立場にございますので、まず、放送事業者において、我が番組における公正さというものを説明してもらう、それを受けて我々が判断するというふうにしているところでございます。

【資料5】 総務省・麻生太郎総務大臣の答弁(2004年6月)

第159回国会 衆議院 総務委員会 第22号(平成16年06月03日)

○麻生国務大臣 これは三条の二の第一項第二号の政治的に公平であることということで、基本的には、不偏不党の立場から、政治的に考えても偏ることなく、放送番組全体としてのバランスがとれたものであるようにしておかないかぬということだと思っておりますので、政治的に公平であるとの判断は、一つの番組ではなくて、その当該放送事業者の番組全体を見て判断をする必要があるというぐあいに考えております。

 したがいまして、これを踏まえまして、総務省としては山形テレビから事実関係というものを、山形テレビとしての考え方を伺っている最中でありますので、現段階でどうかと言われれば、総務省としてまだ最終判断をするには至っていないということだと存じます。

【資料6-1】 「大蔵大臣アワー」をめぐる国会論議 その1

第48回国会 衆議院 逓信委員会 第3号(昭和40年―1965年―2月19日)

○森本委員(森本靖) ただ、現行の放送法にからんで、ちょっと電波監理局長に事務的な問題として聞いておきたいと思いますが、現行の放送法の第一条の二号に、「放送の不偏不党」ということがはっきりうたわれておるわけでありますし、それから放送法の四十四条にはっきりとこの問題についてもうたわれておるわけでありますが、たとえば四十四条の三項の二号に、「政治的に公平であること。」さらに四号には「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」これは要するに、政治的な問題については、賛成、反対があれば、それぞれ賛成、反対の意見ということを明確にしていかなければならぬということで、政治的に放送というものは新聞と違って公正でなければならぬということを、第一条と第四十四条にうたっております。こういうふうな解釈の場合に、たとえば民間放送が、スポンサーがついて、政治家がいろいろな問題を放送するということに際して、そういうふうな問題をやることが、はたして第四十四条と第一条に適合しないのかどうか。たとえば、きのうからだったと思いますが、大蔵大臣が「大蔵大臣アワー」というのを週一回ずつやることになっております。きのうたしか一回目をやったと思いますが、こういうことが、はたしてこの四十四条に触れないかどうか、その点の解釈を聞いておきたいと思いいます。

○宮川政府委員(電波監理局長・宮川岸雄) ただいま御質問にございました「大蔵大臣アワー」の問題につきましては、たしか民間放送が企画しておるように私聞いておりますが、詳細については存じておりません。

 この「政治的に公平であること」ということにつきまして、ただいま御質問がございましたが、これにつきまして、放送の番組というものが、当然これに従って規制されていかなければならないわけでございますが、一つの番組そのものにつきまして、一々すべての政治的な観点をそこに打ち出していくということは、なかなか編集上にもむずかしいと思いますし、事実、そういうことまで配慮するということよりも、むしろ問題の一番大きな点は、全体の番組構成というものの中におきましての政治的な公平性というものが保たれていることが必要なのではなかろうか、こういうふうに考えています。

○森本委員 そうしたら、番組はどんな番組をやってもかまわぬですか。

○宮川政府委員 別に、番組はどんな番組でもいいとは考えておりません。

○森本委員 これは、大蔵大臣が財政、経済、金融について、時事問題を大蔵大胆としての見解を述べるということは、大蔵大臣としてのいわゆる政策を述べるわけであります。大蔵大臣の政策というものは即自民党の政策であります。そういう政策を、民間会社のスパンサーがついて、そうしてそういうことをはっきりとやっていいのかな。

○宮川政府委員 番組は、広告放送といいましてスポンサーがつくのは、民間放送としてしかたがないことでございますが、その場合に、その中に、あるいは与党のしかるべき人が出る場合もございましょうし、あるいは野党のしかるべき人が出るということもございましょうし、全体を貫いた形においてそれは判断されるべきもの、こういうふうにお答えしたほうがいいと思います。

○森本委員 これは野党の者は一人も出ませんよ、「大蔵大臣アワー」だから、大蔵大臣がずうっと出ていくんだから。

○宮川政府委員 この番組自体につきましては、私、まだ詳細をよく存じておりませんから、お答えできかねるわけでございますけれども、一つの番組には、あるいは「総理と語る」というような番組もあるかもしれませんし、あるいは一つの番組には「野党の総裁と語る」というようなこともあるかと思いますが、全体を貫きました一つの番組の編集という、その中にどういう精神が生きているかということが議論の対象になろうかと考えております。

○森本委員 これは、その中に貫くというよりも、大蔵大臣に財政、経済、金融の時事問題を聞く、そして大蔵大臣が全部それを説明するアワーですから、このプログラムは、大蔵大臣に対抗して、そのいわゆる政策は違うと言う人はないわけですよ。

○宮川政府委員 ただいまの番組につきましては、私よく詳細に存じておりませんので、事情をよく聴収いたしてみたいというふうに考えておりますが、番組の中におきまして、一人の人がものを語りました場合におきましても、それを問いただす形において、おのずからそこにいろいろの対立点というようなものが浮き彫りにされるというような形の番組編成もございますし、これは番組編成の態度とか、あるいは全体的な企画とか、あるいはその番組だけでなく、その番組は一人の人といたしましても、別の番組においてほかの人に聞く、こういうような形の編集企画もございましょうし、そういうようなことを総合的に考えまして、やはり政治的に公平であること、及び御指摘の放送法第一条第二二号、第四十四条のその点の判断をしてまいる、こういうふうにいかなければならぬと考えております。

○森本委員 それならちょっと聞くが、私なら私が、民間放送で、どこかの会社のスポンサーづきで――森本代議士にやらしたらおもしろいということで、週に一回、私がスポンサーづきで「森本アワー」をやって、郵政大臣もぼろくそ、佐藤総理大臣もぼろくそのそういう質問を相手から受けて、私もぼろくそにこきおろすというようなことをやっていいのかね。それで、たまたま反対の意見で、私は自民党は非常にいいと思うけれども、あなたはどう思うかという質問に対して、私は自民党はぼろくそだ、こういう形の質疑応答をやる「森本アワー」をやったらどうなるのか。

○宮川政府委員 そういう場合におきましても、内容の問題でございますので……。

○森本委員 いま言うた内容だよ。

○宮川政府委員 相手をぼろくそにやっつけるということでございましたけれども、そういうようなことが初めから編集企画の中にあるということになりますれば、やはり考えなければならぬ問題だと思います。

○森本委員 編集の企画にあるもないもないでしょう、これは大蔵大臣にものを聞くアワーなんだからね。これは一つのプログラムですよ、だから、大蔵大臣は、全部自分の政策を答えていくわけだ。その政策に対してそれはそうじゃない、社会党はこう考える、あるいは民社党はこう考えるというふうな意見が一つもないわけだよ。そういうものを、こういうことをやっていいのかということなんです。

 それからもう一つ、これは事務的な問題だから、電波監理局長がさらに検討するなら検討してもらいたいと思うが、このスポンサーはどこがついておるか、調べたことはありますか。

○宮川政府委員 このと申しますのは、いまの「大蔵大臣アワー」でございますか。――私、よく存じておりません。

○森本委員 これは、たしかどこかの民間会社がスポンサーになっておるわけであります。そこで、私は、こういうことをやっていいのかどうかと思うのですね。現職の大蔵大臣が、民間のスポンサーがついておる番組に入って――その民間会社と大蔵大臣とは、直接何も関係ないでしょう。しかし、大蔵大臣の宣伝をするスポンサーになっておいて損はないという勘定をしたともとれるわけです。はたしてこの現職大臣が――しかも、たった一日の二十分か三十分というなら別として、こういうふうに三カ月間も大蔵大臣が、民間会社のスポンサーによって「大蔵大臣アワー」というものをやることが、はたして政治的に許されるかどうか、良心的に。何の関係がないにしても、そういう民間会社がスポンサーになってこういうふうにやるということが、一体政治的にいいのか悪いのか、これはひとつ大臣に聞いておきたいと思います。こんなことが許されるとするならば、はっきり言って、幾らでもスポンサーはつきますよ、裏で大臣の権限においてやれば。これは大蔵省のPRの経費でやるならまだしもだ。

 ここに二つの問題がある。現職の大臣が三カ月間も、民間会社のスポンサーによってこういう放送をすることが、政治的に――これは法律上の問題じゃないですよ。政治道徳上許されるのかどうか。さらにもう一点は、法律上、放送法の第四十四条のいわゆる政治的に公平でなければならぬ、意見が対立した場合にはあらゆる観点から論点を明らかにしなければならぬ、この条項に違反をしやしないか、この二つです。大臣からお聞きしたいと思う。

○徳安国務大臣(郵政大臣・徳安實藏) 私も、この席で初めて聞いただけでございまして、まことにうかつだったかもしれませんが、内容等については一つも承知いたしておりません。いろいろとお話も伺いましたから、またよく事務当局とも話し合いをし、また、どういうふうにスポンサーがついておりますか、どういう企画でございますか、あるいはそのスポンサーは何者であるやら、また、その企画等につきましても、はたしてそういう長期的なものであるかどうかということは、これはいまお話を聞いただけでございますので、よく聞きまして、御答弁をいたしたいと思います。

○森本委員 それでは、ひとつこれは十分に御調査を願いたい、こう思います。

 過日も東京都が水道料金の値上げを行なうことになりまして、相当大きな問題になった。ところが、東京都庁が今度はスポンサーになって、民間放送で水道料金の値上げはやむを得ないものであるということをPRしようとして、いわゆるスポンサーになってやろうとしたところが、それはあんまりな事だということで取りやめになった。こういう例があるわけでありまして、その辺ひとつ十分に検討してもらいたい。

 今日ややもいたしますると、放送法の第一条の不偏不党ということ、それから第四十四条の政治的に公平でなければならない、あるいはまた、意見の対立する場合は論点を明らかにしていかなければならないということが、ややもすれば放任されがちになりつつある。こういうことになったとするならば、これは金のあるほうが勝ちになります。だから、結局そういうことがないために、放送法というものが、政治問題については特に公平に中立的にあらねばならぬということをうたったようなわけでありますから、郵政省としては放送法のいわゆる所管の主管庁として、こういう問題については、ひとつ一ぺんこの際あらゆる問題を調べてもらいたい、こう思うわけであります。それでこの問題は一応御調査になりましてから質問をすることにいたします。

【資料6-2】 「大蔵大臣アワー」をめぐる国会論議 その2

第48回国会 参議院 逓信委員会 第5号(昭和40年3月2日)

○横川正市君 これはすでに衆議院の逓信委員会で論議をされて検討されているのじゃないかと思うのですが、放送法の第一条と四十四条に関連して、日本テレビが毎週木曜日放送いたしております大蔵大臣番組といいますか、これは何か聞きますともう二度ぐらい行なわれて、あと三カ月ぐらい継続放送されるのだそうですが、もちろん大蔵大臣が特別な技能者でタレントとしてスポンサーがついて、彼の演技その他が放送される分については、これは問題ないと思うのです。しかし、現職の大蔵大臣であり、聞かれる人は政治評論家であり、その点ではきわめて放送そのものが一方的になるのではないかと思われるようなメンバーで、何か最初は銀行協会がスポンサーだったそうですが、それではあまりひど過ぎるというので、宇部興産がスポンサーで放送するというふうに聞いている。私は二回あったというのを聞いておりませんから、どういう内容かについては具体的に指摘することはできませんけれども、実際にこれは放送法のこの条文に照らして検討された結果は、どういう結論を持たれたのか、まず、ひとつお聞きいたしたいと思います。

○政府委員(宮川岸雄君) その問題につきましては、衆議院におきましては御質問がございまして、電波監理局といたしまして、国会審議に協力をしていただくという立場から、この番組を始めました趣旨、あるいはやり方等につきましての事情を聴取したわけでございまして、それにつきましてNTV当局からわれわれの質問に答えたものを、文書によってわれわれのほうへ出しております。それらによりますと、民間放送といたしまして、政府の要路にある者の意見をなるべくやさしい形で多くの人に伝えるということは、一つの意味のあることと思うという立場から、その一つといたしまして、大蔵大臣という非常に国民の経済に直結しておられるところの方のそういう企画を始めた。その中におきまして、もちろん対談者がいろいろと意見もお互いに言い合うというような形においてその問題点をそこに浮き彫りにするというようなことを意図しているというふうに書いてございます。また、その期間といたしましても、とりあえずこういうことを一カ月ばかりやって、また、その反応を見るというようなことでございまして、そういう点から考えまして、この放送の番組の企画が御指摘の放送法の第一条でしたか、それと四十四条の違反にはならないというふうにわれわれは判断いたしているのでございます。

○横川正市君 聞いてないから、こういう事項があったからといって具体的に指摘できませんが、いま言った日本テレビの政府の要路の人に具体的に政策を聞くということは、第一条の放送の不偏不党、それから四十四条の「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」という点、それから四十四条の三項の二には、「政治的に公平であること。」というような、放送法の生命とするような問題点から照らしてみて判断をした結果、それに該当しないという結論を出したわけですか。

○政府委員(宮川岸雄君) NTVからまいっておりますものを御説明をいたしたほうがより御判断いただけるかと思いますが。

○横川正市君 判断の結果でいいです。

○政府委員(宮川岸雄君) もちろん放送法の中におきまして、相反する意見というものは、一方だけを取り上げてはならないということがございます。これは一方だけの意見を一方的に流すことがいけないということでございますが、この番組におきまして、ときの経済問題に非常に重大な関係のある人がその意見を言う、それに対していろいろ聞いたりあるいは反論したりするというような形で番組が行なわれるということでございますので、その点から申しましても放送法には相反しないと思います。また、番組全体の編集の中におきまして、あるいは野党側のそういう方からの御意見を聞く番組というようなものも、当然いろいろ今後考えているようでもございますし、番組全体を通じまして、あるいは政府側あるいはそうでないもの、いろいろな関係から各方面のそういうような意見を国民にすっきりさせていくというような番組全体の計画がどうなっているかということでもって、この四十四条違反の問題は解釈していかなければならない、そういうふうに考えております。

○横川正市君 放送というのは一方的にやって、そうして聞く者がそれによってどういうふうな影響を受けるかということが、これが放送の特殊的な性格だから、そこで放送する側が相手側に対して責任の持てるような態勢をとれというのが放送法のたてまえでしょう。全体的にこの番組はこういうふうに組まれているから、三日前にやったものが一週間後に否定されるから、あるいは反対意見が何日後にあるから、だからその番組は正当であるというのは、放送法のたてまえからいえばでたらめな解釈だと思う。放送法は、その時点において当然何かの意見があったら何かの意見をかみ合わせて出すところに、政治的にも私は不偏不党という問題も公平さという問題も、あるいは多くの意見という問題も出てくると思うんです。いまのあなたのような考えでやっていったら、これは一年中通して何らかの番組が何らかの形で出れば、それで放送法のたてまえを貫いているのではないかというふうになる。私はそういうふうには解釈しませんね、実際上。それは放送というのは一方的なもので、聞かされるときには意見を言えないところに放送する側が責任をとらなければいけない問題があると思うんです。まあ、実際上どういう内容が入っているか私はまだ聞いておりませんから、いまの段階ではあなたの意見を速記にとどめておきますが、しかし、この次のときに私どもが聞いて非常に政治的に、ことに小汀さんである場合に、あるいは次の時期に私が聞くならば、たとえば消費者代表、聞く側の人があらゆる形で大蔵大臣に、何回放送されるかわからぬが、同じ人でなしに全部違った各界各層の人たちが意見を戦わせる番組なら、あるいは一つの番組として成り立つかもしれないけれども、同じ思想を持った同じ立場に立ったような人たちがかってなことを言うやつを聞かされるのは、国民側には迷惑な点がたくさんあると思います。そういう点でこの次には私は聞いた上で再度この問題については質問することにしたいと思います。

【資料6-3】 「大蔵大臣アワー」をめぐる国会論議 その3

第48回国会 衆議院 逓信委員会 第7号(昭和40年3月11日)

○栗原委員(栗原俊夫) これはたまたま与党であり、また野党第一党の社会党がやっていることだから、とかくそんなぐあいに解釈したいのだけれども、私は、これは大問題だと実は思っているのですよ。ということは、放送で時間を買うその時間の中が、新聞広告のスペースを買ったようなつもりで、内容を思うがままにスポンサーが扱えるということが、それでいいんだということになると、これはなかなかたいへんな問題になってくるんではないかというように実は私は考えます。この点はちょっと大臣に聞いておいて、監理局長にその訂正を求めるようなことがあっては問題なんですが、監理局長はどんなぐあいにお考えですか。

○宮川政府委員(電波監理局長・宮川岸雄) 放送法四十四条におきまして「協会は、」ということがございますが、これはもちろん一般放送事業者にも該当することになるわけでありますが、編集にあたっては、その定めるところによらなければならないというふうになっておりまして、「政治的に公平であること。」というのが第三項にあるわけでございます。法律的な解釈といたしましては、これは協会、一般放送事業者の準拠すべき心がまえといたしまして、編集にあたってということでございますので、全体の番組を貫きまして、その編集計画の中身におきまして、政治的に公平が保たれればそれが法律に該当する、こういうふうに解釈いたしております。

○栗原委員 どうも局長の答えは私の質問に答えてないな。ということは、私の問おうとしていることは、時間を買えば、その時間の中の放送内容というものを、時間を買った者の恣意によって編集することができるかどうか、こういうことを聞いておるのですよ。

○宮川政府委員 どうも失礼いたしました。

 その場合におきましても、もちろんその内容は、先ほど大臣のお答えいたしましたように、編集者の責任でございます。ですから、スポンサーの恣意によってということでなく、編集者があくまで法律その他の精神に、またすべてのことに対しまして適法であるということの判断を下してその責任において放送しているものと思います。

○栗原委員 もしいま言うように時間でもって買った――いま監理局長は形式論理からいってそれは決してスポンサーの恣意によって編集するのではなくて、まあ以心伝心というか、資料を集めてそしてスポンサーが最も好みそうな内容を編集する、しかもそれが放送法の規定には反しないんだ、こういうことであればいいんだ、こういうことなんですが、そういうことになると、放送というものが金によって相当歪曲されていく危険がここに伏在しておるような気がするのですよ、率直に言って。もっと端的に言えば、かりに特定な政党に放送局一局を許したということになって、これがバンスカ、バンスカ自分のものを放送するというようなことにまで発展していくような気がしてならないのだけれども、そんなばかものは許可しっこないのだ、こう言い切れば、議論としてはそれでもっておしまいになるけれども、どうもこの辺、私には割り切れません。私も勉強しますが当局のほうでも、新聞の広告、雑誌の広告などとは違って、見ようと思わなくてもスイッチを入れればすっ飛んでくるという一つのメディアですから、そこに普通のマスコミ・メディアと違った価値のあるマスコミメディアなのですから、やはり放送内容の編成についても、一般のマスコミとは全然迷ったシビアーな規制が必要なのではなかろうかと考えるわけです。

 そこで、実は先般も問題になったと思いますけれども、田中大蔵大臣が「大蔵大臣アワー」というもののレギュラー・タレントになったということが週刊誌に盛んに報道されて、なるほどまさにタレントタイプで、和服を着て――テレビに出るのですから幾らか顔も直さなければならないので、パフでパタパタ顔をたたいている写真などが出ているわけです。こういうものははたして――私は、大蔵大臣でなくて田中角榮さん個人なら毎日出てもかまわぬと思うのですよ。政党政治の中で、時の与党自由民主党の堂々たる大幹部である政党人である立場の人が、数カ月にわたってテレビタレントのレギュラーというような形で出ていくことが、はたしてこの放送法でいっている、不偏不党であり、政治的に公平であり、しかも、意見の対立しているものはでき得る限りあらゆる角度からこれを見るのだというような、こうした心配されることに対して諸規制がある、この諸規制と照らし合わせてどういうことになるか、まず技術的に局長に答えてもらって、政治的には大臣からお答えをいただきたいと思います。

○宮川政府委員 この問題につきましては、その編集の企画が那辺にあるかということにつきまして編集者のほうからの答えをいただいているのでございますが、それによりますと、こういう時間を設けることによりまして、時の政府が何を考えているか、また、それに対して国民はこういうふうに考える、ああいうふうに考えるというような問題を、そこで討論して浮き彫りにしていくということをねらったものであるというふうに、編集者のほうで言っております。そういうことを考えてみますと、この番組それ自体におきましても、そういう目的をもってつくられてある以上、当然政治的に公平であるということに対しての十分な配慮が払われているというふうに考えるとともに、先ほども申しましたように、放送法四十四条におきましては、「放送番組の編集に当っては」ということばがはっきりと出ておりまして、その意味におきまして、また、この前も御答弁申し上げましたように、全体の放送番組の編集計画の中におきまして、あらゆる政治的な見解が述べられるという意図をもって編集が考えられておるならば、これまた四十四条第三項第二号には当然該当する政治的に公平であるというふうに解釈いたしているわけであります。

○栗原委員 ただいま全体的な編集の中で、こういうのが局長の苦しい答弁なのです。あえて苦しいと私は言いますけれども、まことに苦しい答弁です。私は、不偏不党であり、政治的に公平である、こういうことは、その限界は反対党から猛烈な意見の出ないというのが私は限界だと思うのですよ。かりに与党の自民党の方がどんどんテレビ放送に出ても、野党のほうからその程度はあたりまえだと言われるのが私は限界だと思うのですよ。野党のほうからそんなばかなことがあるかと言われるのは、これはもはや不偏不党でなくして、政治的な公平な立場ではないと思うのです。それでは与党や大臣が出ることを、一々全部野党の社会党が、それはおかしいじゃないかというかというと、そうじゃありませんよ。一々言いませんよ。したがって、反対党が目にかど立てて反対に立ち上がる、そこには私は限界があるのでないか、こう思うのです。しかも、いまのような議論から言うと、もちろんこれは番組審議会を通っておりましょう。番組審議会を通っておれば、それで一切は政治的に公平であり不偏不党なんだ、こういう位置づけができるのがどうか。しかも、政治的に公平ということを要求されておるときに、野党第一党から猛烈に反対の声が上がるようなあり方を政府与党がやっておっても、番組審議会でオーケーをもらえば、それで政治的に公平なんだときめられるのかどうか。ここが私の聞きたいところなんです。大臣の政治的な判断をお願いいたしたい、このように思います。

○徳安国務大臣(郵政大臣・徳安實藏) 御質問もございましたので、口だけではいかぬからと思いまして、先方に書類で、国会審議に協力される意味において、その意図されるところを聞きたいという書簡を出しまして、向こうから回答が参っております。その回答によりますと、一応非の打ちどころのないような書類で回答されておるわけでございます。しかも三カ月とかいうようなうわさをされておりますが、向こうの回答では、向こう一カ月だというように参っております。もし社会党のほうの大蔵大臣ができましたら、もちろん社会党の大蔵大臣でありましょうとも、こういうことを聞いて、そうして国民に親しまれるようなことをしたいというようなことを書いておるようであります、これは一例ですけれども。

 そこで、決して政府のちょうちん持ちをするわけではございません。時の台所を受け持つような重要な職におられる方から、それに配するに、必ずしも自民党やそれから大蔵大臣のちょうちん持ちをする人を相手方として出すわけではありません。十分これを聞きただし、また反対は反対として言い得るような、国民にはっきりとした、話し合いの趣旨が一方に偏しないようなものになるように苦心して考えております。したがって、相手方の人選につきましても相当の配慮をいたしておりまして、決して同一人でちょうちん持ちの者を並べてはおりません、こういうような申し開きと申しますか、趣旨を書いてきておるわけであります。これを法のたてまえから申しますと、こうして書いてきておることが眞実守られておりますならば、一がいに私どもが法の上でどうこうと言うことは一応言えないような形でございます。問題は、はたしてそういうことが一般に考えて編集責任者として妥当であるかどうかという、今度は良心的な問題になろうかと思うのでありますが、これらは院内での皆さんの御意見等も相当にわかっておると思いますから、全般を通じて決して一党一派に偏して、そして中立性を失うような、そういう編集方針ではなかろう。もしそういうことがあらわれて、そして法の精神に反するという場合には、もちろん私ども注意をいたしたいと思いますけれども、いまの段階におきましては、そうも言い切れないような状態でございますので、見守っておるという状態でございます。

○栗原委員 どうも大臣の説明だけでは納得し切れません。商売をやっておる放送会社のことでありますから、いろいろとこれを理屈づけて回答されておると思うのです。特に、社会党が大蔵大臣をつくったならばという、そういうことじゃないのです。少なくも、意見の対立するものについてはあらゆる角度からということは、与党であり野党である。特に政党内閣の大臣である、こういう立場に立てば、その反対的な立場は、少なくとも野党第一党は、これに対置しなければならぬ。NHKの国会放送においては、野党第二党である民社まで入れて国会放送をやるという形の中で公平を期しておる、こう思うわけです。そして、これはまた、一つには単に放送会社の編集ということだけではなくて、出ていく本人にもやはり相当問題があると私は思うのですよ。そこで、政党の幹部であり、政党の幹部としてたまたま大蔵大臣になっておる田中角榮君に、大臣として国会の逓信委員会でこういう論議があったから、君、ひとつやめたらどうだ、やめるべきだ、こういう勧告ができますか。もしできれば、私はここへ田中角榮君に来てもらって、ここでもって議論の中で勧告したい、このように思いますけれども、いかがです。

○徳安国務大臣 放送番組につきましては、いろいろ御意見があろうかと思います。先方の話では、決して大蔵大臣の独演会には終らせません、そういう行き方はやりません。ということを、かたく私どもには書類をよこしておるわけでありますから、意見の対立する者も加えて、そして話し合いをするような場をつくったわけでございますと言っておるわけでございます。

 そこで、この編集者がただわが党の、あるいは政府の者だけを呼んで、年じゅうそういうことをやって、社会党のほうの方は全然考えないというような行き方があるといたしますれば、これはその編集者が全体を通じての偏狭な考え方だということも言い得ますけれども、いまではそうも考えられませんので、そこで、この質問のありましたること等は、私から大蔵大臣に話はしてございます。こういう御意見もございまして、こうでごいますという話はしてあります。でありますから、この質問のあった様子等は、大蔵大臣も詳しくは存じなくても、模様は大体承知しておられると思いますから、まあお互い政治家ですから、ひとつあんまり問い詰められなくて――これはどうしても呼んでお話し合いになるということは別問題でありますけれども、全然してないわけではございません。この話は大蔵大臣にもしてございますから、あんまりこれ以上ひとつ御追及にならなくても、この程度でいかがかと思います。

【資料7】 2004年7月20日付「毎日新聞」の坂本談話

◇権力監視を果たせ

放送問題に詳しいジャーナリスト、坂本衛氏の話 政権党がメディアに批判されるのは当然で、それに真摯(しんし)に対応する必要がある。自前のテレビ局を作りたいために放送法を改正するとしたら、本末転倒ではないか。ただ、法改正によって、いろいろな立場の放送局ができること自体は悪くない。テレビ局は、権力の監視という役割を果たすために、もっと政治的な主張をしていいと思う。

≪参考 7月17日の当サイト「日録メモ風の更新情報」≫

07-17
●夕方、毎日新聞政治部から電話。政治とテレビ(政治的公平、放送法改正、自民チャンネルなど)についてコメント。おおよそこんな話

●テレビ電波の希少性・国民の共有財産であること、茶の間に否応なく届くシステムであることから、「(放送事業者は)政治的に公平であること」(放送法第三条の二)が求められている。しかし、多チャンネルの進展、事実上のテレビ・新聞の系列化などを考えれば、政治的公平の規定は、ある程度は緩めてよいだろうと思う。テレビは多様化すべきであり、政治的にも、もっと多様な見方を伝えるべきだ。デジタル放送の進み方を見ると、放送主体が変わらないまま高画質・横長化して、多チャンネル化は目指されていないが、これはおかしい。ただし、基幹放送については一定の歯止めをかける、「社説放送」のような番組を認める(今も「○○新聞ニュース」をやっているのだから、それで問題なければ問題ない)ことから始める、選挙報道では公平を求めるといった対応が必要だ。政治的なことはやりたい放題オーケーということではないはずだ。CSに自民党チャンネルが登場するくらいは別に問題ないと思う。なお「政治的に公平であること」は、自民党〜公明党〜民主党〜社民党〜共産党の「左右の真ん中に立つ」ということを、まったく意味しない。ある政党が金権まみれでデタラメなら、マスコミは自らを支える国民大衆の立場から、「ある党だけ」を批判してもよく、それは政治的に不公平でもなんでもない。それどころか、放送法は第一条に「健全な民主主義の発達に質する」と規定してあるのだから、放送局が独裁政治に抵抗して反政府的な放送を流しても、放送法違反ではない。誤解されているが、放送法上は放送局に「不偏不党」の義務などない。放送法第一条の「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。」を遵守すべきは、国会であり、政府であり、裁判所であり、国民である(もちろんこの条文を改正する必要はない)。日本のテレビは政治に弱く、ウオッチドッグ(権力の番犬)として十分に機能していない。その機能を果たすことのほうが先だ。機能していないまま放送法をいじり政治的公平だけを認めて、○○党翼賛番組が氾濫するというのでは困る

●日歯連などの内情を知る歯科医から「腐りきった歯科界ではありますが、今回の報道は意図的な物を感じま す」とメール。医師会・大学(歯科大や歯学部)・政治の世界が、カネと人間関係(身内や同窓や地元やら)で極めて複雑に絡みあった事件で、「××氏が総理になるときには日歯連盟の会計から数億円という巨額の政治資金を出したと言われており使途不明金となっています」(××は実名)など、「日歯疑獄」に発展しかねない巨大な問題です

【付記】上ではwatchdogを「権力の番犬」と書いていますが、それだと「権力側が飼っている番犬」と取られないかとの意見あり(堀木卓也はそんなことをいっていた)。「権力を監視する番犬」のほうがよさそうですね。

【資料8】 「公平・中立」という概念について
(2005年2月2日、当サイト「日録メモ」から/【Q&A】放送法と「公平・中立」)

≪国境なき医師団・臼井律郎からのメール抜粋≫

●ところで、NHKの問題、がんばってください。貴君の言い分のように、普通の頭で考えれば当たり前に正しい話を、ちゃんとすることには意味があると思います。どうせ変わらないのだから考えても無駄、言っても無駄、という物わかりのいい人たちの態度が、日本人たちの、自分では判断できないで人の意見に従うという風潮を、大いに助長してきたと思います。NHKへの介入問題は、NHKと政治家と朝日の喧嘩といった卑近な話ではなく、報道機関の中立・公平の話だと思って見ています。

●今回の展開を見ていると、大部分の日本人にとって中立・公平という言葉は、自分の気に入らない人の悪口を言うために、否定形で使う表現のようです。本来は、肯定的に、自分を律するために使う言葉だと思います。ごく簡単に言えば、報道機関の中立とは政治的中立、公平とは立場の異なる両者の意見をどちらも伝えることだと理解しています。自分とは異なる政治的立場や、自分とは違う意見を伝えるのは、あたかも中立・公平な報道でないかのような論調が見受けられますが、変なことです。政治家が、報道の中立について云々したりすれば、これは言葉の矛盾かもしれません。公平でないと言うのならまだしも。

●それから、ここで中立・公平というときは、あくまで“報道機関”の政治的中立や、公平な報道のことで、“個々の番組や記事”の中立・公平のことでは必ずしもないと思います。個々の記事や番組に完全な中立・公平を求め、少しでも違うところは削除するというのであれば、様々な意見を載せて公平にするという原則に反し、かえって偏向になると思います。ひとつひとつの記事や番組は一見して中立・公平のように作っていて、しかし実は、報道機関としては中立・公平でなどないということだって十分あると思います。

≪以上への坂本の補足見解≫

●“報道機関”の公平・中立は「ごく簡単にいえば」臼井の理解通りでかまわないが、念のため補足。たとえば架空の話で将来、一党独裁を標榜する「21世紀日本ナチス党」が登場し、自民党と対立したとする。その状況下で日本の“報道機関”は政治的中立(ナチス党と自民党のどちらにも偏らない立場)を維持する必要などない。自民党に荷担してナチス党を叩きつぶしてくれて、一向にかまわない。それは放送法違反ではありません。放送法第1条を第3条に優先させて、放送局は、民主主義を否定する政治勢力を叩きつぶさなければならない。つまり公平・中立とは“報道機関”、もっと広い言葉を使えば「表現者」が、自らの拠りどころとする価値観(その表現者がイカレていなければ、それは私たちの社会が長い歴史の中で妥当なものとして認め、選び、広めてきた価値観と、おおむね一致するはず)に基づく公平・中立を意味する。それは、表現者が不断の努力によって維持し、磨きをかけ、必要に応じて修正を加えるような、表現者の主観と営為に基づくダイナミックな概念なのです。誰もがよしとする客観的な公平・中立がどこかにころがっているとか、誰かから与えられるとかいうものではない

●たとえば「民主主義」は、多くの表現者にとって、自らの価値観や常識に一致するはず。しかし、私たちはそのことすらも不断に確認し、修正を加えなければならない。その価値観や常識は、人類の理想と一致しているように見えているが、実は他の社会を収奪して豊かさを手に入れた西欧社会の独善的な価値観にすぎないのではないか、と考えてみることだって必要です。「民主主義を世界に普及するのがミッション」などといって戦争するヤツが、現実にいるのですからね。当サイト「政治的公平」の議論は番組で深めよもご参照

≪【Q&A】放送法と「公平・中立」――補足の補足≫

Q あなた(坂本)のいう「公平・中立」の概念は、放送を規律する放送法ではどうなっているか?

A 放送法は五十数年前、理想に燃えたアメリカのGHQの連中が叩き台を作った。だから、彼らが望ましいと考えたメディアの大原則に沿うように作ってある。彼らは、戦前の日本が言論統制下にあり、新聞・放送(ラジオ)・出版などのメディアが政府御用機関として大本営発表報道だけを流したことが間違いだったと考え、放送がそのようなメディアにならないように、放送法を作った。

 そのことを端的に示すのが、放送法第1条「二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。」「三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。」という文言《もんごん》である。

 これは放送法の「目的」の2つめと3つめで、これを第一義的に守るべきは、政府(放送法を執行する為政者)、国会(放送法を作った立法者)といった「権力」であることは、疑いを入れない。放送法の冒頭には、戦前の日本のような言論統制はダメであり、政府だの大政翼賛会だのは信用できないから、「政府与党に偏らない(不偏不党)を保障し、表現の自由を確保するのが、放送法の大原則だ」と、わざわざ書いてあるわけだ。この条文を「放送局は不偏不党でなければならない」と誤解している者が多いが、それは単純な読み間違いである。

 放送法には「公平・中立」という言葉は登場しないが、第1条の「不偏不党」は、ほとんど同じ意味と考えてよい。それは明らかに、日本が歴史的な反省を踏まえて妥当なものとして認め、推進させようとしている「民主主義」という考え方や価値観に基づく概念である。もうひとつは、第3条に出てくる「(政治的に)公平」である。

Q 放送法第3条の「公平」は、どのように考えるべきか?

A 政府その他に対して「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保」せよと前置きする第1条に続いて、第3条「放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」、第3条の2「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。(略)二 政治的に公平であること」と出てくるのだから、放送法のこの条文に「干渉してくる政府に気をつけろ」「政治的に公平であることから逸脱し、政府与党に偏らないように、注意せよ」という意味が込められていることは、当たり前である。

 実際には「干渉してくる政府にも、与党にも野党にも、それ以外の勢力にも気をつけろ」という意味を包括的に書いてあるが、いちばん言いたいのが「政府に気をつけろ」であることは常識、いや、中学生が読んでもわかることだろう。放送法がそのような成り立ちを持っていることは歴史的な事実であり、「放送法の精神」は今日なお有効なものとして生き続けている。

Q つまり放送法のいう「公平」も、「異なるものの真ん中に位置してバランスを取る」というような他律的な概念ではなく、ある特定の価値観に基づく自律的な概念だということか?

A その通り。繰り返しになるが、放送法第1条は、放送法の原則として「放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」を掲げているから、放送法に書いてある「公平」は、明らかに「健全な民主主義」を念頭においた「公平」である。放送法には「その公平を守れ」と書いてあるわけだから、健全な民主主義を否定する者に対しては、当然「不公平」でよいのだ。

Q すると「内閣官房副長官が、偏向していると判断のうえ制作中の番組に『公平・中立に』と意見を述べること」は、放送法第3条違反に当たるだけでなく第1条違反では?

A それは、放送法の第1条をまるで理解しておらず、日本の近代史への反省のかけらもない、とんでもないスキャンダルである。もちろん放送法第3条違反であり第1条違反である。

 よく「あの番組はダメな番組だから、NHKが放送しようとするのを政治家が事前介入して潰すのは当然」という声を聞くが、これも話にならない愚劣な意見である。

 「乱暴者Aがいきなりキレて誰かを殴った。その相手は乱暴者Bで、ブチのめされておとなしくなった。自分は以前からずっとBがいなくなればよいと思っていたから、Aのやったことは(100%)よかったと思う」というのは、「キレて誰かを殴ることはよいことだ」という意見になってしまうから、ダメである。なお、「元政府高官は誰かを殴ったわけではない」などというワケのわからない反論をしないように。これは「たとえ話」なので(掲示板などで、比喩を用いて「XはYである」と主張する者に対して、「その比喩は適切でない。したがって『XはYである』は間違いで、『XはYでない』」と主張する者をよく見かけるので、念のため)

Q ようするに、「公平」の判断を、政党や政治家に預けてはならないのか?

 政党に代表される政治勢力は、政権奪取を目指す権力集団であって、政治的に公平であった例《ためし》などない。そんなことは歴史を見れば明らかだ。歴史を振り返るまでもなく、料亭で1億円小切手をもらってもバレなければ黙っている連中だから、その連中が主張する公平など信用できないと思うのは、新聞やテレビや雑誌に目を通していれば、誰もが抱く感想であろう。

 たとえば、料亭で1億円小切手を受け取った元首相が、仮に事件を捜査中の当局に「公平・中立に捜査をお願いしたい」といえば、それは「自分を逮捕しないでくれ」という意味に決まっている。それは「国民から広く意見を聞いたうえで(または、自民党だけでなく野党の意見も入れて)しっかり捜査してくれ」という意味だ、と思うお人好しがいたら、顔が見たいものである。

 そのような人びとである政治家(もちろん与野党問わず)に「公平かどうか判断してもらう」ことが望ましいと思うのは、民主主義段階に到達していない「奴隷」同然の発想である。

Q 「公平」の判断を政党や政治家に預けるのは望ましくないとしても、マスコミに預けるよりまし、とはいえないだろうか?

 マスコミに「公平」かどうかの判断を預けるのは危険というのは、ある国に新聞が1紙しかない、あるいは放送が1チャンネルしかない場合は、その通りだ。それは、政党や政治家(その国では当然、全政治家が単一政党に所属している)に預けるのと同じことだからだ。

 実際には多くの民主主義国が、新聞や放送などのマスメディアがなるべく多様に存在できるようなシステムを導入している(放送でいえば、放送法やマスメディア集中排除原則がそれ)。憲法問題一つとっても、朝日、読売、毎日、産経、日経では主張が異なる。当然、5大紙の主張する「公平・中立」は、それぞれ異なる。それでいいのだ。マスコミがそのように多様な存在であれば、誰もマスコミに「公平」の判断を100%預けることができない。だから、よいのである。

 マスコミを「第4権力」というが、マスコミに多様性が確保されていれば、その弊害を小さくできる。そして、多様性を確保したマスコミは、独裁政権よりはよほどましだというのが、先進的な民主主義国における共通の見解である。

 質問が、NHKだけに、朝日だけに、読売だけに、産経だけに、赤旗だけに「公平」の判断を預けるな、という意味ならば、その通りである。そう思っているからこそ、私は今回の政治介入問題で、NHKの首脳の言い分などまったく信用していないし、「××新聞がこう書いているから」という書き方もしていない。なお、NHKは、かつて日本に1チャンネルしかない当の放送局だったことがあり、今日でも全国に同一の地上放送を届けることができるほとんど唯一の放送局である。だからNHKは、日本で「公平」かどうかの判断を預けてはいけない「もっとも危険なマスメディア企業」なのである。

【資料9】 個別番組ごとに「政治的な公平・中立」が貫かれるべきとする論者への批判
(当サイト「日録メモ」から)

≪厚生労働大臣・舛添要一のケース(2007年9月)≫

09-20
●午後、東京新聞特別報道部の田原記者に電話でコメント。厚生労働相の舛添要一が18日、17日放送のTBS「ピンポン!」について、一方的な内容で政治的な公平性に欠け、放送法上の問題があるとしてTBSに文書で抗議した件。記事は、21日朝刊に載るのではないかと思います。私の見解は、◆舛添要一は、不祥事が相次ぐ年金問題における政府の責任者。この問題を、政府が問題と認める前から追求してきた民主党の長妻昭が、舛添の写真をデカデカと掲げ、しかも舛添を呼ばない番組で、政府または政府の責任者(厚労大臣)を一方的に批判しても、そのこと自体は何の問題もない。政府や大臣は、その程度の批判は甘受すべき◆番組でアナが「大臣に出演を依頼したが断られた」と言い、実はそんな事実はなく、他の番組での依頼と勘違いしたとされる点は(ちょっと考えられない、ありえないミスだが)、TBSは弁解の余地がないミスと認め、舛添要一にも視聴者にも謝罪すべき。ただ、その謝罪は、政府を批判したのが悪かった、という意味であってはならない。もちろん、そんなミスをする番組は最低だと、TBSを批判するのは自由◆舛添要一は「完全な欠席裁判。その場にいない自分の発言をあげつらったのは、公平な放送を求める放送法違反」と主張しているようだが、この考え方は間違い。こんなことで放送法違反を持ち出しては、見識が問われる。ある単一の番組だけを見たとき、そこで一方的な主張がなされることは当然ありうる。新聞も、ある記事(たとえば舛添へのインタビュー記事)だけを読めば一方的な主張がされている。しかし、だからといって、その新聞全体が偏向しているとか、公正中立でないとはいえない(新聞は、全体として偏向していて、公正中立でなくても、もちろん構わない。念のため)◆ある放送局の放送法違反は、特定の問題について、たとえば1か月や3か月という期間、その局がどんな報道をしたかを見続けた結果、あきらかに中立公正の度を越しているという場合に初めて問題になる。放送法は、「一つの番組内だけで、必ず対立する論者を二人出演させてバランスを取れ」などと、求めていない。そんなバカな話はありえない。必ず対立する論点を提起しなければならないならば、これまで放送された『総理と語る』は、すべて政治的公平を失っている放送法違反である。野党の主張を一切報じていないからだ。だが、『総理と語る』という番組はあってよい。野党だけが集まって政府批判する番組があってもよい。ここは北朝鮮ではないのだから、当たり前の話。安倍晋三もニュースステーションに対して同じことを言い、出演拒否をしたことがあるが、同じ誤りだ。かつて野党側が、大臣が出続ける番組を問題にしたとき、政府(放送を所管していた郵政省)は単一番組だけを見て偏向とか中立公正でないとはいえないと答弁している◆だから舛添要一は、TBSに対して、放送法違反だ、BRCに持ち込むなどといわず、「この前のは、いくらなんでもちょっと一方的すぎる。あれはマズい。今度ゆっくり時間を取るから、番組に呼んで、ちゃんと言いたいこといわせてよ」というべきだったと思う。それが大人の対応というものだろう。TBSが、それにも一切応じないということは考えにくい◆BRCは、これが放送法違反だなどという結論は出さない
●以下は、記者には言わなかったが、「誰かを批判するときは、必ずその者をスタジオに呼ばなければならない」ならば、ブッシュ批判も、金正日批判も、テレビでは一切できなくなる。安倍晋三批判も、なにしろ彼は入院中なので、できない。そんなことを主張するヤツは、ただのバカで、まるで問題にならないでしょう。テレビで一方的に批判されるのが嫌なら、このテレビ民主社会では政治家になるな、というほかありません。私はこの種のことについて過去にさんざん書き、当サイトにも関連記事があります。いくつか挙げておきます。◆「政治的公平」の議論は番組で深めよ(政治介入・公平中立・政治とテレビ)―特集 テレビ放送の「政治的公平」―まもろう!放送法――元政府高官の番組干渉はなぜダメか?参院選直前 政治の「テレビ脅し」を許すな!!【Q&A】BPO(放送倫理・番組向上機構)入門

≪NHK経営委員長・古森重隆のケース(2007年10月)≫

10-10
●NHK経営委員会の古森重隆・委員長(富士フイルムホールディングス社長)が9月11日の経営委で「選挙期間中の放送については、歴史ものなど微妙な政治的問題に結びつく可能性もあるため、いつも以上にご注意願いたい」と異例の要望。NHKの橋本元一・会長は10月4日の定例会見で「心外だ。経営委も同じNHKであり、公共放送としての主体性を分かった組織であってほしい」と不快感を表明。昨9日の定例会見でNHK経営委員長は、「十分注意してほしいという一般論」「NHKの番組は見ていない。朝も昼も忙しい」などと発言。読売新聞は4日の段階で記事に。今日10日は、東京新聞朝日新聞ほか各紙が報道。今回はNHK側の言い分が正しい。NHK経営委員長発言の問題点は、私にいわせれば次の三つです
●【1】露骨な政治的発言・政治的な圧力と受け取られかねず、近年、政治との距離が近すぎることが問題となったNHKの経営委員長として配慮を欠く、極めて不適切な発言である。
 NHK経営委員長は、歴史番組について「太平洋戦争など史実が定まっていないデリケートな問題もある」と述べ、「そのような問題を扱う番組は、政治的問題に結びつく可能性があるから、選挙期間中はとくに注意してほしい」と発言した。同時に9日会見で「放送法第3条の2 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。2 政治的に公平であること。」(1、3、4は略)を持ち出し、「(公共放送は)これが規範だ」と述べている。以上ことから、「微妙な歴史問題を扱う番組は、なるべく事実誤認なんかないように丁寧に作ってね」などと要望したのでなく、「微妙な歴史問題を扱う番組は、選挙期間中は、選挙がない時期より特別に、政治的公平に注意を払ってほしい」という趣旨で発言したことは明らかだ。「選挙期間中の歴史番組は、『与党より』とか『野党より』にならないよう、特別にバランスを取ってもらいたい」と要望したと言い換えてもよい。NHK経営委員長は、そんなこと当たり前じゃないかといいたいだろうが、全然、当たり前ではない。たとえば、いま「沖縄への核持ち込みに関する日米密約」を扱う歴史番組を作れば、それは当時の日本政府(自民党政権。首相は佐藤栄作で、安倍晋三の大叔父)が国民を騙していた(その証拠が最近アメリカで出てきた)ことを伝える内容になる。それを選挙期間中に放送すれば、野党よりは与党にダメージを与えることは明らかだ。「沖縄では戦時中、日本軍が県民に手榴弾を配り、集団自決をうながした」と結論づける歴史番組も、現行政府(総責任者は首相=自民党総裁)がチェックした教科書の内容と食い違うから、選挙期間中に放送すれば、野党よりは与党にダメージを与える。「沖縄で県民集会が開かれた」というニュースも同様だ。以上の例では、どう注意したって、与党にダメージを与えるに決まっている(むろん、どう注意したって、野党にダメージを与える番組もある)。だから、NHKがそうならないように最大限注意を払えば、「番組を制作しない」か「放送しない」以外に手はない。ようするにNHK経営委員長は、NHKに対して、NHKが政治的なバランスに最大限注意を払えば特定の番組を放送できなくなってしまうような事柄について、「注意してくれ」と言ったことになる。その自覚はなかったとしても、だ。だから、この発言はダメである。それは、NHK会長の任免権を持つ者による「選挙期間中は特定政党に不利に働く番組を流さないように注意してくれ」という政治的な圧力と紙一重だから、ダメなのだ。NHKの受信料不払いには、NHKの政治との距離に疑念を抱く者によるものがある。そんな時期に、露骨な政治的発言と受け取られかねない不用意な発言をしたNHK経営委員長のセンスを疑う
●【2】「NHKの番組は見ていない。朝も昼も忙しい」などと、NHKを愛しても、NHKに対して敬意を払ってもおらず、NHKの番組に興味がないかのような暴言をする人物は、NHK経営委員長の資格に欠ける。NHK経営委員長は記者会見を開き、このNHKを軽んじた発言部分については、謝罪・訂正すべきである。
 NHK経営委員長の報酬はいくらでしたっけ? このNHK経営委員長は、先日NHKが出した次期経営計画が不十分だと、突っ返したんじゃなかった? 何、NHKの番組を見てないのに、あんなエラそうなことを言ってたのか? NHKは、テレビ受信セットを買った(設置した)者に、番組を見ようが見まいが月千数百円以上の受信料を払ってくれと頼む公共放送。その経営に関わる責任者が「忙しいから見てない」と言い放って許されるなら、NHKの経営なんて興味がないうえに、日々の生活に忙しくNHKの番組を見てない多くの視聴者国民大衆が、「NHKの受信料は払っていない。朝も昼も忙しい」と言い放って当然ではないか。しかも、NHKの現場、テレビ制作者を傷つけ、志気を著しく低下させる、あまりにもデリカシーに欠けたバカな発言。NHKで働く現場は全員、「ふざけんな!!」とNHK経営委員長の更迭を求めても不思議はない問題発言だと思う。参議院の過半数は野党が握っている。NHK経営委員長の任命には両議院の同意が必要だから、今期限りの退任は決まったも同然(途中で辞めさせることは難しいが)。年明けの総務委員会でも、ただではすまないでしょう
●【3】NHK経営委員長も、テレビのことをわかっておらず、「放送の政治的な公平」は個別番組ごとに確保されなければならないと思っているらしい。過去数十年来、政治家その他が同じ過ちを繰り返しているから、その考え方は間違いですよと、誰か教えてやったほうがよい。
 朝日記事によれば、NHK経営委員長は「制作現場への圧力と受け取られるのではとの質問には、『特別にそれが響くのなら、後ろめたいことがあるのでは。何の問題もない話だ』とも述べた」という。自分は正しいこと、当たり前のことをいっていると思い込んでいるのは、NHK戦時性暴力番組のときの安倍晋三、TBS年金問題のときの舛添要一と同じ。しかし、別に制作者に後ろめたい点がなくても、番組は、特定の問題をキリキリ追求していくと、結果的に政治的なバランスが取れなくなる場合が珍しくない(追求が鋭い優れた番組ほど、そうなる)。だからといって、個別番組について政治的公平の観点から問題だと主張するのは、誤り。そんなことをいえば、「サンプロ」は成立しない(ある政党の政治家だけが田原に怒鳴られたから)し、「総理と語る」も成立しない(野党党首が不在だから)。そのような主張は、放送のあり方をまるで理解しない非現実的で愚劣な考え方なのだと、NHK経営委員長の考え違いを誰か指摘したほうがよい。新聞記者が質問の中で教えてもいいし、NHKが「政治的公平の考え方について」という文書を出し、その中で説明してもよいと思う