メディアとつきあうツール  更新:2003-07-09
すべてを疑え!! MAMO's Site(テレビ放送や地上デジタル・BSデジタル・CSデジタルなど)/サイトのタイトル
<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

提言
「放送行政委員会」を
設置せよ

≪リード≫
郵政三事業民営化問題の陰に、
マスコミの騒がない重大問題がある。
放送行政の総務省移管だ。
郵政省の放送行政もお粗末だった。
だが先には、さらなる暗黒が広がっている? 
望ましい放送行政の姿を求めて、
メディアは国民のために立ち上がるべきだ!
(「GALAC」1998年02月号)

 私は、東京・神楽坂に住んで10年以上になる。このあたりは牛込郵便局の管内。郵便局をめぐって、こんなことがある。

 日に何度も保険のバイクや自転車を見かける。駅から家までのたった3分間に、3台と出会ったこともある。一度子供の学資保険に入ったが、担当局員と町で会ったとき、こちらをわからない風だったので即刻解約した。

 3分間に、たとえば第一生命のセールスマン3人と出会うことなど、まずありえない。そして、第一生命の担当者ならば、九州に転勤しても盆暮れに必ず連絡をよこすのだ。

 集合住宅に住んでいるが、週に一度くらいの割で、他世帯宛の郵便が入る。タバコをふかしながら郵便を配る局員もよく見かける。郵便物を捨てられでもしたら困るので、注意はしない。バイクのアイドリングがうるさい件では、局に何度か苦情電話を入れた。

 「日経ビジネス」をポストに入れていく米屋のオヤジさんはいう。「黒ネコから1通30円もらう。米や宅急便配達のついでに、DMや雑誌を毎日200通くらい配るから、まあまあの副収入」と。黒ネコは、これを全国展開の商売として成立させている。タバコをふかしながら集配する宅配便業者はいない。

 だから、私の感覚では、郵便局の郵便も貯金も保険も、国営にしておく必要はまったくない。同時刻に同町内に何人もの保険勧誘員を泳がせるムダも、タバコをふかしながら配達するモラル崩壊も、競争のない国営形態だからこそ生じ、存続しているのだ。民営化で普通の企業にしたほうが、私たち国民にとってどんなにプラスか知れない。

 民営化すれば当然ヒトは余る。配達中タバコは吸えず、いっそうよく働かなければならない。だが、過剰人員を適正配置し、場合により割増退職金を支払うなどしてスリム化を進め、そこからさらに全職員の給与水準を引き上げたとしても、コストは現在の国営形態より下げることができるはずである。

 その根拠を示す誌面の余裕はないが、それくらい郵便、郵便貯金、簡易保険の郵政三現業にはムダが多い。

 なけなしのカネを預けた郵便貯金は?――郵貯の利率が民間より高いのは、国民が別のかたち(税金)で補填をしているからだ。そのシステムに壮大なムダ(人も仕事も)がぶら下がっている。利率を下げ、税金も下げ、ムダを省いたほうが、いいに決まっている。 過疎地や離島はどうする?――全体を民営化する方針で、無理な場所は国営で残せばよい。それこそ税金を投入すべき仕事だろう。

郵政民営化の失敗で、
橋本行財政改革は破産!!

 そんなことを考えながら、行政改革の行方を見守った。しかし、ご承知の通り橋本龍太郎首相が主導する中央省庁の再編は、族議員と官僚の必死の抵抗で、ことごとく骨抜きにされた。11月下旬に固まった再編案では、「1府21省」は2001一年、たしかに「1府12省」となる。これは何を意味するか。 
 「何のことはない、省の数の1と2を入れ替えて、名前をつけ直すだけですよ」(ある中央官庁のキャリア)

 郵政省関係の結論を整理しておく。
 (1)郵政省は消滅。
 (2)三事業は「総務省」の内局として新設する(仮称)「郵政企画管理局」のもと「郵政事業庁」として一体運営、2003年に政府出資の新型公社に移行。職員は国家公務員とし、将来も民営化しない。
 (3)郵政省の情報通信部局も総務省に入る。

 補足すると、総務省は自治省や総務庁を統合する役所である。また、新型公社は独立採算制とし、大蔵省資金運用部への預託を廃止して、全額自主運営する。郵便(信書)事業への民間企業の参入条件も検討する。

 ここに至って、橋本行政改革の命脈は尽きたというべきである。最大の目玉だった郵政三事業の民営化は否定され、新型公社という名の国営企業として存続する。この公社が、「独立採算性」「全額自主運営」を貫くと、郵便、貯金、保険ともに確実に赤字化する。その場合は、税金で穴埋めするか、値上げをする。「参入条件を検討」という用語は、参入は約束しないという意味である。

 では、何も変わらないじゃないかと、お思いだろう。そう、これでは何も変わらない。10年後か20年後か、新郵便公社が巨大なお荷物となり、税金を投入しても支えられなくなったとき、民営化するほかなさそうだ。国民にとって、まったく不幸なことである。

 郵政改革に対して、これ以上語る言葉も、つける薬もなさそうだが、一つだけ、どうしても指摘しておかなければならないことがある。ほかならぬ、放送行政制度のあり方についてである。

官僚の恣意的裁量に
委ねられてきた放送

 郵政省の放送行政部門は、情報通信部門の一部として、総務省に統合されることが確実である。詳細は未定だが、総務省に「通信・放送行政局」のような内局が置かれる公算が大きい。橋本首相が口走った「通信放送委員会」は、いつの間にか沙汰止《さたや》みになった。

 しかし、私たちは、ここに至ってもなお、次のように提言すべきだと考える。

 日本の放送行政は、官僚の恣意的で無責任な裁量に委《ゆだ》ねられる部分が多く、不透明な密室主義の横行を招いてきた。このことは、日本の放送の不偏不党、真実、自律を損ない、その将来を危うくし、言論・報道の自由を大きく脅かすものである。

 放送は、何よりも国民全体の福祉に適合するように規律されなければならい。そのために、透明で公正な放送行政制度を構築することが、高度情報化の進む今日ほど求められている時代はない。

 そこで、免許付与をはじめ放送を規律する放送行政は、政府からも議会からも一定の独立性を持つ、第三者的な行政機関に委ねるべきである。行政委員会であれ、その他第三者的機関であれ、この行政機関は人事、予算、権限などの面で独立・中立性を確保し、透明で公正な運営がなされなければならない。

 周知のように日本では1950年、GHQの示唆によって、放送を含む電波行政を担当する行政委員会「電波監理委員会」がつくられた。この委員会は52年、初のテレビ放送予備免許を出したその日をもって廃止され、郵政省に統合される。以後半世紀近く、放送行政は郵政官僚の手に握られてきたわけだ。

 しかし、放送に関わるすべての人に本音を聞きたいのだが、放送を所管する郵政省という存在があったからこそ、テレビ、ラジオ、あるいはCATV、BS、CSなどが今日の活況を呈しているのだと考える人が、はたしてどれだけ存在するだろうか。

 「放送批評」93年1月〜2月号の「郵政省失政録」は、Uターン、東京12チャンネル、キャプテン、文字放送、CATV、JSB、StGIGA、東京第六局(現MXテレビ)、BS−4などにまつわる郵政省の失政を書いた。「GALAC」今号では、ハイビジョン、行政介入、コミュニティFM、CSデジタル、地上波デジタルの失政を検証した。

 郵政省は何をしたのか。その施策は本当に必要だったのか。仮に役立つことがあったとして、それは郵政省の政策でなければならなかったのだろうか。私たちのささやかな検証からも、答えは明らかだ。

 郵政省が何もしなかったとしても、今日にに近いメディア状況はつくられたはずだ。仮に「電波監理委員会」が担当したとしても、とくに不都合はなく、現在より悪くはなるまい。いや、行政委員会方式であれば、さまざまな政治介入、行政介入や、電波利権漁《あさ》り、そして失政の多くが防止できたはずである。

総務省移管で、
事態はもっと悪くなる?

 中央省庁の再編によって放送行政が総務省に移管されると、差し当たり次の三つの懸念が生じる。

 第一の懸念は、総務官僚のトップに、放送行政には「素人」の自治省系(人脈や仕事の流れとしては旧内務省系)のキャリアが就く可能性が大きいことである。自治省は旧内務省から警察を除いた組織で、地方自治体を牛耳る統制色の強い役所。都道府県知事の過半数が自治官僚であるように権力志向も強い。そんなトップの率いる官庁に、言論・報道の自由が絡む放送行政がなじむだろうか。

 第二の懸念は、現在は並立している通信部門と放送部門が統合され、同じ電波を使うという技術的な理由だけで、通信優位のままに放送行政が展開されることだ。

 第三の懸念は、情報通信の振興部門を、通産省とほぼイコール経済産業省が引き継ぐこと。社会・文化的な側面を持つ放送行政が、経済効率だけを至上命題とする産業振興部門に振り回されかねない。

 こう考えると、放送にとって省庁再編後の状況は、現在よりも悪くなりかねない。テレビも、電波支配に躍起な新聞も、みずからの存在を脅かす事態が進んでいると認識すべきである。

 そして、望ましい放送行政を求めて、「電波監理委員会」のような独立行政委員会の可能性を探り、世論を喚起すべきだ。健全で自由なメディアを守ることになるというだけではない。それが、メディアの国民に対する責任ではないか。