メディアとつきあうツール  更新:2003-07-03
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

GALAC+ism(坂本衛執筆のGALAC巻頭言)2003年分

≪このページの目次≫

※目次の数字は執筆年月。「GALAC」は毎月6日に「翌月号」を発行しますので、掲載月号の「2か月前の20日前後」が執筆時点です。

※このページはスキャナによる読み取りでテキスト化しており、誤植が残っているかもしれません。ご容赦を。

こんな戦争報道で、
本当にいいのか?
最低これだけは改善を!!

●イラク戦争報道はアメリカ・イラク双方の情報操作に完全に乗った(乗せられた)ものでした。5W1Hなどニュースの基本すら省みない、どうしようもなく低レベルの報道が主流を占めたといわざるをえません。局の報道部門は真摯に反省し、1歩でも前に進んでほしい。最低限これだけはと思うことだけ。

●第1に、現地に行かないのでは話にならない。ある日のNHKニュースは、アンマン、カタール、空母艦上、北上する米英軍、ワシントン、と米英軍側か隣国からのレポートに終始。バクダッドとの電話に出る「現地スタッフ」は日本語が通じない。利害関係の異なる他人(他国)の情報だけ取って、なぜ日本の報道が成り立つと思うのでしょうか。

●第2に、イラク入りしたのは北上中の従軍記者だけらしいのに、映像はいろいろ流れる場合が多かった。「FOXテレビ」「イラク国営テレビ」など一瞬字幕が出るが、大部分の時間には出ない。どれが誰の撮った映像かをつねに明示すべきことは、報道機関の最低限の常識。全局が必ず実行してください。

●第3に、軍事評論家の解説で「戦争について」の詳細な知見が得られるというのは誤解です。得られるのは「兵器について」の皮相なカタログ情報だけで、戦争の意味や被害の詳細は伝わらない。そんな解説は要らないから、「取材」し「報道」してください。

●第4に、NHKの米大本営報道は明らかに偏向しすぎです。NHKはイラク国営テレビとは違い、日本国営放送協会ではないはず。なぜこうも米英軍側だけに立つ戦争報道をするのか、実に不思議です。日本放送協会職員としての「誇り」を取り戻してください。(「GALAC」2003年06月号)

ブッシュのアメリカが
馬鹿な理屈で対イラク開戦
北朝鮮攻撃も支持するのか?

●ブッシュのアメリカによるイラク戦争が始まりました。アメリカ合衆国は「自国の安全を脅かすとアメリカが判定した国家は、その国がアメリカを攻撃する・しないや、国連その他諸国の賛成・反対にかかわらず、その国の指導者に国外亡命の猶予を与えたうえで、応じなければ容赦なく攻撃する」という新しい国家方針を、イラクに適用したわけです。

●アメリカのいう「安全を脅かす」証拠は「大量破壊兵器を破棄せず」だけですから、アメリカは「武装解除しない国は政権交代を求めてから先制攻撃する」というのと同じ。こんな馬鹿な理屈が通るなら、二十世紀にアメリカはベトナムどころか、ソ連をはじめとする東欧圏、中国、インドなどを好き勝手に攻撃できた。しなかった理由は核による反撃を怖れたから。ならば普通の独裁者は、今後は核その他によるアメリカへの全面的な報復能力だけが自らの安全を保障すると思うはず。

●専制国家がそう決意すると困るから、アメリカはやはり武装解除を迫るしかない。応じなければ先制攻撃なら、北朝鮮の命脈は尽きたというべき。だが、ブッシュのアメリカによる朝鮮戦争が始まっていいのか。「それだけはイヤ。でもイラク攻撃は支持」が日本政府の立場。「わかった」とアメリカがいえば日米はダブルスタンダードのご都合主義。ご都合主義で殺されるイラク民衆が哀れです。世界史は1世紀ほど後退したと思います。

 お詫び  2003年4月号特集「テレビの“突破者”たち」で、石田弘さんの記事を、約束したご本人のチェックを経ずに印刷してしまいました。石田さんの本意と異なる箇所があります。謹んでお詫び申し上げます。(「GALAC」2003年05月号)

テレビ50年
あまりになおざりな
回顧ものに唖然

●日本でテレビ放送が始まり50年。開局の時代や、テレビは今日まで何を伝えてきたかを回顧する番組が、NHKを中心に相次ぎました。宣伝臭が鼻につきすぎた印象は否めませんが、映像そのものが珍しかったり、懐かしかったり、それなりに楽しめました。

●なかに、これを50年の回顧というならば、黙って見過ごすことは到底できないと思った番組があります。NHKスペシャル「テレビは災害をどう伝えてきたか」です。

●番組は、テレビは昭和34年の伊勢湾台風で「一部地域が水に浸かっている」と断片情報は伝えたが、全体像が伝わらなかったと反省を述べます。ついで津波警報の「時間との闘い」を描き、地震報道での「安否情報」に話題を移します。阪神淡路大震災で、NHK大阪は第3スタジオから安否情報を2週間伝えたと自画自賛し、AM神戸が流し続けた生活情報についてもレポートしました。

●私は唖然としました。つい8年前に6400人もの死者を出した震災報道で、テレビは何を伝え何を伝えなかったか、まるで振り返っていないから。あの日は「強い揺れだったが今は静か」というNHKの初期報道が国の初動を鈍らせましたし、地震後3日ほどテレビは生活情報をほとんど流しませんでしたが、そんなことには一言も触れない。当時の県知事が災害報道に望むことをコメントするに至って、私は手元にあった雑誌を画面に投げつけました。阪神・淡路大震災では、国と自治体の指導者の危機意識の欠如によって1000人単位の死者が余計に出たことは「常識」のはず。その責任者の1人にテレビへの注文を語らせる異常な神経。一体何ですか、これは?(「GALAC」2003年04月号)

地上波デジタル元年
テレビ現場の混乱と焦燥を
トップは正確に把握している?

●1月、地上波デジタルをめぐって九州地方民放の若い作り手たちと話す機会がありました。一言でいえば、テレビ現場の混乱と焦燥《しょうそう》感は実に深刻で、局によってはまさに存亡の危機に直面していると思います。間違いなくこの状況は、日々送り出されるテレビ番組をつまらないものにしつつあるとも感じます。

●大半の局員が、デジタル化で増収になる見込みはなく投資がかさむだけと思っており、しかも視聴者不在の現行計画はうまく受け入れられないのではないかと、先行きに不安を抱いてます。2011年という先までは見通せなくても、アナアナ変換が予定通りには進まないこと(たとえば一軒一軒の手作業は、その家に予想外にたくさん受像機がある、アンテナの状態が悪い、何度訪問しても不在といったつまらない理由でもどんどんコストが膨らみ、最終的に2500億円かかるか3000億円かかるか不明)、混信対策の困難、チャンネルプランの行き詰まりなども、わかっている。

●しかし、やれといわれて拒否はできない。霧の中でこの方向といわれて走る不安やストレス。デジタル化投資を理由とする制作費や人件費削減。「うちは真っ先に潰れるといわれている」と自嘲《じちょう》気味に自己紹介する作り手に、本当によい番組がつくれるか。少なくとも社員にそんなセリフを言わせる経営者は、経営者として失格ではありませんか。

●いまの放送局のトップで、2011年に同じ役職に就いている人はいないはず。しかし2011年のテレビは、いま現場で悩み苦しむ若い局員たちがつくるのです。放送局の経営者にはそのことへの想像力と、ほんのちょっぴりの勇気とが必要だ――そう私は思います。(「GALAC」2003年03月号)