メディアとつきあうツール  更新:2003-07-03
すべてを疑え!! MAMO's Site(テレビ放送や地上デジタル・BSデジタル・CSデジタルなど)/サイトのタイトル
<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

GALAC+ism(坂本衛執筆のGALAC巻頭言)2001年分

≪このページの目次≫

※目次の数字は執筆年月。「GALAC」は毎月6日に「翌月号」を発行しますので、掲載月号の「2か月前の20日前後」が執筆時点です。

※このページはスキャナによる読み取りでテキスト化しており、誤植が残っているかもしれません。ご容赦を。

ブロードバンドと大騒ぎする前に
基本を押さえなければダメ。

●今年の春、小誌を発行する放送批評懇談会公式ホームページが立ち上がります。GALACの目次を掲載しているホームページは今もあるのですが、これは暫定版。今度開くページは、たとえばギャラクシー賞選奨委員によるとりあえずの番組寸評が放映翌日に載っているなど、制作者のみなさんが毎日のぞかずにはいられないものにすべく準備中です。

●ついでにいうと、私個人のホームページも準備中。それで最近「よいホームページとは?」と考えつつネットを徘徊することが多いのですが、ひどいなと思うページの氾濫に改めて驚かされます。内容にかかわらずダメなページの条件を、いくつか挙げてみます。

●ページ本文の文字の大きさを変えることができない/行間が詰まっていて読みにくい/表紙ページに写真や絵がいくつも使われており重い(表示に時間がかかる)/表紙ページが文字通り表紙だけでENTER(入り口)ボタンしかない/いきなり音楽が鳴る/ページを単独で表示したとき(Googleで検索してキャッシュを開いたとき)元のホームページにたどり着けない/あるページからワンタッチで目次・表紙に戻れない/以下29項目を略。

●以上のうち、ひとつでもあてはまることがあれば、「読んでもらいたいページ」としては失格のダメ・ホームページだと思います。本でいえば落丁乱丁はお取り替えしますの世界。例外は、読ませる必要がない(音や写真やデザインが伝わればよいとか、仲間以外の者に見られたくない)ページだけ。で、こういうダメページにブロードバンドがどうのこうのと書いてあると、非常にシラケます。社長さんは、人任せにせず要チェック!(「GALAC」2002年02月号)

中学生のホンネをのぞく。ここにもテレビの影響が。

●東京・市ヶ谷の防衛庁のすぐ北にある「牛込三中」という中学校のPTA通信に、生徒たちの「ちょっと一言」アンケートが載っていました。子どもたちが「ふだん思っていること」「父母に言いたい一言」を羅列していますが、これがおもしろい。全部はムリでも1年から3年まで順に紹介してみます。

●おこづかいあげて!せめて3000円(あんず)/つばさをください(S)/塾に行かせて。/平凡すぎるんだよ(チョップ)/キャッチボールしたくなくないような気分。/こづかいもっとあげて→!!!(どーもB・Sです)

●命のバトン受けつぎます。(D・Jアキラ)/いろいろがんばって下さい。/もっと働いて、お金持ちになって、お金下さい。/親父!パンツ一丁でうろつくな!!(ドニセッチ)/新しいポット買って!/もう少しお弁当をおいしくつくって下さい(K・T)/マージャンしてくれ。/ラーメンに入れるチャーシュウを、もっとうすく(カルピス人参)/イチイチ子供のすることに口を出すな!(ロボット三等兵)/ケータイ買ってくれ(S・R)/子供番組の内容を、科学的に解説するのはやめろ。/肉、肉、肉 食わせろぉ。

●毎週水曜日、カレーじゃなくてもいいよ。/ちゃんとした家族でいようね。/歌はいいね。/イマノクラシデジュウブンデス。/もう少し、自分のすきなことをやってほしい(R)/おだいじに(K)/金くれ、だまってろ。/あたまが悪くて、ごめんなさい。

●なかなかの感覚と感心します。こんなのばっかり上手でもな、とも思いますけど。ここでもテレビの影響が大きいとわかる。こういうのが客だからテレビは大変です。(「GALAC」2002年01月号)

あなた方は、誰のために、何をいおうとして、
そのニュースをつくるのか?

●テレビ報道が音を立てて崩れていくと、最近つくづく感じます。誰のため、何のためにあなた方はそのニュースを伝えるのか。その映像を得るために、あなた方はいったい何をしたのか。放送局やニュースの責任者に、そう問いかけたい気持ちにかられます。

●具体例を一つだけ挙げます。10月19日、池脇千鶴がかわいいNHKの朝ドラマを見、続く10分間のニュースを見ました。そして「なんだこりゃ」と私は唖然としました。この短いニュース、アフガン空爆に始まり、米原発へのテロ脅迫、炭疽菌続報、ケニア国連環境計画への炭疽菌郵便、テロがらみでWTO会議はどうなると、テロ関係報道一色。日本の話はラスト1分の智乃花引退だけなのです。

●夫を送り出した主婦も国際問題を見なきゃダメ、何の文句があると、作り手は思っているかもしれない。でもこれ、アフガン関係は「時事AFP通信によれば」「ロイターなどによれば」「アルジャジーラは」と、すべてNHK以外のメディア報道の垂れ流し。炭疽菌で出てきた米郵便局の映像も、直後にTBSに出た絵と酷似しており、たぶん外部の映像。9分間のテロ関係報道にマイクを持ったNHK記者が(アナを除き)一人も出てこない。こんなバカな話がありますか?

●しかも、雑多な情報の寄せ集めで、分析も解説も皆無。ドラマを見終わり洗濯でも始めるかと立ち上がるだろう主婦を、引き留めようという配慮も工夫も知恵も皆無。誰かさんの撮った「世界はテロで大変よ」映像で9分埋めようというモチーフ以外、作り手の意図がまったく伝わってこない。これはニュース報道の堕落以外の何物でもありません。(「GALAC」2001年12月号)

同時多発テロで露呈した、お粗末な速報体制。
テレビのレベルは中学生以下?

●「映画みたい」どころじゃない。「映画など足元にも及ばない、ものすごい映像」でした。家族4人で見ていたドラマに速報テロップが出たので他局を探したら、NHKが生中継を始め、以後2台のテレビを(1台の音声は片耳イヤホンで)朝まで見続けました。全世界に「テレビの力」を見せつけた歴史的な大事件ですが、日本のテレビのお粗末な緊急速報体制に、私はあきれ果てています。

●NHK(映像は米ABC)で2機目の突入の瞬間をナマで見た直後、テレ朝は「小型飛行機が」という字幕つきで報道。これを見た中2の息子は「バカじゃないの? ビルの大きさと比べて全然小さくない。形も旅客機じゃん」と断言。しばらくすると、NHKに低層の建物から煙が上がる映像が流れた。私が「こりゃペンタゴンだ。ヤバイ、戦争だ」と叫び、中1の娘が「テロだね。日本はどうなるの?」と心配そうに聞いた瞬間、「これは、どこの映像でしょうか?」とNHKニュースのアナ。もう、私はシビレました。

●そのうち私の母親から「見ているか」と電話が入ったので、「これは戦争」「全世界の米軍は臨戦態勢に入ったはず」「死者は万単位」「明日は暴落だ」などと話しました。そのとき、70すぎのお婆さんである母親は、「NHKのアメリカ総局長というのは、どういう人? ひどいもんだね」という。私も「画面で見る限り、アナでも記者でもないだろう」と苦笑せざるをえませんでした。

●その後、テレビはかなりの間、「戦争に直結する大事件を中継している」という自覚がないまま、「邦人が心配」などとズレまくっていました。中学生や70すぎの視聴者にすら「バカだ」「おかしい」とわかる報道って、恥ずかしいと思いませんか?(「GALAC」2001年11月号)

いまだに気分は世紀末?
「心霊もの」は、バカと知ってのうえでやれ

●世紀末の鬱屈とした気分が、新世紀に入っても続くのか。最近、テレビのとりわけ子どもむけ番組で、「オカルトもの」や「心霊もの」が目立ちます。たとえば@@@@の「USO」や@@@@の「アンビリバボー」。

●「USO」を娘と一緒に見たことがありますが、おどろおどろしい音や照明をかぶせ、投稿された「心霊写真」を公開。二重露光か見ようによっては顔のような形に見えないこともない写真に、ジャニーズのタレントや観客たちがキャーキャー騒ぎます。さらに霊能力者を自称する人物が、写っているのは昔この場所で交通事故にあった女の人の霊、などとデタラメな解説を加えます。

●子どもは「題名が『嘘』だし、心霊写真も嘘なのはわかってる。私はジャニーズの子たちを見たいだけ」という。まあメディア・リテラシーが機能しているなら、めくじらを立てる必要はないのかも。しかし、と思います。見ているとタレントたちの中には、どうやら霊や心霊写真の存在を当然のように信じている者がいるらしい。アイドルが「金縛りによく合う」というのは(事実でしょうから)いいとして、「霊感が強いから」「霊のせい」とバカをさらけ出すとうんざりします。

●極めつけは@@@@の青少年推奨番組「力の限りゴーゴゴー」で、「女の霊が見えてしまう」と悩み相談を寄せた女の子に、なんと自称霊能力者を差し向けていました。そのオバサンは、どぶ板の上の手相見なみの稚拙な回答を披露。これは青少年たちを惑わせる、実にためにならない番組でした。もちろんネプナゲのほうが、はるかに明るく健全な青少年むけコンテンツ。テレビは何が子どものためになるか、もっと考えてほしいものです。(「GALAC」2001年10月号)

無責任な大人たちによる未曾有の「子ども受難時代」。
凶悪化を心配する前に、子どもを救え!!

●一時、子どもが凶悪化したのはテレビその他メディアのせいという馬鹿げた議論が巻き起こり、小誌もこれを批判しました。第一に子どもは全体として凶悪化しておらず、第二に実際の凶悪事件はテレビその他メディアの存在が主たる原因ではないからです。

●いま、テレビ批判がやや静まっているように見えるのは、子ども凶悪化の元凶というテレビ批判の主眼が、子どもを守ることになくテレビに圧力をかけることにあったから。青少年対策が選挙の売り物のはずだった参院自民党は、テレビ批判を引っ込め、テレビが煽る小泉人気に乗る道を選んだ。メディア批判の道具に使われた子どもたちが哀れです。

●私は、いま日本に、無責任な大人たちによる未曾有の「子ども受難時代」が到来したと思います。無責任で自分勝手なのは、政治家だけではない。この2〜3年、子どもの虐待事件がとても目立ちます。虐待した凶悪な親はもちろん最低。しかし、無策なあまり自分の生徒や自分が所管する地区の子どもを救えなかった、教師、教師、PTA、教育委員会、民生児童委員、児童相談所、青少年委員会、保健所、警察、役所の福祉課、さらに文部科学省、厚生労働省その他があまりに無責任。そして、この問題では、テレビその他メディアも鈍感で無責任すぎると思います。

●子どもが凶悪化したと嘆き、的はずれなメディア批判にうつつを抜かす者は、この2〜3年、凶悪な子どもに殺された親や大人の数と、凶悪な親や大人に殺された子どもの数を勘定してみればいい。子どもは大人のように「やつらは凶悪化した」とはいわないし、いえません。子どもの声なき叫びを聞き、子どもを救うのは、大人の責務です。(「GALAC」2001年09月号)

大阪池田小の児童殺傷事件。
マスコミは、こんなところが鈍感すぎる。

●大阪教育大付属池田小で男が児童8人を刺し殺した事件に衝撃を受けました。姪が神戸の同じような学校に通っているので電話すると、迎えに行こうかと母親同士で連絡し合っているとのこと。当然テレビも報道特番だろうと思って、呆れました。夕方ニュースが始まるまで、NHKも含め定時ニュースでしか取り上げない鈍感さ。昼には今年の10大ニュースに入る重大事件と思いましたが。

●ひょっとしてテレビは、刑事責任を問えない精神病患者の犯行という見方が強く、大きく扱うことに逡巡したのでしょうか。そうだったとしても、取り上げ方を工夫するのがプロというもの。子どもが学校にいる時間あるいは下校時の母親たちの、事件に対する関心は、つまらない再放送ドラマよりケタ違いに強かったはず。「視聴者は今これを見たいはず」という感覚こそが「ニュース感覚」で、それが欠如した報道はダメ報道です。

●その後のマスコミの取り上げ方も、肝心なポイントが外れています。とくに馬鹿げていると思うのは校舎の建て替え構想。ペンキの塗り替えや改装ならわかるが、建て替えなんて無意味な税金のムダ遣いです。何事もなかったように、おもしろおかしい学校生活を一刻も早く再開したほうが、子どものケアのためにはよいに決まっています。

●男の乱入に対して教員たちがどのような動き方をしたのかも、知りたい点です。ある母親は「教師は椅子を振り上げて犯人を阻止しようとしたのか。子どもを残し教室から出て助けを求めたのではないか」といいます。本当にそうであれば、子どもたちには「自分の身は自分で守れ」と言い聞かせるしかない。うちでは翌日からその議論をしています。(「GALAC」2001年08月号)

ADSLで常時接続スタート
超便利だが、これって便利じゃすまないゾ!!

●3月に申し込んだADSLなる技術がようやく家までやってきて、パソコン常時接続が始まりました。まず便利なのは、日本を代表する2大百科事典(交えば40万円やそこらしそう)はじめ、あらゆるジャンルの辞書・事典・用語集・地図・年表・統計・資料集などリファレンス本がざっと数百冊(使えそうなものだけでも)机上にあるのと一緒ってこと。

●通信社サイトは昼間5分に一度くらいの割で速報を更新するので、ニュースはテレビ字幕よりも速い。新聞記事の検索も無料のところがある。神保哲生のビデオニュースでは、田中康夫の『脱・記者クラブ宣言』発表会見をえんえん1時間7分弱流す。タウンページに飲み屋の名前を入れれば、電話と地図が出る。まあ、実に大したものです。

●とりわけ感動的だったのは、小学館サイトの東京上空散歩。昭和20年焼け跡バージョンでは、米軍が撮った写真を空から見て子供の学校がポツンと焼け残っていたのを確認。最近バージョンで低空飛行すると、自宅が画面で1センチ四方くらいに見える。そこから多摩川や東京湾が見えるまで上昇し、高度2万メートルからギューンと降りていくと、また自宅上空120メートルに戻る。おおぉーって感じです、ホント。

●それにしても第一に思うのは、これで仕事なくすやつは絶対いるなってこと。うちではたぶん大事典も地図も、もう一生買わないと思います。ネット上にタダで転がっているものは、実に多い。第2に思うのは、まぁパソコンって面倒くさいよなってこと。ファイヤーウォールも自分の設定が正しいのか未だに不明。BSデジタルほどではないにせよ、そう簡単に普及する機械とは思えません。(「GALAC」2001年07月号)

しっかりせよ、テレビの政治報道。
放送法はあなた方の武器なのだ!!

●これをお読みのころは、自民党の新総裁、つまり新しい日本国首相が決定済みのはず。ただちに日本経済再生のメドが立つはずもなく、夏の参院選挙にむけて政治報道はますます重要になってきます。しかし、青少年環境対策、個人情報保護、人権救済機関のメディア包囲三点セットを思うと、テレビの政治報道が腰砕けになるのではという懸念を捨てきれない。突っ込み不足でPRまがいの総裁四候補報道を見ても、たいへん心配です。

●ここで改めて確認しておきます。放送法第一条に書かれている「不偏不党」は、放送局は自民党と民主党の中間に位置しなければならないという意味ではない。第一条は放送法の目的・精神を定めた条文で、放送の不偏不党を保障すべきは、立法者(国会)であり、法の運用者(政府)であり、享受者(国民)です。第一条に書いてあることは、放送局に固有の義務ではありません。

●放送局の義務は放送法第三条に書かれており、当然「政治的に公平であること」は遵守しなければならない。しかし、これも自民党を一つ批判したら、民主党も一つ批判しなくてはならないという意味では全然ない。ある党の金権腐敗が他の党より進んでいるとか、政治決定の公開性が他の党より劣っているという場合は、放送局はその党を他の党より強く批判しなければ、公平ではありません。

●もちろん第三条三項「報道は事実をまげない」ことも遵守すべきです。国民に当然知らせるべき事実を故意に報道しないことは、私はこの規定に違反すると思います。放送局が悪い政治を黙って見過ごすのは「罪」なのです。政治的な圧力に負けず、本当に視聴者のためになる政治報道を心から期待します。(「GALAC」2001年06月号)

それは謝罪の言葉か? あなたは責任を認めたのか?
記者はいちいち突っ込め。

●日本語は不思議な言葉です。待ち合わせに遅れて「おまたせしました」。考えてみればこの表現、「俺はお前を待たせた」と事実を述べているだけ。字面では謝罪の表明は皆無です。ただ、この言葉はふつう悪かったという気持ちを込めて発せられるから、相手も謝罪の言葉として受け取ります。

●感謝の「ありがとう」は、もとは「めったにないことだ」。謝罪の「申し訳ない」も、もとは「言い訳が存在しない」。つまり日本語は、もともと感情を直接的に出すようにはできていない。客観的な事実に託して、自分の感情をさりげなく出す言葉なのです。日本人の心性が、長い間かかってそんな言葉を生み出したわけでしょう。

●これは日本語の美点ですが、欠点でもあります。欠点は当然、謝罪が求められるときに強く出てしまう。「お待たせしました」式の言葉を連発する人間は、本当に謝罪する気持ちがあるのかどうかわからない。はっきり謝罪すると沽券にかかわるとか、責任問題が発生して困ると思っている人間も、こうした言葉を多用します。テレビで記者会見を見て、「こいつ何をグダグダいってんだ。ごめんなさいって一言いえばいいものを」と感じるシーンは、最近とみに目立ってきました。

●無意味に居座る日本国首相の発言や、不祥事を起こした企業・役所の首脳の発言は、すべてこの類い。「ホントに謝っているの? 悪さをした子どもがこういう言葉使いをしたらあんたは許すわけ?」といつも思います。報道記者のみなさん、会見場でこの手の言葉が出たら、「それはどういう意味か」「あなたは謝罪をしているのか」と、勇気を出して突っ込みを入れてください。(「GALAC」2001年05月号)

馬鹿がこんがらがっちゃった森喜朗。
批判してこそテレビは「中立公正」。

●日本国首相の森喜朗を、ずいぶん前に取材したことがあります。自民党の世代交代の話で、森は、海部俊樹(確か当時の首相)はトンデモない野球オンチなんだと立ち上がり、投球フォームをおもしろおかしく再現。おおいに笑わせ、私は、サービス精神旺盛なお人好しオジサンという好印象をもちました。

●だから「神の国」発言も、歴史を知らず馬鹿なこととを思ったものの、神社関係者を前に例のサービス精神かと真剣に怒る気にはなれませんでした。キリスト教関係の会合なら「欧米先進国はゴッドの国」とヨイショするはずで、思想的な意味が皆無だからです。

●しかし、原潜事故をめぐる発言を聞くと、この人物の愚劣愚鈍は危険水域に達したと思います。他国の軍艦による日本船の沈没は、詳細不明の第一報段階から「わが国の安全保障・外交に関わる問題」であり「危機管理の対象」に決まってる。小笠原沖で自衛隊の潜水艦がアメリカ船を沈めたら、米軍の空母がすぐ来るって話。それがわからない男が総理大臣っておいおい……、ほんとトホホです。

●いよいよ森喜朗の馬鹿がこんがらがってきちゃったと思うのはゴルフ会員権。確定申告の季節だから、みんな税務署に電話してみよう。「ウン千万円の自宅の名義はオレだが、所有者は親という念書がある。水道光熱費も自分で払っており税法上問題ない。固定資産税は払わん」と。誰がそんな阿呆な理屈を認めるか。森喜朗のケースは、明らかに贈与税の脱税で資産隠し。会員権を買った人物との関係次第では、贈収賄の疑いすら生じかねない。NHKも含めて「中立公正」を旨とするテレビは、この問題で首相を批判しなければ社会的「公正」さを欠くことになります。(「GALAC」2001年04月号)

デジタル化やIT化、
「目的」と「手段」を混同してません?

●ここ数年、原稿を書き人と議論して、いつも感じ批判することがあります。それは、世間には「目的」と「手段」を混同する人がとても多いということ。たとえばPTA。何年か自分でやって、PTA=手段と、子育て=目的を混同し、手段を目的に優先させる親が多いのに辟易しました。PTA会合への出席が大切なのではなく、それが子どもにどうプラスかだけが重要なはずですが、多くの親は出席こそが至上の目的と思っていました。

●GALACの守備範囲では、デジタル化やIT化。大切なのは放送をデジタル化して、人びとは何ができ、どんなプラスがあるか。重要なのは社内システムのIT化で、ムダがどれだけ減り、儲けがいくら増えるか。つまり、デジタルもITも目的ではなく、手段に過ぎない。若者はデジタル方式の携帯を手段に、友だちを増やすことが目的なのです。

●しかし、放送でいえば行政やメーカーや一部放送局は、デジタル化という手段を全国に普及させるのが目的で、その先の真の目的についてまったく考えていません。政府のIT振興策もすべて、手段と目的を混同しています。そこから生まれる政策や戦略は、すべて的はずれに決まっています。

●なぜこの混同が起こるか。一つには目的は手段よりわかりにくいから。ある地域の文化の向上よりも、美術館の建設のほうが目に見えてわかりやすい。もう一つは、システムが巨大化すればするほど、目的は一つでも手段の分業化・専門化が必要だから。官僚機構は実は手段にすぎないのに、部門部門でその存在自体が目的化します。しかも、官僚のリーダーであるべき政治家たちが混同する連中ばかりときては、この国は不幸です。(「GALAC」2001年03月号)