メディアとつきあうツール  更新:2003-07-03
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

GALAC+ism(坂本衛執筆のGALAC巻頭言)2000年分

≪このページの目次≫

※目次の数字は執筆年月。「GALAC」は毎月6日に「翌月号」を発行しますので、掲載月号の「2か月前の20日前後」が執筆時点です。

※このページはスキャナによる読み取りでテキスト化しており、誤植が残っているかもしれません。ご容赦を。

「馬っ鹿じゃないの」
青少年委員会の見解の茶番

●まさかと懸念していたが、案の定でした。NHKと民放が作る「放送と青少年に関する委員会」が、民放バラエティの二つのコーナーを、いじめやのぞきを助長するとして断罪する見解を発表。局側は前日に見解を入手して対応を検討のうえ、発表直後、ただちに当該コーナーを打ち切る旨を表明しました。

●政治や行政の圧力で作られた青少年委員会には、テレビが社会全体から追い詰められているとの強い危機感があり、身内である委員会が放送局寄りの見解を出せば、テレビは袋叩きに合うと考えたのでしょう。二つの番組の二つのコーナーは、まさに「テレビが青少年に及ぼす有害環境」の象徴として、見せしめの公開処刑にさせられたわけです。

●しかし、私はこれはまったくの茶番だと思います。見解は「あの番組ヒドイわ」というPTA的な俗悪番組観に、もっとも下劣下等で忌まわしいテレビの見方――表層的な映像から短絡的に連想される悪影響を書き連ねただけ。まったく同じ言い回しで、ニュース、ドラマ、アニメ、歌謡番組など、どんな番組にいちゃもんをつけることもできる。だからこそ、こんな見解は話にならないのです。

●ある小学6年生に今回の見解について話したら、「馬っ鹿じゃないの」の一言。その子のクラスには、いじめも保健室登校もあります。その子はどう解決すべきか必死に悩み、考え、担任に話したり親に相談したり、小さな頭と心を砕いています。PTAはまったく気づいてすらいないのに。「『しりとり侍』がいじめにつながると考える大人は馬鹿だ」というその子の言葉を、私は100%信じます。その言葉を信じる場所から出発しなければ、青少年問題は絶対に解決できません。(「GALAC」2001年02月号)

≪付記≫
私はこの学校の元PTA会長だったので、PTAは誰も気づいていないと知っていました。PTA会長はさまざまな相談を持ち込まれるので、学校もPTAも、もちろん警察も知らない、学外で起こった子どもへのセクハラ事件(告訴すれば逮捕者が出るケース)について、どう処置するか親たちと話し合ったりします。そんな子どもたちの「現場」からすれば、テレビの俗悪番組など、関わっているヒマもない、どうでもよい話。そうした問題に現《うつつ》を抜かすPTAは、本当に子どもが悩んでいる問題(当然テレビとはほとんど関係がない問題)を地道に解決しようとしたことなどないのだろうとしか思えません。PTAは全国的なピラミッド組織ですが、上部団体の仕事をするPTA会長は、自分の学校の問題は副会長にまかせっきりというような場合が多いのです。そういう人たちがテレビ局に申し入れをしたりするので、非現実的な建前論が横行することになります。

十一月政変モドキの政治報道で、
テレビと新聞の役割を再確認する。

●森喜朗に代わる次の日本国首相におそらくもっとも近かった政治家は、2000年11月20日までは加藤紘一でした。この人が、わずか10日で政治家としての生命を自ら絶つ過程を、テレビというメディアは「見事に」描き出しました。この「見事に」には、さまざまな感慨が込められます。

●次期首相候補の1人と目される政治家が、内閣不信任案に対する自分の派閥の票読みすらできない馬鹿さ加減。この程度の人物に、複雑な利害が錯綜する世界の国々の票読みができるとは到底思えない。また、「あんたが大将なんだから」のお涙頂戴シーンのアホらしさ。たかが20〜30人の政治家が選挙で落ちる落ちないというレベルの問題で、泣き、絶句する政治家たち。こいつら、戦争とか始まったらどうすんのと、本当に思います。

●この連中が何よりわかっていないと思うのは、どうせその程度なんだから、加藤紘一でも小沢一郎でも菅直人でも、首相なんて誰でもいいのです。変えてくれそうなやつならいいので、政策なんてどうでもよい。地方レベルでは東京、長野、栃木と、完全にその流れになっている。そのような選択をした国民を信じられずに、目先の選挙の当落を優先させる見通しの悪さ。テレビは、そんな政治家たちの絶望的なお粗末さを描き出しました。

●しかし、テレビをつけっぱなしにし新聞政治面を読んで、当たり前の話ですが、テレビの弱点もまた再確認できました。密室でのやり取りは新聞にしか載っておらず、個々のテレビシーンの意味を全体として把握する解説テキストとしても大変有用です。テレビと新聞が、系列を別にしてお互いを高め合う政治報道が、今ほど必要な時はありません。(「GALAC」2001年01月号)

敢えて予測、断言する。BSデジタルは
三年で百数十万台以下しか普及しない。

●昔ある大名が、飯を食べ残した息子にいったそうです。「残すなら、手をつける前に減らせ。目の前にある飯を食べて、わずか半時後の自分の腹具合がどうかすら、お前には予測がつかないのか。そんなことで、何十万の民を食わせていけると思うのか」と。

●12月から始まるBSデジタル放送の普及予測として、「3年で1000万普及」という馬鹿げた数字が一人歩きしています。初めて口にしたのは、氏家齊一郎民放連会長。もちろん最初は景気づけにいっただけでしょうし、どんな数字を口にしても個人の勝手。視聴者を獲得したいNHK以下BS各局や、受信機を売りたい企業が、景気のよい数字をキャッチフレーズにするのも当然です。

●でも、こうした予測を軽々に口にすべきではない職種もある。まず、放送の担当官庁である郵政省。ここは局やメーカー以上に全国民に対して大きな責任を負うから、国民が迷惑を被るような数字は出すべきでない。それに、マスコミの報道部門。できるだけ事実に近いことを伝える商売だから、予測数値は実現可能性をよく吟味し、場合によっては反対意見も併記して報じなければならない。

●ところが、BSデジタルに関しては、放送についての無理解、誰に対して責任を負うかに無自覚、当事者としての立場優先といった理由から、「3年で1000万」に代わるまともな予測数値を、誰も提示していません。このままでは国民に大変な迷惑がかかりますから、個人的見解ですが、私が予測数値を出します。BSデジタルは3年で、下手をすれば100万未満、うまくいっても200万前後、おそらく百数十万台以下しか普及しないでしょう。根拠は特集をお読みください。(「GALAC」2000年12月号)

シドニー直前、NHKが放映した
オリンピック映像を見て――

●シドニー・オリンピックの開幕直前、NHKはBS第2で、映画「東京オリンピック」(1965年、市川蓖監督)、ベルリン・オリンピックを描いた「民族の祭典」「美の祭典」(1938年、レニ・リーフェンシュタール監督)を立て続けに放映しました。

●映像としてのスポーツソフトの「見せ方」の原形は、すべてこの映画3本に凝縮されて入っていると思えます。そしてスポーツを描く一級品は、歴史や社会を描いても一級のドキュメンタリー。これは制作者の問題意識の高さや視点の確かさを示します。NHKは本当によいものを見せてくれたと思いました。

●ただ、疑問や注文があります。著作権料や契約の問題があるのかもしれませんが、せめて地上波のNHK教育で、もっと早い時間に放映してほしかった。何より子どもたちに見せたい映像だからです。また「民族の祭典」の字幕スーパー処理は、いかにもNHK的なことなかれ主義。映画のクライマックスはマラソンで、日の丸をつけたソンとナンが金銀を独占する。しかし、実況は「ヤーパンのソン」でも、字幕は国名なしの「ソン」だけ。占領下の朝鮮や中国は日本ではないといいたいらしいが、実に馬鹿げた発想です。

●占領下の朝鮮や満州は純然たる「日本国」の一部。その歴史は隠さずに正面から見詰めないと、過去の精算などしようがない。字幕は「日本のソン」として、放映前後に「当時は軍事的に占領し、強制的に日本国としていた」とでも注釈をつけるのが本当でしょう。買ってきた映画を流すだけでも、放送局の姿勢はつねに問われるのです。

●9月15日「東京オリンピック」のナレーションを務めた三国一朗さん逝去。合掌。(「GALAC」2000年11月号)

郵政省「子どものテレビ・テレビゲームへの
接触状況調査」の正しい読み方

●郵政省が「子どものテレビとテレビゲームの接触状況に関するアンケート調査」結果を公表。詳細は同省ホームページ(放送行政局長定例会見のページを探さないと出てこない実に不親切な設計!!)を見てもらうとして、結果を要約すると、次のようになります。

●(1)テレビを長時間見る子は、暴力の行使経験が多く暴力許容度が高い。視聴時間と暴力の背景にある価値観との関連性はなし。(2)暴力的番組を好む子は、暴力の行使経験が多く暴力許容度が高い。(3)親と一緒にテレビを見るか親の視聴指導を受けている子は、暴力の行使経験が少なく暴力許容度が低い。(4)ゲームを長時間やる子は、暴力の行使経験が多く暴力許容度が高い。

●これを読み、テレビやゲームを長時間やる子は暴力的→テレビやゲームはよくない→規制しろと誤解する非論理的な人(馬鹿)が少なくないと思うので一言。調査は「テレビやゲームへの長時間接触」と「暴力的傾向」の相関関係を指摘するだけで、因果関係については何一つ語っていません。たとえば「牛乳消費量が多い国は癌の発生率が高い」って話がある。これは事実ですが、牛乳を飲むと癌になるという因果関係を語ってはいません。ミルクをよく飲む社会は、豊かで寿命も長いから癌が多い――牛乳消費と癌を増やす第三の要因があると推測できるだけなのです。

●では「テレビやゲームへの長時間接触」と「暴力的傾向」の両方に影響を与える第三の要因とは何か。結論ははっきりしています。それは親であり家庭です。その問題こそが、テレビやゲームが登場するずっと以前から青少年の暴力的傾向の原因でした。学者たちはなぜその調査をしないのか。不思議です。(「GALAC」2000年09月号)

皇太后の病気をなぜマスコミは伝えない?
何が不敬で何が尊敬か、考えないのか?

●皇太后が亡くなりました。大往生ですが、その晩年を嘘で塗り固めたテレビ・新聞報道には、暗澹《あんたん》たる気持ちにさせられます。皇太后は「もの忘れが多くなられ」とか「散策などしてすごされ」とか「老人特有のご病気になられ」とか、まったくふざけています。

●皇太后は、ここ10年ほど「老年痴呆」(老人性痴呆、いわゆる老人ぼけ)でした。これは「高度の脳の萎縮《いしゅく》性変化が、老年になって生じたために発病する進行性の痴呆(知能の低下)で、[中略]日常生活では人格の荒廃が顕著《けんちょ》となり、まとまった行動ができなくなる」(主婦の友社「家庭医学百科」より)という病気。「もの忘れ」とは違うし、連れ出されても本人に「散策」の意識はなく、「老人」なら全員かかるわけでもありません。

●皇太后は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」(「日本国憲法」第1条)である天皇の、実の母親です。その特別な人の晩年の様子は、日本国民に対して正しく伝えられるべきです。ひょっとして全マスコミは、皇太后の病状を伝えるのは不敬だとか、右翼が怒鳴り込んできたら怖いなどと、本気で思い込んでいるのでしょうか。

●正しい病名を伝え、それによって国民が皇太后の身を心配し、その家族(皇室)を気遣うのは、不敬でなく尊敬です。病気は治せなくても、同じ病気に苦しむ人を減らそうと国が研究予算を増やせば、皇太后への見舞いになります。皇室への尊敬の念を強くする報道をしたマスコミを攻撃するほど、右翼はわからんちんではない。何もわからない病人に化粧し、着飾らせ、静養先の御用邸へという残酷シーンを、病気を伏せて公開する政府のほうが、よっぽど不敬だと私は思います。(「GALAC」2000年08月号)

日本は天皇中心の神の国だって!?
誰だっ、こんなヤツ首相にしたのは?

●「日本の国は、まさに天皇を中心にしている神の国であるぞ、ということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく。その思いでわれわれが活動して30年」――神道政治連盟国会議員懇談会での新首相・森喜朗の発言です。日本国民はまたしてもカスをつかまされた、という思いを禁じ得ません。発言から読み取れるのはこんなことです。

●第1に、新首相の歴史感覚はゼロです。この人物はまともに日本史を学んだことがないのでしょう。「日本=天皇中心の神国」という思想は、明治から先の敗戦までのごく短期間に日本政府が普及に努めた政治的宣伝《デマゴギー》。この島の政治中枢《ちゅうすう》がそのようにいえる体制だったことは、軽く10万年やそこら遡《さかのぼ》れる歴史の中でごく短い期間です。新首相の歴史認識では、小学校の社会科すら落第です。

●第2に、新首相の政治感覚はゼロです。国民の皆さんにしっかりと承知……などという時代錯誤の説教が通用すると信じて、かれこれ30年もやってきたとは。この人物は、政治も社会も経済も、何一つわかっていないようです。何回も当選を重ねる「政治屋感覚」と、日本国全体を導く「政治感覚」は、まったく別物なのです。

●第3に、新首相は首相の座の重みがわかっていません。先の発言は宗教団体の票目当てのリップサービスで、自民党幹事長や選対委員長なら許せる。しかし、首相は日本国の政治的なリーダーです。リーダーがこのような馬鹿げた考えを口にすると、日本国ならぴに日本国民が世界中から馬鹿にされるのです。そのマイナスは、宗教票を得る自民党のプラスより大きい。こんな首相に維がしたと、つくづく思います。(「GALAC」2000年07月号)

とても普通じゃない「日本」という国
マスコミにその自覚はあるか?

●日本は普通の国になれ――たとえば、自衛隊は普通の先進諸国と同じように国連軍や多国籍軍に参加すべし――という議論があります。一方、日本はなにしろ先の戦争で全世界を敵に回し最後まで戦った特殊な国。先進国中唯一、顔は黄色で髪は黒。文字は縦書き、国として連続する歴史は世界最古。そんな特殊な国の憲法が、世界に類を見ない特殊なものでも悪くはなかろうと、私は思います。

●最近ますます、この国は普通じゃないヘンな国と思わせる出来事が相次ぎます。先日、総理大臣が気分を悪くし、あろうことかライトバンで病院に運ばれました。出入り業者のライトバンか、ひょっとしてステーションワゴンのことかとも思いますが、黒塗りを使わなかったからには荷室に寝かせたのか? パトカーの先導は? そんなもんじゃ搬送中の治療は無理だが、それが後の総理の容体急変に与えた影響は皆無? 救急車を呼ばず、ライトバンで送り出した責任者は一体誰なの?

●その後の、官房長官や秘書官など官邸の対応も無茶苦茶で、先進国のリーダーの病気の話とは到底思えません。田舎の村長の入院すら、もっとマシでは。病床の前総理には気の毒ですが、こんな無能な連中を側近に選んだ小渕さんも小渕さん。日本国の代表たる総理大臣の器ではないというほかありません。

●ところが、マスコミ会見をテレビで見ていると、これまた普通でない。青木官房長官が「首相臨時代理を託された」というのを聞いて、絶対嘘だ、証人はいるのか、その話を真っ先に誰にしたか言ってみろ、と私は思いましたが、突っ込む記者は皆無でした。普通じゃない国の、普通じゃないマスコミ。自衛隊を出す前にやるべきことは山積してます。(「GALAC」2000年06月号)

エンデバーが科学研究目的だって?
毛利さんに、なぜ「違う」といわない?

●やや古い話で恐縮ですが、60メートルの腕を伸ばし地球の凸凹《でこぼこ》を調べたスペースシャトル「エンデバー」の一件。帰還後、日本人宇宙飛行士の毛利衛さんは「観測データを二十一世紀への贈り物にしたい」と述べ、データの軍事利用について「私としては科学研究目的の任務と考えており、議論はあるだろうが気にしていない」と語りました。

●救いようのない、ひどい発言であると私は思います。地表の凹凸《おうとつ》を詳細に観測した今回の任務は、第一義的に軍事目的。米軍の巡航ミサイルその他を正確に目標に当てるためのデータ収集です。データを入力したミサイルは、自力で航路を修正しつつ超低空で飛ぶ。観測データは最高度の軍事機密で、自衛隊どころかNATO軍にすら知らされない。

●それが、どう曲解すれば「二十一世紀への贈り物」や「科学研究目的」になるのか。今回の極秘データが地震や気象研究に役立つといってる学者が、1人でもいますか。近い将来、リビア大統領隠れ家だの北朝鮮原発だのにミサイルが大当たりして初めて、あのデータが役立ったと推測できるだけでしょう。

●しかし、そのミサイルで民間人が死ねば、データ収集に尽力した宇宙飛行士にも責任が生じる。そうとは知らずマンハッタン計画に参加した多くの科学者が、原爆開発に責任を感じたように。毛利さんは、その時なお「気にしてない」というつもりか。空を見上げた故郷の子どもたちに、どう説明するのか。

●私は、新聞やテレビの1人くらいはそんな質問をするだろうと思っていたのですが、皆無でした。おめでたい席だから触れないでおくって自主規制? 大本営発表を嬉嬉として報じた戦前のマスコミと、どう違うの? (「GALAC」2000年05月号)

警察は嘘をつく機関である
警察発表は「発表」としてだけ報じよ

●個人的にはずっと前からそう思っていましたが、「警察は嘘をつく機関である」というのは、もはやこの国の”常識”と考えてよいようです。第一線の警官や刑事たちはほとんどが懸命に働いていると信じたいが、組織の上のほうは、かなりの割合で腐っている。

●新潟の9年間に及ぶ女性監禁事件で、第一発見者は警官でなく保健所職員、保護した場所は病院でなく自宅だった。嘘をついた理由が保健所職員に迷惑をかけないため、というから呆れる。監禁男の母親は何年か前に警察に出向いて相談しているが、それはだんまり。京都府警は、捜査員が小学生殺人犯をビルの屋上で見ているのに、飛び降り自殺後の遺体を発見と嘘をつく。神奈川県警は、この欄に書ききれないほどの嘘をつく。

●神奈川、京都、新潟で起こったことは、日本全国で起こりうる。テレビ報道部門の皆さんは、こと警察発表に関しては今まで以上に疑ってかかる必要がある。警察発表は警察発表としてだけ報じ、嘘が露呈した場合のテレビの逃げ道を確保しておくことも忘れずに。

訂正とお詫び 前号「郵政省天下り特集」に、多くの皆様からさまざまな情報や激励をいただきました。誠にありがとうございました。二つ訂正があります。(1)リスト中、長谷川寿氏はもともとテレビ局志望で、いわゆる天下りとして放送局(テレビ新広島)入りしたわけではありませんでした。*印をつけるべきところ、私どもの取材力不足から漏れてしまいました。訂正してお詫び申し上げます。(2)15ページの記事中段4〜5行め「事務次官」とあるのは「事務次官、放送行政局長」の誤りでした。訂正してお詫び申し上げます。なお、リストのほうは合っています。(「GALAC」2000年04月号)

≪付記≫
「GALAC」2000年03月号は、郵政省から放送局への天下りを、放送専門誌として本邦初の大特集。270人に上る天下り役人のリスト(実名、郵政省での主な役職、放送局に移って以降の履歴入り)を掲載しました。上記の訂正とお詫びは、この特集に関するものです。

なお、この号は日本の放送制度や放送行政を語るうえでの必須文献の1つで、放送を扱う記者は必ず目を通しておくべきだと思いますが、すでに在庫切れです。実名リストはインターネットにはなじまないと判断し、このホームページには掲載しません。必要な方は図書館などで入手してください。なお、この特集の巻頭論文はこのホームページで読むことができます。

21世紀に郵政天下りなど通用しない!!

1月のある暗い早朝
この原稿を書いていると……

●1月下旬のある暗い早朝、自宅でこの原稿を書いていると、どこかで非常ベルらしき音が鳴り始めました。気にはなったものの、やや遠くの音だし、騒ぐ声も聞こえない。数分間鳴り続けたが、大方、報知器の故障だろうと思いました。しかし、しばらくすると何台もの消防車が近づいてくるサイレン音。外に出て空を見るが煙は見えない。直後、2台が隣家を隔てた通りに止まった。

●「いやだ、隣?」と家人は慌てる。「みんな、逃げる用意」と言い残し4階から下りると、消防隊が自宅前の小道でホースを転がしている。30メートルほど延ばしたが火元が見つからない。「さっきの報知器?」と聞いても「いや、わからない」。ちょうど煙草が切れたところだったので、そのまま歩いて1分の自販機へ。帰りに違う道を通ると、交差点角のマンションから黒い煙が。下には消防車3台と救急車もいる。延焼の恐れなしと判断して自宅へ。

●ところが、うちのそばに止まった消防車2台のほうでは、隊員が地図を広げて大慌て。「火事はあっちだよ」と指さして教えたが、「どこ? どこ?」「だから、そこに見えてる交差点の角だって。3階が燃えてるよ」。ようやく消防車2台は移動していきました。

●さて、この話の教訓の第1は、現場すぐ近くにいる専門家も知らないことがある。第2は、消防車には無線がついているはずだが、消火活動に入った隊員は場所を教える余裕がなく火元捜索中の隊員も聞く暇がない、つまりメディアは装備するだけでは無意味で使う意思と暇が必要だ。第3は、ネタに詰まるとき、それはむこうからやってくる。メディア関係のみなさん、くれぐれも火の用心を。(「GALAC」2000年03月号)