メディアとつきあうツール  更新:2003-07-03
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

BSデジタル放送
(タイトル確認中)

≪リード≫
ここにリードが入る

(「聖教新聞」 文化欄 2001年01月??日号)

 2000年12月1日から、BSデジタル放送が始まった。

 デジタルは「断続的」な変化量を意味する言葉だ。これに対してアナログは「連続的」な変化量を指す。時計の例を考えればわかりやすい。デジタル時計の表示は「10:10」から「10:11」へと断続的に変わる。アナログ時計は短針と長針が連続的に動く。

 デジタル放送は、音と映像の信号を「0」か「1」かの断続的なデジタル信号にして送る放送である。これまでのBS放送や地上放送は連続的なアナログ信号で送られている。

 ところで、放送をデジタル方式にすると、大きく2つのメリットがある。

 第1に、デジタルは帯域圧縮という技術を使いやすい。たとえばアナウンサーがしゃべる画面では、顔や口は動いても後ろの壁は動かないから、背景を表す信号を大幅に間引くことができる。すると信号の全体量がコンパクトになる。アナログ放送で1チャンネル送っていた電波の幅を使って、デジタル放送ならば3チャンネル分を送ることができるのである。つまりデジタル方式で多チャンネル放送が可能になる。

 第2に、信号がデジタルならば、映像、音声、コンピュータであつかうデータなど、何を送ってもいい。すると、ある電波の幅を使って、高画質テレビを1チャンネル、または標準画質テレビを3チャンネル、または標準画質テレビ1チャンネルに残りはラジオとデータ放送など、多様な放送が可能になる。

 この第1のメリットを生かしたのが、96年にスタートしたCSデジタル放送(CSは通信衛星)で、現在200チャンネル以上を放送中。第2のメリットのうち高画質とデータ放送に力点を置くのが、今回スタートしたBSデジタル放送(BSは放送衛星)だ。

 なお、デジタル放送は双方向といわれているが、双方向かどうかはアナログ・デジタルとは基本的に関係ない。昔の黒電話はアナログ方式だが、立派な双方向メディア。デジタル放送は受信機と電話線をつなぐので、結果として双方向サービスができる。

 さて、BSデジタル放送については、放送局や家電メーカーなど”主催者側”から「3年で1000万台普及」という威勢のよい掛け声が上がっている。しかし、冷静に考えれば、これは到底実現不可能な数字である。

 第1に、価格が高すぎる。BSデジタルの最大の目玉である高画質を楽しむためには、約10万円のチューナーと40万円前後のテレビが必要。これは小型自動車1台分の価格で、普通の庶民が手を出すとは思えない。ほぼ同じ価格だったアナログ方式のハイビジョンは過去に100万台しか売れなかった。

 第2に、放送の中身が貧弱すぎる。地上放送の受信料で運営されるNHKは、BSデジタルむけだけに番組を作ることはできない。NHKのBSデジタル放送は、高画質ワイドでデータ放送つきという以外は、地上放送で見ることができる番組と同じなのである。

 また、民放はスポンサーの広告費で運営されるが、こちらは見る人が少なければ収入は少ない。視聴者ゼロから始まったBSデジタルの制作費は地上放送の10分の1が相場。ギャラの高いタレントは使えないし、コストのかかる海外ロケもできない。民放系のBS新会社はどこも正社員50人程度の規模で、社内の番組制作能力は皆無に近い。

 第3に、BSデジタルは拙速にすぎ、とても中途半端なメディアだ。話題のデータ放送も容量が少ないため、札幌の天気を知るのに郵便番号をリモコンから入力しなければならなかったりして、実用には耐えない。また、2002年にも新しいCSデジタル放送が始まり、CS・BSデジタル共通受信機の登場が予想されている。だったら、いまはまだ買わないほうがいいと思うのは当たり前。

 その先、2003年からは地上放送のデジタル化が計画されているが、その詳細は未定だから、現在売られているデジタルテレビで対応できるかどうかもよくわからない。

 このように考えてくると、BSデジタル放送にあまり明るい展望は開けない。当面は、数十万円のテレビセットをポンと買える余裕のある人びとのための特別な放送と割り切ったほうがよさそうだ。

 デジタル放送の未来はバラ色でよいことづくめと考える人びとに、決定的に欠けているのは、放送と呼ばれるソフトウエアでいったい何をするのか、視聴者は放送に何を望み、どのくらい時間とカネを割くのかという「ソフトウエア」の視点である。

 いま聞かれるのは、高画質でラジオもデータも送れるといった「ハードウエア」の話だけ。これでは、何十億円もかけて美術館を建てて中身は空っぽという「箱モノ行政」と同じだ。行政も放送局もメーカーも、もっと視聴者国民の声を広く集め、デジタル時代の放送をデザインし直す必要がある。