メディアとつきあうツール  更新:2003-07-03
すべてを疑え!! MAMO's Site(テレビ放送や地上デジタル・BSデジタル・CSデジタルなど)/サイトのタイトル
<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

ハイビジョン
見直し発言のドタバタ
郵政省お得意の
ビジョンなき政策

≪リード≫
「11月25日はハイビジョンの日」など、
「国策」として煽りにアオったハイビジョン。
ところが現職の郵政省放送行政局長が、
それにいきなり「時代遅れ」のレッテル貼り。
これまでの政策、いったい誰のカネでつくったんだ? 
その馬鹿バカしさ、無責任さに、呆れはてる。

(「放送批評」1994年06月号)

MUSEハイビジョン見直し!?
江川発言に業界は大ショック

 1994年2月22日早朝、日本経済新聞を広げた放送・家電業界の関係者は、一面トップ記事を見て息を呑んだ。

 そこには、「NHK方式のハイビジョン/推進政策見直し/デジタル化進展で郵政省検討」「試験放送中止も」という衝撃的な見出しが掲げられていたからだ。

 記事は、郵政省の江川晃正・放送行政局長が18日に開かれた新生党の社会資本部会に出席し、
 「(欧米など)世界の流れはデジタル方式になっており(NHK方式を含む)アナログ方式は駄目になってきている。これまで(NHK方式の)旗を降ってきた経緯はあるが国際的な状況を見極めて覚悟を決めて検討したい」
 と語ったことを伝えていた。

 江川は「これまでいったん始めた放送をとめた例はない。しかし、場合によってはNHK方式を見直す可能性も含めて検討していきたい」とまで発言。日経は、「NHK方式による試験放送をやめる可能性も示唆した」と書いている。

 「デジタル方式かアナログ方式か」の議論そのものには、格別の新しさはない。たとえば小誌も92年11月号で「何処へゆくのかハイビジョン/MUSEは世界の孤児になる!?」(青木貞伸)というレポートを掲載しているが、それに書かれた以上の中身が江川発言にあったわけではない。

 しかし、なにが新しいといって、これまで「デジタルかアナログか」という議論が存在することすら頑《かたくな》に無視し、強引にMUSEハイビジョンの推進を図ってきたのは、ほかならぬ郵政省なのである。

 NHKから実験放送の免許を取り上げて自らの息のかかったハイビジョン推進協会に移し、カネだけはNHK、民放、メーカーに負担させ試験放送を続けたのも郵政。ハイビジョンの走査線数から11月25日を「ハイビジョンの日」などとひとり決めし、つまらぬイベントに血道をあげてきたのも郵政。ハイビジョンシティなる構想を打ち上げ、通産省への対抗意識をむき出しにして、普及に邁進したのも郵政省だ。(ちなみに、通産省の決めた「ハイビジョンの日」はハイビジョン画面の縦横比から9月16日。なんなんだ、この連中は?)

 その郵政省が、問題の存在を認めるどころか、従来の政策を全面的に見直しかという記事が出たのだから、関係者にとってはまさに寝耳に水だった。

 まず慌《あわ》てたのが、MUSEハイビジョンを開発し、郵政と二人三脚で普及を推進してきたNHK。幹部の当惑と怒りの声はこうだ。
 「まったく信じられない。どうにも真意がわからない。一局長の暴走ではないか」
 「郵政の方針が江川発言通りなら、これは裏切り、極めて悪質な背信《はいしん》行為。NHKだけではない。国民、民放、メーカーすべてをだましていたことになる」

 NHKは、夜7時のニュースで江川発言を報じ、同時にNHKとしての立場を鮮明に打ち出した。森川技師長の会見要旨によれば、NHKの見解は次のようである。

 「今回の江川発言は、ハイビジョン普及の流れを止め、関係者のこれまでの努力を無にし、視聴者の期待に背くもの。NHKは、BS−3後継機段階の高精細度TV放送はMUSE方式とすることが適当という電監審答申を尊重し、これまで通り現行ハイビジョンの普及に努める」

 平成大不況でハイビジョン以外に売るものがない家電業界も強く反発した。当日午後には、日本電子機械工業会(EIAJ)の関本忠弘会長(NEC社長)名で抗議文を公表。この文書、当日昼過ぎには予定稿としてマスコミ各社にばらまかれていたが、午後も遅くなって回ってきた決定稿をみると「発言の撤回を求める」という異例の文言が付け加えられていた。

 関本会長はNHKニュースでも、
 「まったくおどろいた。業界は数千億円を投じて技術を積み上げてきた。何かの間違いではないか。江川発言の撤回を求める」
 とコメントしている。

 そのほか各方面から、
 「試験放送は中止にはならず、二〇〇七年までは現行方式が続く。受像機を買った人の保護が大切だから。郵政省には継続対策を要望する」(ハイ推協=ハイビジョン推進協議会)
 「普及に水を差し、無用な混乱を招くだけ。まったく理解できない」(通産省首脳)
 といったMUSE擁護論、郵政批判論が噴出した。

 NHKの現行方式を貫徹する決意といい業界の発言撤回要請といい、郵政の顔色をうかがうだけの従来の姿勢から打って変わった強い調子の反発で、「お上」のやりたい放題をことごとく許してきた放送界・産業界にとっては極めて異例の対応といえる。

 江川発言のもたらした衝撃は、それほどまでに大きかったのである。

江川発言は撤回というお粗末
真意はどこにあったのか?

 江川放送行政局長は、22日午前の記者会見ではまだ鼻息が荒かった。

「世界の潮流はデジタルといわずに、これまで通りハイビジョンを推進しては、国民に対して詐欺になる」
 など、中央官庁の局長のセリフとは思えない過激な発言――結果的に、これまで郵政省が国民に対し詐欺を働いていたと認めることになる――まで口にしたほどである。

 ところが、この思い切りいい発言も、各方面の反発が出そろった二十二日の夜には一気にトーンダウン。翌23日の江川の記者会見では、
 「ハイビジョン放送の進め方やあり方は、関係者の声も十分聞きながら、夏までに一定の結論を出す。現行の試験放送や、BS−4段階での本放送は、これまで通りMUSE方式によって実施する」
 と、デジタル化も含めて夏までにちょっと考えてみますという程度のニュアンスに後退した。

 郵政省のハイビジョン政策もこれまで通りだから、事実上、前言を180度翻したといってよい(その後、郵政省では次世代のHDTVについて、デジタル方式導入と現行方式の普及策をまとめる懇談会をつくり、1年かけて検討することになった。これとは別に放送行政局に「デジタル技術開発室」も設置された)。

 一連の発言についても江川は、
 「説明の仕方が悪く、誤解を招いた。だが、自分としては一貫して同じスタンスでものを言っているつもりだが……」
 など、苦しい弁明に終始している。

 さらに、「われわれを殺す気か」と怒りまくったと伝えられるEIAJ会長の関本忠弘のもとに慌てて釈明に走り、NHK川口幹夫会長のところへも挨拶回りをするというお粗末な展開となった。

 実は江川は、郵政省では「おしゃべり三人衆」のひとりなどと陰口を叩かれたことがある。よくいえば、歯に衣《きぬ》を着せぬ大胆な発言をする勇気ある官僚だが、悪くいえば、根回しなしに勝手なことをいう独断専行型の官僚という評がもっぱらだ。

 4月11日の会見で江川は、昨年7月の総選挙のテレビ開票速報で当確の打ち間違いが続出した事件で郵政省として局に注意処分をおこなうとのべ、次官に注意される大失態を演じた。たしかにおしゃべりな男である。

 ハイビジョン見直しも、蚊帳《かや》の外に置かれまったく機能していないお客さん(神崎郵政相)に話が通じていなかったのはもちろんだが、五十嵐官房長が記事をみて驚き、不快感を露《あらわ》にしたといわれている。郵政省部内の意思統一はまったくなされておらず、「またひとり相撲だよ」と吐き棄てる官僚もいる。

 では、江川はなぜあえてこの時期、アナログ方式のMUSEを見直すという発言を行ったのか。実はこの点が、どうもよくわからない。それらしいと思われる説明を、いくつかあげてみよう。

 第一は、要するにおしゃべりが過ぎただけだが、背景には政権交替による族議員(大臣を含む)の弱体化――その裏返しで官僚のやりたい放題がまかり通っている状況があるという説。新参者たちに今後の方向性を教えてくれようと一席ぶったのが、業界には通用しなかったという話だ。

 第二は、江川は「HDTVはデジタル方式で」が持論で、6月の人事で勇退する前にその道筋をつけておきたかったという、これは「確信犯」説である。

 第三は、背後に小沢の陰ありとする説。江川はかつて郵政内部にあった小沢一郎を囲む勉強会「一の会」の有力メンバーだった。そこで江川は、細川政権の陰の支配者である小沢一郎の意を受け、日米経済摩擦を収める一つの手段としてアメリカに「日本はHDTVで市場を開く」というサインを送ったというのだ。

 おそらく、この三つの理由のどれもが、少しずつ真実なのだろう。

 いずれにせよ、放送を所管する当局の実質的な責任者の発言にしては、あまりに唐突で無責任すぎたことは確かである。しかも、あたふたと撤回して終わってしまったため、議論が「ハイビジョン騒動」以上には深まらなかった。

 この点で江川発言は、当の江川が「電波を止めることもありうる」などと口走った昨年の「椿発言」によく似ている。江川発言も椿発言も、本人は信念からいっているはずなのに、周囲の反発が大きすぎ、弁解して結局なかったことにされてしまった。両方とも茶番劇の記憶だけが残り、議論はまったく前進しなかったのである。

 ただ「おかしい。撤回せよ」と批判するだけでなく、江川発言をいい問題提起ととらえて、ハイビジョンをめぐる議論をいっそう深めることが必要だと思う。

将来のオールデジタル化は確実
問題は「つなぎ」の期間だ

 ここまで、なんの断りもなく「アナログ、デジタル」と書いてきたが、ここで議論を整理しておこう。

 まず、問題になっているのは、テレビ電波の伝送方式である。

 NHKが開発したMUSE方式は、BS−3やBS−4を利用して高精細度テレビ(HDTV)を送るためのもので、伝送経路の部分(電波)が独自のアナログ方式ということだ。放送局の送り出しまでや、家庭の受像機で電波を受信した後の処理は、デジタル方式になる。

 そして、デジタルが世界の潮流といわれているのは、伝送路までを含めたオール・デジタルがアメリカやヨーロッパの次世代HDTVテレビの伝送方式になることが確実だからである。

 米連邦通信委員会(FCC)による統一規格の決定は、実用試験を経て95年中に下される予定だが、現在段階的に決まりつつある規格はすべてオールデジタルの方向をむいている。アメリカでは早ければ97年にも、オールデジタルのHDTVが登場し、2008年には現行NTSC方式が廃止される可能性がある。アメリカは、これを地上放送でやろうとしている。

 デジタル方式の優れている点としては、情報の伝達に誤りが少ない、情報圧縮技術が利用しやすい、コンピュータや通信機器などとの相性がよく、マルチメディア時代には有利などがあげられる。ただし、ハイビジョン受像機がコンピュータとつげないなどということはない。いまのテレビに3DO(CD−ROMは立派なデジタルメディア)をつなぐように、つなぐことはできる。

 これに対して、MUSE方式が優れている点は、MUSEハイビジョンが現時点で実用段階に達している唯一のHDTV方式であることに尽きるだろう。実用化段階のデジタルHDTV放送はまだどこにも存在しないし、アメリカのそれもスケジュール通りに実現するかどうかは、その時になってみないとわからない。

 それ以外の点で、たとえばMUSEのほうが画質がよいなどという宣伝は、眉に唾して聞いたほうがよい。デジタル圧縮技術は急速に進歩しており、しかもMUSEは、価格を安くするため受像機側で画質をかなり犠牲にしている。送り出し映像は美しいが、家庭で見る絵はそれほどでもない。

 そして、将来の衛星では現在よりも高い周波数帯域が使われる可能性が高いこと、遅かれ早かれ光ファイバーで家庭に放送を送る時代が予想されることから、将来の日本のHDTVがオールデジタル方式になることは確実である。現行のMUSEハイビジョンが、そのときまでの「つなぎ」のメディアであることは間違いない。

 問題は、つなぎの期間がどのくらいかだ。つなぎが1年しかなければ、こんなものは一刻も早くやめたほうがいい。家電メーカーがつぶれようが赤字になろうが、知った話ではない。そんなものに投資した経営者が悪いのだ。5年でもやめるがいい。現実には、少なくとも2007年までMUSEハイビジョンは見られると郵政省が「約束」したわけだ。だから、つなぎの期間は最低でも12〜13年あることになる。

 これならば、MUSEを続ける意味はあるというのが筆者の見解だ。ただし、それには前提となる条件が必要である。

消費者不在、ソフト不在、
ビジョン不在では失敗する

本文 MUSEハイビジョンは、あくまで「つなぎ」なのだから、その普及を進めるにはいくつかの条件を整備しなくてはならない。

 条件の第一は、現行ハイビジョン受像機を買った、あるいはこれから買う視聴者の対策である。

 MUSEがデジタル方式に転換されても、受像機にポケットに入るくらいの「デジアナ・コンバータ」をつければまったく問題はないなどといわれている。だが、江川発言の後なのだ。信用しろというほうが無理である。なにしろ受像機が数十万円である。まともな人間なら、よほど役に立つと確信しなければ手を出すはずがない。

 だから、コンバータの件は、アメリカでHDTVの電波が出たとき、それをコンバータで受けてハイビジョンにつなぎ、「ほらこの通り映ってますよ」というほかはないのではないか。その種のサービスなしに政策誘導しても、「つなぎ」が普及するとはとても思えない。

 メディアを選択する主人公はあくまで消費者であって、郵政でもNHKでも家電メーカーでもない。消費者不在のメディア政策は必ず失敗に終わるだろう。

 条件の第二は、これまでの衛星政策やハイビジョン政策に見られた「ハード優先」指向を改めなければならないということだ。

 ハイビジョンの受像機が60万円というのは、ついこの間の200万円からみると相当安い。それでも2万台しか出荷できないということは、バブル崩壊の影響だけではない。ソフト(番組)がお話にならないほど貧弱だからだ。

 夏に郵政省を取材したとき、1階のハイビジョン前の黒山の人だかりを、担当者が自慢気に話していたのを思い出す。あれは、ハイビジョンに人がたかっていたのではない。高校野球にたかっていただけなのだ。

 つまらないソフトをハイビジョンで見るより、おもしろいソフトを旧型テレビでみるほうがおもしろいに決まっている。ソフト不在のメディア政策も必ず失敗に終わるだろう。

 第三の条件は、「つなぎ」も含めて、ハイビジョンの次までを見通したメディアのビジョンが必要ではないかということだ。

 マルチメディアだの、パソコンと電話とテレビが合体するだのというが、筆者にはにわかに信じ難い。合体してもいいが、合体した端末が一家に3台やそこら必要ではないのか。20xx年には光ファイバーが張りめぐらされるともいうが、xxが10や20ではこれまた信じ難い。一体だれがカネを出すのか。

 つまり、将来についてはムード的な話ばかりで、リアリティがほとんど感じられないのだ。これは、将来が予測不可能だからではない。さまざまなメディアの可能性を突き詰めたうえで、メディアの統一的なビジョンを立てるという作業がなされていないからではないか。

 ビジョンなきメディア政策は、郵政の専売特許だが、その失敗もまた火をみるより明らかである。