メディアとつきあうツール  更新:2003-07-03
すべてを疑え!! MAMO's Site(テレビ放送や地上デジタル・BSデジタル・CSデジタルなど)/サイトのタイトル
<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

どう育てる?
揺籃期CS文化(CSデジタル放送)

≪リード≫
NHKと民放によって形作られてきた日本の放送文化。
地上波の論理だけでは取りこぼすものも多い。
CSが地上波とは違う新しい価値や豊かな体験を与えてくれるとすれば、それがまさに「CS文化」だ。
CSはどこまでも専門性に徹し、細くて深い井戸を掘り続けてほしい。
CSの文化的意味を徹底考察する。
※揺籃《ようらん》とは「ゆりかご」のこと。

(「GALAC」1998年12月号 特集「CS 3年目の決算」)

「CS文化」は
成立しているか?

 1996年10月にパーフェクTVで本放送が始まったCSデジタル。ディレクTVの参入、JスカイBとパーフェクTVの合併をへて、98年10月現在263(ラジオを細かく数えて370弱)チャンネル(以下ch)が放送されている。

 放送開始からまる2年、チャンネルの整理や淘汰も本格化してきた。ちょっと立ち止まり、CSとはなんなのかを振り返ってみる頃合である。通信衛星を使い0101のデジタル信号で圧縮伝送してとか、委託と受託がどうとか、技術や制度の話は、もういらない。役所やメーカーや金融系シンクタンクなどがバラまく“デジタル幻想”に踊らされる時期は終わった。

 肝心なのは、地上波やBSが圧倒的に普及し、文字放送などニューメディアも先行し、さらにパソコンが映像情報を取り込みはじめ、インターネットもブームとなる状況のなか、CSが他のいずれとも異なるメディアとして自立し、存在意義をもつかどうかだ。

 CSを通じて、制作者が番組をつくり視聴者が見るというシステムが、私たちの生活や行動様式に、CSならではの新しい意味や豊かな体験を与えるとすれば、それは「CS文化」と呼んでいい。地上波文化全盛期のいま、はたしてCS文化は、萌芽《ほうが》期や揺籃《ようらん》期というべき段階にあるだろうか。

視聴料は月額3000円
コスト限界がCSの前提

 ところで、CS文化を検討する前に、CSシステムのあり方を決定づける経済的な要因に触れなければならない。早い話、CS文化の中身はカネが規定してしまうといえる。

 視聴者が有料放送のCSに振り向けることのできるカネには限界がある。NHKと受信契約をむすび、新聞も1〜2紙取り、これはと思う雑誌や本も買う一般的な家庭が、CSに月1万や2万を投じるとは到底考えられない。ボーナスから払う初期コスト何万円かは無視するとして、ランニングコストの上限は月3000円がいいところだろう。

 すると、加入者100万人(ほぼ現状の数とみていい)で月30億円。100chあるとして1chあたり月3000万円。これは地上民放キー局のドラマ1本分だ。このカネでCSトランスポンダを借り、人件費や家賃や水道光熱費を払い、広告宣伝もして、なおソフトを作るか買うかしなければならない。CMを入れようにも、100万人しか客がつかない県域テレビレベルの市場を考えれば、タカが知れている。加入者が倍の200万人になっても、1チャンネルあたりの月収は6000万円にしかならない。

 一方、制作側から大雑把に試算すれば、伝送費1億3000〜1億4000万円、その他人件費込みの技術まわり5000万円、ソフト制作費3億6500万円(1日100万円)、一般管理費その他を加え、計6〜7億円のコストでCS1チャンネルが運営できるという。

 つまり、加入者が毎月3000円払うとして、100ch規模のCSは加入者200万人を集めないと採算が取れない。200ch規模なら400万人が必要だ。それでも、ソフトに割くことのできるカネは1日100万円程度である。

 実際、CS立ち上がりの時期は「1時間50万円」がソフト制作費の目安だった。ところがいまCSの現場では「1時間20万円以下」で作れ、という話になっている。4回リピートをかければ、6時間分作ればよいから、日に120万円。だいたい計算は合っている。こうしたカネの側面からの要因が、CS文化の大枠を規定してしまう。

 経済的な限界とともに、前提として考えなければならないのは、技術的な限界だ。現在のCSデジタル放送は、台風や集中豪雨にとても弱い。パラボラアンテナに雪が積もっても映らない。また、阪神大震災のような強い地震のあと、アンテナが衛星を確実に捕捉し続けることも期待できそうにない。

 つまり、災害時に放送を見て避難するというような役割をCSに求めることは、ハナからできない。CSは、遊び、趣味、教養といった、人の生き死にとは関係のないジャンルにむいたプラスアルファのメディアなのだ。

視聴層を絞って専門化
それがCSの生きる道

 以上の前提を踏まえたうえで、CS文化とはなんなのか。民放からCSに移ったあるテレビマンは、こんなことをいっていた。

 「放送は、コンピュータの世界から1対1の通信という概念、そして端末の前に座る人はエンドユーザーだという概念を学んだ。地上波テレビには、エンドユーザーという概念はない。視聴者は客ではなく、テレビの客はクライアント、つまり広告主なのだから。しかし、有料放送のCSチャンネルは、『視聴者=エンドユーザー』という概念が初めて本格的に持ち込まれたテレビなんだ」

 これは、CS放送(BSもだが)を、既存の地上波テレビ(とくに民放)と分ける最大のポイントといえる。CSでは視聴者が制作者にソフトに応じたカネを支払う。制作者は視聴率というデータに隠れた幻の視聴者でなく、カネを払ってくれる実体としての視聴者に初めて向き合うことができる。

 このカネを媒体とした制作者と視聴者の関係は、NHKやWOWOW、あるいはCATVと同じともいえる。だが、NHKの受信料は、払う側の意識のうえでは税金に準じたカネで、しかも払わなくても映る。WOWOWにはもっと近いが、これには選択肢がなかった。CSは、カネをソフトを直接交換するチャンネルが、100や200という選択可能なかたちで登場したことが、決定的に新しい意味をもつ。

 払うカネの額に限界はある。しかし、視聴者が直接払ってくれる。となれば、回収する必要のないカネを投じる場合を除いて、CSチャンネルは視聴ターゲットを絞り込み、そのターゲットが満足できるソフトを流して対価を得る、という行き方しか選べない。CSをビジネスとして成り立たせようと思うならば、専門チャンネル以外に生きる道はない。「CS文化」とは「専門チャンネル文化」と言い換えてもよい。

 専門といってすぐに思いつくのは、映画、音楽、アニメ、特定の趣味などのジャンルに特化することだ。だが、CSでは、ジャンルを特化させずに、視聴者を特化させる行き方がある。たとえば、在日ブラジル人むけ専門がそうだ。塾や予備校も視聴者を自分のところに生徒だけに絞り込んでいる。

 実際、いま好調と伝えられるCSは、ほとんどが極端に専門化を進めたチャンネルばかりだ。ようは細くて深い井戸を掘ること。視聴者はせいぜい10万人(月500円で年6億)でいい。地上波ならば視聴率コンマ以下にしか現われない層を開拓し、これを確実に満足させるソフトを届けることが、CSの生きる道。その道筋にしか、CS文化は花開くことはあるまい。

「広く、浅く」は中途半端
地上波を引きずってもダメ

 こうして考えてくると、いまのCSの専門性は、広く、浅すぎ、まだまだ中途半端だと思われる。

 典型的な例が「囲碁将棋チャンネル」だ。

 月1000円や2000円かけてこれを見ようという囲碁ファン、将棋ファンならば、ルールを知っているどころではない。職場では強豪の部類――少なくともアマ初段目前か、それより強いだろう。だが、囲碁も将棋も有段者などというアマチュアは例外で、ふつうはどちらか一方のはずだ。

 ならば現在、ある日は囲碁、別の日は将棋という編成の囲碁将棋チャンネルは「半専門チャンネル」の役目しか果たしていないことになる。ソフト半減でリピートが増えても、あるいはただ棋譜の再現だけの番組で穴埋めするにせよ、二つに分かれたほうがいい。

 「アウトドア」と銘打った番組もよく見かけるが、これなどもターゲットを狙い打ちしているとはいいがたい。キャンプでも行くかという家族が夏休み前に見てちょうどいい程度の中身なのだ。「登山」「カヌー」「スキューバ・ダイビング」くらいまで専門化しないと、固定客はつかないのではないか。

 いくつかあるスポーツチャンネルも同様、門戸を広げすぎ、客を失っているようにみえる。プロ野球、高校野球名勝負、大リーグ、サッカー、ラグビー、アイスホッケー、プロレス、空手、ハンドボール、ビリヤード、卓球など、いろいろあって楽しい。サッカーだけを見ても、Jリーグ、英プレミアリーグ、独ブンデスリーガ、ブラジル、スペイン、ポルトガルと盛りだくさんだ。

 しかし、これら全部を合わせても、たぶん「浦和レッズチャンネル」(いまはまだないが)にかなわない。それがCSなのだ。

 現行CSの中途半端さを考えるうえで、指摘しなければならないのは、へんに地上波を引きずっているCSが多いことである。むろん、最初からサイマル放送というケースは除く話だ。

 地上波で使い終わったドラマやアニメをそのまま流す。地上波で売れないタレントを実験的に使う。地上波で取材した素材を化粧を変えて放送する。過激だったり下品だったりで地上波でできないものを地上波のつくりでやる。

 いくつかパターンはあるが、どれもうまくいっているとは思えない。地上波でやったこと、あるいは地上波でやりたいことは、CSの専門性になじまず、特定のターゲットを引きつける魅力がないのだ。

 筋は承知で、画像もきたなく、しかも有料の学園ドラマをCSで見るより、地上波でGTOを見たほうがいい。駆け出しの吉本芸人をCSで見るより、地上波で売れっ子を見るほうがおもしろいに決まっている。夕方の地上波ニュースで見た記者が、深夜のCSニュースで一言でも同じことをしゃべれば、カネを返せという話なのだ。

 地上波を引きずっている――正確にいうと地上波の墓場、または地上波の二軍練習場となっているCSには、なんの未来もない。もちろんそれは、CS文化の創造にもまったく関係がない。地上波文化が、CSという領域にただ流れ出してきただけのことである。

揺籃期にあるCS文化
細く、深く」が鍵だ!!

 さて、CS文化なるものが成立しているのか、という問いに戻ろう。

 もちろん、それは生まれつつある。NHKや地上民放が生み出したものとは明確に異なるCS文化が、いま、揺籃期の段階にあると思う。だが、ここまで見てきたとおり、現在のCSは玉石混交。細く深い井戸を穿ち、着実に成果を上げているチャンネルもあれば、誰に見せるつもりかわからない中途半端なチャンネルもある。

 しかし、これだけ地上波やBSの普及が進むなか、なお数万円のCS受信セットを買って、支払うカネに見合うチャンネルを選び、そこに新しい意味や体験を見い出す人が、100万人規模で出現した。これは実に大変なことであり、これまでのテレビ文化に与える影響は甚大だと思う。

 気がかりなのは、すぐれたアイディアでCS文化を豊かにする可能性をもちながら、年何億円かのコスト負担に耐え切れずに、道半ばで倒れるCSチャンネルが今後も引き続くだろう、ということだ。それを絶やさず育てるには、できるだけ細く、できるだけ深く穿て、というしかない。

≪Column 1≫
専門チャンネルの逆をいく? 複雑怪奇なCS料金体系

 多様な専門性が売りのCSは、1chあたりの料金も、無料のものからMチャンネル(流通業の経営ノウハウ中心)の月3万円まで極めて多彩だ。これが基本料金(パーフェクTVで月290円)と別にかかる。

 PPVも、1番組で、3本で、1日でといったパターンがある。個別契約よりお買い得という月パック料金も、31ch2980円、21ch2700円、12ch1900円など各種ある。これにプラスして加入する場合の割引制度もある。さらに、スターチャンネル系とかスポーツ3chといった各種パックもある。

 しかも、2社が合併したスカイパーフェクでは、二つの料金体系が並立してきた。そこで98年11月からは新料金体系がスタート。パーフェク40chとスカイ18chで5500円、これにスターチャンネル系を足して64ch7040円という具合だ。

 だが、ユーザーから見ると料金体系の複雑さに大きな変化はない。もっと簡略化しなければ、高齢者や主婦を含むファミリーユースにはつらい。加入者100万でもよいなら別だが、本気で400〜500万以上を狙うなら、抜本的な改善が必要だ。

 忘れてはならないのは、何十chというパック料金制は、本質的にCSの専門性に反すること。パック加入で契約者が増えたマイナーchが、固定客をつかんだとは必ずしもいえない。ここを見誤るチャンネルは、いずれCSから脱落するだろう。

≪Column 2≫
何十chも映るはいいけれど……番組内容捜索お願い!!

 「俺の興味は音楽だけ。CSはスペースシャワーTVしか見ないゾ」と断言できる人は、苦労がない。

 しかし、「映画でも見るか」くらいの軽い気持ちで、何十かの多チャンネル・パックに加入した人には、CSは思いがけない試練を与える。さあ今晩は暇だ、寝る前に何か見るかというとき、望みの番組にたどり着くまでが、とても面倒なのだ。

 とりあえず、パーフェクTV、スカイパーフェクTV、ディレクTVのいずれかが出す毎月の番組情報誌を買わなければならない。筆者は、ぴあが編集するパーフェクTVのガイドがもっとも見やすいと思うが、年間購読料は5000円を超える。

 情報誌を買ったとして、問題は、チャンネルが多すぎ、新聞ラ・テ欄のような日替わり一覧表で全チャンネルをチェックしきれないこと。31chを紹介する見開きの1ch分スペースは、せいぜい「箸《はし》袋の半分」。符丁《ふちょう》のような謎のタイトル断片ばかり並ぶチャンネルも少なくない。

 FAXでチャンネル個別の番組表を取り寄せたり、スターチャンネルやアダルトch連合が出している番組ガイド誌を買う手もあるが、カネがかかる。放送中の番組ガイドは、エレクトリックなんたらと名乗るわりには、トロすぎる。内容紹介に手抜きも目立つ。

 CS番組捜索法、誰か何とかしてくれ。