メディアとつきあうツール  更新:2003-07-02
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

【緊急特集】テレビ公的規制を許すな!

青少年社会環境対策基本法は
青少年を救わず
メディアを殺す

≪リード≫
参院自民党が「青少年社会環境対策基本法」の成立を目指している。その正体は放送と雑誌をねらい撃ちにする露骨なメディア規制法。権力による恣意《しい》的運用への歯止めが一切ない危険な法律なのだ。ここで止めなければ、テレビ、ラジオ、新聞、書籍、雑誌、映画、ビデオ、音楽などなど、ありとあらゆる表現の世界に「青少年への悪影響の排除」をお題目にした検閲が襲いかかる!! しかも、青少年問題の解決は置き去りにしたまま……。
(「GALAC」2001年02月号 緊急特集「テレビ公的規制を許すな!」)

緊急特集への寄稿者リストと主張の要旨
↑民放連会長/NHK放送総局長/雑協理事長/BRC委員長ほか

 テレビだけでなくマスコミ全体を、そして日本の社会そのものを大きく害する悪法が、国会に提出されようとしている。参議院自民党が中心に準備してきた「青少年社会環境対策基本法案」(以下「法案」と呼ぶ)である。

 この法案、2000年5月に素案が公表されたが、当時は「青少年有害環境対策基本法案」だった(「GALAC」2000年08月号22〜25ページ参照)。これが「有害」では刺激的で規制色が強く出すぎると、ソフトで包括的な名前に変わった。また、省庁再編に合わせて担当大臣が変更されるなど若干の手直しがなされた。

 しかし、今日に至るまで、法律の狙いや内容に大きな変更はない。テレビをはじめとするマスコミ活動への公的権力の介入を認め、「言論・表現の自由」や「報道の自由」を制限し、そのことによってマスコミを弱体化し、日本の民主主義を危うくする――そんな剣呑《けんのん》で時代錯誤の法案であることに変わりはない。

 しかも、この法律が、私たちの社会のかかえる青少年問題の解決にまったく役立たないことは、いじめ、不登校、キレる少年の犯罪といった問題に少しでもまじめに取り組んだことのある人間には、明白な事実である。

 そんな百害あって一利もない法案を、いやしくも「良識の府」参議院に属する政権与党の政治家たちが作るはずはないと、読者は思われるかもしれない。ところが、この馬鹿げた法案が次の通常国会に上程されることは確実で、今後野党の対案が出たとしても、数では勝てない。つまり、素案から1年もたたず、国民の多くがその問題点を知らないまま、ろくに審議もされないで成立してしまう恐れが強いのだ。

 残された時間は少ない。これは他でもない、テレビに関わっている、あるいはテレビが大好きな、あなた自身の問題である。そして、私たちの子どもたち――青少年の問題であり、マスコミの問題であり、社会全体の問題なのだ。もはや、沈黙を続けることは許されない。

 放送局、出版社、新聞社、通信社などメディア各社が断固たる反対の声を上げ、良識ある国民の支持を得て、法案を葬り去ることを心から願い、以下にその問題点を指摘する。22〜23ページに掲げた法案全文(ただし未定稿)を参照しながら、読んでいただきたい。

青少年保護育成の美名に隠れた
選挙対策とマスコミ統制の本音

 「青少年社会環境対策基本法案」は、異なるレベルのさまざまな問題を抱えた悪法である。

 まず指摘すべきは、法案の検討過程に見え隠れする参議院自民党の思惑についてだ。なぜ、いま、議員立法でこの法案が出てきたか。

 第一の理由は、自民党の政治家が深刻化する青少年問題を看過できないと考えたからだ。国会議事録その他を読むと、「青少年が悪いのはテレビのせい」と本気で信じ込んでいる無知な議員が多いことがよくわかる。そこで、青少年問題の解決のためにテレビや週刊誌を規制する法案を検討しはじめた。

 この理由については、無知であれ的はずれであれ、本当に青少年のためを思ってやっていることだから、耳を傾けて尊重すべきだろう。

 しかし、自民党議員たちにとってもっと切実な第二の理由がある。それは「選挙対策」だ。森喜朗内閣の迷走で苦戦が予想される2001年夏の参議院選挙前に実績を作っておきたいという一心で、彼らはこうも熱心なのだ。

 青少年問題では、PTAがとくに強くテレビを規制せよと訴えている。PTAの殺し文句は「全国会員数1200万」。政治家たちは、社団法人日本PTA協議会の声を有権者1200万人の声と誤解している気配が濃厚である。

 筆者は、東京・新宿区の小学校でPTA会長を3年やったからよく知っているが、たとえば200家庭に「子どもに見せたくない番組は?」とアンケートを配っても、同一番組を名指しする回答は多くて20。見せたくないリスト第1位の番組でも9割方の親は問題と思わず、ベスト10の下位番組は数%の親しか名指ししていないのが普通だ。ほとんどの親は、PTAの上部団体の存在すら知らないのも常識なのだが。

 議員たちが、テレビや雑誌の問題点ばかり指摘して、親や家庭の問題に触れようとしないのも、有権者におもねっているからである。

 第三の理由は、自民党には自分への支持率が低いのはマスコミ――とりわけテレビと週刊誌のせいだという意識が根深くある。法案にはその意趣返しの意味合いが強い。

 名は伏せるが法案検討の中心にいた議員は、「ターゲットはテレビと週刊誌」と語る。2000年11月29日の自民党「青少年を取り巻く有害な環境対策の推進に関する小委員会」では、「警察が規制するようにできないか」との要求まで出て、呼ばれた警察官僚が無理と答えている。先日施行されたストーカー規制法は参議院自民党案と民主党案を折衷させたものだが、自民党内部には「この法律で政治家につきまとうカメラマンを規制できないか」という声があった。それと同じ発想だ。

 つまり法案は、青少年の保護育成の美名のもと、選挙対策とマスコミ統制を狙う許しがたい代物である。その看板に利用される青少年こそいい面の皮だ。こういうどうしようもない大人たちに対して子どもはキレる。というより、キレて当然ではないか。

現首相や前大阪府知事に
有害環境かどうか判定可能か?

 次に、法案の中身について、いくつか指摘しておこう。

 法案は「事業者の供給する商品又は役務」が「(1)青少年の性的な感情を著しく刺激し、又は性的な逸脱行為を誘発し、若しくは助長するおそれがある場合 (2)青少年に粗暴な又は残虐な性向を植え付け、又は暴力的な逸脱行為もしくは残虐な行為を誘発し、若しくは助長するおそれがある場合 (3)その他青少年の不良行為を誘発し、又は助長する等の青少年の健全な育成を著しく阻害するおそれがある場合」のどれかに該当すると「内閣総理大臣又は都道府県知事」が認めれば、その「供給方法等」について必要な措置をとれと事業者を「勧告することができる」としている。(以上のカッコ1〜3は、実際は丸数字)

 「勧告」の前に「指導及び助言」があり、勧告に従わないと「公表」があるのだが、なんだこの馬鹿げた法案は、としかいいようがない。

 「商品又は役務」「誘発し、もしくは助長するおそれ」「〜等」など、範囲の広い曖昧な文言がちりばめられており、恣意的な裁量で好きなものを規制できるようにしてある。自民党小委員会の座長の田中直紀参議院議員は「曖昧なほうが抑止力が出る」と恫喝の意味合いがあることを隠さない。

 こんな法律は、万事理詰めに瑕疵のない定義を重ねていき、複雑なパズルを解くように法律の自己完結と他の法律との整合を図る官僚の手からは絶対に生まれない。法律が命の官僚からは「何を馬鹿な……」と冷笑や嘲笑を浴びている。自民党議員と官僚の質疑応答メモからは、官僚の困惑ぶりがよく伝わってくる。

 ようするに、すべての商品やサービスについて、エロか暴力かとにかく青少年を悪くしそうだと「内閣総理大臣又は都道府県知事」が判定すれば、その商品やサービスを売る会社を指導・助言、勧告、公表の順に規制することができるという。憲法の保障する「表現の自由」「検閲禁止」に反する露骨なメディア規制だが、それ以上に、まったくふざけている。

 日本国の内閣総理大臣は、腹心である官房長官のスキャンダルが問題になったとき、その者が愛人に「覚せい剤の捜査で警察が動いているから気をつけろ」と電話した録音テープをテレビが流すまで、慰留し続けた人物である。

 右翼との付き合いや愛人関係が日々報道されていたのだから、この官房長官の存在は、青少年にとって有害だ。そんな疑惑の人物でも日本政府の番頭役が務まるという悪いメッセージを青少年に伝えるからだ。その有害環境をよしとし続けた総理大臣に、青少年の有害環境を認定させる法案は、悪い冗談としか思えない。

 あるいは前・大阪府知事は、女子大生の下半身をさわって失職した人物。そのような者が就任しうる都道府県知事に、青少年の有害環境を認定させることはどうかしていると、なぜ自民党の参議院議員たちは思わないのか、実に不思議だ。幼児にだってわかりそうな理屈だが。

 さらに法案には、国や地方公共団体優位に事業者や国民の協力を求める押しつけの色彩が強い、テレビにとっては放送法との二重規制になる、勧告や公表などの行政処分を行うのに厳密な構成要件を欠く、審議会への諮問や異議申し立ての機会もなく適正手続きが保障されない、国が指定する公益法人が苦情処理を行うなど、多くの問題点がある。繰り返すが、話にならない悪法である。

青少年問題の真の原因を
まじめに、虚心に見つめよ

 最後に、法案が本当に青少年問題の解決に役立つのかを考えたい。

 筆者はPTA会長として3年、保護者として7年以上、子どもの学校や周囲の学校の様子に注意を払い、いじめ、不登校、保健室登校、暴力事件、性的な事件、キレる子どもたちの事件に接し、相談に乗るなどしてきた。中には学校やPTAが(組織として)知らない事件も少なくなかった。そして、筆者が知るケースの中にテレビが主たる原因で問題が起こったものは1件もなかったと断言できる。

 小学校に限っていえば、右にあげたような問題の多くは第一義的に家庭・親の問題であり、一部に問題教師や問題ある大人が引き起こしているケースと、本人の生まれついての障害が疑われるケースがあった。この見解には、誰よりも現場の教師が同意するだろうし、もののわかったPTA関係者はみんなそう思っているだろう。ただ、正面きって誰もいわないだけだ。

 PTA会長3年の素人話では心許《こころもと》なかろうから、専門家の見方も引用する。アメリカの著名な心理学者は、子どもにどんな映画を見せたらよいかという質問に答えて次のようにいう。

「何の検閲も全《まった》くしないで、子どもを育てるのが最高だと私は思います。本の検閲だけでなく、映画やテレビの検閲にも私は反対です。私の考え方は、他の多くの人の子育て法とくらべるときわだって少数派であることはわかっています。しかし、多数派の子育て法は、神経症、精神病、麻薬中毒、少年非行、アル中、犯罪を、高い割合でつくっています。ですから、『みんながする』やり方を、必ずしもしなくてもよいのです。(中略)

 親の中には、子どもが暴力的な人間になると恐れて、暴力映画やテレビを子どもに見せないという親がいます。この立場に賛成するのがはやっているのを、私もよく知っています。テレビを攻めるのは、アメリカでの暴力問題のポピュラーな解決法です。そして、私の考えでは、ほんとうにリアルな問題のほんとうにまちがった解決方法です。その理由は、スクリーン上で暴力シーンを見ると、暴力的になると実証した実験例を知らないからです。

 テレビ番組が暴力の原因であるとかたく信じている人に、私は、ばかげた簡単な質問をいたします。

 テレビがなかったころの、アメリカの暴力の根源は何でしたか。私は、アメリカにテレビが入る前に、暴力の原因だった同じものが、新しい暴力の原因になっていると答えます。それは親のしつけ方のまずさです」(F・ダドソン博士『How to Discipline with Love 』)

 この心理学者の意見に筆者は全面的に賛成である。テレビや週刊誌は日本の青少年問題の真の原因ではありえない。逆に、青少年に共通の話題や楽しみを与え、彼らの協調や連帯を強化し、生き方や社会規範を教え、性的・暴力的な表現すらも未知の情報やカタルシス効果を与えて、プラスに作用している。

 青少年問題をテレビのせいにし、本当の原因を隠蔽《いんぺい》する「青少年社会環境対策基本法」は、その存在自体が青少年にとって極めて有害である。断固として成立を許してはならない。

【緊急特集】テレビ公的規制を許すな!
寄稿者リスト・主張の要旨

※氏名/肩書き、寄稿論文タイトル、要旨の順に記載しています。
※各方面から強い反対論があることを伝えるために紹介しますが、掲載に不都合がある場合は速やかにご連絡ください。
※主張は坂本衛による「要旨」です。引用などの際は必ず原典にあたってください。

●氏家齊一郎/日本民間放送連盟会長
●民主主義を潰す危険な法案だ。断固として反対する!!

●現在の日本の社会にまったく必要のない法律。「言論・報道の自由」は民主主義社会の基礎。マスコミが言論の自由を担っているからこそ、いまの社会で人びとの基本的人権が守られている。マスコミに公的規制をかけたら、いったい誰が公的権力による人権侵害を防ぐのか。今回テレビが突きつけられたのは、民主主義社会の原則を守るのか壊すのか、という問題だ。悪いマスコミは、民衆の判断やマスコミ相互の批判の中で淘汰されるべきでも、立法措置を講じ公権力の介入によって排除されるべきでない。それはよいマスコミを含めたマスコミ全体の死につながりかねない。どうも若い諸君にはあまり危機感がないようだ。私は戦前のマスコミ統制の時代をよく知っているが、それは本当に暗く絶望的な時代だった。2度と繰り返してはならない。ヒトラーも最初は民主主義の手続きにのっとって登場したことを忘れるべきでない。民主主義を損なう動きは、小さな芽のうちに摘む必要がある。

●松尾武/NHK専務理事・放送総局長
●「放送法」「番組基準」守られるなら、それに委ねるべき。

●当面は法案の取りまとめの行方を見守り、NHK独自の対応を考えていく。それを前提としていえば、法案をめぐる問題は基本的に青少年問題。NHKは、教育テレビ・ラジオ第2をもつ立場から、青少年問題についての責任を深く自覚し、自主的取り組みを重ねてきた。法案をめぐる議論は、そのようなNHKの放送の位置づけを変えるものではない。青少年が悪くなったのはテレビのせいという漠然とした見方があるが、具体的データはない。しかし、そんな抽象論を続けていても仕方ないから、NHKと民放連は「放送と青少年委員会」を設置し、テレビが子どもに及ぼす長期的影響を調査している。委員会は番組に対する見解を出すなどし、局もこれに応えて自主規制をしている。放送局には「放送法」という大きな枠組みがあり、公序良俗に反する放送をしてはならないと定められている。また、各局は「番組基準」を定め青少年に対する配慮を記している。こうした枠組みや基準がきちんと守られるのであれば、とくに新しい法律を用意して放送を規制するのは、そぐわないのではないか。

●角川歴彦/日本雑誌協会理事長・角川書店社長
●社会全体の責任をメディアに押しつける愚行だ!!

●最近、盗聴法、児童ポルノ禁止法、不健全図書の指定など、さまざまな形で公権力によるメディアへの規制が強化されてきた。これら規制は拡大解釈の余地が大きく、複数の法律を合わせて用いることで、権力による介入を加速しかねない。新しいメディアが持つリスクを避けるための規制が、既存メディアにも拡大適用される近年の潮流に、深刻な危機感を抱かざるをえない。法案もこの流れの中で生まれたが、第一の問題点は、「メディアが不健全な情報を流すことで凶悪な少年犯罪が急増した」という前提にある。これは事実を反映しておらず、社会的な合意も形成されているとはいえない。そんな不確かな「推測」の上に法案が存在することに異議を唱えたい。青少年の健全育成という社会全体として取り組むべき問題を、メディアの問題に矮小化させることの、生産的な意味も疑問。法案の中身について一言すれば、公権力によるメディア=言論機関への介入を許し、表現の自由や言論・出版の自由という憲法に規定された国民の権利を侵害するものと断じざるをえない。

●須藤春夫/メディア総合研究所所長・法政大学教授
●憲法が保障する「表現の自由」の根幹を脅かす。

●内容にあまりにも多くの問題がある。とくに申告なのは、青少年保護を名目に、表現・報道の自由や情報受領の自由への、公権力の過剰な規制と介入が図られていること。青少年の性や暴力、不良行為を「誘発・助長する恐れ」の判断は誰がするのか。その科学的根拠は立証されるのか。それが明らかにされなければ、「恐れ」の解釈には主観的な恣意性が入り込み、拡大化する一方となりかねない。青少年保護を目的としたメディアへの国民総浄化運動が期待され、人びとの価値観や道徳を含む市民生活全般への国家の過剰な介入を許し、自由な市民の活動を阻害することにもなる。他方、法案提出に対するメディア側の対応にも問題を感じざるをえない。目に見える形での対応策を打ち出すことが、緊急に求められる。市民の信頼を得る情報提供のあり方について、積極的な改善がすぐに必要。その対応策は、視聴率至上主義や部数競争の弊害の克服をも含むものでなければならない。

●内藤篤/弁護士・ニューヨーク州弁護士
●未成年がセックスに触れてなぜいかん!?

●近頃、メディアをとりまく状況がキナ臭いが、これもその噴出の一例だ。冷静に考えれば、法案は地方自治体レベルの青少年保護条例(有害図書等の指定)の法律版にすぎず、できたからといって「表現の自由」をめぐる現状に大きな変化はない。だが、そうした条例の格上げ以上の意味をもつのは、統一機関を設けて全国レベルで「有害環境」に対処しようという点。児童買春防止法、今回の法案、少年法改正などの動向を見れば、そこに込められたメッセージ「未成年を信用するな。法律で縛れ」は明らかだ。だが、セックスや暴力が本当に未成年の心身の発達にとって有害なのか。僕自身のことをいえば、未成年時代に「女性の大腿部を開いた姿態」「陰部又は臀部を誇示した姿態」「自慰の姿態」(ちなみにこれらは有害図書の典型的な構成要件)の写真に取りつかれていたといっても過言でないが、それでも一応まともな大人になった。男の子はそういうものではないか。この種の立法に際しては、正面から「大人のスケベ心がどうして規制されなければならないのだ」「どうして未成年がセックスに触れるといかんのだ」という論点が提出されるべきだと思う。そこにこそ問題の本質があると思う。

●清水英夫/弁護士・映倫委員長・BRC委員長・放送批評懇談会会長
●恐るべき検閲団体青少年対策センターを憂う!

●メディア、とくにテレビと雑誌に対する締めつけが日増しに厳しくなってきた。これには、はっきりとした理由・背景がある。その一つは、主に政界筋のもので、「敵は本能寺にあり」の印象が濃い。政治や世論に強い影響を与えるテレビ、スキャンダルを暴露する雑誌を、野放しにはできないというのが政治家の心情だろう。それをあからさまにはいえないから、搦《から》め手として世論を用い、青少年の健全育成をシンボルとする。テレビや雑誌に目を背けたくなるようなものがあることは確か。これを何とかしてほしいという世論は無視できないほどに達し、これがメディア規制強化論の第2の理由だ。今回の法案は、総理大臣や知事に何が青少年に有害か判断権を与え、その供給方法を勧告する権限を与える、きわめて危険なメディア規制法である。しかし、ある意味で勧告措置よりも問題なのは、17条に規定する青少年社会環境対策センター。これによって、メディアは四六時中、公的監視のもとに置かれる。このような検閲的な役割をもつ公益法人が実現することに、大きな危惧《きぐ》を感じざるをえない。