メディアとつきあうツール  更新:2003-12-07
すべてを疑え!! MAMO's Site/青少年健全育成基本法案,青少年有害環境の自主規制法案,メディア規制,BPO
<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

断固として葬れ!!
青少年健全育成基本法案/
青少年有害環境の自主規制法案

≪リード≫
まったく懲りない人びとである、参議院自民党が、青少年に関するメディア規制2法――「青少年健全育成基本法案」と「青少年を取り巻く有害社会環境の適正化のための事業者等による自主規制に関する法案」の成立を目指している。だがこれは、過去に成立が画策され、青少年を救わず、メディアを規制するだけとして、廃案になってきた青少年に関するメディア規制法案を2つに分けた焼き直し版にすぎない。当然、青少年を救わず、メディアを規制するだけの無意味な法案だ。放送業界は、断固たる態度をもって、この法案を葬り去るべきである。
(「GALAC」2003年11月号 断固として葬れ!! 青少年健全育成基本法案/青少年有害環境の自主規制法案)

≪参考資料≫
青少年健全育成基本法案(未定稿)
青少年を取り巻く有害社会環境の適正化のための事業者等による自主規制に関する法案(未定稿)

 まったくもって、懲《こ》りない人びとである。

 参議院自民党が、またぞろ青少年問題に関するメディア規制法を検討中である。

 今回の法案は「青少年健全育成基本法案」と「青少年を取り巻く有害社会環境の適正化のための事業者等による自主規制に関する法律案」の2本立て。どうでもよいことだが、後者の名はあまりにも長く、提唱者らによる略称「青少年有害自主規制法案」は単語を並べただけで、意味が取れない。ここでは便宜上「青少年有害環境の自主規制法案」と略記する。

 この2法案は、「青少年有害環境対策基本法案」(2000年9月)、その改訂版「青少年有害社会環境対策基本法案」(2001年。のち個人情報保護法案・人権擁護法案」とともに「メディア規制三法」「メディア規制三点セット」などと呼ばれたが、2002年春までに国会提出を断念)の延長線上にある焼き直し版だ。

 成立を目指す参議院自民党のメンバーも(2001年1月、KSD疑惑にからみ小山孝雄が受託収賄容疑で逮捕されるなど、一部脱落者は出たものの)基本的には同じ。法案の外見も中身も変更があるが、法律が必要だと考える根拠や、法律が目指す方向は同じだ。

 これら法案について小誌(注:GALACのこと)は、「青少年有害環境対策基本法なんてけっとばせ」(2000年8月号)、「青少年社会環境対策基本法は、青少年を救わずメディアを殺す」(2001年2月号)、「青少年社会環境対策基本法 廃案以外の選択肢はない」(同5月号)、「メディア規制三法 絶対反対!!」(2002年6月号)など、これまでさんざん論じてきた。

 筆者は右原稿を書いたほか、個人的に2度、TVキャスターの声明発表・記者会見を呼びかけたから、延長線上にある限りどんな法案を出してきても青少年問題の解決につながらないと確信している。それをいまだに検討する人びとの熱心さには心から敬意を払うけれども、その法案の提出は無意味と3年たっても気づかない鈍感さには呆《あき》れるほかない。

 ダメなものはダメであるから、今回もまたダメを出すことにする。

青少年健全育成法案とは?

 まず、「青少年健全育成基本法案」(以下「健全育成法案」と略)について見よう。

 ここでは2003年7月16日付けの「法案骨子(案)《未定稿》」に基づいて紹介する。全文を引用する誌面の余裕はないので、必要な方は参議院自民党に問い合わせていただきたい。(後述の自主規制法案についても同様)

 「健全育成法案」は、冒頭の「前文」で、青少年の健全な育成は日本社会の将来の発展に不可欠の礎《いしずえ》、そこで青少年健全育成の基本理念を明示しその施策を総合的に推進するためこの法律を制定する、という趣旨の宣言をする。

 本文では第1に「総則」で、法律の目的、基本理念、国その他の責務などを謳《うた》う。青少年の健全な育成は大切だから、国も自治体も親も後見人その他保護者も国民も企業も、青少年の健全育成に努めなければならないと、言わずもがなの理念的、抽象的な御託が並んでいる。

 第2に「青少年の健全な育成に関する基本的施策」で、国は青少年の健全育成に関する施策の大綱を定める、首相は青少年健全育成会議の意見を聞き基本方針案を作成、国民的広がりをもつ取り組み(国民運動)の推進などを謳う。

 第3に「青少年健全育成会議等」で、内閣府に青少年健全育成会議(議長は官房長官で、メンバーは閣僚と有識者)の設置を規定。都道府県と市町村はそれぞれ条例で地方青少年健全育成会議を置くことができるとも書く。

 以上まとめれば「青少年健全育成基本法案」とは、青少年健全育成会議なる国の新組織を頂点として、全国民一丸となって青少年の健全育成に邁進《まいしん》すべしという法律である。

青少年に関する自主規制法案とは?

 次に「青少年有害環境の自主規制法案」はどんな法案かを見よう。

 第1に「総則」で、法律の目的と用語の定義(「青少年」「青少年を取り巻く有害社会環境」の二つ)を規定。この定義に従うと、たとえばイラク特措法を与野党乱闘をへて可決した衆議院外務委員会とか、戦闘用すそ割れスカートをわざわざ着用し机に駆け上がった国会議員とかいうものは、もちろん有害社会環境といわざるをえない(笑)。

 第2に「事業者等による自主規制」で、事業を所管する大臣は事業者等の自主規制に関する指針を定めなければならない、事業者か事業者団体は青少年健全育成のための規準の協定または規約の締結・設定に努めなければならない、締結・設定は大臣か知事に届け出、大臣か知事はこれを公表、事業者は有害社会環境からの青少年保護に関する苦情処理、構成員への助言・指導・勧告、広報・啓発などを行う協会の設立に努めなければならない、大臣か知事は右の協会を助言・指導できる、などと定める。

 なお、「事業者等」は、新聞、書籍、雑誌、映画、ビデオ、インターネット、広告などあらゆる企業を含む。放送の場合は「事業者」は放送局やプロダクションその他全企業が入るとしか解釈できない。ただし、所管大臣がない業界は、最初から除外されているものと思われる。たとえばピンクチラシが有害社会環境だとしても、所管大臣は不明であり、業界団体が存在するとも思えず、ピンクチラシ屋に苦情処理を期待することは馬鹿バカしいからである。

 第3に「青少年有害社会環境対策センター」では、首相は全国で一つだけ青少年有害社会環境対策センターの指定ができるとし、センターは苦情・問い合わせへの情報提供や関係団体等への連絡その他の援助などをすると定める。

 以上まとめれば「青少年有害環境の自主規制法案」は、(イ)所管大臣がいる業界では、有害環境からの青少年保護に関する自主規制の指針を大臣が作り、業界は協定を結ぶなどして自主規制を遵守する、(ロ)ある団体を青少年有害社会環境対策センターに格上げする、という二つを目指す法案である。法案には名前は出てこないが、ある団体には「社団法人青少年育成国民会議」が想定されている。

 参議院自民党で2法案を提唱する小委員会の委員長・田中直紀が2003年7月29日に関係者に示した「青少年有害自主規制法案についてのメモ」によると、国会提出に至らなかった過去の法案からの主な変更点は、次の4点である。要約を掲げておく。

 (1)題名を変え、「青少年健全育成基本法案」に対応する個別法として位置付け。
 (2)基本理念、国等の責務、基本方針、国民的な広がりを持った取り組みの推進規定は、「青少年健全育成基本法案」に吸収、削除。
 (3)主務大臣が事業者等による自主規制のあり方を示す指針を策定。
 (4)事業者・事業団体が設立する協会に対する行政の関与については、主務大臣・知事による助言・指導にとどめ、勧告・公表規定を削除。

問題を解決できないダメ法案

 問題点を簡潔に指摘しておく。

 第1に、今回の2法案の最大の問題点は、二つの法律ができたところで、現在の日本で問題とされる青少年問題は何一つとして解決しないことだ。この点が、あまりにも痛すぎる。

 問題とされる青少年問題とは、(1)神戸の酒鬼薔薇事件や長崎中1の幼児虐殺事件のような特異な凶悪事件、(2)青少年の暴力事件(集団暴行など)、(3)青少年の性的逸脱(少女売春など)、(4)青少年の覚醒剤・麻薬汚染、(5)学校におけるイジメ・不登校・引きこもり、(6)家庭内暴力、などであることに、あまり異論はなかろう。

 こうした問題は、青少年本人の資質、家庭(とりわけ親)の問題(影響がなく関係性が異常に希薄という影響を含む)、友人や周囲の大人といった人間関係などに大きく影響され、引き起こされていることも、疑う余地はない。

 所管大臣が決まっている業界・事業者で、(1)〜(6)を推奨したり、それが発生する原因となる影響を強く与えている者は「皆無」である。

 主たる原因ではない事業者に大臣が自主規制をさせても、主たる原因ではないことに変わりはないから、2法案が成立しても(1)〜(6)の問題は引き続き発生するのだ。だからムダでダメな法案である。(1)〜(6)の発生を抑制するには、主たる原因を抑制する別の正しい方法を考えて、実行しなければならない。

 考えてもみよ。長崎の中1は幼児の性器に特別な興味があった。テレビがどれほど下品低劣なエロ画像を流そうとも、小さな男の子の性器への興味の喚起などしてない。長崎の中1の事件は、世の中のテレビや映画や雑誌や本やインターネットから、女性への性的興味を喚起する全画像を排除したとしても、防止できない。

 少年がバタフライナイフで教師を刺すときには、ナイフをテレビで見てカッコいいと思って購入した場合でも、テレビ以外に教師を刺す理由や動機があり、テレビとは無関係に実行に至るプロセスがある。テレビでバタフライナイフを見なければ、少年は手近な包丁か、筆入れの中のコンパスか、雨の日なら傘で刺したろう。

 テレビがナイフを映さなければ教師殺人事件が減ると思うのは、日本からバットを一掃すれば金属バットで殺される親が減るというのと同じ愚劣な考え方だ。バットがなければトンカチで殴るからである。

 第2に、「健全育成法案」で国民運動を求める点が、時代錯誤でナンセンスだ。青少年問題は、そんな情緒的な上からの押しつけで解決はできない。(1)〜(6)それぞれに(もっと細分はできるだろうが)、専門家による対策の立案と、家庭を中心に学校や地域や各種団体・役所などが連携した取り組みが必要である。なお内閣府では、すでに青少年育成国民運動を推進中で、実は40年ほど前からやっている。それでもダメなのはなぜかと反省するのが先だ。

 第三に、自主規制法案で「事業者等による自主規制」を公然と強制している点が滑稽《こっけい》だ。強制された自主規制は、自主規制ではなく強制である。法案の第二は正しく「事業者等への規制」と改めないと、格好悪すぎると思う。当然、法案名も変える必要がある。

 最後に放送局に一言。

 これまで放送業界は、BPOの設立など「自主規制法案」が求めるような自主規制の体制づくりを、「重い腰を上げて」という観は否《いな》めないにしても、着実に進めてきた。だから、これ以上のメディア規制は不要であると2法案を葬り去ることは、当然である。

 だが、それだけでは、社会的な責任を果たしたことにならない。相変わらず(1)〜(6)のような青少年問題は起こり続けているからである。

 これを減らすには、放送はどうすべきか。何かを消極的に「流さない」ではなく、何かを積極的に「流す」ことが必要ではないか。では、誰に向けて、どんな番組を流せばいいのか。

テレビやラジオは、真剣に自らを問い、役立つ番組を世に送り出さなければならない。