ロンバルドーニ氏のサイトの記事を幾つか試訳してみました。
いつもの通り、翻訳の正確さは保証できません。しかし、日本では「ボナーテの聖母」については全く知られていないと言っていいので、何もないよりはマシかも知れません。これによって、この御出現の「概要」ぐらいは分かるのではないかと思います。
*
さて、御出現に関する本質的な話は上の試訳に任しておいて──
非本質的な話
視聴覚に敏感な人にひとこと言っておきたいと思います。
あなたは、私がこれまで紹介したイタリア語や英語のサイトによって、あるいはあなた自身が検索したことによって、「ボナーテの聖母」を描いたとされる御絵を幾つか見たかも知れません。そして、それらに感心しなかったかも知れません。
(私自身、あまり感心しなかったので、こう書くわけですが。)
そこで、或る御像を紹介しておきます。クリック
これなら、受け入れ可能ではありませんか?
(私もこれなら受け入れ可能です。)
(ここにも同じ御像が。)
小結論:「幻視者の証言に基いて再現された」とされる御絵や御像も、時には何の加減か「ひどく」「まずく」再現されることもあるのでしょう。
*
上の「クリック」で案内した御像のページを見ているうち、或る事に気づきました。
そのページの右側には一つの機関名が書かれています。
Associazione di ricerche storiche di Bonate 44.
これを訳せば、「ボナーテ44歴史研究協会」と云ったところでしょうか。
「44」という数字は、そのページの左側のカードの写真では、不鮮明ですが、どうやら「'44」と印字されているようです。つまりこれは、ボナーテで御出現があった「1944年」を意味しているでしょう。(ボナーテに捧げられた Ghiaie44 というサイトもあるように。)
で、問題はその住所です。
Via C. Carsana, 22 Ghiaie di Bonate (BG).
この住所で検索すると、一軒の家が出て来ます。Google Maps
(分かりづらければ、Google ストリートビュー)
問: この家は何でしょう?
答: アデライデの生家
何故なら、Google で出てきたそれらの写真と、ロンバルドーニ氏が「アデライデの生家」として上げている写真(2010年、1944年)を見比べてみてください。同じ家ですね。
つまり、「ボナーテ44歴史研究協会」はアデライデの生家に置かれているのです。
否、このこと自体、別にどうということはありません。しかし、これによって私は、アデライデの生家と御出現を記念した建てられた礼拝堂の位置関係を知ることができました。
「Via C. Carsana, 22」とあるのがアデライデの生家の場所です。「Cappella della Madonna delle Ghiaie」とあるのが記念礼拝堂です。(記念礼拝堂の座標: 北緯 45.68187、東経 9.55913)
この二つの地点の間の距離は150mほどであり、6歳や7歳の子供にとっても十分に日常的な「遊び場所」の範囲だったことでしょう。
そして、この記念礼拝堂が正にアデライデが御出現を受けた場所に建てられたものならば(たぶんそうでしょう)、私たちは今、現代の技術によって、アデライデが、そして人々の群衆が行き来した道を自分も辿ることができます。
Google ストリートビュー: アデライデの生家 記念礼拝堂
確かに、この二地点の間に何万人もの人々が押し寄せれば、アデライデが御出現を受ける場所に一人では辿り着けなかったのも当然です。(試訳参照)
*
注)「生家」という言葉を使ってしまいました。しかし「生家」とは「生まれた家」のことですよね。実は、私はそこまでは確認していません。「御出現当時ロンカーリ一家が住んでいた家」と、ここで言い直しておきます。
*
さて──
私たちも、刊行物から切り取られた聖母の御絵に野の花を捧げて聖母の御心を惹き付けた7歳のアデライデ(参照:1回目の御出現)に負けないようにしなければならない . . . ですよね。
そして、アデライデさんは悲しい思いをしましたね。しかし、「聖母を裏切ったことがある」のだとしても、今は天国に居られるのではないかな。
ボナーテ
イタリア語サイト
PDF「家族の元后 60年後に振り返るギアイエでの御出現の物語」by Severino Bortolan 神父
PDF「ギアイエのメッセージに見る家族と人間の生活」by Severino Bortolan 神父
PDF「アデライデ その希望と許し」by Giuseppe Arnaboldi Riva
モンティキアーリとフォンタネッレ
資料
「27. 諸教会に潜入し、啓示された宗教を『社会的』な宗教と入れ替えよ」 - 共産主義の目標
「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」 - フリーメイソンの雑誌