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10回目の御出現

日付: 1944年5月28日(日)
時刻: 18:00
その場に居た者: 約300,000人
ヴィジョン: 両側に2人の聖人を伴った聖母マリア

アデライデは前日までの一週間訳注1を、初聖体の準備をするため、ベルガモ市のウルスラ修道会で、実りある修養〔リトリート〕をして過ごした。膨大な数の巡礼者たちが、熱い信仰によって、ギアイエ・ディ・ボナーテに到着した。奇跡的な癒しの噂が広まっていた。この日は聖霊降臨祭だった。アデライデは初聖体を受けた後、修道女たちによってベルガモ〔の修道院〕に戻されたが、午後遅く、出現地に来た。

アデライデの日記から:

この日、私は初聖体を受けました。他の夕と同様、私は御出現地にエスコートされながら行きました。明るい光の点が現われ、そしてそれが、天使たちを連れ、二人の聖人を横に置いた聖母のお姿に変わりました。聖母は私にこうおおせられました:「私の心を苦しめている心の頑なな罪人たちのために祈りなさい。彼らは死について考えていません。また、悪い時を生きている教皇様のためにも祈りなさい。彼は多くの人によって虐待されており、また多くの人が彼の命を狙っています。私は彼を護るでしょう。そして彼はバチカンを去らないでしょう。間もなく平和がやって来るでしょう。しかし私は、それで世界が、誰も彼もが兄弟姉妹として愛し合うようなものになるかどうか心配しています。世界がそのようになって初めて、教皇様の苦しみは少なくなるのです」

聖母は二羽の黒っぽい鳩を御手に持っておられました。それは、聖母の注意深い御目に適うような聖なる家族を形成しなければならない夫婦の連合を象徴しています。聖母はまた、再び、母なる聖母の御手に信頼して生きることなしには聖なる家族を保つことはできない、と教えられました。

聖母は彼女の横にいる二人の聖人の名を私に明かされませんでした。私は内的インスピレーションによってのみ、彼らの名についてのハッキリした直観を持ちます。聖マタイと聖ユダ。聖ユダの名は、私の悲しい記憶を掻き立てます。と云うのは、たとえ不本意にであろうと、私は聖母を裏切ったことがあるからです訳注2。私はこの日の御出現に聖母の御愛の絶妙さを見る思いがします。彼女は、私に聖ユダを見せることによって、私がこの先経験することになる試練について私に警告したいと思われ、私が不幸にもその試練に耐えられないような場合にも御自分が見守っておられることをおっしゃりたかったのだろうと思います。私は心の内に大きな罪悪感を持っています。しかし、たとえ私がイスカリオテのユダに似ていたことがあったとしても、私はやはり清い者になりたいし、イエズス様と聖母の御為に一人の使徒また殉教者になることによって、〔イスカリオテのユダにではなく〕聖ユダの方に倣いたいと思います。聖マタイは私の救いに関して信頼ということを呼び起こさせてくれます。何故なら、彼もまたかつては罪人だったにかかわらずイエズス様に従い、イエズス様の使徒になったからです。

二人の聖人は紫色の服と茶色のマンテッロ(英 cloak)を着ておられました。聖母は赤い服と緑色のマントを着ておられました。御額には、さまざまな色の小さな輝く真珠が散りばめられたダイアデムがありました。彼女は去られる前に二人の聖人に視線を向け、そしてゆっくりと消えてゆかれました。

再び太陽の現象が起こった。それはギアイエで目撃されたばかりでなく、非常に離れた場所からも目撃された。

タヴェルノラ教会の1944年6月の教会報は次のように書いている:「午後6時、太陽が、何度か瞬間的な閃光を発したとみるや、光量を落とした。この現象は最初、ボッチェをしていた人たちによってはっきりと目撃された。太陽は緑がかかったようになり、次に明るい赤になり、次に黄金色になり、更にはぐるぐると回転した。このスペクタクルを見ようとする人々で通りは溢れた」。

イタリアに赴任していたナチス・ドイツ親衛隊(SS)の将軍カール・ヴォルフの証言によってのちに知れたことだが、教皇は国外追放〔ドイツへ拉致〕される危険に、そしてローマは第二のスターリングラードになる危険にさらされていた。


[訳注1]  聖母は5月20日、「明後日からの7日間は、私があなたに言って来たことをあなたによく考えさせる期間となります」とアデライデにおっしゃっていた。

[訳注2]  彼女は「たとえ不本意にであろうと、私は聖母を裏切ったことがある」と言い、またこの後で「私は心の内に大きな罪悪感を持っています」と言う。これは、彼女が幼い日に、審問者の誘導に負けて、聖母を見たということを撤回してしまったこと、そして、修道院の扉が再び開かれるのを待たず(しかし実際、この場合、待てばどうにかなっただろうか?)、別の道を選んでしまったこと──などを意味しているのではないだろうか。

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