2019.07.16

モンティキアーリとフォンタネッレ 7

前回は「地獄の幻視」の部分のみ訳したけれども、今回は、その前後を少し含めて訳してみる。これによって、私たちの読み方が、私たちの目に映じることが、少し変わってくるに違いない。

外国語の併記はやめにする。視覚的な煩わしさのせいで読んでもらえなかったら嫌なので。(軽薄な理由)
私の翻訳を危ぶむ人には(危ぶんで当然だが)チェコ語の原文が開かれている。

〔  〕と画像と強調(文字の色分け)は私による付加。

それから、今回は、小題も、私の方で付加した。

5個の小題

チェコ語 PDF / HTML

A. M. Weigl

Maria, Mystická Růže

Montichiari – Fontanelle

モンティキアーリ

Montichiari

(…)

20歳の時、ピエリーナはカルペネードロに住む司祭に奉仕し、6年間彼と共にいた管理人注1。1937年から1940年までは、ブレーシアにある “ヴィラ・ビアンカ” クリニックで看護助手として働いた。1940年から1945年までは、モンティキアーリから約15km、ガルダ湖畔のデゼンツァーノにある同病院で働いた。この病院は愛徳侍女修道会Ancelle della Carità)によって運営されていた。1944年、ピエリーナは同修道会に加わる決心をし、ブレーシアの修道院の修練女になる準備を始めた。しかし、僅か3ヵ月後、彼女は突然、脳卒中になり、12日間、意識不明になった。彼女はあらゆる手当てを受けたが、もはや絶望的とされ、終油の秘跡を受けた。

マリア・クロチフィッサ・ディ・ローザの出現

Santa Maria Crocifissa Di Rosa

臨終の苦しみと共にベッドに横たわっていた時、たまたま彼女を見る人が誰も居なかった時があったが、その時、一つの驚異的な出来事が起きた。ピエリーナは突然目を覚まし、一人の修道女を見た。それはその修道会の創立者、聖〔当時は福者〕クロチフィッサ・ディ・ローザ (2) だった。その聖女は手に軟膏のカップを持っていた。そしてピエリーナにこう言った:「私はあなたの頭の病気を癒します。しかし、あなたは今後、重い十字架を運ばなければならないでしょう」。管理人注2

それから、その人はそうした。ピエリーナは本当に、たちまちのうちに癒された。しかし彼女は、彼女の癒しの状況について、どの同僚にも言わなかった。看護婦たちは、彼女の病気が再発することを怖れ、会を去るように彼女に求めた。ピエリーナはそれに応じたが、1年後、自宅に居た時、モンティキアーリの病院に看護助手として受け入れられた。彼女は病院のサービススタッフのための二人部屋に実質的に一人で住んだ。

聖母の最初の御出現

2年後の1946年11月24日にマリアの最初の啓示があったのはその部屋においてだった。それは次のように起こった。(3)管理人注3 ピエリーナが夕の祈りで跪いて祈っていた時、聖母が紫色のドレスと白いヴェールという装いの神秘的なまでに美しい婦人の姿で現われた。マリアは非常に悲しげで、その目は涙でいっぱいで、その涙は床にまで滴り落ちていた。彼女の胸には三本の大きな剣が突き刺さっていた。マリアは三つだけ、しかし非常に重要な言葉を口にした:
「祈り - 犠牲 - 償い」

ピエリーナはこの啓示について誰にも言わなかったが、ただ、翌朝、自分の聴罪司祭には全てを打ち明けた。しかし、その聴罪司祭は怒り、彼女を強く抑えにかかった:「ほかに私に言いたいことは? あなたが私に言ったことは、あなたの想像力と悪い消化の結果です。いずれにせよ、それについては黙っていなさい。そして、今後そのようなことを私に聞かせないでください」。

それでもピエリーナは、自分は本当に聖母を見たのだと確信していた。しかし彼女は、聴罪司祭の言葉に従い、全てを自分の内に収めた。

地獄の幻視

しかし、最初の啓示の後、ピエリーナは悪魔から攻撃され続けたり、地獄の光景を幻視させられたリしたため、物事はスムーズには運ばなかった。彼女は次のように述べている:「神の母のこの啓示の後、私は1947年5月の間中来続けた3体の悪魔たちによって引き起こされた大きな肉体的および精神的苦しみを経験しなければなりませんでした。その月の終りに、彼らは私に地獄を見せました。私は神の恵みだけを頼りに、全てを耐え、待ちました。

5月31日、私は3体の恐ろしい悪魔たちとの激しい戦いを経験しなければなりませんでした。彼らは絶えず私を攻撃し、私を恐怖で満たし、私の体のあらゆる場所を残酷に打ちました。体のあちこちにあざができました。私は自分が何処にいるのかさえ分からなくなりました。私は助けを求め、私のそばに立っている二人の看護修道女たちに避難所と保護を求めました。私はしばらくの間、攻撃して来る悪魔たちから逃がれようと、ベッドの上や床に身を伏せたり、二人の看護修道女たちのうしろに隠れたりしました。

しばらくの間、平和があり、私は目を閉じました。しかし、再び目を開けた時、大声をあげながら私に殺到し、私を連れ去ろうとするたくさんの悪魔たちを見ました。彼らは勝利を収めた戦いの後のように、とても嬉しげで、満足げでした。私はひどい恐怖に襲われ、看護修道女にしっかりとつかまり、そして尊敬すべき修母(修道会の聖なる創立者マリア・クロチフィッサ・ディ・ローザ)に助けと保護を求めました。そしてそのあと、気を失いました。

それから、私は自分がどこか涯しのない広大な場所に運ばれたのを感じましたが、そこには恐ろしい光景が広がっていました。私は神を呼びました:『ああ、私の神よ、何が起こっているのでしょう . . . 地獄はなんて恐ろしいのでしょう!』。私は完全に無力に感じ、無防備に感じました。私の前には広大な火の海が広がっていました。私は硫黄の嫌な臭いを嗅ぎ、物凄い熱を感じました。私は火から遠く離れていましたが、窒息することを恐れていました。私は主と聖母を呼びました:『もう我慢できません!』。私は自分が祈っているのを聞きました。この広大な火の海の中に、全員が翼を持った悪魔たちから成る巨大な群れを見ました。その中には、少し前に私を苦しめた時には翼を持っていなかった例の悪魔たちもいました。

私は、滅ぼされた霊魂たちが炎の真っ只中にいるのを見ました。彼らの姿は明るく映じ、彼らの衣服と顔を区別することは容易でした。滅ぼされた霊魂たちは3つの異なる群れに分けられていましたが、それは少し前に私をひどく苦しめた3体の悪魔たちを思わせました。それら3つの群れのそれぞれに特有な罪状を説明する一つの未知の声がありました:『見よ、地獄を! 最初の群れは、彼らの召命を裏切り、自分を矯正せず、それによって滅ぼされた、奉献された霊魂たちから成る。第二の群れは、大罪を持ったまま死んだために滅ぼされた、奉献された霊魂たちから成る』。

罪状の説明を聞いている間、私をとても長く、またひどく拷問した、あの悪魔たちの姿も見えました。そして、とりわけ印象的だったのは、火​​の海の中でひどく苦しんでいる一人の黒衣の看護婦〔看護修道女?〕を見たことです。彼女の目から、鼻から、口から、耳から、炎が吹き出ていました。彼女の指先には蛇が巻きついていました。

声は続けました:『第三の群れは、ユダ〔裏切り者〕である司祭たちから成る!』

私は、広大な火の海の真っ只中にたくさんの司祭たちがいるのを見ました。彼らの中に、ミトラをかぶった二人の人が見えました。しかし、彼らが司教であるのか教皇であるのかは分かりませんでした。それから、この群衆から離れた所に恐ろしい炎に完全に取り巻かれた一人の人があることに気づきました。炎は彼女を離さず、非常な高さまで彼女を持ち上げ、そして彼女を再び下へ、恐ろしい苦悩の中に落とすのでした。

これら全ての霊魂たちは互いを憎んでいました。しかし、恐ろしい獣たちによってひどく責め苛まれてもいました。声は説明しました:『これらは私たちの主を情熱的に憎んだ者たちである』。私はこの恐ろしい光景に完全に疲れ切り、こう求め続けました:『もう十分です! もう十分です! ああ、私の神よ、助けて下さい!』。

声は続けました:『償い! 人々が地獄に来るのを防ぐために、償いが必要である!』。私は言いました:『償いたいです、償いたいです。でも、もう十分です!』。そして、私の力は尽きました。

遂に、私はこの恐ろしい地獄から巨大な鉄の門まで連れて行かれました。私の背後でその門が閉じられるのを感じました。私はため息をつき、こう叫びました:『悪魔たちはもういない!』。そして私は、これらの全ての恐怖から私を救い出して下さったことを神に感謝しました。」

2回目の御出現

2回目の啓示は1947年6月1日〔日曜〕、ピエリーナの部屋で起こった。ピエリーナはこう述べている:「この時は2人の修道女が私と一緒にいました。私たちは聖なるロザリオを祈っていました。聖母は全く予想外にお現われになりました。最初の時と同じように、紫色のドレスと、足元まで届く白いヴェールをお召しになっていました。この時も、彼女の御胸には3本の剣が突き刺さっていました。私は聖母に、そこにいる二人の修道女にも御目をとめて下さるようにお願いしました。すると聖母はこうお答えになりました:『彼女らに、あなた方は天国で再び私に会うことになるでしょう、と伝えなさい』。聖母はそれ以上は何も申されず、消えられました」。

3回目の御出現

3回目の啓示 - 1947年6月13日、聖母は朝早くに、日曜日と同じように、再び病院に現われた。ピエリーナはこう述べている:「私の部屋には2人の修道女がいました。私たちは聖なるロザリオを祈っていました。眩いばかりの光の中、その美しい婦人、聖母は、ブレーシアの愛徳侍女修道会の創立者、聖〔当時は福者〕マリア・クロチフィッサ・ディ・ローザを伴ってお現われになりました。聖母は、あたかも最上のアトラス〔?〕を身にまとっておられるかのように、全て白いお召し物を着られ、また、首の下で目に見えない留め具によって留められた、肩から足元まで垂れた真っ白なマントを着られ、眩いばかりの光の中、銀のように輝いておられました。額の上に薄い栗色の髪が見えました。マントは細い金色の縁飾り〔?〕で飾られていました。メダイが付いたロザリオが彼女の右手から下がっていました。

私は彼女に尋ねました:『あなた様がどなたであるか教えてください』。彼女は微笑みながらお答えになりました:『私はイエズスの母であり、全ての人の母です』。

聖母は御手を開かれました。すると、私は聖母の御胸に最早3本の剣がないのを見ました。〔その前に〕私は聖母が三本の剣を床に置かれたのを見ました。〔それに替わって〕その場所〔聖母の御胸〕に、三つの薔薇の花、白と赤と金色の薔薇の花があるのを見ました。

聖母は微笑みながら申されました:『私たちの主は、男女の全ての修道会に、また全ての教区司祭たちに、特別の保護、これまでにない真に偉大な霊的使命の開花、使命を投げ捨てる人たちの減少、神の僕としての偉大な成聖、等をもたらすために、私を送られました。私は、毎月13日がマリアの日として祝われることを望みます。そのための特別の準備の祈りが、それに先立つ12日間に行なわれなければなりません。その日は、御父にご自分を捧げられた私たちの主の聖心に加えられた侮辱を償うための日でなければなりません。この葡萄の木にあって、彼らはまるで三本の熱い剣のように、私の母なる心と私の神なる御子イエズス・キリストの聖心を突き刺しています。

その日、私は、そのようにして私を崇敬する宗教機関や修道会に、豊かな恵みと、その霊的使命における偉大な成聖を取り次ぎます。

私は、毎年7月13日が全ての宗教機関で特別に祝われることを望みます。その日を特別な祈りで祝ってください。それは、ミサ聖祭、御聖体拝領、聖なるロザリオ、そして崇敬の時間から成っているべきです。

私は、全ての宗教共同体と宗教機関に、深い信心をもって祈りの生活を送る人々があることを、そしてそれらの場所が、どんな召命も失われることがないほど恵みに満ちていることを望みます。

私は、重大な罪の中に生きている神に奉献された人々によって私たちの主に加えられた侮辱を償うために、寛大に、そして愛をもって、全ての試練と苦しみを負う人々があることを望みます。

私は、そのほかの人々にも、私たちの主がユダの裏切りを犯している司祭たちから受けている全ての裏切りを償うために、自分の全生涯を犠牲として捧げてくれることを望みます』。

その後、私の聴罪司祭の要求で、私は聖母に奇跡を求めました。聖母はお答になりました:『私は目に見えるどんな奇跡も起こしません。しかし、最も明らかな奇跡は次のようなものです。神に奉献された人々、長い間苛立ちを感じていて(特に戦時中)、それによって自分の使命を不誠実にこなすようになり、それを裏切りさえするようになり、今は自分の大いなる違反のために懲罰や迫害に苦しんでいる、そのような神に奉献された人々も、主を攻撃することをやめるようになるでしょう。彼らも再び彼らの聖なる宗教規則の元の精神で生きるようになるでしょう』。

そして、聖母は一時黙され、マリア・クロチフィッサ・ディ・ローザにこう言わせました:『権威ある長上たちにこう告げなさい: 聖母に対するこの新しい信心の呼び名は《奇しき薔薇の聖母 - 神に奉献された人々の真の母》です』。

(…)

チェコ語 PDF / HTML

(2)

クロチフィッサ・ディ・ローザは1954年に教皇ピオ12世によって列聖された。

(3)

最初の御出現のあった1946年11月24日のことは、A. M. ワイグル神父の本には書かれていない。そして一般的には、最初の御出現は1947年6月1日と考えられている。H. Mehring だけが1946年11月24日のことを書いており、私たちはそれを採用した。

[管理人注1]  Wikipedia によると、「1931年から1937年、ジョセフ・ブロチーニ神父と神父の盲目の80歳の母親にメイドとして仕え、仕事と祈りに専念する日々を送る」。

[管理人注2]  このように、モンティキアーリの一連の霊的現象において最初に現われたのは聖母ではなく、ピエリーナ・ジリと何かと縁の深かった愛徳侍女修道会の創立者である聖〔当時は福者〕マリア・クロチフィッサ・ディ・ローザだった。この事は、私に幾つかの事を思い出させる。ファチマにおいて聖母に先立ってポルトガルの天使が現われたこと。ベイサイドにおいて聖母に先立ってリジューの聖テレジアが内的に接触して来たこと(参照)。そしてまた、そもそも、イエズス様に先立って洗者聖ヨハネが道を準備したことも思い出してよいかも知れない。どうも、そういうのが神様の世界の一つの「やり方」のようである。ちょっと卑近な言い方をしてみれば、「大物」の登場の前には「先触れ」する者が現われる、というような。

[管理人注3]  これは確かに聖母であるに違いない。しかしこの時、聖母はご自分を名乗っていない。名乗られたのは、この文章があとで述べるように、地獄の幻視のあとの、3回目の御出現があった1947年6月13日のことである。その箇所

「27. 諸教会に潜入し、啓示された宗教を『社会的』な宗教と入れ替えよ」 - 共産主義の目標

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」 - フリーメイソンの雑誌

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