2016.04.21

大塚司教様(京都教区) 3

次に、大塚司教様の別の文章を見よう。
これは彼の「聖体理解」に関してである。

カトリック信仰は初めから信者の「日々」と結び付いていたに拘わらず、何故だか熱に浮かされたように「日常から、日常から」と繰り返す第二バチカン・マインド──が全開の彼の司教書簡から。

京都司教区 doc

2005年 司教年頭書簡

『 日常からミサを生きる 』 パート2
キリストとの親しい交わりに呼ばれて

京都司教 パウロ大塚喜直

2.「秘跡」と『日常』

(…)

「秘跡」とは、いわば「日常の私たち」と「キリストの過越の神秘」の中間にあるものといえます。2000年前に生起したキリストの死と復活の出来事に時空を超えて触れようとしたら、どうしたらよいのでしょうか。そう考えたとき、主イエスご自身が「これを私の記念として行いなさい」と言って、なぜエウカリスチア(聖体)を制定されたのかの意味がわかります。私たち人間の側からは、キリストの過越の神秘に有効に近づくことはできません。イエスの方が、私たちのためにその方法を考え出してくださったのです。「取って、食べなさい」という招きが、私たちの目の前にあるのです。私たちは「秘跡」において、具体的なシンボルを介してキリストの神秘に触れることができるのです。そして目には見えませんが、「救い主キリストと交わる」ことができるのです。ミサにおいては「パンとぶどう酒」というシンボルを使います。エウカリスチア(聖体)の秘跡も含めて、七つの秘跡におけるシンボルの意味をもっと知り、理解を深める必要があります。

彼は、この後もいろいろ言っている。あまりにいろいろ言っているので、多くの人には彼の展開する世界がよく分からず、「司教様は頭がいいのねぇ」ぐらいのところで終わるだろう。

しかし、私は簡単にポイントを突かせて頂こう。

上には「シンボル」という言葉が三つ出て来る。私は、その三つのうち、二つは「可」だと思う。しかし、こう思う。
『パンとぶどう酒』というシンボル──この言い方ができる人の聖体観は疑われるべきである。

私も、今まで何度か書いたように、秘跡に「しるし」の側面はあることは認める。そんなのは当り前だ。その側面がないと、人間にはどうにも「取っかかり」がないのだから。
しかし、「しるし」の側面は、その秘跡が何を「目的」としたものであるかが分かれば足りるのであって、取り立てて「工夫」(現代の司祭たちがミサに於いて夢想するような)を凝らされる必要はない。「必要でもない必要」は紡ぎ出さない方がいい。

そして、秘跡の中でも「御聖体の秘跡」は特別である。何故なら、それは「全実体変化」であるところのものだから。
で、人は、全実体変化を「学説の一つ」と言わず、シンプルに信ずる時、まずもって「『パンとぶどう酒』というシンボル」という言い方はするものではない。これは謂わば言語心理学的に断定できることである。全実体変化をシンプルに信じていたなら、御聖体の秘跡の「しるし」の側面を言うにしても、もう少し違った言い方になるものである。

違いますか。大塚司教様。あなたにとって「全実体変化」は「過去あった学説の一つ」ですよね? だいたいのところ、国井神父具神父と同じようなことを考えていますよね?

今回の記事の主要部、終わり。

前々回使ったこの写真から少し書いておく。

これは2015年の比叡山宗教サミットでの一コマを写したものである。向かって右から二人目が大塚司教様。そして、中央から少し左寄り、腰のあたりに赤いリボンを着けている女性は、以前、ソットコルノラ神父のところで見た、白光真宏会(Byakko Shinko Kai)の現会長、西園寺昌美氏である。

また、これも気づいたから書いておくが──もう一枚の写真を見てもらいたい。CLICK
これは、ソットコルノラ神父が、私が紹介した2014年に続いて2015年、白光真宏会の同じ催しに参加した際、その会場で撮影したものらしい真命山。彼の背後のパネルに書かれている文字に注目して欲しい。「ディバイン・スパーク」。これは、以前見たように、「グノーシス主義」とか「カバラ」とかと、なかなか縁の深い言葉だということである。人は、そんな言葉の書かれたパネルの前でニッコリ微笑むことのできるカトリック司祭は不吉である、と思った方がいい。

しかし、今後のカトリックは、世界情勢と共に、ますます「友好だけが全て」であるかのような方向に行くのだろう。世界が動乱するにつれて(すればするほど)「カトリック教義」よりも「友好」の方に縋りつくのだろう。そして世界の重要な「友好」の前では、例えば「聖体とは何か」という問題は “大きな問題ではない” と思われるだろう。彼らはそのように「目を取られる」だろう。それ故、慎重な再考などますますしなくなるだろう。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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