2015.09.10

典礼学者 ピエール・ジュネル

フランスにピエール・ジュネルという名の典礼学者が居ました。Wikipedia にはこうあります。(画像は私による付加)

フランスの典礼学者 ピエール・ジュネル French liturgist Pierre Jounel

Pierre Jounel はフランスの教区司祭。1914年7月16日、サッフレ(ロワール=アトランティック県)に生まれ、2004年11月14日、オリヴェ(ロワレ県)に没す。1940年、ナントで司祭叙階され、聖スルピス会に入会。パリ・力トリック学院の教授を勤めた。

業績
第二バチカン公会議の典礼改革の偉大な建築家であった。

Wikipedia-fr

これは「ちなみに」であり、私の「つぶやき」に過ぎないものですが──上はフランス語の Wikipedia なので、書いている人もフランス人でしょう。ところで、フランス人が誰かを「偉大な建築家」という呼称で誉め称える時、私はついフリーメイソンを連想してしまいます。いや、ただの連想、つぶやきですが。

私たちは物事を慎重に見てゆく必要があります。しかしそれでも、時には、物事から単純に “シグナル” を受け取ることも、そんなには悪くないことでしょう。

何を言いたいかというと──
第二バチカン公会議の頃のフランス。それは何ですか?

それは、第二バチカン公会議が始まる前から、オランダと共に、おそらくは自分の頭上にどんな権威も認めないような態度で、手による聖体拝領を “始めちゃった” 国ではなかったですか?

私たちはフランス人であられたヨゼフ・マリ-ジャック神父様の証言を忘れるわけにはいきません。参照

それからまた、当時のフランス司教協議会の会長たち、すなわちモーリス・フェルタン、フランソワ・マルティと云った人たちについても、少しは怪しんでおくべきでしょう。参照

だから、第二バチカン公会議の頃のフランスは──もちろんその典礼学会も含めて──あまり良いシグナルとは言えないでしょう。

だから、当時その典礼学会の中で決して小さな存在ではなかったであろうピエール・ジュネル師が次のように書いていても、私は驚かないのです。

第二バチカン公会議後、信者はようやく、かつてのように群れをなして祭壇に進み、キリストのとうといからだをいただくために手を差し出し、(…)拝領できるようになりました。

pp. 182-183

注)画像は私による付加。文章とは無関係。ただ「あまりにピッタリだ」と思ったものですから。

彼がそう書いているのは、彼の本『ミサ  きのう  きょう』(ドン・ボスコ社、菊地多嘉子/訳、中垣純/監修、1988年)に於いてです。上の引用は私が所持している第2版(右写真)からのものです。

ちなみに、この第2版の表紙には「ナイス」の写真があしらわれています。説明にこうあります──「第一回福音宣教推進全国会議」〔ナイス87〕一九八七年十一月二十三日、共同司式ミサ、京都司教座聖堂。

上の引用について言うならば、その言い方はあまりに簡単です。しかし、いわゆる「権威」というものに弱い人たちは、こんなものにもすぐ頷いてしまう傾向があるのです。
そうでなく、あなた自身で更に調べ、検討して下さい。
参考 ① デルコル神父様 ② ポール・J・マクドナルド神父様

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