手による聖体拝領に関する歴史的な考察
Historical Considerations on Communion on the Hand
ポール・J・マクドナルド神父(教区司祭)
聖パトリック教会
カナダ、オンタリオ州
St. Patrick's Church
何が普遍的なのか?
手による聖体拝領の歴史は、普通次のように語られます。
最後の晩餐の正にその現場から使徒時代の間中、聖体はもちろん手に授けられた。だから、それは殉教者時代の間中のものである。そして、それはコンスタンティヌス(在位306〜337年)の平和の後、「教父と典礼の黄金時代」の間中、そうあり続けた。手による聖体拝領は、私達が現在(教会のより開かれた新しい地域で)そうしているのと同じように、行なわれていた。そして少なくとも10世紀まで、それは普通の習慣であり続けた。つまり、教会の歴史の半分以上にわたって、それは規準的なものだった。
このことに関する素晴らしい証明が、エルサレムの聖チリロ(313〜386年)のテキストの中に見出される。その中で彼は信者達に「(聖体の中の)王を受けるために、あなたの手を玉座にしなさい」と忠告している。更にこの教会の父は、各自の手の中に残り得るかも知れない聖体のどのような断片についても大きな注意を払うべきことを忠告している。ちょうど人が砂金を地面に落とさないように注意すると同様に、主の御からだに関してはより一層大きな注意を払うべきであると。
通常の解釈によると、奉献されたパンを受ける方法の変化は次のように起きた。中世に、信仰において、また/あるいは、信仰へのアプローチにおいて、ある種の歪曲が起こり、徐々に発達した。これらは、神に対する過度の畏敬、罪・神の裁き・罰に対する過度の意識、また、実質的にキリストの尊敬すべき人性に対する否定あるいは少なくとも軽視となるようなキリストの神性の行き過ぎた強調、聖なる典礼における司祭の役割に対する過度の強調、また、教会が実際そうであるところの “共同体” に対する感覚の喪失、などを含んでいた。特に、ミサにおけるキリストへの崇拝の過度の強調のため、また道徳問題への行き過ぎた厳格のため、聖体拝領はますます珍しいものになって行った。それは聖体奉挙の時に聖なるホスチアを見つめることだけで十分であると考えられるまでになった(実際、ある論者によれば、聖体奉挙、聖体顕示式、そして聖体降福式などの典礼の慣習は、「不運な中世」──我々が今自らを賢明にもそれから脱却させようとしている典礼の慣習を持っていた期間──にその起源を持つ)。手による聖体拝領が制限され始めたのはこのような雰囲気と状況においてだった。奉献されたパンを司祭が拝領者の口に直接入れる習慣は発展し、不幸なことに強要された。
結論はかなり明白である。私達はそのルーツが暗黒時代に見出されるこの習慣を取り除かなければならない。私達は、信者が「取って食べる」ことを許さないこの習慣を禁止するか、少なくとも阻まなければならない。そして教父と使徒達の無垢なる慣習、すなわち手による聖体拝領に帰らなければならない。
しかし、これは押し付けられたストーリーです。困ったことに、これは真実ではありません。
トレント公会議(1545年)は、
ミサを司式している司祭だけが(彼自身の手で)彼自身に御聖体を与えることができ、一般信徒は彼から御聖体を受けるという習慣が使徒的な伝統である
と宣言しました。
教会史と教父達の著述から入手できる証拠についてのより厳密な研究は、「手による拝領というものが、舌による拝領に徐々に代わられ、結局それによって取り替えられたけれども、普遍的な習慣であった」という断定を支持しません。むしろ事実は異なる結論を示しているようです。
大教皇聖レオ1世(在位440〜461年)は、既に5世紀において、伝統的な習慣についての初期の証言者となっています。聖ヨハネ福音書の第6章についてのコメントで、彼は、口による聖体拝領のことを当時の慣習として次のように述べています。
信者は信仰によって信じているものを口に受ける。
One receives in the mouth what one believes by faith.
教皇は何か目新しいものを導入しようとしているようではなく、それがよく確立された事実であるかのように語っています。
それから150年の後から、しかし300年までは経たない時代に、その習慣は(前述のよく知られた研究報告によれば)おそらく導入されました。
大教皇聖グレゴリウス1世(在位590〜604年)がもう一人の証言者です。彼の「対話」(ローマ 3, c.3)の中で、彼は、
教皇聖アガペトゥスは、ミサで或る人の口に主の御からだを与えた後、どのような奇蹟を行なったか
について語っています。また私達は、御聖体を与える際のこの教皇のやり方について、彼の助祭であったヨハネからも聞くことができます。
これらの証言者達は5世紀と6世紀の人達です。ですから、「手による聖体拝領は公的な習慣として10世紀まで続いた」と、どのように合理的に言うことができるのでしょうか。どのように、「御聖体を舌の上に与えることが中世の発明である」と主張することができますか?
私達は「まったくどんな場合でも信者達が手によって受けなかった」と主張するつもりはないのです。しかし、どのような場合に信者達は手で受けたのでしょうか? 非常に早い時代から、司祭が拝領者の口に御聖体を置くことは普通だったようです。しかし、迫害時代の間、司祭がたやすく見つからなかった時、そして信者が御聖体を彼らの家に確保していた場合に、彼らは自分自身の手でそれを拝領しました。つまり、そうしないことは必要な霊的な糧を奪われることを意味している時に、いのちのパンをまったく奪われるよりは、彼ら自身の手によってそれを受けることの方が良かったからです。同じことが砂漠に出かけた修道士達についても当てはまります。司祭の奉仕を受けられない場所でも、彼らは毎日の聖体拝領の習慣を諦めたくありませんでした。
まとめると、そうしないことが聖なる秘蹟の恩恵が奪われることを意味する時、彼らはホスチアに触ることができた、ということです。しかし、司祭が居る時、彼らは自らの手に御聖体を受けることはしませんでした。
だから聖バジリオ(330〜379年)ははっきりと、手による聖体拝領は迫害の時、あるいは砂漠の修道士達のように司祭や助祭の奉仕を受けられない時にのみ許される、と言っているのです。
司祭や助祭のいない迫害の時には人が自分自身の手でホスチアを取ることは重大な誤りを構成しない、ということを公示する必要はない。(手紙93、我々の強調)
この言葉は、そのような状況でもなく迫害の時でもない時に手によって聖体を取ることは重大な誤りであることを暗示しています。聖人は、住居の中に御聖体を確保し、司祭や助祭のいない時には自分で御聖体を拝領する孤独な修道士達の習慣に、彼の意見の基礎を置いていたのです。
“Dictionnaire d'Archeologie Chretienne” の中の「聖体拝領」に関する記事の中で、Henri LeClerq 博士 (1913〜1948年) は、コンスタンティヌスの平和がその終わりまで手による聖体拝領の実行をもたらしていた、と断言しています。このことは、その時代が「手で受けるか、あるいはまったく受けないか」の二者択一を迫った迫害の時代であったという聖バジリオの説明を我々に再確認させるものです。そして、迫害が終わったあと、明らかに、手による拝領の実行はあちこちで持続しました。
しかし、それは使徒達の習慣に反するものであるということで、教会当局によって取り除かれるべき濫用と考えられました。
ルーアンの会議(650年)は、
御聖体はどんな平信徒──それが男であれ女であれ──の手にも与えられてはならず、ただ彼らの口にだけ与えられなければならない
と言っています。
トゥルッロで行なわれたコンスタンチノープル公会議(全教会的な公会議ではないが)
[1] は、平信徒が自分に御聖体を与えることを禁じています(御聖体が拝領者の手に置かれれば、もちろんそれは不可避的に起こることですが)。その会議は、司教、司祭または助祭の面前でそうする人々に対し、1週間の破門
[2] を宣言しました。
聖チリロ(315〜386年)に関してはどうでしょう?「手による聖体拝領」の推進者達は私達が以下に差し出す証拠について、もちろん普通ほとんど言及しません。彼らは、エルサレムの聖チリロ──彼は聖バジリオと同じく4世紀の人ですが──のものであると考えられているテキストを常に用います。LeClerq は次のように事柄をまとめます。
エルサレムの聖チリロは、聖体拝領に進み出る信者達に、彼らは右手を開き、指を揃え、それを左手で支え、掌に少し窪みを作らなければならない、そして、キリストのからだを手に受けた時に「アーメン」と言わなければならない、と勧めています。
しかしながら、正にこの引用に使われた文書には、このテキスト以上のことが含まれています。それは次のようにも提案しているのです。
聖なる御からだとの接触により、あなたの目を清めなさい。
(…)あなたの唇がまだ湿っているうちに、手でそれに触れ、次いでその手で、目、額、他の感覚器官に触れることによって、それらを清めなさい。
[3]
このかなり風変わりな(あるいは迷信的でさえある? 不敬な?)勧めは、学者をしてこのテキストの信頼性について疑問を持たせました。おそらく改竄されているだろう、あるいは、実際にそれを書いたのは聖人の後継者だろう、と考える人もいます。このテキストが実はエルサレムで聖チリロの後を継いだヨハネ総大司教の作であるということは不可能ではありません。このヨハネはその信仰の正統性が疑わしい人物でした。このことは、聖エピファニウス、聖ヒエロニムス、そして聖アウグスティヌスの書簡から分かります。ですから、手による聖体拝領に好意的なものとして、私達は疑わしい起源と内容を持ったテキストを持っているのです。そして他方、私達はついに5世紀において、拝領者の口に御聖体を置くことが一般的で平凡なことであったことを証言する二人の偉大な教皇を含む信頼できる目撃者を持つに至るのです。これは聖職者重視主義ですか?
聖職者が御聖体に触るのを許して一般信徒に許さないのは聖職者重視主義の形ではありませんか? しかし聖職者とて、必要のある時以外は御聖体に触ることは許されなかったのです。実際、行なわれている当の御ミサの司式者以外は、聖体拝領の際、誰も、たとえ司祭であっても、手に御聖体を受けることはできませんでした。つまりローマ典礼の伝統的な実践において、もし一人の司祭がミサを手伝っており(そして司式しておらず)、そしてもし彼が御聖体を受けたいならば、彼は彼の手によっては御聖体を受けなかったのです。彼は別の司祭から舌によってそれを受けました。同じことは司教においても真実です。同じことは教皇様御自身においても真実です。たとえば1914年8月に聖ピオ十世が死の床にあった時、そして御聖体が臨終の聖餐として彼のところに運ばれた時、彼はそれを手に受けませんでしたし、手で受けることを許されもしませんでした。彼はカトリック教会の法と習慣に従って舌で受けました。このことは基本的な点を確かめます。敬意を外れて御聖体への不必要な接触があるるべきではありません。明らかに、誰かがいのちのパンを配布するために必要です。しかし、各々の男性、女性、子供を、彼ら自身の「聖餐の聖役者」にする必要はありませんし、御聖体を掴むこと、いじくり回すこと、またその小片を落としたり無くしたりする危険を増す必要はありません。たとえその手が御聖体に触るために特に奉献されている人達──すなわち司祭──であっても、不必要に御聖体に触れるべきではありません。
了