2014.04.05

手による聖体拝領はオランダの背教者どもから始まった
Part 1

オランダ新カテキズム(1966年)

amazon

勧めない。読むなら "自己責任" というやつで。

 アマゾンで「オランダ新カテキズム」(邦題「新カトリック教理 ─ 成人への信仰のメッセージ」)(Wikipedia-en) が150円で売っていたので買ってみた。もちろん真面目に読むためではない。こんなもの、150円でなければ買わなかった。
 しかし、結果として、買って良かったのだろうと思う。と云うのは、私達はここに、第二バチカン公会議直後からオランダで始まったと言われる「手による聖体拝領」の反逆行為のワケを──事の次第を、精神的源泉を──まざまざと見ることができるだろうから。
 目を見開いて見て欲しい。このカテキズムは──おお、この本には「カテキズム」という名前が付いている!──御聖体についてこんなフザケタことを言っている。

オランダ新カテキズム(1966年)より

pp.405-406

聖体における臨在はいつまで続くか

 もう一つ小さな問題について述べることにしよう。聖体における臨在はいつ終るだろうか。パンの外観がなくなる時である。物理学的に、いつまでパンがパンであるかということは問題にしない(パンは物理学的な観念だろうか)。そういうように考えたこともある。そして拝領後十五分位で臨在が終ると結論を出した。しかし現代には、より簡単に、より人間的に考えねばならないとわかってきた。つまりこうなる、パンは食べ物である。食べられてからもうそれをパンと云わない。パンの姿は、食べられた時にすぐなくなる。その時は、もう食べ物ではない、すでに食べられたのだから。同じようにこなごなになったパンを誰もパンと呼ばない。祭壇の布に多分残った小さな部分は、従ってキリストの臨在ではない。結局、常識的に何をパンと呼ぶのか、それが大切なのである。パンと呼べるものが存在する間にキリストが臨在する。簡単に云えば、パンを物理学的よりも人類学的な観念として考えねばならない。

 呆れると云うか何と云うか・・・あの神学生と大して変わらない)

 この本は、大きさは菊判(152×218)、頁数は667頁である。
 で、本扉の裏にこうある。

東京大司教認可

東京大司教声明

このオランダの新カテキズムが出版されてから、ある箇所について、疑問が生じたので、教皇パウロ六世は枢機卿特別委員会を設置し、その検討を委託された。
この委員会は、検討の結果、この書の長所を賞讃すると共に、種々の訂正を要請した。これらの訂正はこの書の付録に含まれている。
従って、信者は指摘された箇所を訂正によって解釈しなければならない。

1970年10月31日

東京大司教
ペトロ 白柳誠一

 白柳大司教様は「訂正はこの書の付録に含まれている」とお書きになっているが、実際はその付録の全部が訂正のためである。
 で、それが何頁あるかというと、約70頁である。
 全部で667頁ある本の中の約70頁が訂正のため!

んなもの「カテキズム」として出版するんじゃない!

 ちなみに、上の箇所を「訂正」したものがこれである。

p.638

聖体における臨在の継続期間

 意見が異るかも知れないもう一つのささいなことについて述べよう。聖体におけるイエスの臨在はいつ終るか。それは、見える現実、パンの形がなくなった時である。時には、化学あるいは自然科学において答えを求めた。だが形はここで科学的な意味で考えるべきだろうか。こう自問した方がよくないだろうか、すなわち、一般的に云えば、また普通の知覚から云えば、何がまだパンとして現われているのか。そういったところから、聖体における臨在の継続について判断するはずだろう。

 何の訂正にもなっていない。聖座からの要求を真面目に聞いているとは思われない。

 「手による聖体拝領」に関する基本的な確認。

マイケル・デイヴィス氏

 手で受ける聖体拝領は、第二バチカン公会議直後、反逆行為としてカトリック教会に再導入されました。それはオランダで教会の合法的権威を無視する行為として始まりました。従う義務のある典礼規範は平然と無視され、いくつかの教会で宗教革命以来典型的にプロテスタントのやり方で御聖体が配られるようになりました。それは乱用であり、司教たちによって直ちにしかるべく取り締まられるべき行為でした。教会の規則に従おうとしない司祭たちは聖職停止になるべきだったのにそうならなかったのです。この習慣はドイツ、ベルギー、フランスへと広まり、これらの国でも司教たちは自分たちの義務を果たすことなく、乱用には目をつぶったままでした。

ジョン・ヴェナリ氏

第二ヴァチカン公会議の後オランダの数人のエキュメニカルな精神をもった司祭たちは、プロテスタントの実践の猿まねで手による聖体拝領を実行し始めた。しかし司教たちは、彼らの義務を果たし、乱用を非難するよりはむしろ、それを黙許した。

教会指導者たちがその乱用を阻止しないままやらせることを許したために、その実践はそれからドイツ、ベルギーそしてフランスへ広まった。

手による聖体拝領

時: 1965 or 6年〜
所: オランダ

オランダ新カテキズム

時: 1966年
所: オランダ

第二バチカン公会議 (wiki) の閉会式: 1965年12月8日

 そしてジョン・ハードン神父様は「手による聖体拝領はオランダでオランダ新カテキズムと共に始まり、それはまことの現存に対する信仰を意図的に弱めようとするものだ」とハッキリ仰っている。

TLDM

ジョン・ハードン神父は手による聖体拝領に対する反対を表明する

 1997年11月1日、ミシガン州デトロイトで開催された Call to Holiness Conference のパネルディスカッションで、ジョン・ハードン神父は聴衆からの様々な質問に答える話者の一人であった。質問の一つは手による聖体拝領に関するものだった。以下がハードン神父の答えである。

ジョン・ハードン神父様

 私達はその時、教皇様と御ミサを共同司式していましたが、御聖体を手に与えることはまったく禁じられていました。手による聖体拝領、手による聖体拝領は──手にです──オランダ・カテキズムの出版と共に──実質的に又おおむね自らを聖座から切り離した司教達以外には誰の許可もなしにされたその出版と共に──始まりました。それから、一つの国また別の国と云った具合に、許可を、オランダの司教達が一度も求めなかった許可を、手に御聖体を受けることの許可を、求め始めました。私は[アメリカの]司教協議会から舌による御聖体拝領を防衛するために書くように頼まれました。私は今も何時間でも話すことができます。

 ごく初期の教会に於いては、御聖体は手に与えられていました。しかしながら、まことの現存に対する信者の信仰が弱まったために、5、6世紀頃、舌による御聖体拝領が義務的なものとなりました。そして今世紀まで義務的なままだったのです。私はこの事を何度も言うことを望み、また出来る限りハッキリ言うことを望みますが、手による聖体拝領の背後には、まことの現存に対する信仰を弱めようとする動きが、意識的に、意図的に弱めようとする動きがあるのです。

 そして、アメリカの聖職位階は甚だ、三度、てこずらされました〔誤訳かも〕。手による聖体拝領を望む人達は押しに押して来ました。そうこうしているうち、とうとう、私は司教協議会の副会長から舌による御聖体拝領を防衛するようにと頼まれたのでした。私はそうしました。手による聖体拝領に対する十分な数の賛成票を得るために、退任した司教や死なんとしている司教までが投票をせがまれました。手による聖体拝領に対する賛成を可決するためです。手による聖体拝領を止めるためにあなたがするどのような事も、神から祝福されることでしょう。

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