2015.04.12

計画されたバベル(混乱) Part 5

典礼憲章

Constitutio
de Sacra Liturgia

可決 1963年12月4日

和訳 / 英訳

教皇自発令

サクラム・リトゥルジアム

Sacram Liturgiam

1964年1月25日

英訳

第一の指針

インテル・エクメニチ

Inter oecumenici

発布 1964年9月26日
発効 1965年3月7日

英訳

ムジカム・サクラム

Musicam Sacram

『典礼音楽に関する指針』

発布 1967年3月5日
発効 1967年5月14日

英訳

第二の指針

トレス・アビンク・ア
ンノス

Tres Abhinc Annos

発布 1967年5月4日
発効 1967年6月29日

英訳

エウカリスティクム
・ミステリウム

Eucharisticum
Mysterium

『聖体の奥義』
or『聖体祭儀指針』

発布 1967年5月25日
発効 1967年8月15日

英訳

書簡

1967年7月2日付)

「もう一つの指針が6月
29日に発効しました」

参照

左の図は第二バチカン公会議近辺に教会が「典礼」に関して発布した主な文書を時系列順に並べたものです。そして特に青の枠で囲ったものは「礼部聖省」から出されたものです。

典礼憲章実施のための第一の指針、第二の指針、そして『聖体祭儀指針』あたりの内容に当たってみたいものです。しかし、私の能力では翻訳は難しそうです。

古本(内容)求む。

『一般指針 : 礼部聖省』
(第一と第二の指針の翻訳文収録)

『聖体祭儀指針 : 礼部聖省』

『礼部聖省 : 典礼憲章実施のための第二の一般指針』

上智 / 聖トマス / 南山 / 鹿児島

日本語で読めるもので、それらについて書いたものが何かないでしょうか?

マイケル・デイヴィス氏が僅かに触れています。

実は、第二バチカン公会議の文書のどこを読んでも対面ミサへの言及は皆無です。対面ミサが最初に登場するのは教書「インテル・エクメニチ」においてです。「司式者が困難を感じることなくその後ろを通ることができるように、また対面ミサにも使うことができるように、主祭壇は壁から離れて作られることが望ましいのです」(九十一)

対面ミサ

「それらの “指針” は本当に、その “書簡” が言っているように、天主の典礼を《非神聖化》するという、そんな恐ろしい内容を持っているのか」を確認しようとしているわけですが、しかし多くの人は、『インテル・エクメニチ』が簡単な理由によって「対面ミサ」のことを言い出したと知っても、きっと何も “確認” しないのでしょう。「ミサが対面式になったからと云って、それがミサの非神聖化につながるなどということはない」と思うのでしょう。

omit(省略)

少しだけ読んだところでは、『インテル・エクメニチ』や『トレス・アビンク・アンノス』には「omit」という言葉が多いようです。「片膝をつく」「十字を切る」などの伝統的所作の「省略」です。(まったく無くすわけではないが、数を減らすということ)

それらを省略する「理由」は “確か” でしょうか?
つまり、信頼できるものですか?

その「理由(付け)」は典礼憲章から流れて来ているようです。

34  儀式は簡素の美(a noble simplicity)を備え、簡単明瞭であり、不必要な重複(useless repetitions)を避け…

50  … より簡潔にされなければならない。時代の経過につれて重複するようになったものや、有益でもないのに付加されたものは削除されるべきである。

和訳 / 英訳

私達は言葉だけに生きるわけにはいきません。これは人間の生きた心、魂に関することです。つまり、浅薄な「リクツ」で考えると間違います。

私達の宗教生活に於いて、重複という重複、繰り返しという繰り返しがすべて「無益」だというのでしょうか。もしそうなら、いったいロザリオはどうなるでしょう。

それとも、「有益な繰り返し」と「無益な繰り返し」の二つがあるというのでしょうか。仮にそうだとして、しかし一体誰がそれを “分ける” のでしょうか。長江司教様のような人ですか。それともグリム神父のような人ですか。その判断は “確か” ですか。

典礼憲章のことに戻れば──それはマイケル・デイヴィス氏の言う通り、教会内フリーメイソンたちが後からそこから物事を引き出し発展させる「Liturgical Time Bombs(典礼上の時限爆弾)」だったのであります。

次へ
日記の目次へ
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ