2015.04.10

計画されたバベル(混乱) Part 4

その日付に一致する指針が実際にある。
『トレス・アビンク・アンノス』である。

◎ ブニーニ大司教からの書簡〔と思われるもの〕

並ぶものなきグランドマスター。(…)非神聖化が急速に起こっています。もう一つの指針が発表され、6月29日に発効しました。私たちは既に勝利を歌うことができます。何故なら、通俗的な言語が全典礼に於いて──その本質的な部分に於いてさえ──主権を獲得したからです。(…)大いなる自由が与えられました。様々な式文から選ぶ自由が、個人の創造性に向かう自由が、そして . . . 混沌〔カオス〕に至る自由が!(…)すなわち私は、その文書によって最大の放縦を広げ得たと信じます、あなた様のお望み通りに。私は礼部聖省から私の敵と激しく戦いました。そして私は、教皇がそれを承認するように、私の全ての機敏さを使わねばなりませんでした。幸運にも私は、Universa Laus[典礼音楽研究のための国際協会]の中に友人と兄弟のサポートを見つけることができました。彼らは忠実です。送って下さった資金に感謝します。そして、近くお目にかかることを楽しみにしています。抱擁を送ります。あなた様の兄弟、Buan。(1967年7月2日

前回の冒頭で言ったことを繰り返せば、私は物事を「仮定」の下に考える(調査する)ことを恥としません。恥としないどころか、それは普通の手法だと思います。あらゆる刑事がそれをしています。

で、もしこの書簡の冒頭にある「6月29日に発効」という言葉が、この書簡の日付とされる「1967年7月2日」からして「1967年6月29日に発効」ということを意味するならば * 、私達は調べることができます。「礼部聖省から出された指針で、その日に発効したものはあるか」と。

* いや、そうでしかないと言えます。何故なら、「1967年7月2日付」の手紙の中で「年」の表示なしに「6月29日に」云々と書く時、誰も一年前の「6月29日」を意味しようとはしないからです。

第二の指針

私は調べました。あるのです。これです。

Tres Abhinc Annos(トレス・アビンク・アンノス)

発布  1967年5月4日  発効  1967年6月29日

正式名称は『Instructio altera ad exsecutionem Constitutionis de sacra Liturgia recte ordinandam』、訳すと『聖なる典礼に関する憲章の適切な実施のための第二の指針』となるでしょう。
Adoremus Bulletin も「Second Instruction on the orderly carrying out of the Constitution on the Liturgy」と訳しています。

羅  AAS 59 [1967] pp. 442-448 (PDF。重いです)
英  Adoremus Bulletin

第一の指針

そして、それが「第二の指針」であるならば、「第一の(最初の)指針」もある筈です。

あるのです。これです。

Inter oecumenici(インテル・エクメニチ)

発布  1964年9月26日  発効  1965年3月7日

正式名称は『Instructio ad exsecutionem Constitutionis de sacra Liturgia recte ordinandam』、つまり、さっきの題名から「altera」という語を取り外した形です。訳すと『聖なる典礼に関する憲章の適切な実施のための指針』となるでしょう。

羅  AAS 56 [1964] pp. 877-900
英  Adoremus Bulletin

使徒座公報(AAS)で確認したので既に十分ですが、なお補足的に言えば、次のような記述の中にも、それらが典礼憲章の実施のための「第一」と「第二」の指針であったことが窺われます。

1964年9月26日に、この評議会は礼部聖省と共に最初の一般指針を発表し、 1965年3月7日、四旬節第1主日よりそれを施行するように指令した。

和田幹男/典礼憲章を読むための手引き

1964年、教皇パウロ6世は、コンシリウムと呼ばれる「典礼憲章実行委員会(Consilium ad exsequendam Constitutionem de Sacra Liturgia)」を作り、典礼聖省発布の1964年9月26日付けの指針『インテル・エキュメニチ』で、典礼に大きな変更を加え、1965年から効力を持たせようとした[5]

更に、1967年に『典礼憲章』を実行するための第2の指針『トレス・アビンク・アンノスTres abhinc annos[6]が出された。

Wikipedia: 新しいミサ

だから、例の「書簡」の筆者は、それらの指針を指しながらこう言っていることになるのです。

非神聖化(de-sacralization)が急速に起こっています、

あなた様のお望み通りに。

それらの指針は題名に「聖なる (sacred) 典礼」という言葉を持ちながら、実はその聖なる典礼を「非神聖化 (desacralize) 」しようとする、裏切りの、美句を並べた偽善の、いけ図々しい頬っかむりの、そして「それでも人々は受け入れるだろう、疑わないだろう」と人を舐めた、馬鹿にした、そのような種類の「指針」であると、仲間内の通信で言っているという格好です。

さてしかし、これで終わったのでは不十分です。何故なら、それらの指針の「内容」にまだ当たっていないからです。

必要な質問はこうです。
それらの「指針」は本当に、その “書簡” が言っているように、天主の典礼を《非神聖化》するという、そんな恐ろしい内容を持っているのか?

駄目もとで書いてみます。古本(内容)求む。
・『一般指針 : 礼部聖省』(第一と第二の指針の翻訳文収録)
・『聖体祭儀指針 : 礼部聖省』(Eucharisticum Mysterium)
・『礼部聖省 : 典礼憲章実施のための第二の一般指針』

上智 / 聖トマス / 南山 / 鹿児島

カトリック信者の多くは、理念を謳った抽象的な『典礼憲章』と、その結果としての具体的な『総則』の二つしか知らないようなものです。
 典礼憲章 -------> 総則

しかし、本当の文書的流れはこうでしょう。
 典礼憲章 -----> 指針 -----> 指針 -----> 指針 -----> 総則

だから、私達はそれらの指針を読むことで、そこに書かれているだろう典礼の変更を正当化する「理由」たちが如何に浅薄で上っ面なものであるかを確認することになるでしょう。

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