2015.04.10

計画されたバベル(混乱) Part 3

私は、これら全てが言ってみれば「不確実情報」であることを認めます。しかし、「不確実情報」だからと云って、それら相互の間にどんなに驚くべき「一致点」があってもスルーする、注目しない、という態度には反対です。厳に反対。──当り前です。何故なら、警察の捜査のことを考えてみて下さい。彼らの捜査は、決着に至るまでの大部分、「不確実情報」を扱うのです。皆さんみたいに簡単に「そんなの不確実情報でしょ」で済ましていては、この世は間違いなく「泥棒天国」になってしまいます。

計画されたバベル(混乱)

◎ ブニーニ大司教宛の書簡〔と思われるもの〕

親愛なる Buan。我々は、グランドマスターと玉座に仕えるプリンスたちに従い、兄弟たちの会議によってあなたに課された任務をここに伝える。我々はあなたに、儀式と言語を混乱させることによって非キリスト教化を広めること(…)を命じる。そして、司祭、司教、枢機卿たちを互いに対立させることを。単一の言語と儀式が教会の力であれば、バベルの言語と儀式はまさしく我々の勝利となるだろう。(…)全てがこれから10年のうちに起こらなければならない。(1964年6月14日)

まずは「Buan(ブアン)」という呼び名。“暗号名” とされていますが、それはあの「ペコレッリのリスト」にあるものと同じです。

BUGNINI Annibale: 23/4/1963 - Matricola 1365/75 - BUAN (pronunzio in Iran)

ペコレッリのリスト

Matricola = 登録番号,  pronunzio = 英 pro-nuncio = 教皇大使

そして、そのような外形的なことばかりでなく、“思想の一致” があるのです。

5.  典礼改革: ラテン語使用の義務の廃止。様々な典礼によってバビロンの混乱を作るために。

教会破壊計画(1976年

3.(…)我々の任務は分断することである。

教会破壊計画(1961年

◎ ブニーニ大司教からの書簡〔と思われるもの〕

大いなる自由が与えられました。(…)
・・・混沌〔カオス〕に至る自由が!

だから──

私達は、一見もっともらしい理屈によって、しかし実は

《バビロンの混乱》の中に落とし込まれているのではないか?

──と、少しは疑ってみるべきなのです。

それに気づいている人達、洞察力のある人達、正気な人達の言葉を聞きましょう。

アルフォンス・スティックラー枢機卿様

自国語の使用はしばしばミサそのものを通俗化し、ラテン語原文の翻訳は非常に重大な神学的な誤解と誤謬をもたらしました。(…)共同的な礼拝に於けるこのバベル〔混乱〕は、全世界的なものであるカトリック教会、かつては一つの共通言語によって結ばれていたカトリック教会から、外的な一致を失わしめました。(…)私達は認めねばなりません、典礼の言葉の改革からほんの二、三十年のうちに、私達は、大きな国際的な集会に於いてさえ──聖体大会、或いはまた、教会の一致の中心である教皇様との集会に於いてさえ──共に祈ったり歌ったりできなくなってしまったことを。

(1995年5月20日、ニュージャージー州フォートリーにて)

SanctaMissa.org (PDF) / archive.org / archive.today

アリス・フォン・ヒルデブラント博士

私が最初にアメリカに来た時、何もかもが見慣れないものでした。私は望みが断たれたかのように途方に暮れ、自分が根無し草になってしまったように感じました。しかし、ニューヨークの聖パトリック・カテドラルに入ると直ぐに「Introibo ad altare Dei...(神の祭壇に上ろう)」と言う声が聞こえて来ました。私は「自分はわが家にいる」と感じました。そして、地上の真のわが家は過去においても未来においても常に聖なるカトリック教会であることを、また、その教会が何処にあろうとも、それがそれらの聖なる言葉を発するならば「故郷」であることを、私は理解しました。そのミサは、私が四歳の時以来本国で聞いて来たものと一語一句に至るまで完全に同一でした。私は自分のルーツをそこに見たのでした。

講演

別のタイプの人です。

参照

日本の神父様方は「インカルチュレーション」と聞くと主として「ヨーロッパ vs. 日本」という構図で考えますが、上のような人にかかれば「ヨーロッパ」それ自体も “細分化” されかねません。

彼は「globalise」という言葉を出しています。しかしこのような人が愛する(声高に叫ぶ)「グローバリズム」というのは、カトリック信仰の中で慎重に考えられるべき「普遍性」とはちょっと違って、「アジア」とか「ヨーロッパ」とかに留まらず「教会」そのものまでをも或る意味 “細分化” しかねないものです。*

*「或る意味」とか「かねない」とかは、遠慮気味に言ったのです。

彼は「メーソニックな傾向」というものを私達に解りやすく教えてくれているのです。

もっともらしいところもありますよ。
だから神父様方は退けることができないのです。

しかし、いかにも優しい、“他者思い” の顔をしながら、
彼らの「腹」の中にあるものは?
教会を分断し、統一性を失わさせ、力を削ぐことです。

また、例えばこれ → シノドス

このようなものは、彼らが彼らの「カトリック教会バベル化計画」の袋の中から取り出してみせたものです。
(日本の神父様方は “影響” されているに過ぎません)

この断定にまだ違和感を感じますか?

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