2014.07.16

ユダヤの影響 8

 

「共同体」という言葉(2)

1

 今回は "まとまり" のない文章である。(いつも?)

 教会のことを「教会」と言うのでなく、必ずのように「教会共同体」と言う司牧者が居る。しかし、その用語は、教会の意識を "地上化" したい勢力の作品である。
 もしカトリックの聖職者にして、教会のことを「神の家」と思うより「教会共同体」と思うことの方が多い人があるとすれば、その人の意識は敵の思惑通りに "地上化" しているのである。(「完全に」とは言わない。しかし「比較的に」とも言いたくない)

欧州経済共同体本部

欧州経済共同体本部(ブリュッセル)

教会憲章

1 社会・技術・文化の種々のきずなによって今日、より強く結ばれているすべての人々

現代世界憲章

1 この共同体〔教会〕そのものが人類とその歴史とに、実際に深く結ばれている。

ノストラ・エターテ

1 人類が日を追っていっそう緊密に結ばれ、諸国民間の関係が増大しつつある現代(…)すべての民族は一つの共同体である。

4 この聖なる教会会議は(…)新約の民とアブラハムの子孫とを霊的に結んでいる絆(きずな)を思う。

信教の自由に関する宣言

15 実際、すべての民族が、日とともにますます一体化し、文化と宗教とを異にする人々がいっそうつよいきずなで互いに結ばれ

 これらの言葉の景色をよく見て頂きたい。
 私はこれを何と呼ぼう。「絆マニア(熱中症)」と呼んでおこう。

 人は「宗教書」に書かれてあることは「宗教的」なことに決まっていると思っている。まして、私達にとって、それがカトリック教会の公会議文書なら尚更である。

 しかし、これらの公会議文書が私達を導いているのは、神の方へではなく、実は次のものに代表されるもの方へかも知れない。

国連

 何故なら、公会議文書の或るものは次のように言っているから。

現代世界憲章

11 公会議はまず第一に、今日特に高く評価されているような諸価値を、信仰の光のもとに判断し、その源泉である神に関係づけようと考える。

信教の自由に関する宣言

15 信教の自由が多くの国の憲法の中ですでに市民の権利として宣言され、また国際的文書によっておごそかに認められていることは確かである。

 しかし、多くの神父様方は、このような情景を見ても、何ら驚かないかも知れない。何故なら、彼らは国連について疑っていないから。それどころか、彼らにとって国連的な精神は、人類世界の中で神の善が "福音の酵母" によって大きく育って来たものであるだろうから。

 つまり、彼らは公会議文書の次のようなものに説得されているのである。(言葉の前後関係については参照先にて各自で御確認頂きたい)

現代世界憲章

26 福音の酵母(the ferment of the Gospel)は、人間の心の中に尊敬(his dignity)に対する押さえることのできない要求を起こしたし、また起こしている。

全文  英訳  ラテン語

信教の自由に関する宣言

12 福音の酵素(the leaven of the Gospel)は、人間が時代を下るにつれて、しだいに人格の尊厳を一般に認め、〔云々〕という確信が熟するために、長い間作用し、大きく貢献した。

全文  英訳  ラテン語

 上の現代世界憲章の言葉で、日本語で「尊敬」となっている所は英語では「his dignity」である。つまり、やはり「人間の尊厳」である。

 これらの文書は、「福音の酵母」「福音の酵素」という言葉を使いながら「福音は人類社会の中に既に内部的に浸透している」と言っているので、私達に人類に関する一定の「安心」を運び、それによって天主の宗教の宣教の必要性を下落させるものである。*

* もちろん「不当に下落」させるのである。しかし、現代世界憲章の「人間性はわれわれにおいても崇高な品位(divine dignity)にまで高められた」というヴィジョンを信じる神父様方(参照)は、これに関し鈍い反応しか見せないだろう。

 さて、「ユダヤとは何か」は簡単な問題ではない。
 それは単に私達が単純に思い描くところの「ユダヤ教徒」なのではない。単に、彼らの聖書(ほぼイコール私達の旧約聖書)を持っているが、主イエズスを天主とは認めていない人達、なのではない。
 例えば、「ユダヤ人の危険性とカトリック教会」の中で報告されたあの講話者も「ユダヤ教徒」ではあるだろう。

 そして、『シオンの議定書』からもう一つの言葉を見よう。
 以前取り上げた第十四議定からのものである。

我々の哲学者たちは、ゴイムの様々な信仰に関して、その欠点をすべて論じるだろう。しかし、我々の信仰に関しては、誰も、真実の観点からそれについて論じることは決してないだろう。と云うのは、我々以外には我々の宗教の全貌を知る者は無いからであるし、そして我々はその秘密を裏切るようなことは敢えて決してしないからである。(管理人訳)

Our philosophers will discuss all the shortcomings of the various beliefs of the GOYIM, but no one will ever bring under discussion our faith from its true point of view since this will be fully learned by none save ours, who will never dare to betray its secrets.

 このような言葉から私達が思い出すのはかの悪名高き「タルムード」である。(そして「我々の哲学者たち」については、私達は既にその幾人かを見て来たのではないか。ヘーリングスキレベークス。彼らは彼ら言う所の教会の "欠点" を論じ立てなかったか)

 国連の前身である国際連盟を自ら体験して来た四王天延孝氏の言葉を読もう。講演「国際連盟の実情」(1933年)より。

 只今から国際連盟の話を申し上げます。私は大正13年〔1924年〕から昭和2年〔1927年〕まで国際連盟に行っておりました。僅かの任期ではありましたが、兎に角あそこに行って国際連盟なるものを眺めてみますというと、大体その前から私はこの秘密結社の研究を致しておりましたので、予想しておったことと大した変わりはありませんが、これが着々確かめられたということになるのであります。

 氏は国際連盟のことを「秘密結社」と呼ぶのである。人はこれに驚き、或いは笑うかも知れない。しかし、現在の国連の本質を少しく知っている者は笑いはしない。
 (以下、読むのが面倒な人は赤文字の所だけ読んで頂きたい)

 一体国際連盟とは如何なる動機でいつ頃準備され、いつ頃出来たかと申しますと、これは世界の平和論者が世界大戦の前から考えておったものと私は信じております。そうして世界大戦の終わる前々年、大正6年〔1917年〕の6月28日、29日、30日とこの三日間、パリで世界の秘密結社の大会を催して、もうこれから段々戦争を終[しま]いにしようじゃないか、その結末には是非国際連盟というものを拵えて、そうして今回の戦争を以て世界最後の戦争ということにしてしまわなければならぬ、その規約を作ろうというので、13箇条から成る規約を作った。その草案があります。今日の国際連盟規約は26箇条から成っておりますが、その当時は条項の数は半数でありました。その精神に於いては今日のと大して変わりはありません。これはやはりインターナショナルwikiと同穴の狢であります。この点をはっきりお考え願いたいのであります。表面に出た所は違っておりますけれども、本当の出発点は同じです、ここから出ている。一つは社会主義、共産主義となり、一つは国際連盟となっているのでありまして、世界秘密結社の目的たる、世界の現状を打破し遂には世界共和国を作ろうという思想に於いて、何も変わったことはない。その考えを以て見ないと見誤ります。ただ社会主義、共産主義者の立場を取らずして、これがブルジョア的、学者的、政治的、外交官的の方法を採って進んでいるだけでありまして、その達せんとする目的は、国家というものの存在を薄らがせて、兵力も何もないプルート・クラシー〔引用注: ネットで「金権寡頭権力」などと訳されている〕というものをそこに持って来るのであります。軍備縮小をするのであります。怖い者なしにするのであります。その目的に向かって行く時に於いて目標は同じであります。

 御承知の通り、出来上ったのは1919年の6月20日でありまして、当時は主たる同盟国並びに連合国でありまして、日英独伊が主たる同盟国、それにアメリカとベルギー、後から参加した支那というような連合国が加わったのであります。最初は旧敵国たるドイツ、オーストリア=ハンガリーなどは入っておりません。それが段々に加盟して行き、今度は中立国も入って来まして、今日では世界の殆ど全部を網羅して55箇国の加盟国があるのであります。その中にどういう機関があるかと申しますというと、その中心に働くのは連盟事務局と言うのであります。これにはエリック・ドラモンドwiki-enというユダヤ人を始めとし、男女合せて400名ばかりおります。連盟事務局というのが実行委員でありますから、これが実に大なる働きをするのです。総ての何々会というのにも理事者がありますが、そういうような常任の者であります。それで、エリック・ドラモンドがユダヤ人であることは知っておりますが、行ってみて驚いたことは重要な椅子は悉くユダヤ人が占めている。その時に於いては事務局次長が三人ありまして、フランスのアブノールというユダヤ人、イタリーのアットリコというユダヤ人、それから三人目がこの間までやっておった新渡戸稲造という我が大日本帝国から出ている人でありまして、奥さんは日本人ではありません。最高地位の三人までがユダヤ人である。その下の部長級になりますと、政治部長のマントーがユダヤ人、経済部長のソルターがユダヤ人、軍縮部長のマダリアガがユダヤ人、衛生保健部長のライヒマンがユダヤ人というふうに、ずっとユダヤ人でありまして、総会の時に政府委員席に並んだところを見ますと、ズラリとユダヤ人が並んでおります。なぜこうユダヤ人が多いかということを研究してみるというと、事務局に入って働く者にはこういう雇用条件がある。ここに来て働いている間に、もしその生れた国、即ち国籍のある所の国と連盟の利益と衝突した場合に於いては、その生れた国の利益は棄てて連盟の人となって働くのだぞ。こういう不文の条件がある。そうなって来るというと日本人の如きは大いに働きにくい。日本と連盟との利害が衝突した場合には日本の利益を棄てて、連盟人、国際人となって働くということは実にやりにくいことでありますが、そこは1800年前に国を失って放浪の民となり、彼らの本籍はユダヤ教というものであり、今国籍を置いている所は唯一つの寄留藉に過ぎないと確信するところのユダヤ人は、イギリスに生れたところで連盟とイギリスの利害と衝突すればさっさと連盟の為に、世界の為にと言って働くのでありますから、ユダヤ人の方がエリック・ドラモンドが使うには使い易い。そこに日本人やイタリー人のファシストなどが入って来ては使いにくくって仕様がない。それが原因でありまして、ユダヤの理想と国際連盟の理想と一致している。もっと完全に言えば、国際連盟はユダヤ人の理想実現の為にユダヤ人が実現したものと言うことが出来る。それは私が唯空に論ずるのではありません。大正15年〔1926年〕にあそこで発刊されたユダヤ雑誌ルヴュー・ジュイーブの創刊号の論説欄に「国際連盟論」というものがありました。それを読んでみますというと、そのことが明らかに書いてある。国際連盟とは我々民族が1800年前に世界に離散せしめられて以来、民族生活の基礎根底を成して来た事柄を、ここから政治的に解決する機関である、という定義を下している。回りくどく書いておりますが、即ちシオニズムと申しまして、彼らが世界に打ち蒔かれてしまった以上は、彼らは国を立ってやるのでなくして、無国家のまま、いきなりインターナショナル、更に進んでコスモポリタン……万国主義に進んで行こうということが、彼らの基礎根底になった。国家というものは権威を失って、彼らが世界の各国におって金を溜め重要な地位を占めておって、それが一緒になって世界の覇権を握ろうという考え、その理想を政治的に実現するのである。

 そして私達は、クイーンボロ男爵夫人(エディス・スター・ミラー)がその著書『オカルト・テオクラシー(オカルト神権政治)』の中で書いたブナイ・ブリスについての次の説明を思い出すことができる。

設立当初から現在まで、それは主としてドイツと結び付いており、その主たる狙いは「国際性」のチャンネルを通して全ての世界事象の上にドイツのユダヤ人の覇権を確立することである。

参照

 四王天氏の観察と合わせて鑑みる時、ここから「ドイツ」という語を取り除き、ただ「ユダヤ」のこととして読んでも、それほど不当なことではないだろう。要は、えらく「国際性」というものを強調し、世界をまとめ上げようとする動きは、悉くと言ってもいいほど「ユダヤ」のものだということである。

各国間の「国際協力」はあって然るべきである。しかし「グローバリズム」と云うほどのものになると、そうは言えない。それは「ユダヤ製」と言っていい。「グローバリズムには善いものはない」ぐらいに考えておかなければならない。参照

 四王天氏はフリーメイソンとユダヤの関係についても書いている。

フリーメーソン結社は必ずしもユダヤ人のものではないと主張し、之をユダヤ運動に入れて説くのに賛成しない識者もあるが、筆者は之をユダヤ運動の重要なものと確信する(云々)

ユダヤ思想及運動(1941年)

 とにかく、神父様方に於かれましては、もう少し「敵」ということを考えて頂きたい。気づいて頂きたい。

次へ
日記の目次へ
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ