それは実のところ何であるか
(文書資料)
① 1936年の出来事を伝える記事
それから数週間後、今度はパリの週刊誌『Le Réveil du Peuple』が、それらの声明は最近のパリで持たれたブナイ・ブリス(非ユダヤ人が入会できない秘密のフリーメイソン団体)の大会でのものだと注釈しながら、同様の記事を発表した。
「我々の主要なる敵、カトリック教会」
「土台から揺さぶる」
「彼等をカトリック組織に入らせた」
「カトリック教会はまだ生きている」
「破壊しなければならない」
② 1990年のユダヤ人の著作『ユダヤの告白』より
ブナイ・ブリスの創設
一八〇一年、ロンドンのスコティッシュ・ライトのグランド・マスターたちは、昔から継承されてきたスコティッシュ・ライト・フリーメーソンの位階において第三十三階級に位置し、ソロモン神殿の家騎士団の団長からなる最高会議である、エルサレムの王子の大会議に、支部設立許可状を与えるという思いきった手段をとった。こうしてアメリカにおける最初のユダヤ人フリーメーソン支部は、南カロライナ州チャールストンに創設された。当然のことながらこの都市は、その後半世紀以上にもわたって合衆国に楯突く勢力の拠点となった。
このチャールストンにスコティッシュ・ライトの南部地域を管轄する本部が置かれた。この支部の最初のメンバーの中には、〔アイザック・〕ダ・コスタ、〔モーゼス・〕コーエン、イスラエル・デ・リーべン、アイザック・へルド博士・モーゼス・リーバイ、ジョン・ミッチェル、フレデリック・ダラチョといった人々がいた。
そしてこれらのユダヤ人スコティッシュ・ライト・フリーメーソンの要職にあった者たちが、一八四三年にブナイ・ブリス(契約の子孫の結社)を設立したのである。
P・ゴールドスタイン/J・スタインバーグ 共著
『ユダヤの告白──日本経済を裏面から見る』
(1990年、エノク出版)
この本は現在絶版だが、ネットで幾らか読むことができる。 1 2 3
上の引用は「第二部 かくてアメリカは浸触された」から。
二人の著者はアメリカのユダヤ人である。
③ 1933年のアメリカ人の著作『オカルト・テオクラシー』より
第76章
Independent Orders of B'nai B'rith
I. O. B. B.
(ユダヤのフリーメイソン結社)
(1843年設立)
B'nai B'rith とは「契約の息子たち(Sons of the Covenant)」を意味する。契約とは、モーセの律法に従って実践される割礼に於けるそれである。それ故、ブナイ・ブリスはユダヤ人にだけ入会を許す。
この組織(rite)は「ヘンリー・ジョーンズ(Henry Jones)率いるドイツの幾人かのユダヤ人によって1843年にニューヨークに設立された」。1
その組織構成、地区ロッジ(District Lodges)、本部(Grand Lodges)が、それがユダヤ人のメイソン結社であることを物語っている。
大部分の結社と同じように、それはその政治的活動を「博愛と慈善」という覆いの下に隠している。
設立当初から現在まで、それは主としてドイツと結び付いており、その主たる狙いは「国際性」のチャンネルを通して全ての世界事象の上にドイツのユダヤ人の覇権を確立することである。
アメリカ合衆国に於けるブナイ・ブリスの力は、モーリッツ・エッチンガー(Moritz Ettinger)によって、1882年に、ドイツでのロッジ開設を確実なものとした。そしてブナイ・ブリスの成長は、1885年に、ニューヨークのブナイ・ブリスの長であるジュリアス・ビアン(Julius Bien)が海を渡り、ドイツで最初の彼らのグランド・ロッジを開始させるほどに急速であった。
ルーマニア、オーストリア、そしてハンガリーに於ける彼らのリーダーたちの政治的活動は記録されるべきである。とは云え、彼らのパワーの主要なセンターはアメリカ合衆国であった。彼らはそこで、最近、「国内的」シオニズムを吸収し、それ全体を彼らの「国際的」政策に服従させることによって、ユダヤ世界に於ける覇権を確立した。1928年10月、Jewish World Agency が設立された時である。
しかしながら、以下のことを心に留めておくことは、読者のためになるだろう。ユダヤ人たちがジェンティーレ〔非ユダヤ人〕たちに見せている彼らの統一された見かけに相違して、彼らの内部には対立がある。彼らの様々なグループ間に於ける覇権のための争い、また世界権力の獲得競争は、フリーメイソンの異なったセクト間に於けるそれと比べても、負けず劣らず激しいものである。
〈ラビ〉Leo Bach 博士は、1928年に、ドイツに於けるブナイ・ブリスの長であった。
1917年のロシアの革命の時、ブナイ・ブリス・インターナショナルのロシアのためのグランド・マスターはスリオズベルク(Sliozberg)であった。彼はケレンスキー(1917年の最初の革命のリーダー)を鼓舞する者の一人であった 2 。アレクサンドル・ケレンスキー(元の名を Aron Kirbiz と云う。"ケレンスキー" というのは彼の継父の姓)は社会革命党のメンバーであり、またスコティッシュ・ライト・フリーメイソンの第32階級であった。
ブナイ・ブリスが、それ自身の最終目的のために政策を練り、指揮する、英国のグランド・ロッジに始まり、グランド・オリエント、スコティッシュ・ライト、そして O. T. O. に至る、何であれフリーメイソンである全てのものの最高機関であることは、今や疑う余地がほとんどない。それは別の名を持ったイルミニズムである。
Jewish Encyclopaedia, Art. B'nai B'rith. |
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Les Cahiers de l'Ordre, November 1927. |
Lady Queenborough(Edith Starr Miller)著
『OCCULT THEOCRASY』(1933年)
Volume 1, pp. 465-466
クイーンボロ男爵夫人(エディス・スター・ミラー)については次を参照のこと。akazukinのブログ or さてはてメモ帳
④ イルミナティ離脱者ジョン・トッドの1978年の言葉
UP HERE YOU'LL ALSO FIND B'NAI B'RITH, A VERY VERY POWERFUL ILLUMINATI ORGANISATION. They couldn't be doing what they're doing today without B'nai B'rith.
John Todd
⑤ 1943年の日本人の著作『猶太と世界戦争』より
〔いわゆる「シオンの議定書」の真偽問題に関して〕ラートツィヴィルの説が根拠のないものであることは(…) なお彼女は問題の会見に対し、純ユダヤ・フリーメイソン秘密結社ブナイ・ブリスの会員ルイ・マーシャルから五百ドルの報酬を受けたということである。 |
![]() カテリーナ・ラートツィヴィル |
この話が本当ならば、ブナイ・ブリスは何としても(汚い手を使ってでも)「シオンの議定書」を〈偽作〉としたかったのである。
教会にとってブナイ・ブリスがよくないものである事は以上によって十分確認できたと言わなければならないと思う。
ブナイ・ブリスと関連して「サバタイ派=フランキスト」という言葉が出ることもあるが、カトリック教徒である私達がそこまで詳しくなる必要はないだろう。
ブナイ・ブリス。それはフリーメイソンである。
「看板」が多少どうあれ。
そして、第二バチカン公会議以前からこの種の勢力(まあ、ざっと言って「ユダヤ勢力」)が教会に働きかけていたのであり、そして第二バチカン公会議文書に於いて教会の信仰を歪めることに成功したのである。(この辺の事は、聖ピオ十世会の人達なら勿論知っているだろうし、実は未信者だって、知っている人は知っている。)
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