近年の教皇様達とブナイ・ブリスの接触
ヨハネ・パウロ2世教皇様
ルフェーブル大司教様は1984年7月4日付けの公開書簡の中で次のように書いておられる。
カトリック信者は、最近ブナイ・ブリス・メーソンがバチカンに歓迎されたことや、パリの大司教がフリーメーソンのロッジのグランド・マスターと会って面談したのを知っています。(参照)
「最近ブナイ・ブリス・メーソンがバチカンに歓迎されたこと」とは次の事を意味するだろう。よく知られた写真である。
ブナイ・ブリスの下部組織 ADL(Anti-Defamation League, 名誉毀損防止同盟)の表敬訪問を受けられた教皇様。1984年3月22日
この時の教皇様の挨拶の言葉がバチカンの公式サイトにある。参照
(因みに、その記事の日付は「Thursday, 2 March 1984」となっているが、間違いだろう。ブラウザの上部に表示される記事タイトルには「22 March 1984」と出るし、記事の URL も「19840322」である。曜日にしても、その年の3月2日は金曜であり、3月22日が木曜である。)
ベネディクト16世教皇様
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2006年12月18日 |
2012年2月12日 |
フランシスコ教皇様
彼が新教皇に選出された2013年3月13日、ブナイ・ブリスはさっそく自身のウェブサイトで歓迎の意を表しながら、彼と自身との過去の交流を写真付きで紹介している。
2012年11月12日、大勢の人々がブナイ・ブリス・アルゼンチンのクリスタル・ナハト追悼式典に参加した。ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(現在の教皇フランシスコ)が式典を導いた。上は、ホロコーストで死んだ600万のユダヤ人を追悼して、〈ラビ〉アレハンドロ・アブル(Alejandro Avruj)と共にロウソクに点火しているところ。
ブナイ・ブリス主催の式典なのである。そして、この場所は何処かというと、次に書いてある。
2012年11月12日月曜、ブエノスアイレスの司教座聖堂は、ブナイ・ブリス・アルゼンチンのクリスタル・ナハト追悼式典にやって来た大勢の人々を接待した。ホルヘ・ベルゴリオ枢機卿(現在の教皇フランシスコ)が式典を導いた。式典には、メソジスト、ルーテル教会、長老派教会、そしてカトリック教会からの高位の代表者が参加した。
以上、B'nai B'rith International Welcomes New Pope Francis より
「教皇」にお成りになられてからも。参照
しかし、私達は物事のニュアンスを読まなければならないだろう。第一に、これらは「外交」(外面的お付き合い)の場面である(追悼式典はそうは言えないが)。誰の表敬訪問を受けようと、その訪問者と思想的にも意気投合したという事にはならないだろう。
そしてそもそも、ブナイ・ブリスは世間的には、つまり表向きは「フリーメイソンではない」ということになっているらしい。そのような団体が友好的に謁見を申し込んで来た場合、それを拒否することは難しいだろう。
・・・と、言ってもいられないものが、ここにはあるだろう。