2012.07.18

フリーメイソンに身売りした聖トマス大学

少しどぎつ過ぎる表題だが、まあそういう事だろう。
ローリエイト国際大学ネットワーク
Laureate International Universities
2008年には文学部を人間文化共生学部に改組した後、大阪府大阪市のカトリック大阪センターに「梅田キャンパス」を2011年4月に新設する構想をする。
だが、新設の人間文化共生学部も学生募集に苦戦したことから、2009年6月、2010年度(平成22年度)以降の学生募集を停止し、他大学との合併等を検討すると発表する。在学生に対しては他大学への転入の斡旋も始めており、聖トマス大学はこのまま廃校に向かうと思われた。
しかし、その後、方針変更が発表される。聖トマス大学は2010年11月、アメリカ合衆国に本部を置くローリエイト国際大学ネットワークに加盟した
しかし、それはフリーメイソンである
断定しては悪いだろうか。では言い直そう。
それはまずもってフリーメイソンである。
先ず、このローリエ(laurel)というのが──国連のロゴのあの葉っぱも一説によればローリエだそうだが──その方面のシンボルである。検索 masonic symbol laurel
そして、グローバリズム。
なにが「ハイアー・エデュケーション」だ。
自分達の使いっぱしりを作りたいだけである。
ここの名誉総長に収まっているのはビル・クリントンであるが、彼はこれである。
NASA や “或るビル” の中に似たような形象を見て来たので(参照)、私は「またか」と思う。やはりその方面の者達(西洋オカルティスト達)が好む典型的なものだろう。
とにかく、
「グローバリズムに善いものはない」
ぐらいに考えておかなければならない。
***
聖トマス大学の人選
いくら経営が苦しいと云っても、これじゃ「汝ら神とマンモンとに兼ね仕うること能わず」という天主の警句を忘れ果てていると言われても仕方がないのではないか。
辞職した学長、マイケル・ラクトリン氏
Mr. Michael Lacktorin
Wikipediaの続き
さらに、校地の不動産の一部の売却などで財政が安定したとして、2011年6月、来る2012年度より名称を「日本国際大学」に変更し、国際教養学部、健康科学部を新設する、という方針を公表した。
新大学名のロゴを紹介するマイケル・ラクトリン学長(中央)
新大学名の下に「LAUREATE INTERNATIONAL UNIVERSITIES」とある。聖トマス大学が完全にローリエイトの傘下に入ったことを表わしているだろう。
Wikipediaの続き
しかし、2011年8月、文科省に提出した12年度の開設認可書類に虚偽の申告(マイケル・ラクトリン学長ら外国人教員6人の経歴記載に虚偽、ディグリーミルの学位を含む)が見つかり、申請を取り下げるとともに、日本国際大学への改称も見送った。それにともない、文科省から2014年度(平成26年度)までの2年間は学部の認可申請を認めない処分を受けた。
改称は見送られたが、ローリエイトには加盟済みである。前年に。
この不祥事によって彼は学長の職を辞した。
しかし、彼はどういう人だったのか。
マイケル・ラクトリン(経済学博士)2
国際教養大学教授、グローバルビジネス課程
起業家リーダーシップ研究育成センター(CELS)創設者所長
2 慶應義塾大学経済学博士、シカゴ大学経営学修士(金融
共著「英語で学ぶ日本経済」「英語で学ぶ日本の金融」(有斐閣
秋田県の投資環境紹介のあと、国際教養大学のマイケル・ラクトリン教授から「秋田のグローバル化」と題した特別講演をいただいた(…)
カトリック大学(ではなかったのか?)の学長が
「秋田のグローバル化」 について講演???
これらの肩書、活動、書名らが端的に示すように、彼はまったく経済の人、金融の人、ビジネスの人である。
そして、グローバリストである。
そのような人が「聖トマス大学」の「学長」だったのだ。
しかし、とにかく彼は去った。
だが、それで状況は良くなったのか?
新(暫定)学長スティーブン・M・ライアン氏
Mr. Stephen M. Ryan
研究分野:
担当科目:
クロスカルチュラル・コミュニケーション
多文化体験
多文化体験 II
スピーチ・プレゼンテーション A/B
上級英会話演習 A/B
時事英語演習 A/B
英語学・コミュニケーション研究ぜミ I A/B
異文化コミュニケーション概論 A/B
http://www.st.thomas.ac.jp/free/tabunka/kyoin/shoukai.html
彼自身「多文化共生学科」の教員として上のような科目を教えている。彼もグローバリズムに反対しないだろう。
そして...
学長メッセージ
聖トマス大学は先頃、理事会および評議会のメンバーを刷新し、それによって (in doing so) 世界的な規模のネットワークを持つローリエイト・インターナショナル・ユニバーシティーズのメンバーになりました。
この「刷新」と「加盟」が結び付いているのである。彼と理事会は、確認されるところ少なくとも「新理事長」を、ローリエイトから招いたのである。
新理事長スティーブ・リン氏
Mr. Dawson Steven Lin
英知大学卒業生の文章(抜粋)
吉報です!!
2010/11/24(水)
英知大学(現聖トマス大学)の存続のめどが立ちました!
この度、2010年11月8日の臨時理事会にて、新理事長が選出、承認されました。新理事長に就任されたスティーブン・リン(Steven Lin)氏は、ローリエット・ジャパン(Laureate Japan)の代表者を務めている方です
新理事長が所属するローリエットは、世界24カ国にて50以上の大学・教育機関の経営・運営を支援するグローバルな教育ネットワークです。全世界で60万人以上の学生が、同ネットワークの最先端の教育プログラムで教育を受けています。
聖トマス大学は、今後、ローリエットのグローバルな教育ネットワークとの相乗効果を活用していきます。現在、新たなリーダーシップの下、理事会では学部の新設を文部科学省へ申請することを計画しています。
お気の毒だけれど、喜んでは駄目だったのだ。あの不祥事でガックリなさっただろうが、仮にそれが起こっていなかったとしても喜ぶことはできなかった。何故なら、ローリエイトはフリーメイソンだろうし、スティーブン・リン氏は前学長マイケル・ラクトリン氏とまったく同様、金融グローバリズムの人だからだ。
このお顔、どこかで見なかったか?
あの写真でラクトリン学長の隣で笑っていた人である。
ローリエイトにおける彼の位置
聖トマス大学は彼らの「オペレーション」の下である。
経 歴
「職業差別」をしようというのではない。そうではない。
しかし、カトリック信者、よく考えた方がいい。
“汝ら神とマンモンとに兼ね仕うること能わず”
この聖言をこの場合に適用しなければ、
一体いつ、どこで適用するのか?
..というぐらいのものが、ここにはある。
このような種類の人は
カトリック大学(ではなかったのか?)
の要職にはふさわしくない。
私は最近の聖トマス大学の動向についてよく知らないけれど、
このままでは聖トマス大学が「一条の光」を見ることはない。
このような事態になるのも、カトリック教徒が次のようなことを心を潜めて考えることをしないからである。ピオ12世教皇様の御言葉です。
道徳律と天主の掟は、いかなる例外もなしに、人間が活動する全ての領域において、等しく拘束力を持つ。そして、それらが関係する限りの範囲まで、教会もその使命の手を伸ばす。(…)信仰と実生活を分けて考えること、また、教会と現世を分けて考えることは、キリスト教の考えともカトリックの考えとも正反対のものである。
Religione e morale nella loro stretta unione costituiscono un tutto indivisibile ; e l'ordine morale, i comandamenti di Dio valgono egualmente per tutti i campi dell'attività umana, senza eccezione alcuna; fin dove questi giungono, si estende anche la missione della Chiesa, e perciò anche la parola del sacerdote, il suo insegnamento, le sue ammonizioni, i suoi consigli ai fedeli affidati alle sue cure. La Chiesa cattolica non si lascerà mai chiudere nelle quattro mura del tempio. La separazióne fra là religione e la vita, fra la Chiesa e il mondo è contraria alla idea cristiana e cattolica.
使徒座公報 38(1946年)187ページ
Religion and morality in their close union constitute an indivisible whole. The moral order, the commandments of God, are equally binding in every field of human activity without any exception. And as far as these reach out, thither extends also the mission of the Church and therefore also the word of the priest, his teaching, his admonitions, and his counsels to the faithful confided to his care. The Catholic Church will never allow herself to be shut up within the four walls of the temple. The separation between religion and life, between the Church and the world, is contrary to the Christian and Catholic idea.
誤解はしないと思うが念の為に言うと、これは「司祭も政治活動をジャンジャンやるべきだ」ということを言っているのではない。「世俗の世界に上にもキリストの王権を考えるべきだ」ということである。
カトリック教徒は、信仰と生活を、教会と現世を、そして信仰と経営を、分けてはならない。... 分け過ぎてはならない。聖トマス大学は分け過ぎている。現代的に割り切り過ぎている。
カトリック教会は、建築家も、芸術家も、そして経営陣も、基本的にカトリック教徒の中から選ばなければならない。そうしないと、「サタンの煙」がどしどし入って来るのである。
そうしても、それは入って来るのである。そうしなければ、扉は全開である。
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