2011.12.10

煉獄の霊魂は「指導者責任」の重さを教える

以下、マキシム・プイサン神父編『煉獄と地獄』より。
(この本はWeb上に落ちています。検索
(12p〜)
煉獄の霊魂は非常に苦しんでいて、我々に助けを求め願っている。我々は出来る限り効果ある祈りと善業とをもって彼等を慰めなければならない。
一八五九年(安政六年)、今から六十四年前の十一月四日、フォリニオ市〔Foligno, フォリーニョ, アシジの近く, Wiki-en〕のフランシスコ修道院で家畜係をしていたテレジア・マルガリタ・ゲスタ〔Teresa Margherita Gesta〕という熱心な童貞が突然脳卒中で死んだ。無論最後の準備をしていたのであるが、十一月十七日にテレジアの死後一人で家畜係を引き受けていた助手のアンナ・フェリシ〔Anna Felice Menghini〕という童貞が家畜小屋へ入ろうとすると、なんだか嘆き声が聞こえるように思われた。急いで戸を開けたが誰もいない。しかし間もなく、再び嘆き声がはっきり聞こえた。
Suor Anna Felice Menghini
アンナ童貞は、「イエズス、マリアよ、何でしょう」と叫んだ。すると、その声の終らないうちに又も「あゝ天主よ!」という悲しみに満ちた声が聞こえた。それは十二日前に死んだテレジアの声であった。アンナが驚いて「あんなに貧窮であったあなたがどうして?……」と叫ぶとテレジアは「これは私のためではありません。私がこのことについて、あまり自由にしておいた童貞達のためです。あなた自身に気をつけなさい。(スペイン語: No es por mí misma, sino por las hermanas, a quienes he dejado demasiada libertad en este punto. Y tú ten cuidado de ti misma. 参照)」と言うと部屋中いっぱいの煙の中にテレジアの影が現われ、壁に沿ってだんだん戸の方へ進んで一段と声を強くし、「ここに天主の御慈悲による証拠を置く」と言って、扉の一番上の板を叩き、その板の上に完全な右の手の焼跡をほりつけたように残して消えた。
アンナは他の童貞を呼んだ。そして修院全部の童貞が集まってアンナを取り巻き、みんな木の焦げた香りを嗅いで驚いた。それはテレジアの手の型であった。
テレジアの手は人並はずれて小さかったのである。それを見て皆恐ろしくなり、急いで聖堂へ行って、その夜は一同食事も忘れて夜通しお祈りをし、次の日一同テレジアの罪の償いのため、聖体を拝領したが、翌日テレジアは現れて厳格に言った。
「私はあなたの望みを知っています。私が残した手の跡を消したいのでしょう。けれどもそれはあなたの力では出来ません。これは皆の戒めと悔い改めのために天主様の命令されたことです。私は天主様の恐ろしい正義の裁判によって、私が他の童貞に対してなした欠点のためにa causa de las debilidades que he tenido a menudo con algunas de nuestras hermanas)、四十年間煉獄で恐ろしい火の苦しみを受けるように宣告を受けました。けれども幸いあなた方一同のお祈りのため天主様は私の霊魂にお恵みを下され、特に非常の慰めとなる七つの聖詩を受けることが出来ました。私は深くあなたがた一同に感謝します」と言って嬉しそうな顔で「幸福なるかな清貧なる者よ、汝は大いなる喜びを受けるであろう」と言って消え失せた。
その翌晩アンナ童貞は床に入って眠ろうとした時、また名前を呼ばれ飛び起きて、一言葉も発することが出来ず、震えながら床の上に座った。まもなく輝きわたる光の玉がアンナのベッドの足の方に現れて、部屋の中は昼のように明るくなった。すると月桂冠を戴いた優勝者のようなテレジアの声を聞いた。「私はイエズス様の御受難の日(金曜日)に死にました。今日また金曜日に天国へ行きます。忍耐して十字架を担いなさい。勇気をもって苦痛を忍びなさい」と言って、さらに愛情のこもった声で「さらば天国で……」と付け加えて、柔らかい白いまばゆい煙となって飛んで消え失せた。
この奇跡のために、間もなくフォリニオの司教や裁判官によって調査会が開かれた。十一月二十三日に公衆の前でテレジアの墓を開けて手の寸法をはかったところ、修院の焼型と寸分の違いもなかった。この扉は今もなお大切に保存されている。
Huella de la mano de la Hna.Teresa M. Gesta, en su visita desde el purgatorio.
Foligno, Italia. Imagen cortesía de los Frailes Franciscanos Recoletos de la Cruz.  参照
もう一度見るが、左の写真がその手の焦げ跡らしい。
さて、上の訳文では、死んだテレジア・マルガリタ・ゲスタは「家畜係」となっているが、私は、これは誤訳かも知れないと思う。イエズス会の Francois Xavier Schouppe という神父様の煉獄に関する本(最下段参照)を見ると、彼女は長年の間「mistress of novices(新人の指導係)」であり、また同時に「the sacristy(聖具室)」の管理を任されていたとある。イタリア語では「povero vestiario」(参照)、スペイン語では「pobre ropería」(参照)の管理とあるから、「僧服」の管理ということになるのだろうか。また、フェリシがゲスタの出現を受けた場所のことでも、「家畜小屋」となっているが、イタリア語やスペイン語の記事では、やはり衣服と関係する「guardaroba(衣裳部屋)」とか「ropería(ワードローブ)」などの言葉がある。だから、彼女が「家畜係」ではなかったことは確かなような気がする。
しかし、そんな非本質的なことはともかく、彼女が長年の間「新人教育」に当たる立場にあった人であることは間違いない。つまり、「指導者」である。(人はそれを「院長でもない修道女の小振りな指導職」と言うことはできないだろう。人の目にはそうでも天主様の御目にはそうではないのである。)
そして彼女は、自分が煉獄行きを宣告されたのは、自分自身の罪や欠点のためというよりは、指導者としての自分の在り方に問題があったからだ、と言っているようである。いわゆる「指導者責任」において欠け・不足があったからだと。そしてそれは「下の者を自由にし過ぎた」という種類のものであると。
(Schouppe 神父様の本によると、それは彼女が彼女の職務において、「規則」によって定められている「厳格な清貧」の幾つかをゆるがせにしたかららしい。──下の者の目にはそれは「寛容さ」「おおらかさ」「優しさ」に映ったかも知れない。)
天主様はそのように、人の上に立つ者の責任をとても重く見られるようだ。いくら自分自身がしっかりしていても駄目なのである。また、いくら自分が主観的に善くても駄目なのである。外部的に、客観的に、結果的に、自分が周囲の者や下の者にどういう影響を及ぼしたかを厳しく問われるのである。それが「指導者」という地位にあることの意味である。
「下の者」とは修練女に限らないだろう。つまりこの話は修道院内に留まらないだろう。教区司祭にとってはご自分の信徒たちが「下の者」(見下げる意味でなく、その霊魂の世話をしなければならないという意味で)だろうし、教皇様にとっては教会の全メンバーがそれだろう。
そして、振り返ってみよう。
「教皇」としての指導責任、教導責任... 参照
自由放任主義を促進... 参照
また、ワールド・ユース・デイの「自由放縦性」も否定できない。できるわけがない。
このような指摘は、たとえ理性的なものであっても、人の目には常にと言っていいぐらいに「非難」であると、つまり感情的な非難であると映るのだが、しかし必ずしもそうではないし、そして……間違っていないと思う。
教皇様がその「人間性に譲歩し過ぎた指導性」を天主様から責められていないとは考えることができない。
(13p〜)
煉獄の霊魂は現れたしるしとして、おもに手の焼跡を残している。ナポレオン時代のある兵士の五本の指の焼跡で十六ページ貫かれている祈祷文もある。
着物の袖や紙の上に、とても真似の出来ない火の跡を残しているものもある。「死んでから、戻って来た人はないから」と言って来世の存在を否むものは、この手の焼跡を見て考えなくてはならない。
一八九六年(明治二十六年)、フランス北部パ・ツ・カレ県〔Nord-Pas-de-Calais〕のヘイニヌ・リエンタルの修院に住んでいた一人の童貞はドーナ市にある同じ修道院の食事係の童貞を助けるために送られた。別れる時院長は「私が死んだらお祈りして下さい」と言った。
五月の初め頃院長が死んで、六月二十六日のことであった。ドーナ市に送られた童貞は袖を巻き上げて地下室に飲み物を汲みに行った。樽の前に身をかがめた時、階段の下に一人の童貞の姿を見たが、別に気にもとめなかった。ところが突然自分の腕は握られた。同時に二ヶ月前に死んだ院長の声で「苦しんでいるから、私のためにお祈りして下さい」と言うのが聞こえ、童貞はそこに倒れた。他の童貞達はあまり帰りが遅いので、何事か起ったのではないかと心配して地下室におりて来た。
この童貞は涙にむせんでいたが、やがて「私は握られた!」と言って自分の腕を見せた。上の方に五本の指の跡が見えて、もうその上に水ぶくれが出来ていたのであった。
市のドクトル・ティソンは童貞の腕の写真をとった。その後この傷は火傷のような形を残して、だんだんに治った。
苦しんでいるから、私のために祈って下さい!
そして気づいてほしい! 嗚呼!!!  私の教皇職は…!!!
茶化していない。私は真面目に、そのようなサインであった(ある)可能性があると思う。
(もちろんこれは私の個人的なものである。しかし、前回も言ったが、私達の宗教にも「不思議な事」は必ず有るものである。だから、少なくとも、不思議を「言下に笑う」なら、その態度はおかしい。ほとんど不遜なほどである。なぜなら、そもそも私達「カトリック教徒」とは如何なる者たちであるか。たとえば福音書の中の「パンと魚の増殖の奇跡」の話をまともに、文字通りに信じ、且つ自分で信じている者たちではないのか。……違うのか。)
(14p)
十六世紀、聖ドミニコ会の修女、リキンの聖カタリナ〔Wiki-en〕は、罪人の改心と煉獄の霊魂を慰めるため、大いなる奮発心を抱いており、煉獄の霊魂のためには、その代りに自ら苦痛を受けることを願うほど、深い同情を持っていた。
天主は時々この憐れみ深い祈りをお聞き入れになった。聖女はある皇族のためにお祈りや苦業を捧げ、おかげでこの皇族は死ぬ前に改心し、よい最後をとげて煉獄へ入れられた。
カタリナは黙想の時、霊感によってこの皇族の憐れな有様を見て、その代りに償いをすることを願った。するとたちまち四十日間、奇妙な病気にかかった。
聖女の体には沢山の水ぶくれが出来て、それが火の上に置かれたように沸いていた。部屋はそのために非常に熱くなって、長くは居られないほどであった。体の肉は焼けたように見え、舌は真っ赤に焼けた鉄のようであった。
沸騰の後の肉は火傷のように見え、しばらくすると水ぶくれが出来て、前のような熱を出していた。この苦しみの中、聖女の顔つきはいつも穏やかで、その心は安らかであった。そればかりでなく非常な楽しみを受けたように見えていた。
医者は医学上の治療は無駄であると言いながら、水を浴びることやその他の手当を命じた。この治療法は自分の苦しみを増すだけであったが、聖女は従順のために喜んでそれを実行しており、心中の苦しみは謙遜のため、謹んで隠していた。
十分、又十二分、とても言い尽くし難いほど苦しみはひどく、まったく火の中にいるようであった。「愛の深い天主様にそんな激しい苦痛を願ってはなりません」と言われると、聖女は「どうぞお許し下さい。天主様は煉獄の霊魂を非常にお愛しになり、それが天国に入れることを何よりもお望みです。そのためには、私達は喜んで苦痛を耐え忍ばねばなりません」と言った。四十日過ぎると聖女の身体は、元のようになった。
皇族の親類はその霊魂のことについて尋ねた。聖女は答えて言う。「御安心なさい、今では永福を受けました」と。読者諸君、数々の実例で煉獄の火の苦しみを幾分か想像出来るでしょう。
ヨハネ・パウロ2世教皇様が煉獄におられるなら、
一刻も早く解放されますように。
そして、その後悔から立ち上がって、
聖伝の回復のために力強く協力してくださいますように。
心ある方はお祈りください。
次へ
PURGATORY
ILLUSTRATED BY THE LIVES AND LEGENDS OF THE SAINTS
BY REV. F. X. SCHOUPPE, S.J.
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