2011.11.24

聖職者における女性との身体接触

表題に「聖職者」と書いたが、今回もヨハネ・パウロ2世教皇様を例に取る。
今回もTradition in Action(以下、TIAと記す)の記事である。
TIAがこれらの写真に添えたコメントは、小さなものだが、価値がある。
何故なら、それは私達に「比較対象」を差し出すから。
比較対象を得て初めてモノが見えてくる、ということがある。
その比較対象とは「第二バチカン公会議以前」であり、また聖人の警句である。
(写真は元記事にリンクされている。)
1983年、オーストリアへの訪問中、モラル・フリーの教皇、ヨハネ・パウロ2世は、若い女性からの贈り物を受け入れ、その際、彼女にキスをした。カトリック道徳についておそらくは第一の教師にして模範であらねばならない「教皇」として、まったく不適切な習慣である。
確かに、第二バチカン公会議までは、「男性は、自分の妻ではない、母親ではない、あるいは娘ではない女性には、決してキスをしてはならない」と教会によって教えられていたものである。この規則は、その男性が司祭である時には特に、そして教皇である時にはなおさら特に、適用されなければならない。
ヨハネ・パウロ2世はこのようにしながら、カトリックのモラルを破壊し、自由放任主義を促進したのである。
TIAの言葉は厳しい。
私達は、あるいは、TIAのこれらの記事を、「裁くなかれ」の「裁く」とは何か、「悪しき裁き心」とは何か、を考える機会にできるかも知れない。
誰かの過誤を指摘することが即すなわち「裁く」ということなのか、それともそれは必ずしも言葉の意味内容(外観)によらず、過誤を指摘する行為に伴う感情(主観)の質如何によるのか、と。
私自身は、後者の見方が正しいように思う。
私が思い出すのは、聖ピオ十世教皇様が言ったと云われるあの峻厳なる御言葉である。聖ピオ十世教皇の峻厳
私は、これが「悪しき裁き心」の言葉だとは、どうも思えないのである。
さて、そして、既に「比較対象」が提出された。
私達は漫然と、ハグしたりキスしたりは外国のかなり広い範囲に一般的に見られる風習だと思っているわけだが、こと「男性が女性に対する時」のものとしては、それらは決して「カトリック的」なものではなく、むしろそれに反するものだというのである。かつては「教会」がそう教えていたと。
道徳におけるヨハネ・パウロ2世のもう一つの目新しさは、しばしば若い女性を愛撫する(caress)ことであった。上の写真では、彼は、彼に挨拶しに来た若い女性のあごを愛撫している。下の写真では、彼は、一人の司祭によって彼に紹介されている別の若い女性を愛撫している。
カトリック道徳は、聖職者と女性との親しさに関して、常に非常に厳しかったものである。聖アルフォンソ・デ・リゴリは、司祭達に指針を与える彼の本 Homo Apostolicus(使徒的人間)の中で、女性との親しさに関しては極めて大きな注意を払わなければならない、と強調している。彼は聖トマス・アクィナスを引用して言っている。
法に触れることのない女性への愛情と云えども、破滅的でないとしても常に危険である。霊的指導を受けている女性と会話する時、最初はどれほど純粋に思えようとも、親しさが増すに従い、最初の動機は弱まり、純粋さにはしみがつくものである。
しかし教皇ヴォイティワは、このような方法で公然とカトリック道徳の伝統的な教訓から逸れ、それとは正反対のものを確立したのである。
「教皇ヴォイティワ」と呼ぶところにTIAの「責め口調」が感じられる。私もこのような口調はあまり好きではない。何故なら、私は、彼がたとえ過ちの多い教皇だったとしても教皇であることには変わりないと思っているし、また、彼の「主観における善意」を信じているからだ。(同時に、「主観における善意」だけでは済まないということも知っているつもりだが。)
しかし、それでも、TIAが重要なことを言っていることは確かだと思う。
私達がTIAの言葉に咄嗟に反感を覚えようとも、
まずその判断主体たる私達自身が、
(1)現代の世俗世界の水につかっているのであり、
(2)且つ第二バチカン公会議以前の教会の姿を十分には知らない、

ということを忘れるべきでないと思う。
私達人間は、大方、環境の産物、井の中の蛙。私達の「目」は、その時代時代で一定の「制約」、あるいは「限界」の内にあることが多いものだ。それで、私達は、自分のことを「保守的」と思っていても、実は自分で思っているほど、いわば「失われた伝統」(信仰のセンスのようなものも含めて)について、よく知らない可能性がある。
だから、TIAの言うように、もし昔のカトリック信者が「教皇」の下のような姿を見たなら本当に驚くのかも知れない、と考えてみることは必要だろう。
1984年9月18日、バンクーバー(カナダ)を訪問した際、ヨハネ・パウロ2世は、ブリティッシュ・コロンビア ・スタジアムに入場した若者達と少数民族のグループの中に居た一人の若い女性に、キスをした。(…)
一人の教皇にとって、若い女性に公然の場で温かくキスすることは、確かに、司教達、司祭達、そして神学生達を、純潔を実践し、彼らの貞潔の誓いと約束を果たし続けるようにとは促さない行為である。
促さない限り落ちるだろう。聖職者の性的スキャンダルにしても、教皇様のこのような「ゆるさ」が、少なくとも間接的な責任があったのではないだろうか。
かつてどのような教皇も、公然の場でこのようなことをしたことがない。
若い女性達が教皇にキスされるために並んでいる。
彼は、彼の膝の上に手を置いた若い女性にキスしている。
女達も女達だと思う。
若い女性が彼に対する尊敬を表すために跪いている。
彼はこれを温かい愛撫を与える機会としている。
同様のシチュエーションで、他の二人の女性を愛撫している。
これらの写真を見ていると、私の心の中に一抹の不安さえ起こる。
彼は女性に対するご自分の情愛を秘かに味わっていたのではないかと。
もちろん、あくまで内面的なことであるが。そして、情愛、であるが。?
まあ、それは私の下種の勘繰りとしよう。しかし、とにかく、これらの情景といい、あれらの情景といい、彼の性に対する意識は「ゆるかった」ことは確かであり、彼の愛は「肉体的」であったように思われる。
つまり人間は、「性は天主様がお作りになり、お与えになったものである。それは自然である。基本的に良いものである」という事と「それは堕落の門となりやすいものである」という事の二つの間で、可哀想に常に惑うのであるが、ヨハネ・パウロ2世教皇様はその中で、バランスの取り方が、カトリックとしては少しばかり(かなり?)甘くなってしまったのだろう。
神的(超自然的)に人間を愛していたというより、人間的(自然的)に人間を愛していたからである。
(勿論、私は、彼のことを得々と分析して澄まし顔をしていられる人間では全くないのだが... )
「愛」はいいのか?「愛」ならいいのか?
落し穴
愛には二つの方向性がある。
天主への愛(縦軸)と人間相互の愛(横軸)である。
私は、教会はほぼ「縦軸の愛」だけやっていればよいのだと思う。
(「全く」ではなく、「ほぼ」である。)
横軸の愛は、縦軸の頂点(天主様)から愛の力を受けた(愛の源泉は天主様だから)活動的修道会や世俗の平信徒達がやればよい。
教会(司祭)が横軸の愛に乗り出したことが間違いの始まりだった。
(もちろん比較的に言っているのだが。)
本当は「司祭は信徒と見合わなくてよい、人類世界の方をそれほどは(比較的)見なくてよい」ぐらいに考えておくべきなのだ。
つまり、司祭は信徒や世界に自分の「背中」を見せていればよい。
天主様への礼拝の「先達」「船頭」としての背中を。
つまり、賢明なカトリック信者なら100億年前から知っているように、ヨハネ・パウロ2世教皇様の「教皇」(「司祭」の長)としての在り方は、司祭と人々が見合う形式のミサ(ノヴス・オルド)の背景にある思想そのものである。
教皇様は人間を愛した。それは確かだ。
教皇様は人間味のある人だ。それも確かだ。
そして人間は温かい人間味のあるものが好きなのだ。
それはしかし、「信仰」においては「落し穴」になるのである。
教皇様は、ご自分を通して、ご自分の「人間性」を通して、
「神の愛」を表現し、伝えたかったのだろう。
それをご自分の責任の一つと心得たのだろう。
しかし、神の愛は「秘跡」を通して既にあり、
そしてそれは「神秘的」なものである。
教皇様は、特に失意の底に沈んでいるのでもない一般の女性達を、
人間味を強調しながら、上のあれらの情景のように、
喜ばせてやる必要などなかったのだ。
独身の人はどうして主を喜ばせようかと主のことを気づかい、
結婚した人はどうして妻を喜ばせようかと世のことを気づかい、
心が二つに分かれる。
コリント第一  7:33
上は教皇様をも含めた「カトリック信者」(天主教信者)への警句である。
人は、「教皇様」に起こることは常に何か「深遠/高遠」なことだと思うわけだが、起こった事はつまりは単にそういうことである。
彼はいわば人間と結婚した。
そこに悪意はなかった。
そして、それは確かに「愛」だった。
しかし、教皇様が言うべきは、あくまで、
私を慕うのではなく、天主様の方を見なさい」であるべきだった。
教皇様がアイドルのようになる必要などなかった。
(教皇様ご自身が意図したことでなかったとしても。)
しかし、地上に住む人間はどこかしら常に心寂しいので、
信徒の方も具体的な愛情の対象、アイドル、を求めるのである。
教皇も信徒も、人間性の弱点の同じ穴に落ちた。
この教皇は、第二バチカン公会議以前には決して見られなかった女性達との親しさを、おもてに表わす。上: 彼は、ダイアナ・コロシオ(メキシコ大統領候補の未亡人)を温かく抱擁し、キスする。1994年。
上は、特に失意の底に沈んでいる人の例である。彼女の夫は、1994年、メキシコ大統領選への出馬前に暗殺された(立候補すると見られていた)ルイス・ドナルド・コロシオWikipedia-enという人だろう。
人は、このようなケースでは、「別に教皇様が悲しみに沈む人を抱擁したって、慰めのキスを与えたって、いいじゃないか」と思いがちだ。
しかし、私は冷たいのだろうか、それでも「これは必要か?」と思う。
人には「神」があるではないか。不足か?
「聖職者における女性との身体接触」ということで思い出すのは、もちろん、故井上博嗣神父様のことだ。彼の最期はお気の毒だった。
彼の事件に対する大司教区の扱い方が適切でなかったという声が、主に保守的信者達の間から出た。私も、一応は、そうかなと思う。
しかし、それで終わってはあまりに政治的であって(「左翼司教が、左翼司教が... 」)、どこか非常に不足である。
私には、そのようなことよりもっと本質的に大事(私達の信仰にとって)なことがあるだろうという気がする。
それは..
もし井上神父様が上の聖リゴリの警句を身につけておられたなら、あるいはTIAの言う「第二バチカン公会議以前の教会が常に教えていたこと」を身につけておられたなら、あのようなスキャンダルは決して起きなかっただろう
..ということである。
宣教や司牧のためであれ、一地域(彼にとってはフィリピン?)の風習が「カトリック的なもの」に勝つべきではないだろう。本来。
井上神父様を責めたいのではない。現在の私達の教会が多くの「失われた(回復されなければならない)伝統」を持っているだろうということを言いたい。
しかし、「保守的」カトリックの中に、そのように言う声は少なかった。
さて、これで一応、「保守的」な人達、いわゆる「聖座忠誠」を言う人達に対して、言いたいことは言ったんじゃないかと思う。
しかし、結局のところ、願わくは、共に。
以上は、ある種のラブコールだった。
近いだけに、ある意味ニクイのだった。
私はリベラル派の人達やリベラルとか以前の人達に向けては書かなかった
このような問題をハッキリさせることが、今、向こうの世界にいらっしゃるヨハネ・パウロ2世教皇様を、真にお喜ばせする、あるいはお慰めする(彼にも責任があるので)方法であります。
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