手による聖体拝領について
手による聖体拝領について、日本のカトリック教会は聖座から正式に(しかし疑わしい仕方で)承認を得ています(日本の教会における規定)。けれど、私はそのような承認を日本に(各国に)与えた聖座の判断が間違っていると思います。その理由については、下にリンクした多くの記事を読んで頂かなければなりません。(教会の「権威」に関する議論だけで済むものではありません。)
カトリック信者は、教皇様の上に真の権威が、すなわち天主様の権威があることを知っています。知っている筈です。けれど、多くの人が、あたかもそうではないかのように振る舞っています。教皇様の上に天主様の権威が厳然とあることは認めても、その天主様の権威が言っていることを掴む(把握する、認識する)行為は教皇様に「まったく一任」するのが正しい、と思っているのです。また、教会の権威と秩序を保つためにも、信者のそのような姿勢が好ましい、と思っているのです。
でも、本当にそうでしょうか? 私は、私達はこの「信仰」と「権威」の問題、その二つの要素の〈関係〉の問題を、よくよく考えてみなければならないと思います。多くの人は物事を外形で、若しくは印象で捉えます。しかし「教皇様は間違っている」と言えば私達はすぐにも「プロテスタント」になってしまうわけではありません。(教皇の間違う可能性
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