2015.01.14

「手による聖体拝領」 は御聖体に対する現実的な加害である
Part 1

1. 一人の経験を積んだ司祭の証言

もし聖体拝領の時に聖体拝領盆を使うと、たとえ聖体拝領する人の数が少なくてもいつもかけらが落ちてその拝領盆の上に残っています。従って、このようなかけらは信者の手に今では残っているのです。

ルフェーブル大司教の公開書簡 3 典礼改革

注)ルフェーブル大司教様のことをあえて「司祭」と呼びました(小題で)。誰が言っているかは問題ではないのです。ただ「正直な司祭」の言葉であれば十分なのです。

2. 或る現役の神父様の証言

アメリカはカリフォルニア州リポン(Ripon)の聖パトリック教会(ストックトン司教区)の神父様

Traditional Catholic Priest

カトリック教会でホスチアの欠片が
足で踏まれている科学的な証拠

2014年5月3日

ピーター・コロータ神父

Fr. Peter Carota

あなたが伝統的なカトリック教徒であろうと進歩的なモダニストのカトリック教徒であろうと、少なくとも《世界中、至る所のカトリック教会で、常に常に、御聖体拝領からイエズス様の欠片[かけら]が床に落ち、人々の足によって踏まれている》という事実に目を向けなければなりません。ここにその科学的な証拠があります。あなたはこのパテナの右上にホスチアの白い欠片を見ることができます。

私は、今朝のラテン・ミサでの御聖体拝領が終わった後、それを写真に撮ろうと、パテナの上にこの欠片を残しておきました。私がそうしたのは、世界に《御聖体の欠片を受け止めるためのパテナを持たない大部分のカトリック教会で、ここに見るような大きな欠片が、床に落ち、そして踏まれている》という事の科学的な証拠を示すためでした。

私はこのパテナを、後で写真に撮るために、御ミサが終わるまで祭壇の安全な場所に置いておきました。私はそれを写真に撮った後、その欠片を拝領し、そのパテナを浄めました。御ミサの終わりに侍者がパテナを私に手渡した後、そのパテナの上にこのような欠片を見、そしてそれを注意深くカリスの中に移すことは、本当にしばしばのことです。

私が旅する世界中で、パテナを使っているのをまだ見ることができるのは、メキシコに於いてだけです。ここアメリカでは、パテナの使用は非常に珍しく、それは「極端な伝統主義」と思われています。私達が「伝統主義者」ではないことを証明するために、イエズス様は床に落とされ、踏みつけられています。

御聖体が手で受けられる時、まったく同じ事が起こります。あなたが次回イエズス様を手で受ける時、黒い綿の手袋を着用して下さい。ホスチアが与えられた後、あなたはそこに小さな欠片と大きな欠片を見るでしょう。

もう一度言います。御聖体を手で受けることは一つの特別許可(通常の許可ではない、いつでも取り消され得るもの)です。それは、幾人かの司祭がその不従順によってプロテスタントの真似を始めた幾つかの国に与えられました。プロテスタント達は、彼らの聖餐式で食するパンは天主/イエズス様ではないことを示すために、意図的にそれを手で受けました。

カトリック教会の床に落ちた天主を踏みつけにすることが終わるよう、皆で祈りましょう。そして私達は、イエズス様を謙遜に跪いて舌で受けることを始めることができます。上の写真をコピーして、あなたの教会の司祭に見せて下さい。そして彼に、彼もこのような大きな欠片が残ったのを見たことがあるかと尋ねて下さい。

イエズス様、私達があなたを愛していないことを、あなたを人々の足による冒涜的な踏みつけからお守りしていないことを、お赦し下さい。

この神父様は WikkiMissa に名前がある神父様です。つまりトリエント・ミサをお捧げになっている神父様です。しかし、「トリエント・ミサなど不要」と主張する現代的な司祭と信者に言いたいのですが、この事でこの神父様を「色眼鏡」で見ないで下さい。否、彼のことを「色眼鏡」で見ても、上の内容にはそうしないで下さい。何故なら、上の内容は一個の単純な「事実」だろうからです。

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