日本の教会における聖体拝領に関する規定
日本の教会における聖体拝領の方法に関する規定を、聖座の文書、日本の教会の文書、また聖職者の言葉によって、確認してみます。
1975年・カトリック東京大司教区・教区ニュース
典礼法規・教会法メモ 2
 それぞれの司教は自らの判断と責任において管轄司教区内で、手に受ける聖体拝領の仕方の導入を許可することができる。但し、信徒を驚かせるようなこと、聖体の尊崇の念を失わせるおそれのあることは避けねばならない。
 (1) 手で受ける仕方が強制されてはならない。この仕方が適法とされる所でも、口で受ける仕方ができるよう配慮する必要がある。これは個人の信仰心を乱さないため、また信徒間に対立をおこさせないためである。
1980年・教皇ヨハネ・パウロ二世
『Dominicae Cenae 聖体の秘儀と礼拝について』
 ある国では、手による聖体拝領が実行されています。そのような慣行は、個々の司教協議会から申請され、使徒座の承認を得ています。しかしながら、聖体の形象に対する嘆かわしい尊敬の欠如の事実が報告されています。この事は、そのような態度に出た違反者だけでなく、聖体に対する信者の態度に十分注意しなかった教会の牧者にも責任があります。なお時には、手による聖体拝領が認められているところで、口で拝領することを望む人たちの意志と自由選択が考慮されていない場合もあります。それで、本書簡において、右に触れた悲しい事実に言及しないのはむずかしいことです。この事は、このような慣行が認められた国で、主イエズスを手に受けながら、深い尊敬と信心をもって、そのようにしているものを指すものでは毛頭ありません。
1986年・デルコル神父様
 聖体拝領は口で、また手で受けてもよいのです。しかし、聖座の文章で、許可(手による拝領の許可)のある国では、ひとりひとりはどちらかの方法を自由に選ぶことができるから、ご聖体を手に受けることを義務づけられないと、最近(1985年4月3日)でも強く繰り返されています。(p.29)
 教皇がその国の司教団の願いを受けいれて、拝領について各自に自由を残しておられるなら、この規定を守らない目上は、教皇の権利を奪うことになり、会員の人権無視の罪を犯すことになります。(p.34)
 種々の修道院で、聖体拝領のことについて、目上は、二つの方法でこのような違反を犯すことがありえます。一つは、修道者みんなに手で受けることを命じる、あるいは勧める時。もう一つは、口で受ける、あるいは受けたい修道者に対して、不満を示したり、従順の足りない者だと言ったり、修道団体ではばらばらにするのは(つまり、ある者は口で、ある者は手で受けるのは)会の精神とか共同体の一致とかに背くからなどと言うことです。特に若い修道女や修練女は、“院長様” の気に入らないことを恐れています。つまり、精神的に強制されることになります。(pp.32-33)
 このような人権無視に対して、多くの者は、内心に不満を感じてもとにかく従わないと、不機嫌になることを恐れて、仕方なく言われた通りにします。
 そしてこの悪い意味での順応主義を、会の法律であるかのように行動します。このような雰囲気を作った人は、どれほど恐ろしい責任を負うことになるでしょう!(p.34)
ご存じですか?16「聖体拝領の方法」
日本カトリック典礼委員会
カトリック中央協議会発行
日本カトリック典礼委員会編集
『カトリック儀式書 ミサ以外のときの聖体拝領と聖体礼拝』[1]
1993年11月10日発行の第三版
(初版は1989年6月1日発行)
付録二 聖体拝領に関する規定
(二)聖体を手で受けることについて
 日本の司教協議会の申請に答えて、使徒座は一九七〇年六月二十七日、聖体を手に授けることを許可した。このことに関しては、典礼聖省から各司教協議会会長にあてられた書簡にある規定が守られなければならない<AAS 61 (1969) 546-547>。
各司教協議会宛の書簡
 貴司教協議会は、聖体拝領に際して、信者が聖体を手に受けて拝領できる許可を要請しました。これに対してわたしは次のようにお答えします。
 教皇は、一九六九年五月二十九日付の同封指針が、伝統的な習慣を保持していることを想起しながらも、貴司教協議会がこのような要請を行うにあたって、その根拠とされた種々の動機と、さらに同協議会がこの問題に関して行われた投票の結果を考慮されました。そして、以下のように実施されることに同意しておられます。すなわち、貴司教協議会の管轄地域では、それぞれの司教は自らの判断と責任において、管轄司教区内で、聖体拝領の新しい儀式を許可することができます。ただしその際に、信者を驚かせるような一切のこと、および聖体の崇敬の念を失わせる恐れのある一切のことを避けるようにしてください。
 このために次のような基準を考慮してください。
1 聖体拝領の新しい方法は、従来の習慣を排除してしまうような仕方で押しつけられてはなりません。特に大切なことですが、聖体拝領の新しい方式が、適法として認められている所で、聖体を手に受ける人々が同時に拝領する場合にも、それぞれの信者は、聖体を舌で受けて拝領できるように配慮する必要があります。事実、これらの二つの聖体拝領の方法は、同一の典礼行為の中でなんらの困難もなく共存できます。このことを指摘しておくのは、一つには、ある人々にとって、この聖体拝領の新しい儀式が、聖体に対するその人固有の信仰心を乱す原因とならないようにするためであり、また一つには、本来、一致の源泉であり根拠であるこの秘跡が、信者の間に対立を引き起こす機会とならないようにするためです。
2 信者が聖体を手で受けて拝領する儀式の導入には慎重な配慮が必要です。実際にそれは人間の態度にかかわることがらなのですから、それを採用する信者の感受性と心の用意に密接な関係があります。したがって、新しい方法の導入にあたっては、段階を追って、まずよく準備のできたグループから始めるのがよいでしょう。ことにこの新しい儀式の導入に先立って、十分な準備教育を行い、信者がその動作の意味を正確に理解し、秘跡に対するふさわしい尊敬を保ってそれを行うように配慮しなければなりません。このような準備教育によって、聖体におけるキリストの現存に関する信仰が、教会の意識の中で弱まってきたような印象は、どのような小さなものであってもそれを避けるようにし、さらに涜聖に陥る危険、あるいはそのように見えることはすべて排除するようにしてください。
3 信者が聖体を手で受けて口に持っていくことができるということが、このパンを普通のパン、あるいは単に祝別されたものと同様にみなす機会にならないようにしなければなりません。かえって、聖体を手に受けて拝領できるということは、洗礼と聖体の秘跡の恵みによって、キリストの神秘体の一員となった信者の尊厳をいっそう深く感じ取らせ、さらに自分の手で触れる主のからだと血の偉大な現実に対する信仰をますます強めるものとならなければなりません。尊敬の心は動作に比例するはずです。
4 拝領の具体的方法については、古代教会の伝統が伝えている方針に従うのがよいでしょう。
 司祭または助祭が、拝領者の手に聖体を置くという伝統的な方法 [2] は、司祭と助祭の奉仕の役割をはっきり表しているからです。〔中略〕どの方法を用いるにせよ、信者は自席に戻る前に聖体を拝領し終わるようにしなければなりません。また、奉仕者の役割は、「キリストのからだ」という定句によって強調され、信者はこれにアーメンと答えます。
5 聖体拝領にあたってどの形式が用いられるにせよ、聖体の小片が落ちたり、飛び散ったりしないように気をつけてください。また、手を清潔にしておくとか、それぞれの民族の習慣に従った適当な動作などについても配慮されなければなりません。
6 ホスチアを御血にひたす形での両形態による拝領の場合には、主の御血にひたされたホスチアを信者の手に置くことは決して許されません。
7 聖体拝領の新しい方法を導入する許可を受けた司教は、向こう六か月間の結果を報告書にまとめ、当聖省あてに送ってくださるようにお願いします。
 このような回答書を送る機会を利用して、わたしはあなたに深甚なる敬意を表明します。
典礼聖省
長官 ベンノ・グート枢機卿
秘書 A・ブニーニ
(三)聖体を手に授けるための手引き
(典礼委員会編 カトリック中央協議会『会報』一九七〇年第六号)
 典礼聖省から、信者が手で聖体を受ける許可が出ましたが、急いで一律に実施するのではなく、その意味をよく説明したうえで、よく準備された小さい共同体から始め、徐々にこの方法を取り入れるようにしてください。ただし、同聖省からの注意にもあるように、だれも強制されることがないよう、今までどおり、直接に口に受けるほうを望む人は、拝領のとき手を出さずに口をあけて、その意志を表すことをすすめてください。
1 一般には典礼聖省の指針に従って、古代教会の伝統的な方法がすすめられます。この場合、聖体を授ける奉仕者は信者の手のひらに聖体を置きますから、手で受けることを望む人は左の手のひらを上にし、その下に右手を軽くそえて両手を差し出します。聖体を手に受けたら、右手の親指と人差し指で聖体をうやうやしく取り上げ、左手は右手を受けるようにそえながら、自分で口に入れて拝領します。片手で、指から指へ渡すようなやり方は避けてください。
2 〔略〕
3 家庭ミサのような場合で、少人数が祭壇を囲んですわっている時などには、聖体の器をまわし、各自が右手で、左の手のひらの上に聖体を受け、一同そろうのを待ってから、いっしょに信仰を告白して、皆が同時に拝領することもできます。
 1 の方法で、一同が縦に並んで前方に進み出て拝領する場合、手に受ける位置のひとり手前のところで、手を合わせたまま頭を下げ、聖体を手に受けたあとは、右か左に一歩横に寄り、次の人がすぐ前に出られるようにしてから、自分で拝領し、ただちに席にもどるようにすれば、行列は混雑することなく流れるようになります。
 信者の手に聖体を授けることを実施するにあたって、聖堂入口付近に手を清める所を設けることもできます。
2004年・典礼秘跡省『指針 あがないの秘跡』
聖体拝領の心得
[92]  信徒は常に各自の選択で、舌の上に聖体を受ける権利がありますが、拝領者が秘跡を手に受けたければ、使徒座に認可された司教協議会の管轄下ではそれを許可し、神聖なホスチアは手に載せられます。しかし、拝領者が聖体を手に持ったままどこかへ行ってしまうことのないように、ホスチアが聖役者の見ているところで確実に食されるよう注意しなければなりません。もし悪用の危険がある場合は、神聖なホスチアは信徒の手に与えられるべきではありません。
2014年・カトリック司教協議会
『日本におけるミサ中の聖体拝領の方法に関する指針』
拝領のときの姿勢について
3 拝領者の姿勢については、信者は司教協議会の決定に従って、ひざまずくか立って拝領すると定められている。これに基づき、日本においては、ミサが行われる場所の事情、ならびに拝領者が特別な理由により立つことができない場合を除いて、原則として立って拝領することとする。これは、一同が同じ姿勢で拝領することによって、ミサに集まった会衆の一致をしるしとして表すとともに、拝領のための行列が円滑に流れるようにするためである。しかしながら、ひざまずいて聖体を受けることを望む信者に対して、そのことだけを理由に聖体授与を拒むことはできない。
聖別されたパンの拝領の方法
 日本の教会は、1970年6月27日付で聖体を手に受ける許可を教皇庁から受けています(Prot. n. 2286/70)。したがって、拝領者自身が、聖別されたパンを手で受けるか口で受けるかを選ぶことができます。
管理人注
[1] ご覧の通り、この「付録二 聖体拝領に関する規定」は「ミサ以外のときの聖体拝領と聖体礼拝」と題された本の中に収められたものです。しかし内容は、読めば分かるように、ただ「聖体拝領に関する規定」です。すなわち、ここに「ミサ」と「ミサ以外」の別はありません。
 なお、文中の〔略〕や〔中略〕は管理人によるものではなく、原本によるものです。
[2] 手による聖体拝領が「古代教会の伝統」であると断定しています。
しかし、次を参照して下さい。手による聖体拝領に関する歴史的な考察
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