15 羽黒山五重塔 最上川乗船場 肘折温泉(山形県)


・平成26年2月10日(月) 羽黒山五重塔

 東京駅6時8分発上越新幹線「とき301号」に乗る。越後湯沢駅付近は吹雪になっている。新潟駅に8時13分に着く。羽越本線特急「いなほ1号」に乗り換える。8時27分に発車する。
 村上駅を過ぎて、左手に日本海が見えてきた。海は荒れている。空と海は灰色一色になり、その境目が分からない。沖から高波が走ってくる。

 到着予定の10時19分を雪のために4分程遅れて鶴岡駅に着く。待合室で少し休んで、10時42分発「羽黒山頂行」のバスに乗る。雪が降ってきた。
 バスは30分程走って大鳥居の下を潜る。宿坊街に入る。建物の出入口を除いて
1階の半分ほどが雪に埋まっている。雪の中、宿坊街は静寂に満ちている。

 乗客は私1人になっていた。 約10分後にバスは羽黒山随神門の前に着く。


羽黒山随神門


 (羽黒山については、「奥の細道旅日記」目次11、平成13年10月7日、同目次35、同19年5月4日参照)

 踏み固められた雪の道を歩く。両側は高さ2m程の雪の壁ができている。
 随身門を潜る。杉林の間に、下りの石段になっている継子坂(ままこざか)があるが、石段も雪に埋まり、急坂に変わっている。滑らないようにゆっくりと降りて行く。谷底に向かって下っているようである。


継子坂


 下り終わって、月山に源流を発する祓川(はらいがわ)に架かる神橋(しんきょう)を渡る。朱塗りの神橋も雪が積もり白い橋に変わっている。


神橋


参道



 杉林の間の参道を歩く。林が開けた場所に五重塔が立っている。400年を超えて風雪に耐え、変わらぬ姿で立っている。
 膝下まで雪に埋まり、降りしきる雪の中で、美しい五重塔を仰ぎ見る。

 

五重塔


・同年2月11日(火) 吹浦~遊佐

 昨日チェックインした鶴岡駅前のホテルで朝食の後、ホテルを出る。2泊予約していた。
 鶴岡駅発8時58分、酒田行きの電車に乗る。酒田駅に9時30分に着く。酒田駅発9時38分、秋田行きの電車に乗り換える。

 吹浦(ふくら)駅に近づくにつれて右側の車窓から雄大な鳥海山(標高2、236m)が見えてきた。
 「奥の細道」を歩いていたとき、平成14年3月16日、酒田から吹浦までを歩いていたが、その日、道を間違え、吹浦を通り越して鳥海ブルーラインに入った。
 1時間程歩くと、正面に鳥海山が見えた。雪が残る神々しい鳥海山の姿に、胸が熱くなるほどの感動を覚えた(「奥の細道旅日記」目次12参照)。

 今日は、再度、鳥海ブルーラインを歩いて雪の鳥海山を見たいと思って来た。
 吹浦駅に9時57分に着く。ところが、駅に設置してあった看板に「鳥海ブルーラインは、冬期間閉鎖」と書かれていた。
 鳥海ブルーラインは、高い場所を走っているから冬期間閉鎖されることは、考えれば分かることであった。地元の人に尋ねると、ゴールデンウイークの頃まで閉鎖されているとのことであった。
 そうすると、前回私が鳥海ブルーラインを歩いた頃より、閉鎖期間が延びたものと思われる。

 予定を変更して、左手に鳥海山を見ながら遊佐(ゆざ)駅まで歩いて、一駅後戻りすることにした。
 駅を出て右へ曲がり、羽越本線の線路に沿って歩く。500m程歩き、無人の踏切を渡って線路の反対側に出る。ここから先の道が地図を見ても分からなくなった。
 ちょうど、散歩の途中と思われる60代くらいの男性が近づいてきたので尋ねる。

 男性は、それでは一緒に行きましょう、と言って案内してくれた。洗沢川に架かる橋を渡る。月光川(がっこうがわ)の前に出た。

 男性は、15分程も一緒に歩いてくれた。以前、横浜で仕事をしていて、現在はこちらに戻って来た、と仰った。定年を迎えて故郷に戻ってきたのだろう。歩きながら横浜の話をする。
 鳥海山を南の方から眺めると、出羽富士と呼ばれているとおり富士山に似ているというお話も伺った。
 ここから先の道を丁寧に教えてくれて、月光川に架かる鳥海大橋を渡って行った。ありがとうございました。

 左へ曲がり、美しい月光川を見ながら歩く。両側の川岸は雪が積もり、きれいな水が流れている。白鳥が飛来している。


月光川



 道路に立っている気温の電光表示は1度を示しているが、風がなく、日射しが暖かいので汗ばむほどである。
 2キロ程歩き国道345号線に入る。左手に、鳥海山が見える。頂上付近は雲に覆われている。豪快な山容である。


鳥海山遠望


鳥海山


 2キロ程歩く。道が二つに分かれる。左側の道を選ぶ。両側に旧い建物が建つ、じぐざぐに曲がる道を歩く。1キロ程歩き、羽越本線の無人の踏切を渡って、線路の反対側に出る。
 右へ曲がり、ほぼ一直線に延びる道を2キロ程歩く。十字路を右へ曲がり500m程歩く。遊佐駅に着く。

 鶴岡方面の電車が出た後だったので遊佐駅の周辺を散策する。
 駅の近くに米倉庫が建っている。建築年代は分からないが、酒田市の
山居倉庫(さんきょそうこ)に似ているから古い建物と思われる。
 それに、夏の高温防止のために背後にケヤキを植えているのも山居倉庫と同じである(山居倉庫については、(「奥の細道旅日記」目次11、平成13年10月8日参照)。


米倉庫


 電車に乗り、酒田駅で乗り換え、約25分で鶴岡駅に戻る。
 駅前の食堂で寒鱈汁を食べる。味わい深い鱈の他、白髪ねぎ、豆腐、鱈の白子、肝が入っていて、濃い味噌仕立てにしてある。上に岩海苔が載っている。白子は、ふわっと口の中で溶ける。肝はねっとりとしている。体が温まる。


・同年2月12日(水) 最上川乗船場

 ホテルで朝食後、昨日と同じ、鶴岡駅発8時58分、酒田行の電車に乗る。途中、9時13分に着いた余目(あまるめ)駅で降りて、陸羽西線(りくうさいせん)に乗り換える。
 跨線橋に上がったとき、鳥海山が見えた。昨日、道案内をしてくれた男性が仰ったとおり、富士山に似た鳥海山を見ることができた。

 余目駅発9時19分、新庄行きの電車に乗る。約10分後に狩川(かりかわ)駅を過ぎると、最上川が現れる。次の駅の清川(きよかわ)駅から最上川に沿って電車は走る。
 (清川については、「奥の細道旅日記」目次11、平成13年9月22日参照。狩川については、同23日参照。)

 9時46分に古口駅に着く。古口駅のホームは、駅名の表示板が隠れるほど雪が積もっている。人が歩くところだけ除雪されている。



古口駅から下り方面を望む


 駅を出て100m程歩き、国道47号線に入る。横断歩道を渡り右へ曲がる。500m程歩く。左側に、戸澤藩船番所を模した建物が建っている。最上川舟下りの乗船場である。


最上川


 12年前の平成14年2月10日、雪見舟に乗って、乗務員が唄う「最上川舟歌」を聴きながら最上川の舟下りをしたことを思い出した(「奥の細道旅日記」目次12参照)。
 今日は舟には乗らないで、最上峡を見に来た。昨日と同じように空はよく晴れて、風はなく、日射しが暖かい。
 川の水は清く、対岸の最上峡が鏡のように澄み切った川面に写っている。


最上峡


 舟下りの舟が乗船場を離れ、川を下って行く。


雪見舟


 駅に戻り、新庄行の電車に乗る。約20分で新庄駅に着く。駅前のホテルにチェックインする。2泊予約していた。


・同年2月13日(木) 肘折温泉 

 ホテルで朝食後、駅前から、8時35分発「肘折(ひじおり)温泉行き」のバスに乗る。肘折温泉は13年前の9月24日に行ったことがある。今回が2度目である(「奥の細道旅日記」目次11参照)。
 昨日と一昨日は天候に恵まれたが、今日は雪が降っている。

 20分後、バスは国道47号線に入る。この道路は、13年前の9月22日に歩いた。
 バスの車窓から最上川が見えてきた。本合海(もとあいかい)の近くを通る。本合海は、芭蕉が清川まで最上川を舟で下ったときの乗船場である。(本合海については、「奥の細道旅日記」目次11、平成13年9月22日参照)。

 バスは坂を上り、山間に入っていく。道路に立っている気温の電光表示は-3度を示している。バスは2mを超す雪の壁の間を走る。
 乗客が私1人だけになった。運転手さんから「肘折温泉は初めてですか」と聞かれた。「2度目ですが、肘折温泉から月山を見たくて来たんですが、今日は見られないでしょうね」と話すと、「今日は見えないでしょうね、昨日はよく見えましたよ、月山が陽に輝いていましたね」と仰った。

 運転手さんが昨日見た月山こそ森敦が見た月山であった。森敦(1912~1989)は、『月山』の冒頭で、次のように月山の姿を美しく描いている。


 「ながく庄内平野を転々としながらも、わたしはその裏ともいうべき肘折(ひじおり)の渓谷にわけ入るまで、月山(がっさん)がなぜ月(つき)の山と呼ばれるかを知りませんでした。そのときは、折からの豪雪で、危く行き倒れになるところを助けられ、からくも目ざす渓谷に辿りついたのですが、彼方に白く輝くまどかな山があり、この世ならぬ月の出を目(ま)の当たりにしたようで、かえってこれがあの月山だとは気さえつかずにいたのです。」


 肘折トンネルを抜けると、眼下に、銅山川に沿って広がる肘折温泉の温泉街が見えてくる。
 坂を下り、旅館や、お土産屋さんが並んで建つ温泉街にバスは入っていく。バスは、建物の軒先にぶつかるのではないかと思うほどの狭い道を通って行く。
 新庄から約1時間で、温泉街の中ほどにある終点の肘折待合所に着く。


肘折温泉温泉街


 雪が降っている。温泉街を通り抜ける。周囲の山は降る雪に煙っている。水墨画の世界である。月山は到底見ることはできない。前回も今回も、森敦が描いた月山を見ることを目的にして肘折温泉へ来たが、前回は曇っていて、今回は雪のために、いずれも見ることはできなかった。


肘折温泉周辺の山



 銅山川も雪に埋まり、雪の間から水の流れが見える。 


銅山川


 銅山川沿いに歩く。二つ目の金山橋を渡って、そば屋・寿屋に入る。11時前だったが開店していた。
 薪ストーブがゴーゴーと音を立てて店内を暖めていた。雪の中を歩いて体が冷えていたので暖かい所がありがたい。
 「天ぷら板そば」を注文する。板そばは長方形の浅い箱に入っている。天ぷらは揚げたての盛り合わせである。できたてのそばは野趣があっておいしい。
 店の奥で、カタカタと蕎麦を切る音が聞こえる。

 寿屋を出て右へ曲がり、十字路に出る。右へ曲がる。両側が雪の壁になっている道を歩く。





 銅山川下流に架かる小松渕橋を渡って右へ曲がり温泉街に戻る。


・同年2月14日(金) (帰京)

 ホテルで朝食後、新庄駅発9時23分、山形新幹線「つばさ136号」に乗る。深い雪にも拘わらず、定刻の12時56分に近く東京駅に着く。





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