融雪システムの設計・施工における品質管理と新技術の普及.pdf へのリンク
日経コンストラクション 設計名人への掲載

まえがき
 私の行ってきた研究開発の内容より,その思いとその背景の考え,そして実際の障壁との向き合いの話の方が広く役立ち,面白いようである.かつて,大学のOB会誌に頼まれて載せた「逆境を有利に」は反響があった.それを読んだクラスメートの社長が学生時代,おまえは思想的に嫌いだったが,違っていたと酒を注いでくれた.また,技術の講演と並行して逸話や失敗を話すると元気を貰った,あなたは本当に県庁の職員かと言われた.職場の事務の上司から,宮本君は民間向きで,民間だったら良かったが,役所では受け入れられないと言われた.私は,公務員研究者こそ,リスクや失敗を恐れずに積極的に行うべきで,人事的な評価より技術者として自分に正直にと,不愉快なことにも堪えるだけでなく,逆にそれを活かそうとした.また,研究を実際の実用施設で先駆的にやったことと私の未熟さから失敗を重ねた.完成後も至らない点が幾つも見えてきて,否応なく,失敗と向き合わざるを得なかった.退職後の今でも,県庁の土木から呼び出されて,耐久性不足の損傷に,今日は被告席ですからと冗談で言われ,その原因と対処に悶々となる.そうした講演を聴いた数人から,退職されたら,そのような話を書いたらと言われた.苦悩しながらも,地域を考えの諦めずに取り組んできた,普通の公務技術者の取り組みを紹介することは,今の閉塞を打破する上で参考になり,元気を与えるかと思う.私も池井戸潤や山崎豊子を読んで,考えさせられ励まさせてきた.
 福井の西川現知事は,例えば廃湯をタンク車に積んで散水してはとか,専門分野の詳細まで意見を出される.このように知事は全てに熱心なのだが,懸命に業務をされればされるほど判断は知事一人に集中し,知事との限られた応答が決済になりかねない.職員は,知事の考えに縛られ,専門家でなくて結論が出せない知事の思いを推定勘案して.その枠の中での実行だけになる.職員の専門性は活かされず,職員は内発的に考え行うことを停止する.職員は専門性を高めよと知事は呼びかけるが,職員は専門性を活かせない.コーチングなどの権限移譲のマネジメンを身につけることが知事としての専門性だと県庁の多数が願っている.
 そのような今の福井県庁でも技術の分野では専門性を活かせる.幸い,私の研究開始から16年は栗田幸雄知事であった.この時代,夢みたいだった私の地中熱融雪の研究には予算が職場内で却下され,それで思いあまって民間企業と県の産業振興の財団に頼み込んだ.その結果,資金だけでなく,その後の民間と大学の人に繋がり,共感を育んで成果になった.西川知事となって,厳しくなった県の予算状況にも,博士の学位取得や学会での受賞,大学の客員教授などで自分のステータスを高めて国からの100%の公募型の競争的研究費を得て研究を進めた.県に予算の枠を得るために説明のための説明を延々と行い,成果を得るために自由に執行して良いとのNEDOなど資金提供者の配慮も,県ではすんなりではなかった.その点,福井大学産学官連携本部での2年間の国からの受託研究は天国だった.
 県庁の中では,納得できないこと,長期には破綻すると思いながら,仕事だとやむなく従事することも少なくない.国土交通省でダムによる治水に抗した宮本博司氏は,退職後もダムと向き合い,淀川からダム計画を一掃した.彼は,家族を犠牲にしてやっていた仕事に胸が張れない,十字架を背負っていると京都で語っていた.
 県庁最初の職場では,どうにも疑問に思う事業に課長宛に意見書を出して取り組んだら,百億円の公共事業が止まった.現場の土木事務所から,土木材料の試験を行う職場に異動し,そこで研究開発を始め,10年かけて研究実績を挙げて,職場を研究所にと職員組合の力を得て取り組んだら,人事当局も了承し応援してくれた.県民の利益になり,働くものの自己実現にもなる.その取り組みは苦悩と思いの歩みだった.
 多くの方から,宮本さんはアイデアマンだと言われるが,そうではなくて,それなりに背景となる開発の方法論と目指すべき技術の有り様があって,新しい着想に至るのである.それらを書き始めた.

100億円の臨海下水道事業を休止に
 私は,1973年福井県庁に入って最初の3年間,五百億円の釣り堀で後日有名となる福井臨海工業地帯,そこに進出すると計画された工場の排水を集めて処理する特定公共下水道の仕事に携わった.
 その工業地帯では本当に工場は計画どおりに進出し,その工業用水使用量(下水道流入量)は計画の1日当たり14万トンになるのか,計画した業種からの廃水の水質は推測通りになるのか.下水道では他の工場廃水と一緒になり重金属などが希釈されると処理が難しくなる.工場内での廃水処理すれば,処理した水の再利用もできる.下水道では、そうしたことはできない.国からの補助率2/9を得て福井県が下水道事業を行うより,県の今の予想での排水の量と水質でなく,実際に立地するとなった工場がその水量と水質に応じて処理した方が適切で安価になるだろう.処理対象の水質と水量の予想が外れることによる下水道での処理のリスクも生じない.当時,公共下水道の問題を書き始めた中西準子(当時東大助手)らの考えも参考になった.私は建設省都市局に計画の承認を得るために説明に行きながら疑問は膨らんだ.国の担当者も本当はやらない方が良いと思っているのではないか,でも政治的にそうも行かないのかなとも感じた.上司の係長らには率直に,この事業は止めて民間の工場内での処理に任せるべきだと何度も意見を述べ議論させて頂いた.その通りかもしれないが,問題は係長レベルでは結論が出せなくて踏み込めないようだった.悶々として,大学時代の友人である高岡市の山本氏に相談した.彼は,県には知事などに提案や意見を出す仕組みがあるだろう,それを利用してはどうかと助言してくれた.
 知事宛てに人事課経由で提案しても,果たして相手にされるだろうか.それに,直属の課長に意見することなく,それを行えば反発を招く.そこで,公共下水道事業を中止し,民間工場内での処理という意見書を書いて上司のO計画課長に提出した.O課長は,その下水道建設の出先の技術職員全員と課内の担当者を招集し,県庁3年目の若造の私に説明と議論の機会を与えてくださった.侃々諤々の1時間半後,どちらが良いかの議論は明らかだった.黙したままだったO課長は最後に,「宮本君の意見は正しい.でも土地は造成し,今年度20億円の予算もある.遅い.走り出した列車はもう止められない.」と言った.その後,出先のK課長らは,そのあり方を勉強され,完全に私と同じ結論に至って,県庁幹部に,下水道を中止を説得して歩いた.その翌年,私の異動後,このO課長らは県の単独予算で,京都大学の教授に,この下水道のあり方を再検討して頂き,その結果が出るまで停止という方法で,この事業を休止にした.実にうまい手を考えて対処した.
その後,私は,土木事務所で道路や河川,砂防,海岸などの工事の設計や積算,監督を行った.
 十余年後に下水道担当課は止めたままとしたが,事業が切れた企業庁水道課は,実際規模の,当初の処理量の一割の規模で事業を再開実施した.100億円以上の無駄な公共事業は,不十分ながらも止められた.なお,全体計画の水量に基づいて実施された工業用水道は約10倍も過大な設備となっていることを約15年後にその水道施設を訪れて確認した.その後,工場からの廃水が下水道に流す水質基準を超え下水道で処理できない自体が生じたようである.その事実は公表されなかった.取り締まるだけならまだしも,県が排水処理基準に違反したことを県は公表しないだろう.取り締まるのも県であれば,闇となるだろう.そのことの懸念も先の私の提案で指摘した.県は失敗を隠す.当時の心配を,その下水道職場に在籍したある同僚に尋ねた.彼は,オフレコだがと,私の心配が実際に起きたと語った.

荒廃する職場に異動
 1986年,35歳,土木工事の材料を試験する職場福井県建設技術センターに異動辞令を受けた.異動の送別会で,土木事務所の課長から今回の異動は済まない,2年我慢して欲しいと言われた.職場に出入りの建設業者の数人からも私の異動を奇妙に思ったようで,宮本さんは,熱心で勉強家だからかね,などと言われた.
 職場は,生コン会社からの依頼で持ち込まれるテストピースや砕石など土木材料の強度試験を行うことを主な業務にしていた.テストピースや砕石の強度試験は,企業の品質管理としてのもので,それを職場は受託していた.砕石,砂利は,実際の現場で使用されたものと同じではないことが問題だと思った.その数年後,青森で,公的な品質証明書とは違った石材が実際の海の工事で大量に使用されていたことが会計検査で見つかり,お昼のニースで流れた.県が公共事業での工事材料を抜き取り試験するのではなく,民間が県の証紙と一緒に都合の良い材料を持ち込んでくる可能性のある材料を試験する.こんな試験は県ではなくて民間で行うべきであると考えた.県民の利益にならないことを行っていれば職場は荒廃すると思った.実際に,勤務規律を率先すべき職場の事務次長は,30分遅れの30分早く毎日帰宅していた.私は,二人になった際に,休暇を取られるなら良いが,無断欠勤は止めて欲しいと,なぜ私が言わなくてはならないのか立場が逆ではないかと思いながら言った.
私の異動の前年,職場でT氏が県の目安箱に職場の業務を変えるようにとの意見書を投函した.一部の技術の上層部は,問題を相談もせずに人事当局に直接挙げたことから,T氏に厳しく当たろうとする動きも生じた.しかし,主管課の事務系の監理課長らは,その提案を真摯に考えてセンターを見直そうと考えた.それで,私ならば当時は土木部内では長年合格者がいなかった技術士試験を合格し,また職員組合の活動などで活発だった私なら何かするだろうと異動させたのだと数年後に聞かされた.

福井ならではの公共事業の技術開発
 この職場で,私らがなすべきことは地域に相応しい建設技術の開発だと考えた.他の産業と異なって,公共事業分野では,地方の民間企業が研究開発を行うことは極めて少ない.これは公共事業では,設計は民間コンサルで,工事は建設業が担うが,従来と異なる仕様の製品やシステムを開発しても,発注者の県とすると公平性から,その特定の企業だけとの契約を嫌がる.更に,公共事業では失敗は許されない建前があって,新技術はリスクを伴うことから採用されにくい.だから,県が直接契約を結ばない二次製品メーカー以外では研究開発は地方のコンサルや建設業ではまずされない.だから,地域に相応しい公共事業の研究開発は遅れている.従って,非常に技術開発の余地がある.全国の都道府県に,このような研究機関がほとんど無いのであれば,逆に競争相手がないので勝算がある.県の研究機関という立場で,長年同じ釜の飯を食った私らであれば県庁土木のメンバーは現場での使用では応援してくれる.そうした研究開発を行うために,材料の受託試験は県のセンターでは止めて,民間の品質管理試験として民間が行うようにする.

陽の当たらない職場は宝の山
 私は,異動後半年間,担当の技術職員の研修業務をやりながら,以上を考えつつも職場を具体的に変革する行動にはでなかった.動き出さない私を叱責したのがT氏であった.そして,彼が私に読めと渡してくれた1札の本があった.陽の当たらないカメラのニコンの職場で自社のカメラ技術を用いてステッパーを開発した秘話が書かれていた.これは私らと共通し励まされた.なお,この開発の中心人物は,約20年後に,日経新聞に私の履歴書として掲載された,晩年のニコン社長吉田氏のようである.
同じように,当時,私に,陽の当たらない職場は有利な条件だと教えてくれた大学の先輩がいる.異動当時,私の卒業大学で,1970年前後に学生自治会,生協,大学祭,不正入試事件,大学民主化などを担った50人ほどが20周年で名古屋に集った.その中に,ある先輩が近況を次のように話した.富士フイルムで活動しているが,陽の当たらない職場に回される.でも,長く人材を入れていないその職場には,磨けば光るものが埋もれている.だから活動しながらの多忙な私でも技術者冥利の業績が上げられる.技術や営業からは評価もされる.しかし,それは労務屋たちには面白くない.それで,また別の陽の当たらない職場,宝が埋もれる職場に異動させてくれる.これが優秀な人が鎬を削る職場であれば,多忙な私では太刀打ちできないが,またまた光ってしまうと笑みを浮かべて語った.なるほどと思い,研究の経験のない私でも,やっていけるという展望と励みを得た.

県庁主管課の応援
私の異動の約半年後,県庁で私らの職場を主する監理課長ら幹部が職員全員と忌憚のない話をしたいと職場に来られた.こうしたことは前例のないことである.私らの地域に相応しい公共事業の技術開発という提案などを聴いて下さって,必要な応援を惜しまないとおっしゃった.そうしたこともあって,異動先の職場で,私は高島氏らと議論して,前述のような業務見直しを行い,並行して地域に相応しい公共事業の研究開発を具体的に,翌年度に事業として取り組む準備を始めた.

融雪を研究テーマに
 当時,56豪雪,59大雪と雪対策は県民の喫緊の課題で,新任だった栗田知事が雪対策を掲げていた.そこで,この雪対策を私はやろうと考えた.当時,県土木の上層部にいた技術士の私の卒業大学の大先輩からは,雪対策でなくて,せっかくの土質や基礎の技術士としての専門をやった方が良いとの助言を頂いた.でも,それより県民や知事の思いは明らかに雪対策だからと,雪をテーマにした.ただ,この時のアドバイスは,その後,雪と基礎を繋げることで生きた.私に,具体的に何ができるかを考えた.10年間現場の土木事務所で,道路などの工事の設計や監督をやってきた私は,実際に道路で融雪の設計を行い,工事を完成させることなら得意で,大学や国,民間の研究者にはない強みである.この道路融雪での研究開発を掲げたことで,戸田明監理課長補佐の仲介で,県庁道路保全課長らから「現場での工事費を2年間で約2000万円出す.場所も,開発するシステムは歩道の無散水融雪という条件以外は,自由にやってよい.実施場所も自分で見つけてくれ,任せる.研究だから万一失敗してもやむを得ない.その代わりに,できれば全国にないものをやって欲しい.」と言われた.知事の雪対策への意向があっても,道路保全課でも多忙でやってくれる人がいなくて困っていたようである.全く自由に誰もやってないことを実際の道路でやれる,技術者冥利に尽きると思った.通常の本来業務をこなしながら,現場のニーズと現状の融雪の研究に関する情報の収集に取りかかった.

御用聞きからの積雪センサ
まず,福井土木事務所道路保全課の友人の藤野間幸英氏に,なにが融雪で困っているかと御用聞きに行った.彼は,「地下水の散水融雪装置は降雪センサで自動運転しているが,日中を雪が積もっていないのに運転している.地下水がもったいので,目視で積もらない程度の降雪だと判断したら運転を停止している.また,車道に散水した水が,歩道の歩行者に,水しぶきとなって歩行者を襲う.通学時間帯も,雪の様子を見て停止している.深夜早朝もやっているが,大変なんだ.」という.晩年,御用聞きは多くの人に随分としたが,技術全体の根本の問題矛盾を考えている人に当たらないとヒントには結びつかない.あるいは,よくよく気心の知れた人であれば,しゃべりながら,彼の中に潜んでいる問題点を引き出せる.
 融雪路面の積雪の有無を感知するセンサがないか調べるが市販されていない.降雪の有無を感知するセンサだけであった.降雪の強度を計測して散水量を増減するシステムは市販されていた.これらの降雪センサとそれで運転するシステムは,室内暖房の制御を室内温度でなく外気温で制御するようなもので,論理的におかしいと思った.社会も技術も論理的で無いものはいつかは論理的なものに代わる.融雪路面の積雪を有無を感知した運転にすれば,融雪能力より降雪量が少ない時は路面上の雪が溶けて,降っていても積もるまでは運転停止され省エネルギーとなる.逆に,融雪能力を超える降雪で降雪後も雪が残ると,溶けるまで融雪装置は稼働する.従って,気温や風など,交通量や路面の温度が,設計通りではなくても賢く運転してくれる.設計が不適切であったり,あるいは地下水量が想定より増減したりしても,効果的に運転してくれる.

人を繋いで開発実用に至った積雪センサ
 積雪センサは市場にはない.しかし,研究レベルで誰かやっていないかと県立図書館で,国会図書館収録の研究タイトルを根気よく調べた.私らは,研究開発と言っても最初から全てを自分らだけで開発する必要はないと考えた.現場でのニーズを,既存の装置や研究を実際の現場に導入して役立つならば,それでよい.なにも研究のための研究を行うことはない.ニーズとシーズを繋いで実際の公共事業で役立って,その効果を示すのも大切な研究である.ワットは蒸気機関を発明したが,この発明(シーズ)が動力として広範に使われるとそのニーズを見込んだのはボルトンだという.だから,蒸気機関の発明者はこのボルトンとワットとされている.調べると,石川高専の今井清保教授が構内での融雪実験を数年前にされていた.直ぐに連絡して伺った.温厚な今井清保教授は,これは,融雪路面に赤外線を放射し,積雪があるとその反射が増えることを利用したもので,大したもののではないという.私は,装置は大したものではないかもしれないが,路面融雪での自動制御は前例がなくて,実現すれば大幅な省エネルギー,節水に繋がる.単純で大した装置でなくて,効果が大きいならば,それは良いと想いを語った.先生は直ぐに理解されたが,構内実験とは違い,不特定の方の通行もあるような道路でのトラブルや失敗には責任を負えないとおっしゃった.それで,失敗しても私が責任を取るからと,高さ60cmからの赤外線放射を1.8mと通行の邪魔にならない高さにするようにした設計図を今井先生に依頼した.これを県内の西村電機商会に制作して頂き,実際に設置し,現場に導入した.まず,この積雪センサで後述する地下水二度使用の無散水融雪の歩道の残雪を感知した.これは,国内最初のフィードバックによる路面融雪であった.このタイプは,その後,西村電機商会と今井先生が工夫されて,80万円の定価で生産されて,私が開発した無散水融雪の制御に随分と役だった.

 その後,今度は車道の散水融雪を積雪センサで制御したいとなった.これには,県内企業の(株)山田技研の山田忠幸社長が参加してきた.車道での散水融雪の実験現場は,私の自宅から歩いて3分で行った.リスクのある融雪を制御するセンサを実際の道路に使用する際には,この近さだからできた.実際に,積雪センサの試行運転では,うっかり寝坊して夜3時,センサの見ている路面は車の通過で雪がなく地下水は散水されていない.しかし,歩道は雪が20cm積もったままであった.車道は,万一に備えて依頼したとおり,朝までにには前後の除雪のための除雪車で除雪されるだろう.でも,歩道は,除雪されない,あわててスコップを取りに帰り,前後500mを一人で夜明けまで除雪し,迷惑をかけずに済んだ.その後,山田忠幸社長の提案で,積雪センサを軸回転する雲台に乗せて路面の中央から路肩までの積雪の有無を感知するように改造された.この積雪センサは,運転時間を従来の降雪センサ制御に比べて年間で1/3にまで減らした.昼間は,1/7にまでに減った.薄く積もってからのスタートであっても問題は生じなかった.但し,福井が降っているのに,融雪装置が散水していないという苦情が住民から寄せられて困った.現場では雪が降っても積もっていないから運転していないので,問題はないのだが.

歩道無散水で車道散水の地下水再利用融雪の誕生
 建設省の土木研究所新潟試験所の下村忠一所長に電話で,幾つか質問をした.この方とは,電話の時点では全く面識が無かったが,対応して下さった.その際に,その方から地下水を放熱管に埋設し,その後の水を散水する2度使用というのは面白いかもということをふと話された.これがヒントになって,歩道無散水融雪と車道散水融雪を組み合わせた地下水2度使用のセット融雪を直ぐに思いついた.地下水を歩道舗装内の放熱管に流して融雪し,やや低温となった地下水を車道に散水して車道の雪も溶かす.現場を想定すると,歩道を無散水融雪しても,車道が融雪されていないと歩道は排雪場になる.この問題は,この歩道無散水融雪と車道散水のセット融雪なら解決できる.また,車の通過しない歩道舗装内への放熱管の埋設ならば,地下水でも雪が溶けるように放熱管を浅くに挿入しても耐久性を損なわない.歩道の散水融雪は,水がはねて歩行に支障となる.また,車の通行がない歩道は,散水しても水の流れる水筋だけが溶け雪山となる.車道は,散水しても水が跳ねても支障にならなくて,通行車両の撹拌やシャベットになった雪が飛び散り低温でも良く溶ける.地下水の温度の高い部分は歩道の無散水融雪で使い,無散水融雪には温度が低くて融雪速度を下がって使いにくい無散水融雪で7℃に低下した地下水は車道に散水する.後日,こうした熱の多段利用はカスケード利用と呼ばれ,燃焼エネルギーでも高温部を発電に,廃熱を暖房に使うなどエネルギーの合理的な利用だと知った.エネルギーは保存されるが,エネルギーには質があって,電気は高質で,熱は常温に向かっていくが,常温に近いほど低質のエネルギーになる.後年分かったことである.こうしたことは当時知らなかったが,これは非常に合理的でニーズもあって,実用性が高いと思った.最初の実用規模での工事を1987年に福井市内の橋梁前後で行った訳だが,その後,この方法は福井市,越前市,小松市,金沢市,富山市,出張で歩くと新庄市,会津若松市などの都市中心部で施工されており,驚くほどの普及となった.

福井県特産高熱伝導骨材使用,よく溶ける融雪の誕生
 私らの研究開始の数年前,日本地下水が山形で,井戸からの地下水を放熱管に流し,その利用後の冷水を離れた井戸に戻すというた融雪に成功し,福井駅正面の通りで行うための融雪能力検証の実験を日本地下水が受注していた.タイル使用の歩道下の放熱管に地下水を流しても融雪が遅くて融雪面に,雪が残ってしまうのではないかと懸念されていた.その検証実験であった.
 私は,低温でも放熱管方式で降雪速度に遅れることなく早く溶かすためには,熱伝導の良いコンクリート舗装が必要だと考えて,国内のセメントの技術研究所の全てに,手紙を送付した.1ヶ月後,技術士会で顔見知りの潟zクコンの浦田技術部長が,セメントメーカーの方と一緒に来られて,珪石という骨材は熱伝導率が約5W/m/Kと通常の岩の約3倍と高くて福井県南条町が国内有数の産地で,潟zクコンはその骨材を使用してコンクリートの二次製品を製造しているという.そのことが契機になって,この珪石骨材で熱伝導率が2倍の放熱管を埋設した融雪パネルをも実験的に導入した.このパネルは,どうしても型枠などで価格が現場で施工するコンクリートに比べて数倍になる.それでも都心部では,工期を短縮できることと歩道の下の水道ガス工事を行おうとする際には,パネルを借り置きできるという利点があるということで使われてきた.当初は,仮置きを容易にし,また工期を減らすためタイルをパネルに貼り付けた製品として開発された.それは珪石という高熱伝導で低温でも溶けることが強みとなって潟zクコンは現在国土交通省で車道で年間1億円の受注にまで至った.
1987年の実用規模でも施工では,歩道無散水融雪と車道散水の地下水2度使用のシステムを運転制御は西村電機商会の制作した積雪センサで積雪の有無で制御した.また,歩道の無散水融雪には,一部に珪石骨材の融雪パネルを設置した.この高熱伝導の融雪パネルの上の雪は,他と比べて良く溶けた.

業界の応援
この工事を実施したが,現場での計測は当時全くの素人で,温度センサを片手に,雪が降るという予想の夜に,仮設の小屋に泊まり込んで計測した.これを人事異動でやってきた藤野間幸英とK氏の3人でやっていると,管工事業界の方々もやってきて協力してくださった.とろろが暖冬で3月になっても少雪でデータが得られない,そこで井戸工事のO(当時専務)さんが勝山市の山から雪を運んでくれて深夜に歩道に積んでの実験を行った.福井の設備屋さんや井戸屋さん,電気制御屋さんが集まってくださって侃々諤々の意見交換を行った.君ら若い県の職員が福井の融雪で一生懸命にやっているので,私らも手伝いして,良いものを一緒につくりたいということだった.業界の窓口だった方にはその後も長くお世話になった.

雪対策技術センター設置
こうした実際の工事がほぼ完成した12月初旬,私はマスコミにそれを流したら,ほぼ全社が報じてくれた.直後の12月の県議会で自民党と共産党の3人の議員が,私らの取り組みにも触れて雪対策を進めるようにと質問された.栗田知事は,国の雪氷防災研究所の支所を福井県に設置することを前年度に科学技術庁に重点要望していた.しかし,この要望を止めて,雪対策センターを私の職場に設置し,雪対策を行うと議会で答弁した.私らが職場と県庁主管課で進めてきた事務所の業務内容を変えるという取り組みは当時の県庁主管課の課長とのT補佐の指示で順調に進展していた.これが知事の答弁で,その研究の内容は雪対策を中心に替えられ,雪対策技術センターの設置となった.でも,なぜか,職場に同僚となってきていた藤野間幸英は,やり過ぎた,私らの春は終わると言った.

私の強みを活かす 
 何度かマスコミに報じられて,県庁の環境保全課に行くと,参事など3名の幹部に捕まって,地盤沈下を招くような地下水を使って融雪することを研究することは問題だと叱られた.私は,「積雪センサで散水融雪を制御した結果,従来の降雪センサによる運転に比べて日中の運転時間は1/7に,昼夜含めて年間で約1/3に縮減した.だから,環境保全課で,地下水利用の一定規模以上の融雪に,フィードバック制御センサを猶予期間をおいて義務づけるような条例をつくって欲しい.そうすれば地下水揚水量を減らしながら融雪を増やせる.長岡市では地下水利用の融雪にはセンサを義務づける条例を設けている.これをフィードバック制御の積雪センサにして福井県の地下水条例にすれば,融雪での地下水揚水量は半減化できる.数年後に大量に売れるとなれば,優れた積雪センサも開発され,量産化される.」と反論した.私は,公害が問題になった頃に学生時代で,宮本憲一や宇井純などを随分と読んだ.また,工場廃水の出る名古屋の港を日本科学者会議の先生らと船で回ったり,公害の講演会にも,新幹線公害の話を聞きに行ったりで,社会観が変わった.そうした私が公害発生に荷担しているとの叱責は重く,つらかった.
 そうしたことがあって,地下水の過剰揚水の問題も気がかりになった.それで,その後,福井平野の地下水の源である扇状地の田んぼでの陸砂利を掘って浸透しなくしている実情も調査した.大野市のように陸砂利を規制するように環境サイドに提案もしたが,放置されたままである.扇状地でのこうした影響が不明なことも放置の原因なので,河川敷で水が流れる部分が咳止めで広がると地下水涵養量がどの程度増えるかなども含めて,  年に福井平野の地下水流れの解析を産業 内田洋平氏らと3年間実施した際に明らかにできないかと願ったが,使用している数値シミュレーションソフトが対応できなかった.  

金の切れ目は縁の始まり 地中熱共同研究の始まり
 翌冬1990年,断熱材の上に雪が貯まっているのに,地面の上には雪がないことを見て,地表面は温度が下がっているはずなのに,それでも雪を溶かしている.もし,深部の熱を安価に集熱できれば雪は溶かせると思った.地下水利用の融雪も考えて見れば地盤深部の熱だから.深部の熱を非常に安価に集熱するには,なにか方法がないだろうか.基礎杭を兼用して地中熱交換器にすれば,安価に地中の深くから集熱でき,この地中熱で雪が溶かせると思った.これは,地盤,基礎の分野で技術士で,雪の研究もやった私がやるのが最適で,私がやらなけらば誰もやらないと考えた.この方法ならば地盤沈下にはならない.
 ところが,かつて福井大学から県へのと雪の研究をされた先輩格の杉森正義氏など,私よりは年配の方々が異動で来られて,ボイラー加熱の散水融雪の循環方式などを事務所内での融雪の開発に,雪対策技術センターとなって付けられた研究費2千万円使われることになった.従って,その翌年度は私の研究費はゼロになった.杉森正義氏に頼み込むが,百万円までが限度だという.それではとてもできない.
 数日経過して冷静になって考えても,基礎杭兼用地中熱集熱と開発した積雪センサと高熱伝導舗装とを組み合わせれば,実用的な融雪ができると考えた.
 そこで,研究費がないというピンチから,このアイデアは工業所有権になるだろうからと県内コンクリートメーカーの三谷セキサン(株),(株)ホクコンの両者に,研究資金千万円を共同研究とすることで依頼しようと考えた.中野宗四郎所長に,その共同研究への起案書を回した.しかし,所長も前例のないことで困られたのだろう,半月経過しても督促しても了承の決済をされない.それで,三谷セキサン鰍竍潟zクコンに事前に私が頼みに行くことの是非を県庁の土木部の幹部数人に相談にも行った.全員が,決済なしで行うことは駄目だと言う.悶々と考えた.ある女性事務職員は,私に,直ぐ実用化するようなものは民間でやれば良い,夢のあるものをやって欲しいと言った.私は,採算の見込みを概算で見込んで無理なものは夢に終わり,最後に自分が惨めになるからやらない.でも,この基礎杭兼用ならば融雪能力が不明だから正確ではないが,費用と効果を概算すると実用性があると思われた.更に,冬温かい,夏冷たい地中の熱を安価に集熱できれば,これは冷暖房にも使用できる.とりわけ,福井では,冬,湿気の高い空気からヒートポンプで集熱するエアコンの室外機は霜がついて除霜運転が必要となり,能力も効率が低下する.福井など日本海側での省エネルギー冷暖房として需要も大きい.
 こう考えた私は実現への使命感に,どうするとよいか悶々と考えた.もしも,このように研究を進めることが社会的批判を受けるとすれば,どういうケースかと考えた.産学官共同での研究をもし問題にするとすれば共産党の県会議員だと思った.私らの学生時代は,産学官共同研究は,大学が民間の金儲けで技術が歪められ悪いことだった.それで当時の渡辺三郎県議に電話で事情を説明して,どう考えますかと尋ねた.渡辺さんは,県庁の建築技師であったが,若くして退職し,福井市議,県会議員になった方で,建築構造の設計事務所の所長もされていた.彼は,福井市議時代に,融雪技術の研究開発をやるべきだと議会で提案したが駄目だった,アイデアも面白いから是非やって欲しいと電話で言う.更に,研究費は必要なら県の土木部長に私から頼んでみますか,あるいは,コンクリート基礎杭の三谷セキサン鰍フ社長は福井中学の同級生ですから,あるいは建築設計をやっているから,三谷セキサン鰍竍潟zクコンとは仕事でも付き合いがあるから仲介をしますかとおっしゃってくださった.産官での研究に問題のないことの確認だけで十分で,それらの好意は断った.そして技術士会や同級生の伝手で,三谷セキサン鰍ニ潟zクコンには,この提案の可能性だけを考えて,研究費を出して,研究に参加するかを検討して欲しいと伝えた.現時点では事務所でなく,私からの個人的な打診なので,断って頂いて全くかまわないと念も押した.約2週間後,2社から快諾の連絡があった.所長には,正式に所長名で依頼すると,2社は技術的な判断以外もあって断れないだろうと考えて事前に,技術的な検討だけで可能性があれば受けて欲しいと打診したと説明した.2社とも了解なので,2社との契約としたいと説明した.所長には,宮本君は決済を待たずに承諾せざるを得ない状態にしてしまう,これで2度目だと,上司の杉森正義さんを含め2時間叱られた.でも,それ以上はなにもなかった.

 その後2社とで基礎杭利用の地中熱利用を調べると,清水建設の研究所が小規模に実験を行っていることが分かった.清水建設には電話で,基礎杭を兼用する自体は,公知の技術で,特許にはならないこと,小規模実験からは施工費などが高くて冷暖房での実用実施までには至っていないと教示を頂いた.雪対策技術センターになったことで,経験のある方や上司が増えて,若いK氏もF氏も異動となっていた.それに,この基礎杭の本数と融雪面とのバランスなど,融雪能力の見込みには計算が不可欠だと思われた.私ではとてもできない.それで,数年前から熱計算で相談に伺い,前年には小さな融雪装置をその研究室の学生や 助教授と一緒につくって信頼を寄せていた福井大学の機械工学科熱研究室の竹内正紀教授を2社とで尋ねて,共同研究に加わって頂いた.竹内正紀先生は,5月連休に,数値シミュレーションを行ってくださった.PHC杭の杭の壁内の外側にらせん状にポリエチレン管を埋設する方法での数値シミュレーションによる融雪見積もりでは,思いの外,雪が溶けない.更に,三谷セキサン鰍フ橋詰善光氏と潟zクコンの小林志伸氏からは,このPHC杭の壁内にポリエチレン管を埋設すると,杭としての強度低下を補う必要から杭の認定に2年と1千万円の費用を要すると言われた.そこで,PHC杭は内部が空洞であることを活かして,杭底に鉄板を当てて杭内空洞に貯水し,その貯水の底部から融雪後の冷水をポリエチレン管で送り,そこで杭内貯水に水を流して,ゆっくりと杭の頭部にまで冷水を送る.その数時間で,周囲からの熱で温水となった杭内頭部の貯水を,杭頭部の別のポリエチレン管に送り,融雪面の放熱管に循環ポンプで流すという案を私が提案した.この貯水は,PHC杭は遠心力製造されて漏れないと橋詰氏と小林氏の意見だった.当然,コストも随分とダウンする.これなら,随分と融雪能力は向上する,直ぐに数値シミュレーションを行うようにソフトを変えると竹内正紀教授.こうして,この方法での職場の敷地に,国内最初の基礎杭兼用の地中熱融雪の実験装置が作られた.
 翌冬の深夜に,市内での積雪センサの運転制御を見回りで同行の且R田技研の山田忠幸社長は,雪がどんどん降る中で,溶かしていくこの基礎杭利用地中熱融雪を見て,「これは凄い,電熱融雪より溶ける」と感嘆した.翌年,県立大学職員用住宅ビルの基礎杭を利用して,駐車場400uに,この融雪装置をモデルで実施した.その後も,県立音楽堂,図書館,建設業会館の建物などに導入された.

 潜熱材封入で鋼床版橋の凍結抑制
 発明博士ということでマスコミによく登場した酒井 氏が,コンクリートに塗っておくだけで雪が溶けるという実演をされていた.マスコミの方に同行させて頂きそれを見学させて頂いた.確かに,その方の材料を塗った瓦はわずかな降雪では,塗っていないものに比べて溶ける.そこでコンクリート製品メーカーとしての三谷セキサン鰍紹介して材料を頂いて実験した.この用途に鋼床版橋での凍結抑制をと考えた.
 鉄筋コンクリート床版なら床版の厚さは25cmほどになるが,鋼床版橋ならば鋼板1.2cmの厚さで床版ができる.軽くなるから,瀬戸大橋などの長大橋の床版は全て鋼床版である.福井には,この鋼床版橋が多い.この鋼床版橋は,床版厚が小さいので熱容量が小さく,熱を奪われると直ぐに温度低下する.冷蔵庫にバケツ一杯の水を入れても温度は直ぐに下がらないが,コップ一杯の水なら直ぐに冷える.熱容量の差による.コンクリート床版や地盤に比べて,ぺらぺらの鋼床版は冬季の放射冷却の早朝に凍結しやすい.路面から天空に向かって,路面の絶対温度の4乗に比例して熱が放射されている.雲があれば,逆に,雲の全体温度の4乗に比例した熱が路面に向かって放射される.雲が無い晴天時には,雲からの放射熱がないことで,路面はより冷える.路面表面が気温より冷えて,更に露点より下がると,空気中の水分が路面で結露して水や氷となる.雪が降り出すと熱容量の小さな鋼床版橋は直ぐに冷えて雪が積もり易い.地盤部や鉄筋コンクリートの前後と比べて,鋼床版橋区間だけが降雪初期や放射冷却の早朝に凍結する.ドライバーは,突然の路面凍結に出会して事故を招く.九頭竜川に架かる高屋橋など,道路管理者は随分と気を遣って融雪剤などを散布するが,それでも急変して事故となる.道路管理の担当者からは,鋼床版橋の凍結をなんとかしてくれと言われていた.
 この高屋橋の下流に,天菅生橋を架けていたが,その設計図が偶然展示されていた.この設計では,朝,福井市内に入ってくる車線は鉄筋コンクリート床版から鋼床版橋へととカーブ区間で変わっている.これは事故多発の高屋橋よりは危険な橋になると思った.鋼床版は工事ができあがっていたが,舗装はまだ施工されてなかった.まだ間に合うと土木事務所に,3年ほど待って頂き,それまでに何とかすると研究を始めた.
 
 逆効果の鋼床版橋下面の断熱
 橋面の上に冬の早朝に立つと風で寒い.それで,鋼床版橋も下面から風で冷やされると考えてしまう.そこで国などでは,富山などで,この鋼床版橋の下面に断熱材を貼り付けた実験を行っている.これは逆効果となるのだが,その結果は積極的に公表されない.実は,放射凍結時の鋼床版の路面は天空への放射で気温より低温になっている.だから結露もする.だから,風が吹けば路面は外気によって温められる.アスファルト舗装8cmに鋼版1.2cmの薄い鋼床版では,路面上面と床版下面の温度差は大きくないため,下面でも外気から対流で熱を得ている.更に,橋の下の河川や道路は,床版下面温度より高温なので放射熱を得ている.外気からの対流と下面からの放射熱を下面での断熱材で遮断すると凍結は促進される.こうした指摘をしても,直ぐには理解されない研究者が少なくないこともあって,実際に福井市内の橋で実験した.
 鋼床版橋の下面は,鋼床版だけでは剛性が得られないので,リブを付ける.このリブには,30cm間隔に,Uリブもしくはバブルプレートリブのいずれかが使われる.
 瀬戸大橋も鋼床版橋で,完成した冬,路面が凍結してスリップで大変なことになったという.その後,1シーズン14日ほど融雪剤を散布しているという.当時,幾つもの橋が施工される前だったので,その建設事務所の所長さんらが私を尋ねてきた.断熱することを実験検討しているということだったが,私の説明や計測,数値シミュレーションなどで納得された.
 放射冷却での凍結には,相対的に2℃以上高い外気を風で与えれば凍結は緩和する.これは静岡の茶畑での凍結対策としてされている.そこで真似てやってみた.扇風機を用いると鋼床版橋の路面温度は上がるが,風で結露量が増えるリスクも増えることに気づいて止めた.

潜熱蓄熱材,詳しい人に聴く
 熱容量が小さいことで凍結するなら,熱量量を大きくすれば解決する.橋の荷重を増やさずに,熱容量を大きくするには,凍結する直前の3℃ほどで液体から固体に凝固する潜熱蓄熱材を舗装に封入すれば良い.水は冷却すると0℃で液体から固体になるが,凝固時に0℃を長く保持する.路面が凍結する直前の3℃になった潜熱蓄熱材が凝固しはじめると長く3℃を保持する.放射冷却する日中は冬でも日射があるなどで,路面は3℃よりは十分高温になる.だから,凝固して固体となった潜熱蓄熱材は液体になる.
 こう考えて,潜熱蓄熱材を捜した.中古の冷蔵庫を設備業の福日機電から頂いて,毎日,材料メーカーの研究者に教示して頂き,サンプルも頂き,材料を変え適当な潜熱蓄熱材の試験を繰り返した.でも,どうにもすっきりしない.そこで,国内での潜熱蓄熱材での論文から三菱電機の木村 理学博士が詳しいと分かり,尋ねて教示頂いた.三菱電線工業が電熱線床暖房を深夜電力で発熱させて疑似固体化したパラフィンを液化して蓄熱し,昼の床暖房熱源としていること,このパラフィンの分子量の小さいものは融点が3〜5℃のものがあるという.そこで三菱電線工業からのサンプルを詰めた模型実験で,全くの自然熱だけで凍結が抑制されることを検証した.

人を繋ぐ 
 問題は,この潜熱蓄熱材をどこに封入するかが課題となった.下面からの貼り付けで効果か発揮できると,既存の鋼床版橋にも安価に適用できる.しかし,このパラフィンは,液体でも見かけ上ゲル化(疑似固体化)することで漏れて引火するリスクを減じているが,そのことで熱の伝導が悪い.従って,袋に詰めて床版下面から密着して貼り付けたが,日中に液体に戻りにくい.やむなく,角型鋼管にパラフィンを詰めて,これを鋼床版の上に設置して固定して,周囲を鋼繊維補強のコンクリートで覆うことにした.多くの鋼床版橋は,鋼床版の上に,鋼が錆びないように気密性の高いグースアスファルト舗装で4cmの厚さで保護し,次いで通常の舗装を4cm施している.このアスファルト舗装では,鋼管を封入できないから,アスファルト舗装の代わりに,鋼繊維補強コンクリートを施すとした.これは,横河ブリッジの寺田博昌博士や名古屋の都市道路公社や名古屋工業大学の梅原秀哲教授らが開発実用化していた.このらの方には随分と教示頂いた.特に,この研究で論文博士となっておられた寺田博昌常務には,受注されていない天菅生橋での現場まで来て頂き,適切な指示を頂いた.寺田博昌さんは,鋼床版橋の欠点である疲労を伸びがあって剛性のある鋼繊維補強コンクリートで補強することを考えておられた.これは,材料の特性を活かした優れた方法で,その後鋼床版の疲労が全国で問題になり,その修繕方法としてアスファルト舗装を鋼繊維補強コンクリートに置き換えることが多数実施されている.
 天菅生橋では,現場で寺田博昌さんから,国内トップ舗装業者が施工するのだが,その簡易フィニッシャーによる施工で大丈夫か心配だといわれた.それで,その会社の研究所の所長に電話で確認したが,結局,施工は平坦性に欠け,施工基準を満たしたとは言うものの走行には耐えられなかった.名古屋の都市高速道路を幾つか見せて頂いていたが,これほど平坦性に欠けることはなかった.そこで薄層のアスファルト舗装を施工せざるを得なかった.また,この薄層のアスファルトは,5年後から剥がれ出して修繕泣かせとなっている.後日この会社が,他の現場でのアスファルト舗装で,虚偽報告をしていたことを知り,本当に,施工基準を満たしたかどうかチェックすべきだったと反省している.
 本来の凍結抑制での効果は,施工後,供用までの1シーズン,M氏と私が早朝に通って検証した.
 建築には,無動力,自然の力だけで空調を行う,パッシブソーラーハウスという概念がある.この概念を知って,道路融雪にこれを適用してみたいと思った.私たちは,科学で力ずくで,エネルギー得たり,構造物をつくるが,それでは持続可能にはならない.シューマッハがスモール イズ ビューティフル (講談社学術文庫)で言うように,根本的に考えたい.ちなみにシューマッハはイギリスの国政に関わっていたが,夢のように言われた当時にあって原子力発電には反対していた.同じように,”もう一つの技術”alternative technology という思想と運動がある.私も,これらに魅せられて研究開発を行ってきた.
 このシステムは,その後勝山橋で,その後,高浜跨線橋の鋼床版橋で使われることとなった.更に,福井市中心で最も交通量の多い幸橋でも使う計画となった.このように使われるならば,鋼繊維補強コンクリートと鋼床板と一体となった剛性とその構造的耐久性を検証しておくことが必要だと思われた.鋼床板と角型鋼管を敷設し床に固定し,鋼繊維補強コンクリートで一体化すると,剛性が高まり,鋼繊維補強コンクリートを舗装としてだけでなく,構造材として考慮した合成鋼床版橋として設計できる.そのためには大きな論荷重を数十万回走行させる載荷試験を行って耐久性を検証し,その解析を行うことが必要である.私にはきないので,この分野でのトップで,また天菅生橋でも助言を頂いていた松井繁之当時阪大教授と大阪工業大学堀川都志雄教授に,研究費はないが,このシステムは面白いから,先生らから橋梁メーカーに資金を要請して頂けないかと依頼した.大手2社の開発担当常務に電話で,私が松井繁之先生の名前を出して依頼したが,断られた.後日,松井繁之先生からは,研究費も捜してなどという依頼は前代未聞だったと言われた.それでも松井繁之教授は学会の休憩時に,私を連れて,業界に当たって下さった.この潜熱蓄熱材封入での凍結抑制の特許を橋梁メーカーに渡すなら研究費を出すという.県の特許でもあり,関連の1千万円の研究費で渡すことは無理な条件なので断った.なんとかしたいということで捜すと,大学などの特許を中小企業が実用化する際に必要な研究開発費を全額補助する制度がJSTにあることが分かった.そこで,融雪工事も手がける橋梁メーカーの福井鐵鋼(株)に,この研究をやって頂けないかと依頼した.懇意にしていた奥村茂さんからは随分と連絡が無くて督促した.すると佐野洋(当時営業部長,現社長)から,研究開発を積極的にやりたいと思っていたが端緒がなくて困っていた,会社の得意分野とも関連するからやらせて欲しいとの回答.鋼床版橋の凍結しやすい弱点を全くの自然エネルギーで解決し,同時に剛性不足での構造的な弱点も解決するという研究開発の提案は採択されて,阪大と大阪工大とで共同研究された.その成果は高浜跨線橋で活かされ,国内最初の潜熱蓄熱材封入の凍結抑制合成鋼床版橋が実現した.

群杭効果での夏の熱の地中蓄熱 こうして生まれた
 橋は前後が坂道で,下面からの地中熱の供給のない橋面はしばしば凍結し,圧雪となって,交通の隘路となる.そこで福井では地下水を散水した融雪がなされている.ところが,放射冷却時で結露した際に,散水すると車にに引きずられた融雪水凍結してスケートリンクとなって死亡事故が起きた事例がある.だからだろうか,新潟では橋面では融雪がされてなくて,出張の際にバスの運転手などで聞き込みをすると高いニーズがある.無散水融雪の放熱管を埋設しても橋面であればガス水道工事でも邪魔にならないから将来の維持管理の支障にならない.更に.橋梁の多くでは基礎杭やケーソン基礎などを要している.また,ハイピアの高架橋ならば鋼管の空洞がある.このように,橋は高いニーズと将来の維持管理の支障にならなくて,地中熱集熱や蓄熱に兼用利用できる構造物がある.ケーソン基礎なら大量の貯水ができるが,勝山橋などは基礎工事が終了し,間に合わない.建築杭と同様に,橋台の基礎杭を地中熱集熱利用してと考えて,竹内正紀教授のソフトで数値シミュレーションを行った.すると,冬,融雪した次の冬になっても杭内は冷えたままで,元に戻っていない.これでは融雪能力は減って困ったなと一瞬思った.が,直ぐに,これは凄い.逆に,夏の熱を冬まで保存できる.だから,融雪能力は高まる.これは冷暖房や給湯などにも使える.
 実は建築基礎杭兼用融雪を実用化した際に,竹内正紀先生らと夏に循環ポンプを運転しての融雪面は太陽熱集熱として機能した蓄熱を実験した.ところが,この際には冬までに1℃ほどしか高めることができなくて諦めた.この建築杭は,柱の下の基礎杭で,杭の間隔は5mほどもあった,今回の橋の基礎杭は,鋼管杭で空洞の内径は55cmとコンクリート基礎杭の30cmに比べて大きく,杭同士の間隔が2mと狭い.狭くて大口径の杭が3行8列,あるいは2行6列と橋台の下の基礎として設置される.だから,杭同士で,熱の相互干渉で,拡散せずに長期に保全される.
 この橋梁の基礎杭では,地震時に橋が水平に動いた力が加わり鉛直支持力に比べて水平力が大きくて引っ張りに強い鋼管杭が多く採用される.こうした鋼管杭は内部は空洞であるが,鋼管杭の中にオーガーを入れて先端のネジで穴を掘り,中間のオーガーに羽根で掘削した土砂を鋼管上部に送り吐き出す工法が多い.鋼管を設置後に,鋼管内部を洗浄して杭底部をコンクリートと埋めて貯水できるようにすることをまず考えた.これでは漏水リスクなど大変なことが創造された.考えていると,かつて杭の短い杭のチャンの式で教示頂いた日本鋼管(株)の中川栄作さんが来られて,「宮本さんのシステムをコンクリート基礎杭利用の土木学会論文集で読んだ.あなたは,以前短い杭のチャンの式で私に質問を寄せたことがある人だったのでやってきた.建築では開発した鋼管杭での回転貫入工法が増えている.これは宮本さんの基礎杭兼用地中熱集熱に最適な工法だから使って欲しい」という.杭底に取り付けた先端閉塞のネジを杭頭を掴んで回転圧入しながら挿入するという.これなら鋼管内部は容易に完全に貯水できる.当時,橋梁では杭などは仕様が決まっていて,この工法は橋梁に使うことが認められていない.それで建設省土木研究所の福井室長に電話で相談すると積極的な方でやって良いとおっしゃる.が,現場の事務所の担当者と設計コンサルタントを説得するために,筑波を訪れて相談に乗って頂いた.
 清永橋は用地問題もあって,随分と完成が遅れたが,完成して効果を発揮している.
 そこでの回転貫入杭の鋼管杭工法は今日では道路やJRを含めて水平力の大きな杭には広く使用されている.そして,この清永橋での兼用杭の施工をご覧になった新日鉄の佐伯さんや旭化成ホームズらは北海道大学の長野克則教授らと共同で,鋼管杭を地中熱集熱に兼用してのヒートポンプ併用の冷暖房の研究へと繋がっていく.但し,鋼管杭はその後鋼材が高騰して,建築杭ではコンクリート杭ほど市場を席巻することができず,苦戦している.
 この鋼管杭では,鋼管内に貯めた水を直接循環する方法を私は採用した.鋼管は腐食する懸念があったが,内面は密閉した回路なので貯水内のわずかな酸素は内部の鋼と酸化鉄をつくり酸欠になる.放熱管は鋼管として送水管は酸素透過の大きなポリエチレン管でなく塩化ビニル管としたので,酸素透過での腐食による穴は生じないと判断した.これには松島巌先生に相談させていただいた.新日鉄などは,万一の漏水に,鋼管杭内部にUチューブを挿入した間接方式を採用している.
 
職場を研究職に 第二次の改革
 雪対策では研究された歩道無散水と車道散水の地下水2度使用など研究成果は,県内外の多くに使われた.でも,職場は私と杉森正義さんを除いて3年程度の異動で人が育たない.必要性と展望を示しながら,後継者が育てられないことに危機感を抱いた.職員が研究職となってなくてすっきりしない.行政職のままで給与処遇が悪い.そこで職場で討議を進め,所長以下全員で研究職への移行を人事当局に要望した.更に,職員組合の土木職や設備職電気職などの応援も得て人事当局と直接の交渉を行った.当局にも理のあることを分かって頂き,研究職にとなった.私は,過去の職場でも職員組合の分会長となって要求アンケートなどを行い,職場を移る都度男女別にトイレを改造するなどで理解を得た.また,補助職員の人事への不満を要求アンケートで明らかにすると所属の総務課長や所属長も快く対応して下さった.職場での仕事そのものを見直すことにも前述のように職場のみんなと取り組んだ.意見の違いや利害の対立で大変悩んだこともあったが,県民に良い仕事をとの思いは職員に共通するはずで,働く者が気持ちよく働き,自己実現もできる職場でなければ県民のための仕事には繋がらないと思ってやってこれた.そのことは多くの方から応援や共感を頂いた.

国内最初の基礎杭兼用の地中熱冷暖房利用へ
 所属職場を研究職にした後,機械設備職が職場に配置された.県庁の冷暖房などを扱ってきた加賀久宣さんには,彼らの強みを活かして,融雪での基礎杭兼用地中熱集熱を冷暖房に展開してはどうかと提案した.私は融雪をやってきたが,やり始めてずーっと暖冬で,実験ができないこと以上に,融雪の必要性に苦しんだ.私とっても地球温暖化は不都合な真実だと思われた.そこで,取り組んできた地中熱利用を冷暖房に適用すれば温暖化対策に繋がる.融雪より,この空調はニーズが確実で,待ったなしの対応を迫られる温暖化抑制と省エネルギーに寄与できる.季節風や降雪や降雨で湿度が高い福井の冬は空気を熱源としたエアコンを用いると,室外機が結露凍結して,空気から熱が得られない.だから,エアコンは,室内暖房を停止して,室外機の除霜運転を行う.そのことで,エネルギー効率が悪いだけでなく,多くの住宅でエアコンは冷房でしか使わず燃焼系のストーブを用いている.
 福井の柔らかい地盤と培った福井の技を用いて,福井の気象に抗して,設備職の方が,取り組むには最適なテーマである.といっても,当初は予算もないことから,県内の配管工事の業界に頼んで百万円ほどの研究費を得た.彼は所内で小規模な実験を行った.折しも,地球温暖化に大変な危機をもって熱心に対策を考えておられた建築設計会社の酒井さんが私を尋ねて来られた.そして,福井県教職員組合が運営の教育センターの建て替えに,温暖化対策で,なにか提案したいと幾つかを説明された.私らは,研究してきた基礎杭兼用地中熱空調をされてはどうかと提案した.酒井さんは,東京大学生産技術研究所から福井大学に赴任されてきた建築設備の大岡龍三先生とやりたいという.納期もないことから,大岡龍三先生に,機械工学科の竹内正紀教授を紹介し,地中熱の数値シミュレーションソフトを手渡して頂き,大岡龍三先生は,それを改良して教育センターの設計を行った.
 その空調の話が進展中,私は職場の小川所長に,所長室で,栗田知事が縦割りにならないようにと部局横断の予算枠をつくったが,土木部では,積極的でなくて困っている,君ならとおっしゃる.それで,一つ提案をし,直ぐに所長と私が県庁での会議となった.ところが,この提案は他とダブっているという.私は,基礎杭利用による冷暖房を土木部での研究開発と教育庁での県立図書館での部局横断予算としてはどうかと提案した.基礎杭利用利用の図書館車道の融雪は