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      里山整備の内容

 
 はじめはマツタケから始まった・・・
かつてはたくさん出たのに近年出なくなったといわれる松茸。でもなぜ出なくなったのかという問いに里山の荒廃と松枯れが原因と言われてました。
 でも里山の荒廃といっても具体的には分からず、どうにもならないものと考えていました。
しかし、松林を手入れ(掃除)すると松も元気になるということを聞き、手入れすれば松茸も復活するのではないかという思いから、実験的にやってみたいという気持ちが高まり、長年放置されていた里山の整備を行うことになったのがきっかけでした。
  里山を訪れる・・・
思い立ったらすぐ実行!松の陰の代表の伯父がずっと管理されていた里山を4人で訪れることになりました。そこはその時も松茸が出ていた山ですが、手入れがされなくなって数十年を経ており松茸も減少傾向の上、松枯れが酷くなって荒れ放題の状態でした。
松を中心に枯れた木が倒れ、引っ掛かり、地面は腐植と枯れ枝に覆われていて、林内も暗くて恐さを感じるほどでした。
数十メートル進むのが大変なくらい倒木と潅木に遮られた空間でした。
里山の荒廃ということを改めて深く感じた経験でした。  
 
 
  整備の開始
 里山の惨状を目の当たりにしたものの、逆にきれいにしたいという意欲が湧き上がり,まだ松茸が出る区域から手入れを始めることになりました。
倒木を除去して何箇所かに積み上げ、地面の腐植を掻く事からはじめましたが、季節は暑い初夏で作業は大変でした。
仕事の合間や休日を利用しての整備の日々が始まり、少しずつきれいになり始めました。
  
 
 

  週1〜2回の整備作業
週1〜2回、1人から5〜6人、平均3人という戦力でしたが四季を通じて整備作業に励みました。
特に長年降り積もった落ち葉や腐植の除去はかなり大変な作業でした。

 道具類の充実と整備区域の拡大
最初は装備も少なかったのですが、少しずつ充実させて行き、作業にも慣れ初めて整備区域が拡大していきました。
最初は荒れて人の入れなかった山も次第に見通しがきく過ごしやすい山になり、山の全貌も明らかになっていきました。
それと同時に問題になったのは、整備の過程で集まった倒木や潅木、間伐材、そして腐植の山でした。
これをいかに有効利用して処理するかが問題になり処理方法を試行錯誤しました。
 
 

  いろいろなことに挑戦!
新たな区域を整備すると同時に、時間と共に整備した区域もまた落ち葉が落ちたり、新たな木が枯れるなどして整備面積は重複して大変でしたが、整備できた区域は広がりました。
そして、間伐したり除去した倒木を小型の炭窯で炭に加工する作業も試み、他にシイタケなどのきのこの栽培もはじめました。
腐植は堆肥化して処理を初め、松茸のシーズンには順調に発生量が回復傾向に向かいました。 
 
  整備する山の拡大
最初に手がけた里山の整備は一巡しましたが、整備による影響で枯れる松は減ったものの、依然として枯れる松があり、何度も同じ区域を整備作業していきました。
それでもさらなる別の山の整備も始め、山の中に松やコナラなどの木を植林するなど山の若返りが進みました。しかし、松茸泥棒やシカによる植林苗の食害などにも頭を痛め、いろんな問題に対処していきました。
   

   様々な方面に広がる!
最初は松茸の復活から始まり、松茸の研究も行って年々松が枯れて減る一方でも松茸は順調に回復しています。
しかし、松茸だけではなく里山の役わりや有効な利用法を考えていろんなことに挑戦したりして事業としても面白い段階に入っています。
里山の整備は大変ではありますが、ビジネス的にも、社会貢献的にも可能性がたくさんある場であり、事業であることを実感し、現在も日々進化しながらいろんな方面に広がっています!  
また私たちの活動に刺激されて持ち山を整備される方も出てきたのは嬉しいことです。
私たちは一円の補助金ももらわず、すべて自腹での仕事ですが、そうした姿勢も評価を少しずつ得られています。