路に遺ちたるを拾はず
-みちにおちたるをひろはず-
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本文(白文・書き下し文)
太宗即位。

有上書請去佞臣者。
曰、
「願陽怒以試之。
執理不屈者直臣也。
畏威順旨者佞臣也。」
上曰、
「吾自為詐、何以責臣下之直乎。
朕方以至誠治天下。」

或請重法禁盗。
上曰、
「当去奢省費、軽徭薄賦、選用廉吏。
使民衣食有余、自不為盗。
安用重法邪。」
自是数年之後、路不拾遺、商旅野宿焉。
太宗位に即く。

上書して佞臣を去らんと請ふ者有り。
曰はく、
「願はくは陽り怒りて以て之を試みよ。
理を執りて屈せざる者は直臣なり。
威を畏れて旨に順ふ者は佞臣なり。」と。
上曰はく、
「吾、自ら詐りを為さば、何を以て臣下の直を責めんや。
朕、方に至誠を以て天下を治めん。」と。

或ひと法を重くして盗を禁ぜんと請ふ。
上曰はく、
「当に奢を去り費を省き、徭を軽くし賦を薄くし、廉吏を選用すべし。
民をして衣食余り有らしめば、自ら盗を為さざらん。
安くんぞ法を重くするを用ゐんや。」と。
是より数年の後、路に遺ちたるを拾はず、商旅野宿す。
参考文献:「漢文読本」大修館書店

現代語訳/日本語訳

太宗が唐の第二代皇帝に即位した。

かつて、佞臣を排除するよう請願書を奏上した者がいた。
それにはこう書かれていた、
「うわべだけ怒ったように見せかけて群臣を試してみてください。
道理を固く守って屈しない者は、正直で操を曲げない臣、すなわち直臣であります。
権力を恐れて陛下の意向に従う者は、おもねりへつらう臣、すなわち佞臣であります。」
太宗はこう言った、
「私が自分から欺く行為をすれば、どうして臣下に正直であるよう求められようか。
私は、今、至誠を以て天下を治めようとしているのだ。」

また、ある時、ある人が刑罰を重くして窃盗の禁止を徹底させようとした。
太宗は言った、
「それならば、倹約し、無駄を省き、労役を軽くし、減税を行い、清廉潔白な役人を選んで登用すべきだ。
もし人民の衣食が有り余るようにしたとすれば、自然と盗みなどしなくなるだろう。
どうして刑罰を重くする必要があろうか。」
これより数年の後、道徳が世に行われて人々は道に落ちているものを拾わなくなり、
治安が良くなったので行商人や旅人は野宿するようになった。

解説

太宗即位。有上書請去佞臣者。
たいそうくらいにつく。じょうしょしてねいしんをさらんとこふものあり。

太宗」は唐の二代皇帝、李世民。在位A.D.626-649。
唐の高祖、李淵の次男。
父の李淵に挙兵を勧め、隋を破る。
その後、兄弟を殺して、父より帝位を譲り受ける。
即位してからは善政を行い、その治世は貞観の治と称される。
参考:肉を割きて以て腹に充たす 創業と守成

「去る」は"取り除く"。


曰、「願陽怒以試之。執理不屈者直臣也。畏威順旨者佞臣也。」
いはく、「ねがはくはいつはりいかりてもってこれをこころみよ。りをとりてくっせざるものはちょくしんなり。いをおそれてむねにしたがふものはねいしんなり。」と。

「願〜(ねがハクハ〜セン)」は"〜することを願う"。
「陽(いつはリ)」は"うわべだけを見せかける"。
「執」は"守る"。


上曰、「吾自為詐、何以責臣下之直乎。朕方以至誠治天下。」
しょういはく、「われみずからいつはりをなさば、なにをもってしんかのちょくをせめんや。われまさにしせいをもっててんかをおさめん。」と。

「自(みずかラ)」は"自分から"。「自(おのずかラ)」は"自然と"。ちゃんと区別すべし。
「詐」は"欺く"。
「何以(なにヲもっテ)」は
1.手段・方法を問う場合"どのように・なにによって"
2.原因・理由を問う場合"なぜ・どうして"
3.反語"どうして〜しようか"
の3つの意味がある。
「責」は"求める"。
「朕」は天子の自称。
始皇帝以前は貴賎尊卑に関わらず用いていたが、
李斯らの進言を受け始皇帝が皇帝専用の自称にした。
「方(まさニ)」は"今・ただいま"。


或請重法禁盗。上曰、「当去奢省費、軽徭薄賦、選用廉吏。
あるひとほうをおもくしてとうをきんぜんとこふ。しょういはく、「まさにしゃをさりひをはぶき、えうをかるくしふをうすくし、れんりをせんようすべし。

(まさニ〜スべシ)」は再読文字で、当然"〜すべきだ・〜しなければならない"と
推定"きっと〜であろう"の二つの意がある。
「奢」は"贅沢"。
「費」は"無駄"。
「徭」は"労役"。
「賦」は"税金"。
「廉吏」は"清廉潔白な役人"。


使民衣食有余、自不為盗。安用重法邪。」
たみをしていしょくあまりあらしめば、おのずからとうをなさざらん。いづくんぞほうをおもくするをもちゐんや。」と。

使」は使役と同じように訓読してあるが、ここでの意味は仮定"もし〜としたら"の意である。
「安(いづクンゾ)」は反語。


自是数年之後、路不拾遺、商旅野宿焉。
これよりすうねんののち、みちにおちたるをひろはず、しょうりょのじゅくす。

「自(よリ)」は起点・経由点をあらわす。
「路不拾遺」は国内が治まっていることを表す伝統的なレトリックである。
史記でも、商君の変法について
「之を行うこと十年、秦の民、大いに説ぶ。
路に遺ちたるを拾はず、山に盗賊無く、家給し人足る。」と表現されている。




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