肉を割きて以て腹に充たす
-にくをさきてもってはらにみたす-
I think; therefore I am!


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本文(白文・書き下し文)
太宗嘗曰、
「君依於国、国依於民。
刻民以奉君、猶割肉以充腹。
腹飽而身斃、君富而国亡矣。」

又嘗謂侍臣曰、
「聞、西域賈胡、得美珠、剖身而蔵之。
有諸。」
曰、
「有之。」
曰、
「吏受抵法、与帝王徇奢欲而亡国者、
何以異此胡之可笑邪。」
魏徴曰、
「昔、魯哀公謂孔子曰、
『人有好忘者。
徙宅而忘其妻。』
孔子曰、
『又有甚者。
桀紂乃忘其身。』
亦猶是也。」
太宗嘗て曰はく、
「君は国に依り、国は民に依る。
民を刻して以て君に奉ずるは、猶ほ肉を割きて以て腹に充たすがごとし。
腹飽きて身斃れ、君富みて国亡ぶ。」と。

又嘗て侍臣に謂ひて曰はく、
「聞く、西域賈胡は、美珠を得ば、身を剖きて之を蔵す、と。
諸有りや。」と。
曰はく、
「之有り。」と。
曰はく、
「吏のひを受けて法に抵たると、帝王の奢欲に徇ひて国を亡ぼすは、
何を以て此の胡の笑ふべきに異ならんや。」と。
魏徴曰はく、
「昔、魯の哀公、孔子に謂ひて曰く、
『人に好く忘るる者有り。
宅を徙して其の妻を忘る。』と。
孔子曰はく、
『又甚だしき者有り。
桀紂は乃ち其の身を忘る。』と。
亦た猶ほ是くのごときなり。」と。
参考文献:「漢文読本」大修館書店

現代語訳/日本語訳

太宗は以前にこう言った、
「君主はその存在を国に依存し、国はそれを人民に依存する。
重税を課して人民を苦しめ、その税収を君主に献上するのは、
自分の体を切って腹に満たすのと同じだ。
満腹になってもその身は倒れ、君主が富み栄えても国は亡ぶ。」

また、以前、侍臣たちにこう言った、
「私の聞くところによると、西域の異民族の商人は、
美しい真珠を手に入れれば、自分の体を切ってこれを隠すということだ。
これは本当か。」
「本当です。」
「役人が賄賂を受け取って法に抵触するのと、帝王が贅沢におぼれて国を亡ぼすのとは、
どうして、この異民族の商人の笑うべき行為と異なるだろうか。」
魏徴がこう言った、
「昔、魯の哀公が孔子にこう言いました、
『とても忘れっぽい男がいて、引っ越すに際して自分の妻を前の家に忘れたそうだ。』
これに対して孔子はこう言いました、
『また、さらに激しい人がいます。
桀王・紂王は自分の身を忘れました。』
これもまた西域に住む異民族の商人や、賄賂を受けた役人、
贅沢におぼれて国を滅ぼした帝王などと同じようなものです。」

解説

太宗嘗曰、「君依於国、国依於民。刻民以奉君、猶割肉以充腹。腹飽而身斃、君富而国亡矣。」
たいそうかつていはく、「きみはくににより、くにはたみによる。たみをこくしてもってきみにほうずるは、なほにくをさきてもってはらにみたすがごとし。
はらあきてみたふれ、きみとみてくにほろびん。」

太宗」は唐の二代皇帝、李世民。在位A.D.626-649。
参考:路に遺ちたるを拾はず

「刻」は情け容赦が無いさま。結局「刻民」で"民衆に重税を課す"と言うように解してある。
「奉」は"献上する"。
猶(なほ〜ノごとシ)」は再読文字で、"ちょうど〜のようだ"。
「飽」は"満腹である"。
「斃」は"死ぬ・滅びる"。


又嘗謂侍臣曰、「聞、西域賈胡、得美珠、剖身而蔵之。有諸。」曰、「有之。」
またかつてじしんにいひていはく、「きく、せいいきのここは、びしゅをえば、みをさきてこれをぞうす、と。これありや。」と。いはく、「これあり。」と。

「賈」は"商人"、「胡」は西部・北部の異民族。
「蔵」は"隠す"。
「諸」は「之乎」の縮約語。


曰、「吏受抵法、与帝王徇奢欲而亡国者、何以異此胡之可笑邪。」
いはく、「りのまひないをうけてほうにあたると、ていおうのしゃよくにしたがひてくにをほろぼすは、なにをもってこのこのわらふべきにことならんや。」と。

」は"賄賂"。
「抵」は抵触の「抵」である。
「何以(なにヲもっテ)」は
1.手段・方法を問う場合"どのように・なにによって"
2.原因・理由を問う場合"なぜ・どうして"
3.反語"どうして〜しようか"
の3つの意味がある。


魏徴曰、「昔、魯哀公謂孔子曰、『人有好忘者。徙宅而忘其妻。』
ぎちょういはく、「むかし、ろのあいこうこうしにいひていはく、『ひとによくわするるものあり。たくをうつしてそのつまをわする。』と。

魏徴」は唐の太宗に仕えた名臣で、貞観の治を支え、よく太宗を諌めた。
「哀公」は孔子と同時代の魯の君主。

「好」は"〜しがちである・〜する傾向がある"。
「徙」は"場所を移動する"。


孔子曰、『又有甚者。桀紂乃忘其身。』亦猶是也。」
こうしいはく、『またはなただしきものあり。けつ・ちゅうはすなはちそのみをわする。』と。またかくのごときなり。」と。

「又」は"その上・さらに"とか、そんな感じの意味。
「亦」は"-と同様に〜も"。
「乃」は、ここでは強意。

桀紂」は夏王朝の桀王と殷王朝の紂王。
この二人は暴君の代名詞的存在であり、酒池肉林や炮烙の刑などの話が知られている。
そして彼らはその悪政のために、自らの国を滅ぼした。と言われているわけである。
しかし、桀王のほうは置いておいて、紂王に関しては、
周の放伐を正当化するために誇張された感が否めない。
孔子の弟子の子貢はこう述べたと、論語にある。
「紂之不善也、不如是之甚也。是以君子悪居下流。天下之悪皆歸焉。」
(紂の不善なるや、是のごとくは甚しからざらん。
是を以て君子は下流に居るを悪む。天下の悪、皆焉に帰す。)
[紂の悪さは、伝えられているほどにはひどくなかっただろう。
悪人の評判が立つと、そこに天下の悪が帰するので、君子は下流にいることを好まない。]




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