鴻門の会(十八史略版)
-こうもんのかい-
I think; therefore I am!


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本文(白文・書き下し文)
沛公且従百余騎、
見羽鴻門、謝曰、
「臣与将軍戮力而攻秦。
将軍戦河北臣戦河南。
不自意、先入関破秦、
得復見将軍於此。
今有小人之言、
令将軍与臣有隙。」
羽曰、
「此沛公左司馬曹無傷之言。」
羽留沛公与飲。
范増数目羽挙所佩玉玦者三。
羽不応。
増出使項荘入前為寿
請以剣舞、
因撃沛公。
項伯亦抜剣起舞、
常以身翼蔽沛公。
荘不得撃。

張良出、告樊噲以事急。
噲擁盾直入、嗔目視羽。
頭髪上指、目眥尽裂。
羽曰、
「壮士。
賜之卮酒。」
則与斗卮酒。
「賜之彘肩。」
則生彘肩。
噲立飲、抜剣切肉啗之。
羽曰、
「能復飲乎。」
噲曰、
「臣死且不避、卮酒安足辞。
沛公先破秦入咸陽。
労苦而功高如此、未有封爵之賞。
而将軍聴細人説、欲誅有功人。
此亡秦之続耳。
窃為将軍不取也。」
羽曰、
「坐。」
噲従良坐。

須臾沛公起如厠。
因招噲出、間行趨覇上、
留良謝羽曰、
「沛公不勝桮勺、不能辞。
使臣良奉白璧一双、再拝献将軍足下、
玉斗一双、再拝奉亜父足下。」
羽曰、
「沛公安在。」
良曰、
「聞将軍有意督過之、脱身独去。
已至軍矣。」
亜父抜剣、撞玉斗而破之曰、
「唉、豎子、不足謀。
奪将軍天下者、必沛公也。」
沛公、且に百余騎を従へて、
羽に鴻門に見え、謝して曰はく、
「臣、将軍と力を戮せて秦を攻む。
将軍は河北に戦ひ臣は河南に戦ふ。
自ら意はざりき、先づ関に入りて秦を破り、
復た将軍に此に見ゆるを得んとは。
今は小人の言有り、
将軍をして臣と隙有らしむ。」と。
羽曰はく、
「此、沛公の左司馬曹無傷の言なり。」と。
羽沛公を留めて与に飲む。
范増、数羽に目し、佩ぶる所の玉玦を挙ぐること三たび。
羽不ぜず。
増、出でて項荘をして入り前みて寿を為し
剣を以て舞はんことを請ひ、
因りて沛公を撃たしむ。
項伯も亦た剣を抜き起ちて舞ひ、
常に身を以て沛公を翼蔽す。
荘、撃つことを得ず。

張良出でて、樊噲に告ぐるに事の急なるを以てす。
噲盾を擁して直ちに入り、目を嗔らして羽を視る。
頭髪上指し、目眥尽く裂く。
羽曰はく、
「壮士なり。
之に卮酒を賜へ。」と。
則ち斗卮酒を与ふ。
「之に彘肩を賜へ。」と。
則ち生彘肩なり。
噲立ちて飲み、剣を抜き肉を切りて之を啗ふ。
羽曰はく、
「能く復た飲むか。」と。
噲曰はく、
「臣、死すら且つ避けず、卮酒安くんぞ辞するに足らん。
沛公先づ秦を破り咸陽に入る。
労苦して功高きこと此くの如くなるも、未だ封爵の賞有らず。
而も将軍細人の説を聴き、有功の人を誅さんと欲す。
此れ亡秦の続のみ。
窃に将軍の為に取らざるなり。」と。
羽曰はく、
「坐せよ。」と。
噲良に従ひて坐す。

須臾にして沛公起ちて厠に如く。
因りて噲を招きて出だしめ、間行して覇上に趨り、
良を留めて羽に謝せしめて曰はく、
「沛公桮勺に勝へず、辞すること能はず。
臣良をして白璧一双を奉じ、再拝して将軍の足下に献じ、
玉斗一双、再拝して亜父の足下に奉ぜしむ。」
羽曰はく、
「沛公安くにか在る。」
良曰はく、
「将軍に之を督過する意有りと聞き、身を脱して独り去る。
已に軍に至らん。」
亜父剣を抜き、玉斗を撞き之を破りて曰はく、
「唉、豎子、謀るに足らず。
将軍の天下を奪う者は、必ず沛公ならん。」と。
参考文献:十八史略 明徳出版社

現代語訳/日本語訳

沛公は早朝、百騎ほどを率いて鴻門で項羽に見え、このように謝った、
「私は将軍と力を合わせて秦を攻撃しました。
将軍は河北に戦われ、私は河南で戦いました。
しかし、まさか最初に関中に入り、
秦を破って将軍に再び見えることができるとは、思ってもいませんでした。
今は、小人の讒言があって、将軍と私を離間させようとしています。」
項羽は言った、
「それはあなたの麾下の左司馬、曹無傷の言ったことだ。」
項羽は沛公を引き止めて酒宴を開き、一緒に酒を飲んだ。
范増は何回も項羽に目線を送り、腰につけた玉玦を持ち上げて、決断を促した。
しかし、項羽は応じなかった。
范増は席をはずし、項荘に命じて酒宴の席に入り、
前に進み出て沛公の長寿を祝い剣の舞をする許しを得て、
その機会に乗じて沛公を刺し殺させようとした。
項伯もまた剣を抜き、立ち上がって舞い、身を挺して、
親鳥が翼で雛をかばうようにして、沛公を守った。 項荘は沛公を撃つことができなかった。

張良は席を外し、樊噲に事態が差し迫っていることを告げた。
樊噲はただちに盾を抱えて入り、怒りで目を見開いて項羽を見た。
頭髪は怒りで逆立ち、目じりはことごとく避けていた。
項羽は言った、
「壮士である。この者に酒を一杯与えよ。」
そこで、一斗(約2l)の酒が与えられた。
「この者に豚の肩の肉を与えよ。」
そこで、生の肩の豚の肉が与えられた。
樊噲は立ったままその酒を飲み、剣を抜いてその肉を切って食べた。
項羽は言った、
「もう一杯飲めるか。」
樊噲は答えた、
「私は死さえも避けません、どうして大杯の酒など辞退するのに足りるでしょう。
沛公は最初に秦を破って咸陽入りしました。
労苦し、功績もこのように高いのに、まだ領地や爵位などの褒賞がありません。
しかも、将軍は小人の意見に従い、功ある者を誅殺しようとしています。
これでは滅亡した秦とまったく同じです。
僭越ながら、将軍はそうなさらないほうがよろしいでしょう。」
項羽は言った、
「まあ、座れ。」
樊噲は張良に従って座った。

ちょっとしてから、沛公は立ち上がって便所に行った。
これを機に、樊噲を招いて席を外させ、抜け道を通ってひそかに沛公の軍営のある覇上に急行した。
一方、鴻門には張良を留めて項羽に謝罪させた。
張良はこう謝罪した、
「沛公は酒に持ちこたえることができず、お別れのご挨拶もできない状況です。
そこで沛公は、私張良に、白壁一対を捧げ持ち、二度礼をして将軍の足元に献上し、
玉斗一対を同様にして亜父范増殿の足元に献上するよう命じたのです。」
項羽は言った、
「沛公はどこにいるのか。」
張良は答えた、
「沛公は将軍に自分をとがめる意思がおありだと聞いて、抜け出して一人帰りました。
もう既に軍と合流しているでしょう。」
范増は剣を抜き、玉斗を叩き切って壊し、こう嘆いた、
「ああ、青二才は天下の大事を共に語るに足らぬ。
将軍の天下を奪うものは、必ず沛公だろうよ。」

解説

沛公且従百余騎、見羽鴻門、謝曰、
はいこうあしたにひゃくよきをしたがへて、うにこうもんにまみえ、しゃしていはく、

「且(あした)」は"夜明け・早朝・一日・初日"等の意味がある。

沛公」とは、すなわち漢の高祖、劉邦のことである。
彼は沛県出身で沛の県令になったので、そう呼ばれる。

前後事情については、
史記 項羽本紀第七 鴻門の会前夜
漢楚斉戦記4 秦の滅亡
を参照。


「臣与将軍戮力而攻秦。将軍戦河北臣戦河南。
しん、しょうぐんとちからをあはせてしんをせむ。しょうぐんはかほくにたたかひしんはかなんにたたかふ。

「戮(あはス)」は"力を合わせる"ということ。
(ころス)と読んで、"殺す"と言う意味であることもある。
」は"私"を謙譲して言っているものだから、沛公のことである。
「将軍」とは、当然話し相手の項羽のことである。


不自意、先入関破秦、得復見将軍於此。今有小人之言、令将軍与臣有隙。」
みずからおもはざりき、まづかんにいりてしんをやぶり、またしょうぐんにここにまみゆるをえんとは。 いまはしょうじんのげんあり、しょうぐんをしてしんとげきあらしむ。

「意」は"予期する・予想する"。
「関」は関中のこと。
」は可能を表す助動詞。
「隙」は"感情の亀裂・つけこむ機会"、一応、前者を採った。


羽曰、「此沛公左司馬曹無傷之言。」羽留沛公与飲。
ういはく、「これ、はいこうのさしばそうむしょうのげんなり。」と。う、はいこうをとどめてともにのむ。

「左司馬」と言うのが官名で、「曹無傷」が人名である。
「飲」には、それだけで"酒を飲む"というニュアンスがある。


范増数目羽挙所佩玉玦者三。羽不応。
はんぞうしばしばうにもくし、おぶるのぎょくけつをあぐることみたび。う、おうぜず。

「目」は"目線を送る・目配せする"。
「数(しばしば)」は"何度にもわたり・たびたび"。
「佩(おブ)」は、"腰に飾りを結ぶ・身に付ける"ということ。
「玉玦」は、ドーナツ型で一部が欠けている玉。
玦は決につながり、よく決断の象徴として用いられる。
「挙ぐ」は"持ち上げる"
「三」は、単に"3"と言う意味もあるが、数や回数が多いことも示す。訳は"何度も"みたいな感じ。


増出使項荘入前為寿請以剣舞、因撃沛公。
ぞういでてこうそうをしていりすすみてじゅをなしけんをもってまはんことをこひ、よりてはいこうをうたしむ。

「項荘」は人名。
「前(すすム)」は"前進する"。
「寿」とは"長寿への祝福"。
「因」はここでは動詞として読んでおり、"機会などに乗じる"と言うこと。


項伯亦抜剣起舞、常以身翼蔽沛公。荘不得撃。
こうはくもまたけんをぬきたちてまひ、つねにみをもってはいこうをよくへいす。そううつことををえず。

「亦」は"〜もまた同様に"。
「起」は"立ち上がる"。
「翼蔽」は親鳥が翼を広げて子鳥を覆うようにさえぎり、かばうこと。


張良出、告樊噲以事急。噲擁盾直入、嗔目視羽。頭髪上指、目眥尽裂。
ちょうりょういでて、はんかいにつぐるにことのきゅうなるをもってす。かいたてをようしてただちにいり、めをいからしてうをみる。とうはつじょうしし、もくしことごとくさく。

「以」は目的や対象となる事物を表す。"〜を・〜に対して"。


羽曰、「壮士。賜之卮酒。」則与斗卮酒。「賜之彘肩。」則生彘肩。噲立飲、抜剣切肉啗之。
ういはく、「そうしなり。これにししゅをたまへ。」すなはちとししゅをあたふ。「これにていけんをたまへ。」すなはちせいていけんなり。
かいたちてのみ、けんをぬきにくをきりてこれをくらふ。

「卮」は(さかづき)とも読む。
木を円筒状に曲げ、それに漆を縫って作った酒器である。
「彘(てい)」は"豚の肉"。


羽曰、「能復飲乎。」噲曰、「臣死且不避、卮酒安足辞。
ういはく、「よくまたのむか。」と。かいいはく、「しんしすらかつおそれず、ししゅいづくんぞじするにたらん。

「A且B、C安D(乎)。(Aスラ且ツBス、C安クンゾDセン(や))」は抑揚表現で
"AでさえもBする、ましてCなどどうしてDしようか(いや、Dしない)"の意である。


沛公先破秦入咸陽。労苦而功高如此、未有封爵之賞。而将軍聴細人説、欲誅有功人。
はいこうまづしんをやぶりかんようにいる。ろうくしてこうたかきことかくのごとくなるも、いまだほうしゃくのしょうあらず。
しかもしょうぐんさいじんのせつをきき、ゆうこうのひとをちゅうせんとほっす。

「咸陽」は秦の首都。
「聴く」とは「聴(ゆる)す」と言うことである。
「誅す」とは"罪ある者を殺すこと"である。


此亡秦之続耳。窃為将軍不取也。」羽曰、「坐。」噲従良坐。
これぼうしんのぞくのみ。ひそかにしょうぐんのためにとらざるなり。」と。ういはく、「ざせよ。」かいりょうにしたがひてざす。

「窃(ひそかニ)」は、そのまま"ひそかに"と言う意味もあるが、この場合は"私見では"という謙譲の意味である。


須臾沛公起如厠。因招噲出、間行趨覇上、留良謝羽曰、
しゅゆにしてはいこうたちてかはやにゆく。よりてかいをまねきていでしめ、かんこうしてはじょうにはしり、りょうをとどめてしゃせしめていはく、

「須臾」は"短い間・少しの間"。
「如(ゆく)」は、"至る"。
「因」は"機会に乗じる"。
「間行」は"抜け道などを通って人に気づかれないように行く"。
「趨(はしル)」は"急行する"。


「沛公不勝桮勺、不能辞。使臣良奉白璧一双、再拝献将軍足下、玉斗一双、再拝奉亜父足下。」
「はいこうはいしゃくにたへず、じすることあたはず。
しんりょうをしてはくへきいっそうをほうじ、さいはいしてしょうぐんのそっかにけんじ、ぎょくといっそう、さいはいしてあふのそっかにほうぜしむ。」と。

「勝(たフ)」は"持ちこたえる・抑制する"。
「桮勺」は、どちらとも酒器のことだが、ここでは単に酒という意味で使われている。
「辞す」は"お別れの挨拶をする"。
「再拝」は、相手に対して敬意を表すために、二度お辞儀をすること。
「玉斗」は玉製のひしゃく。
「亜父」の亜は"次ぐ、2番目の"のような意味であるから、直訳は"父の次に尊敬すべき人"ということ。
中国では父が太尊とされていた。
具体的には范増のこと。


羽曰、「沛公安在。」良曰、「聞将軍有意督過之、脱身独去。已至軍矣。」
ういはく、「はいこういづくにかある。」と。りょういはく、「しょうぐんにこれをとくかするいありときき、みをだっしてひとりさる。すでにぐんにいたらん。」と。

「安(いづくにか)」は"どこに"、と場所をたずねる。
「督過」は過ちを責め、とがめること。
「脱す」は"(危険などから)抜け出す"。


亜父抜剣、撞玉斗而破之曰、「唉、豎子、不足謀。奪将軍天下者、必沛公也。」
あふけんをぬき、たまをつきこれをやぶりていはく、ああ、じゅし、はかるにたらず。しょうぐんのてんかをうばうものは、かならずはいこうならん。」

「撞く」は"叩き壊す"。
「唉」は感嘆の声で、"ああ"などと訳し読む。
「豎子」は"小僧・青二才"などのように人をののしって言う語。


総括

この年の内に、項羽は「西楚の覇王」を号し、沛公は漢中王となる。
ちなみに、この年(B.C.206)は漢の元年である。
この4年後のB.C.202年、垓下の戦いで遂に漢王劉邦(沛公)は項羽を倒すのである。

十八史略は、略と有るように、内容を削って簡単にしてある。
詳しく知りたい方は、
史記 項羽本紀第七 鴻門の会前夜
史記 項羽本紀第七 鴻門の会
を参照されたい。



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