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秦人恐喝諸侯、求割地。 有洛陽人蘇秦。 游説秦恵王、不用。 乃往説燕文侯、与趙従親。 燕資之、以至趙。 説粛侯曰、 「諸侯之卒、十倍於秦。 并力西向、秦必破矣。 為大王計、莫若六国従親以擯秦。」 粛侯乃資之、以約諸侯。 蘇秦以鄙諺説諸侯曰、 「寧為鶏口、無為牛後。」 於是、六国従合。 |
秦人諸侯を恐喝して、地を割かんことを求む。 洛陽の人蘇秦といふもの有り。 秦の恵王に游説して、用ゐられず。 乃ち往きて燕の文侯に説き、趙と従親せしめんとす。 燕之に資して、以て趙に至らしむ。 粛侯に説きて曰はく、 「諸侯の卒、秦に十倍す。 力を并せて西に向かはば、秦必ず破れん。 大王の為に計るに、六国従親して以て秦を擯くるに若くは莫し。」と 粛侯乃ち之に資し、以て諸侯を約せしむ。 蘇秦鄙諺を以て諸侯に説きて曰はく、 「寧ろ鶏口と為るとも、牛後と為ること無かれ。」と 是に於いて、六国従合す。 |
現代語訳/日本語訳
秦は諸侯を、武力を背景に威し、領土の割譲を求めていた。
洛陽の人に蘇秦という者がいた。
秦の恵王のところに遊説したが、用いられなかった。
そこで燕の文侯のところへ赴き、趙と南北に同盟させようとして、説いた。
燕は蘇秦に遊説資金を与え、それで趙に行かせた。
粛侯にこう説いた、
「諸侯の兵力を合わせれば、それは秦の兵力の十倍に値します。
力を合わせて、西方の秦を攻撃すれば、秦は必ず敗北するでしょう。
大王の為に愚考しますところ、六ヶ国が南北に同盟し、秦を排斥するよりよい方法はありません。」
そこで、粛侯は蘇秦に遊説資金を与えて諸侯と同盟を結ばせようとした。
蘇秦は世間によく言われていることわざを使って、このように諸侯に説いた、
「小さな組織のトップになっても、大きな組織に従属してはならない。」
かくして、南北六国の同盟が成立した。
解説
★秦人恐喝諸侯、求割地。
しんひとしょこうをきょうかつして、ちをさかんことをもとむ。
当時、秦は商鞅(しょうおう)の改革(商君の変法)によって国力が充実し、
蘇秦については、詳しくはこちらを参照のこと。
「従親」とは南北に同盟すること。「従」がいわゆる「縦」である。(下図)
「卒」は兵のこと。
「鄙諺」の「鄙」は辺鄙(へんぴ)の鄙であり田舎を表す。
「於是」は、そこで・こうして、などの意をあらわす。
その国力は群を抜いていた。
★有洛陽人蘇秦。游説秦恵王、不用。
らくようのひとそしんといふものあり。しんのけいおうにゆうぜいして、もちゐられず。
★乃往説燕文侯、与趙従親。燕資之、以至趙。
すなはちゆきてえんのぶんこうにとき、ちょうとしょうしんせしめんとす。えんこれにしし、もってちょうにいたらしむ。
戦国七雄略図
★説粛侯曰、
「諸侯之卒、十倍於秦。并力西向、秦必破矣。為大王計、莫若六国従親以擯秦。」
しゅくこうにときていはく、「しょこうのそつ、しんにじゅうばいす。
ちからをあはせてにしにむかはば、しんかならずやぶれん。
だいおうのためにはかるに、りっこくしょうしんしてもってしんをしりぞくるにしくはなし。」と。
「矣」は置き字で、ここでは強意をあらわす。
「莫レ若二〜一」は比較の表現で、英語で言うところの最大級をあらわし、
「勝るものはない」などのように訳す。
★粛侯乃資之、以約諸侯。蘇秦以鄙諺説諸侯曰、「寧為鶏口、無為牛後。」
しゅくこうすなはちこれにしし、もってしょこうをやくせしむ。
そしんひげんをもってしょこうにときていはく、
「むしろけいこうとなるともぎゅうごとなることなかれ。」と。
田舎でも使われているぐらい世間によく言われていることわざ、ということ。
「寧ロAスルトモ、B」
は「たとえAしても、B」と言う意味。
「鶏口」はニワトリの口で、小さい組織のトップをあらわす。
「牛後」は牛の尻尾とも尻ともいわれ、いずれにせよ大きい組織の下働きをあらわす。
秦に従属するより、たとえ小国でも独立を保て、と言っているのである。
★於是、六国従合。
ここにおいて、りっこくしょうごうす。
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