エジプトへの困難な逃避行において、ヴァルトルタの「ヨゼフ」は「物」を頼みとし、「マリア」もそれに同調する。エンメリックのマリアは「物」に乏しく、「神」を頼みとする。
英訳版から、「エジプトへの逃避」の章の「幻視」の部分を全文、訳す。長文であり、英文を併記すると目障りなので、それは省く。
それにもかかわらず、文中、私のコメントを差し挟む。勝手な言い分だが、これを目障りと思わないで欲しい。
悪魔の作文を真面目に訳すのは虚しい。しかし一応、真面目に訳した。
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35.エジプトへの逃避 1944年6月9日 私の魂は次のような光景を目にする。 夜。ヨゼフはとても小さな部屋の小さなベッドで眠っている。一日中正直で勤勉な仕事を終えた男の穏やかな眠り。 薄暗い部屋の中に彼が見える。というのは、狭い部屋が暑すぎるのか、それとも夜明けの光が入ってきた時に目覚めてすぐに起き上がりたいのか、少し開いたままにしてある窓の鎧戸から細い月光が差し込んでいるからだ。彼は横向きに寝そべり、夢の中で見た何かの幻影に微笑んでいる。 しかし、彼の微笑が不安の表情に変わる。まるで悪夢でも見たかのように深くため息をつき、はっと目を覚ます。ベッドに座り、目をこすり、あたりを見回す。微かな光が差し込む小さな窓に目をやる。真夜中だが、ベッドの足元に置いてあるローブをつかみ、ベッドに座ったまま、肌に直接着ている白い半袖チュニックの上に羽織る。毛布を払い除け、足を床につけ、サンダルを探す。サンダルを履き、紐を結ぶ。立ち上がると、ベッドの横にある、東方の三賢者が迎えられた大きな部屋に通じるドアではなく、ベッドに面したドアに向かう。 彼は指先でとても優しく、そっとノックする。入るようにという声が聞こえたのだろう、彼は音を立てずに慎重にドアを開け、少し開けたままにする。彼は、ドアに向かう前から、小さなオイルランプに火を灯し、それで足元を照らしている。彼は中に入る。その部屋は彼の部屋より少し広く、揺りかごの近くに低いベッドがあり、隅にはナイトランプが置いてある。その揺らめく炎は小さな星のように見え、柔らかな金色の光を放ち、眠っている人を起こさずとも周囲を見ることを可能にしている。 しかし、マリアは眠っていない。彼女は薄手の服を着て揺りかごのそばにひざまずき、安らかに眠るイエズスを見つめながら祈っている。イエズスは、私が東方の三博士の幻で見たのと同じくらいの年齢である。1歳くらいの、美しく、血色の良い金髪の子供である。彼は巻き毛の頭を枕に沈め、握りしめた拳を顎の下にして眠っている。 「眠ってないのですか?」と、ヨゼフは驚いた小さな声で尋ねる。「なぜです? イエズスの具合が悪いのですか?」 「いえ、大丈夫です。彼は無事です。今、お祈りしているところでした。後で寝ます。どうして来たのですか、ヨゼフ?」と、マリアは同じ場所にひざまずいたまま言う。 ヨゼフは子供を起こさないようにとても小さな声で話すが、その声は興奮している。「ここをすぐ離れなければなりません。すぐにです。箱と袋に、詰められるだけの物を詰めてください。他の物は私が準備します。できるだけ多くの物を持って行きます・・・夜明けに逃げましょう。もっと早く行きたいのですが、宿主の女性に話さなければなりません・・・」
ここらで私は「違和感」を感じ始める。 「でも、なぜなんです?」 「後でお話しします。イエズスのためです。天使が私にこう言いました。『幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい』。時間を無駄にしないでください。私はできる限りの準備をします。」 マリアに時間を無駄にしないように言う必要はない。ヨゼフが、天使、イエズス、そして逃亡について話すのを聞いた途端、マリアは自分の愛しい子供が危険に晒されていることを悟り、飛び上がるように立ち上がった。顔は蝋よりも白くなり、片手を胸に当て、完全に動揺した。そして、素早く機敏に動き回りながら、使われていなかった自分のベッドの上に箱や大きな袋を置き、それらの中に衣類を詰め込んだ。彼女は気落ちしているが、冷静さは失わず、素早く、しかし秩序正しく行動する。時折、揺りかごのそばを通るたび、穏やかに眠る幼子を見つめる。 「手伝いましょうか?」と、ヨゼフは時折、少し開いたままにしてあるドアから部屋の中を覗き見ながら尋ねる。 「いいえ、結構です」と、マリアはそのたびに答える。 袋がいっぱいになり、明らかに非常に重くなった時だけ、彼女はヨゼフを呼び、袋を閉じてベッドから降ろすのを手伝ってもらう。しかしヨゼフ自身は、手伝ってもらうのを望まず、自分一人でやるのを好み、その長い袋を自分の小さな部屋に運ぶ。 「ウールの毛布も持って行きましょうか?」と、マリアは尋ねる。 > 「ウールの毛布も持って行きましょうか?」 このような気の回し方は、本当に、私たちと同じである。 更に、「マリア」のこの問いかけに対して、「ヨゼフ」は「物が役に立つでしょう」と答える! ↓ 「できるだけ多く持って行きましょう。残りは置いていかねばなりませんが、できるだけ多く持って行きましょう。物が役に立つでしょう。なぜなら・・・私たちは長い間離れなければならないからです、マリア!・・・」と言いながら、ヨゼフはとても悲しそうである。マリアの気持ちは容易に想像できる。彼女は深くため息をつきながら、自分の毛布とヨゼフの毛布を畳む。ヨゼフは毛布をロープで結びながら、「布団と敷物は置いて行きます。ロバは三頭あるとはいえ、過重に積むことはできません。山や砂漠を通る長くて不快な旅になります。イエズスをしっかり覆ってください。山でも砂漠でも夜は寒いでしょう。東方の三博士の贈り物は、この先とても役立つでしょうから、持ってきました。持っているお金をすべて使ってロバを二頭買います。ロバは返すことはできないので、買わなければなりません。夜明けを待たずに今すぐ行きましょう。ロバの在処は知っています。あなたも準備万端にしてください」と言い、彼は出て行く。 マリアはもう少し物を集め、イエズスを見つめた後、外に出て、おそらく前日に洗ったのだろう、まだ湿っているように見える小さな服を何着か持って戻って来る。マリアはそれらを畳み、布で包み、他の物に加える。これで、他に用意すべきものは何もない。マリアはあたりを見回し、部屋の隅にイエズスのおもちゃの一つ、木彫りの小さな羊を見つける。彼女はすすり泣きながらそれを取り、それにキスする。木にはイエズスの小さな歯の跡があり、小さな羊の耳はすっかり齧られている。マリアは、何の価値もない、ただの軽い木片に過ぎないそれを愛撫する。しかし、それは彼女にとっては大きな価値を持つ。なぜならそれは、ヨゼフのイエズスに対する愛情を物語るものだし、彼女に彼女の子供について語りかけるものだから。マリアはそれを、閉じられた箱の上に置かれた他の物の中に加える。
ここから先、例の「マリアの授乳シーン」が始まる。 今や、他には本当に何も残っていない。小さな揺りかごの中のイエズスだけである。マリアは、赤ちゃんの準備もしなければならない、と思う。揺りかごのところに行き、赤ちゃんを起こそうと少し揺する。しかし赤ちゃんは、少し泣き声をあげ、寝返りを打ち、また眠り続ける。マリアは赤ちゃんの巻き毛を優しく撫でる。イエズスはあくびをして小さな口を開ける。マリアは屈んで赤ちゃんの頬にキスする。イエズスは完全に目を覚ます。目を開け、母親を見て微笑み、小さな手を母親の胸に伸ばす。 「そうよ、ママの愛。そうよ、あなたのミルク。いつもより早いのね・・・でも、あなたはいつもママのおっぱいを吸う準備ができているわ。私の小さな聖なる子羊ちゃん!」 イエズスは笑い、遊び、毛布から小さな足を蹴り出し、子供に典型的な仕草で腕を楽しそうに動かす。その姿は実に愛らしい。足を母親のお腹に押し付け、背中を反らせて白い頭を母親の胸に寄りかからせ、それから体を後ろに反らせて笑い、マリアの首元で結ばれているドレスの紐をつかみ、それをほどこうとする。小さな麻のシャツを着たイエズスは、ふっくらとしていて、花のようにバラ色で、とても愛らしい。 マリアは身を屈め、まるで守るかのように揺りかご越しに中を覗き込み、微笑みながら同時に泣いている。その間、子供はしきりに何か言い、幼い子供とは思えない言葉を発する。その中には「ママ」という言葉がはっきりと繰り返されている。子供は泣いているマリアを見て驚いている。小さな手を涙の跡に伸ばし、マリアの顔を軽く叩くと、その手が濡れる。そして、とても優雅に、再び母親の胸に寄りかかり、その乳房にくっつき、手で軽く叩く。 マリアはイエズスの髪にキスをし、抱き上げ、座って服を着せてやる。小さな毛糸の服を着せ、サンダルを履かせる。マリアはイエズスに乳を与え、イエズスは母の良質な乳を貪るように吸う。右の乳房から少ししか出ないと分かると、左の乳房を探す。彼は笑いながらそのようにし、母親を見上げる。そして、バラ色の丸い頬を母の白くて丸い乳房に押し当て、再び母の胸で眠りにつく。 マリアはゆっくりと起き上がり、自分のベッドの掛け布団の上に彼を寝かせる。彼女は自分のマントで彼を覆い、揺りかごに戻って小さな毛布を畳む。彼女は小さな敷布団も持っていくべきかどうか迷う。それはとても小さい。持っていくことができる。彼女はそれを枕と一緒に、既に箱の上にある他の物の近くに置く。そして彼女は空っぽの揺りかごを見下ろしながら泣く。かわいそうな母よ、自分の小さな子のために迫害される母よ。
ヨゼフが戻ってきて言う。「準備はできましたか? イエズスの準備はできましたか? 毛布と小さなベッドを準備しましたか? 揺りかごは持って行けませんが、少なくとも彼の小さな敷布団は持って行かねばなりません。かわいそうな赤ちゃん、彼らは彼の命を狙っているのです!」
「ヨゼフ!」とマリアは叫びながら、彼の腕をつかむ。 「ええ、マリア、彼の死です。ヘロデは彼を殺したがっているのです・・・なぜなら、あの汚らわしい獣は彼を恐れているからです。彼の人間的な王国のために、この罪のない幼子を恐れているのです。幼子が逃げ出したと知ったらどうするのか、私には分かりません。でも、その頃には私たちは遠く離れているでしょう。彼がガリラヤまで手を伸ばして彼を探し出して復讐するとは思えません。私たちがガリラヤ人であること、とりわけ私たちがナザレ出身であること、そして正確に私たちが何者なのかを知ることは、彼にとっては非常に難しいことでしょう。サタンが、忠実な僕であることへの感謝として、彼を助けでもしない限りは。しかし・・・もしそんなことが起こったとしても・・・神が私たちを同じように助けてくださることでしょう。泣かないで、マリア。あなたが泣いているのを見るのは、私が流刑に処されることよりもずっと辛いことなのです。」
これを言っているのは、その「サタン」です。 そして、この安っぽいメロドラマはまだ続きます。 「許して、ヨゼフ。私は自分のために泣いているんじゃないの。失うわずかなもののために泣いているのでもない。あなたのために泣いているのよ・・・あなたはもう既にたくさんの犠牲を払ってきたじゃない! そして今、あなたは客の訪問も家も失うことになる。私はあなたにどれだけの負担をかけていることか、ヨゼフ!」 「どれだけの負担だと言うのです、マリア。あなたは私にとって何の負担にもなりません。あなたは私の慰めです。常にそうです。この先のことは心配しないでください。私たちには東方の三賢者の贈り物があります。最初の数日間はそれで間に合うでしょう。その後は仕事を見つけます。腕の良い職人は必ず道を切り開きます。ここで何が起こったか、あなたも見たでしょう。私は抱えている仕事が多すぎて、時間が足りませんでした。」 「分かっています。でも、誰があなたの故郷への郷愁を和らげてくれるでしょう?」 「では、あなたはどうなのです? あなたにとってかけがえのない故郷への思いを、誰が癒してくれるというのです?」 「イエズスです。イエズスがいるから、私は故郷で持っていたすべてを持っています。」 「私だって、イエズスがいれば、数ヶ月前まで希望を抱いていた故郷を取り戻せます。私には神がある。私にとって最も大切なものを少しも失っていないことは、あなたにも分かるでしょう。大切なのはイエズスを救うことだけです。それさえすれば、私たちはすべてを持っていることになります。たとえ二度とこの空を見ることができなくても、この国を見ることができなくても、もっと大切なガリラヤの地を見ることができなくても、私たちは常にすべてを持っていることになります。なぜなら、私たちはイエズスを持っているからです。さあ、マリア、夜が明けようとしています。女主人に別れを告げて、荷物を積み込むべき時です。すべてうまくいくでしょう。」 お二人さん、お話しが終わったようで良かったです。早く避難しなさいねw 悪魔さん、人間の心を動かそうとしての「人間ドラマ」は、もう結構だから。これじゃ、敏感な人たちの目は誤魔化せませんよ。 マリアは素直に立ち上がり、マントを羽織る。その間にヨゼフは最後の包みを作り、それを持って外に出る。 マリアは幼子を優しく抱き上げ、ショールで包み、胸に抱きしめる。数ヶ月間、自分をもてなしてくれた壁を見つめ、片手でそっと触れる。マリアに愛され、祝福されるに値する、幸せな家である。 彼女は外に出る。ヨゼフの小さな部屋を通り抜け、大きな部屋に入る。宿主の女性は涙ながらに彼女に別れのキスをし、ショールの端を持ち上げて、穏やかに眠っている子供の額にキスをする。二人は外の階段を下りていく。 夜明けの最初の光で、彼らはかすかに物を見ることができる。薄暗い光の中で、三頭の小さなロバが見える。一番力強いロバには荷物が積まれている。他の二頭には鞍がつけられている。ヨゼフは最初のロバの荷鞍に箱と荷物を固定するのに忙しい。袋の上に彼の大工道具が束ねられているのが見える。さらなる涙と別れの後、マリアは小さなロバに乗り、宿主の女性はイエズスを腕に抱き、もう一度キスする。それからイエズスをマリアに返す。ヨゼフは、マリアのロバの手綱を持つことができるように、荷物を積んだロバに自分のロバを繋いでから乗る。 ベツレヘムがこれから起こる出来事に気づかずに、今も東方の三賢者の幻影的な光景を見ながら安らかに眠っている間に、逃亡が始まる。
こうしてこの幻影は終わる。 |
エンメリックによる同じ場面を見てみよう。
英語訳にもドイツ語原文にも当たらず、既存の和訳を拝借。
(が、英語訳の HTML がここで読める。より詳細である。)
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光明社刊『聖家族を幻に見て』坂井兵吉 訳 pp. 94-101 |
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15 エジプトへの避難 ヘロデは王達がもどって来ないのをみて、始めのうちはきっと何も見付けなかったのだろうと考えていた。ところがシメオンとハンナの預言を聞き、不安がふたたび頭をもたげ、王達がエルサレムに着いた時のように非常に心配しはじめた。かれは付近の要所に兵隊を配置した。反乱をあらかじめ防ごうとしたのである。ところが住民達はなぜ兵隊が配備されたのかさっぱりわからないため非常に動揺した。兵隊の駐留は九か月程もつづけられた。幼児達の虐殺はヨハネが約二才の時に始まった。 アンナとマリア・ヘリがまだ聖家族の家にいたころ、光り輝く若者がヨゼフの寝台に近づき、かれに話しかけた。ヨゼフは起き上ったが眠りがさめず、また寝込んでしまった。すると若者はヨゼフの手を取って引き起こした。ヨゼフが目を充分にさまして立ち上がると若者の姿は消えた。ヨゼフは部屋の真中にあるランプの所へいって灯をともした。 それからヨゼフはマリアの部屋の前にいき、扉をたたいて入ってもよいかと尋ねた。ヨゼフは中に入りマリアと話をしたが、マリアは垂れ幕を引かずにいた。かれは厩に行き、ロバを曳いて来ると、また部屋にもどっていろいろな荷物の準備をした。 マリアは起きてすぐに旅装を整えアンナの許へ行った。マリア・ヘリとその子供も起きてきた。わたしはアンナとこの姉の悲しみがどれ程胸を打つものであったか、とても言い表わす事ができない。アンナはいくどもマリアを抱きしめ、もう互に会えない別れのように自分の胸に押し当てた。姉は地に身を投げてむせび泣いた。 マリアは出発の少し前になってやっとイエズスを寝台から抱き上げた。皆はイエズスを自分達の胸に押し当てた。姉の子供までがイエズスを抱いた。 マリアは長いマントで自分と幼児を被った。すべては非常に静かに手早く行なわれたが、旅行に準備するものは僅かしかなかった。 マリアは幼児の着がえもしなかった。ベトレヘムから持って来たものよりもはるかに少ないものを持って出て行った。小さな包みと僅かばかり身に掛ける物だけを持った。[管理人注1] ロバにはマリアとおん子のための鞍が置かれた。はじめマリアはアンナと一緒に歩いて行った。ヨゼフがロバを引いて後ろから来ると、アンナはもう一度マリアを抱き祝福を与えた。それからマリアはロバに乗って進んだ。聖家族が家を出たのは真夜中前であった。幼児イエズスは生まれて十二週(八十日)になっていた。[管理人注2] アンナはヨゼフの家の一切のものをまとめて、自分の家へ持って行った。 聖家族はこの夜多くの地方を通り過ぎ、翌朝になってはじめてある小屋で休んだ。 この旅がどれ程困難なものであったかはとても語る事ができない。聖家族はいつも大きな道から一マイル程東へずれた所を歩き、また普通の宿屋を避けていたので、すべてのものに欠乏した。[管理人注3] ある星月夜に聖家族は低い茂みの生えた砂地の荒野を通って行った。わたし自身も一緒にそこを歩いているかのように非常に鮮明にその場を見ていた。そうこうするうちに非常に荒れ果てた地方に出て、聖家族はどうしたらよいか途方にくれてしまった。道を見失い、どうしても探す事ができなかった。 マリアはすっかり疲れ果てて、うれいに沈んだ。その時道から離れた所に、灯が夜の闇を通して見えた。それは旅人を誘う盗賊小屋の灯で、小屋の側の木に掛けてあった。道はそこで階段状に掘り込まれ、旅人の来る事がわかるように、鈴のついた縄が張ってあった。そして突然一人の男が五人ばかりの仲間と共に聖家族に向かって襲いかかってきた。 かれらは悪いもくろみを抱いていたが、イエズスに一目接するいなや、一条の光線が矢のようにさきの男の心を貫いた。するとその男は仲間に向かって、この旅人に一指も触れてはならないと命令した。 かの盗賊は聖家族を自分の家へ案内し、妻に向かって自分が非常に感動した事を語った。そこの人達はふだんとは打って変わり、始めのうちたいへん恥かしそうにしていたが、だんだん近寄ってきてとうとう聖家族を囲んでしまった。 その妻はマリアに小さなパンや果物、蜂蜜や飲み水の入った小鉢などを持ってきた。ろばも屋根の下につながれた [管理人注4] 。かの女がイエズスに湯を使わせようと桶に水を入れて持ってくると、夫は非常に感動しながら妻に言い聞かせた。 「その幼児は普通の人間じゃない。だからこの人にお願いしてわたしたちの病気の子をこの幼児の使った水で洗わしてもらおう。きっとよくなると思うよ。」 かの女はマリアにその事を願おうと考えていたが、願う前にマリアからその病気の子をこの水で洗うようにと言われた。その子は三才ぐらいで体中できものだらけであった。子供がつれて来られて水に触れると、病気の所がたちまち鱗のように剥げ落ちてきれいになおってしまった。 その妻はうれしさのあまり有頂天になって、マリアとイエズスに抱き付こうとしたが、マリアは手を上げて遮り、自分にもおん子にも触れさせなかった。しかし、井戸を岩の底まで深く掘り下げて今使った水を入れておくように、そうすればいつまでもまた同じような事に使えるからとその妻に告げた。 マリアは長い間かの女と語り、折りがあったら現在の境遇から抜け出すように約束させた。人々は非常に喜んで、聖家族を不思議そうに見つめていた。その夜、他の者達も来合わせたが、この者達にも子供がすっかりなおった事が話された。 マリアはその夜一睡もせず、土間にしつらえた寝床の上でそっと静かに坐っていた。 次の朝、聖家族はふたたび旅に上った。盗賊とその妻はもっと長く泊ってもらいたがっていた。 かれらは聖家族に食物を贈り、多くの地の窪みをぬって案内してくれた。この人々は別れの時非常な感動とともに「あなたがたがお着きになった場所で、わたしたちの事を思い出して下さい!」と驚くような言葉をのべた。わたしはこの言葉を聞いた時、そのなおった子供が後に十字架上のイエズスに向かって「あなたがそのみ国に行かれた時、わたしを思い出してください。」と言ったあのよい盗賊になった幻を見た。 その後聖家族が砂地で道がわからなくなった時、ほほえましい不思議なことが起こった。道の両側でエリコのばらと呼ばれる植物が芽を出したのである。喜びと力を得て聖家族がその芽に沿って進むと、見渡す限りの植物が芽をふいて進むべき道を示した。 聖家族はそれからたくさんの溝や濠のある地方に出た。これらの水を越えて行かなければならなかったが、二人の醜い褐色の半裸体の男があらわれて渡してくれた。 その後聖家族は平坦な緑の牧場になっているエジプトの土地に入った。木には偶像が取りつけてあった。あちらこちらから、ずんぐりと肥った人々が現れてこの偶像を拝んでいた。 聖家族はこの土地で食物が思うように得られず困っていた。誰も何も与えてくれなかった。じつにこの逃避行ではあらゆる人間の不幸に耐えて行かなければならなかった。最後に羊飼達が家畜に水を飲ませに来たが、ヨゼフが頼まなかったらこの人達も何も与えてくれなかっただろう。 しかしかれらは井戸をあけて少しばかりの水をくれた。 その後聖家族はすっかり疲れ果てて、頼る者もなく林の中で休んでいた。 この林の出口に細長いなつめ椰子の木が立っていて、実が梢の先端についていた。 マリアがイエズスを抱いてその木の方に行き、祈っておん子を高くかかげると、木が跪くかのように、梢の先端を曲げたので実をもぎ取る事ができた。 |
[管理人注1] ほら見ろ、というところ。ヴァルトルタの「マリア」と何と対照的であることか! まさに正反対!
しかし私は、これが本当なのだろうと思う。「物」を頼みとすることの多い私たちの目には「不可解」と映ろうとも、真の「マリアとヨゼフ」はこんな感じだったのだろうと思う。
[管理人注2] ヴァルトルタの物語では、この時の「幼子イエズス」の年齢は「1歳くらい」となっていた。対してエンメリックは「生まれて十二週(八十日)」。私はエンメリックの方が聖書ともずっと整合するような気がする。が、私の読み方が間違っていなければ、エンメリックは別の証言ではそれとはまたちょっと違った年齢(月数)を言っているようだ。彼女自身、少し不確かなところがあるようだ。だから、私はこれについては判断保留とする。
[管理人注3]
> いつも大きな道から一マイル程東へずれた所を歩き、また普通の宿屋を避けていた
これはまさしく「逃亡者」の動きである。「さもありなん」である。
> すべてのものに欠乏した。
すべてのものに欠乏し、時に途方に暮れる聖家族を、この後、奇跡的な事が助けることになる。一つは、悪人の心をも変えてしまうような奇跡、もう一つは自然物(植物など)が助ける奇跡である。
ヴァルトルタの「イエズス」は、これらを「作り話」だと言うかな? 「作り話」をしているのは、あなたの方なのだが。
[管理人注4] ロバは一頭のみだったろう。第一には、彼らは貧しかっただろうから。そして第二には、一般的に言っても、「逃亡」のためには人目につくものは避けたいだろうから。ヴァルトルタは「ロバ三頭」などと言っている。目立つなぁ。
歴代の美術を見てみよう。画家だって、基本的には聖書の記述から素直に受けた印象を描いているだろう。画像検索
このように、聖家族が連れているロバはほとんど常に「一頭」のみである。そして、幼子イエズス様を抱いたマリア様がロバに乗り、ヨゼフ様は手綱を引いて徒歩である。
しかし、ヴァルトルタとヴァルトルタの支持者たちは気にしないだろう。「だって、そう見たんだもん」というところ。
ここに、共に本物らしく思われるAという幻視とBという幻視があるとする。ところが、主イエズス様の御生涯の同じ場面を幻視したはずが、AとBでは違っている場合がある。そんな時、人はこう考える。
具体的な描写が多少違っていたとしても問題でない場合がある。というのは、こういうものは天国が幻視者に『象徴的』に見せている場合があるからである。それゆえ、具体的な描写が多少違っていたとしても、その場面が含む『真実性』という点では両者ともに問題ないという場合がある。
なるほど。しかし私は言う。今回の場合はそれには当たらないと。何故なら、今回はその「真実性」というものにおいて、ヴァルトルタの「マリアとヨゼフ」とエンメリックの「マリアとヨゼフ」とでは「正反対」だからである。人生を渡るにおいて何を「頼み」とするかという重要な問題において、一方は現代の私たちのように多く「物」を頼みとするに対し、他方は「物」に乏しく、結果的にであれ何であれ、ほとんど「神」のみを頼みとしている。この「心の様相」の違いは明らかであり、二つのグループは「別物」と言うしかない。
ヴァルトルタの「イエズス」は「エンメリックの本」にケチを付けているが(今シリーズ記事の4と5を参照のこと)、真実はそれとは逆である。見事なまでに逆である。
うまく言えなかったかも知れないので補足する。
私も、「本当のマリア様もヨゼフ様も、心のどこかでは『もう少し物があれば... 』とお考えになっていたかも知ない」と思う。しかし、たとえそうだったとしても、彼らは「控えめに」そう考えただろう。何故なら、「物」はそれ自体で存立しているのではなく、あくまで「神の恵み」だから。「労働の実り」「労働の対価」と考えることもできるけれど、それでもその奥は「神」だから。「神」なくしてはそれらもないのだから。そういうことを常にどこかで意識しているのが「信仰者」である。
しかし、ヴァルトルタの「ヨゼフ」の「物が役に立つでしょう」という言い方は、信仰者でなくてもする言い方である。
「27. 諸教会に潜入し、啓示された宗教を『社会的』な宗教と入れ替えよ」 - 共産主義の目標
「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」 - フリーメイソンの雑誌