「LGBT カトリック・ジャパン」 のウェブサイトにそこはかとなく漂う
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LGBT CJ の共同代表の一人、ラカン派精神分析家、小笠原晋也氏は、聖書中の或る逸話について、「その百人隊長と癒されたしもべは〈同性愛〉の関係にあった。そのしもべはその百人隊長の〈少年愛〉の対象であった」と「結論」している。そしてそこから、カトリックの御ミサについて或る言い方をしている。(下の文中の強調は私による) |
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2015年9月4日金曜日
百人隊長の少年愛
(…)
かくして,百人隊長と彼の παῖς との関係は παιδεραστεία [少年愛]のそれである,と結論することができる.
(…)
つまり,カトリック信徒は全世界でミサのたびに,同性愛者である百人隊長の懇願の言葉にならって,主に魂の癒やしを願っているのである.
次回、彼がその「結論」をどのように導いたかを見よう。
注)上の記事に署名はないが、間違いなく筆者は小笠原氏である。LGBT CJ の他の記事を少しく読めば、それが確信される。また、そもそも彼らのサイトの “主筆” は小笠原氏であり、その 99% の記事は彼が書いていることも、普通に確信される。
そして、もう一度示すが、御ミサについてそのように言う彼が、彼らのミサで侍者をしているのである。
「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」