2017.04.19

「LGBT カトリック・ジャパン」 のウェブサイトにそこはかとなく漂う
狂気(善意の部分はいい。しかし、狂気を孕んでいちゃ駄目だろ)6

小笠原氏によれば、その百人隊長は同性愛者であり、
カトリック教会はミサで、その同性愛者に倣っている(2)

彼がその「結論」前回参照をどのように導いたかを見てみよう。

文中、この印  

 で私のコメントを入れさせてもらった。

また、色文字による強調と〔 〕も私による付加。

LGBTCJ blogspot

2015年9月4日金曜日
百人隊長の少年愛

我々の友人 Stephen Lovatt 氏は,彼の著作 Faithful to the Truth : How to be an orthodox gay Catholic において,福音書のなかの少年愛について興味深い指摘をしている.

彼が注目したのは,マタイ福音書 8, 5-13 に物語られているイェスの奇跡である.その一節は,手元にあるフランチェスコ会訳においても共同訳においてもほぼ同様に訳されているので,フランチェスコ会訳から引用すると:

(...) 百人隊長が近づいてきて,イェスに懇願した.「主よ,わたしのが中風でひどく苦しみ,家で寝込んでいます」.イェスが「わたしが行って,癒してあげよう」と仰せになると,百人隊長は答えて言った.「主よ,わたしはあなたをわたしの屋根の下にお迎えできるような者ではありません.ただお言葉をください.そうすれば,わたしのは癒されます (...)」.(...) イェスは百人隊長に仰せになった.「帰りなさい.あなたが信じたとおりになるように」.すると,ちょうどそのときは癒された.

邦訳を読むだけでは,この一節が有する意義は把握し得ない.

本田神父みたいなことを言う。小笠原氏もまた、聖書を原語にまで遡って読み直すという大した手法によって、これまでのキリスト教界が不思議にも一貫して見逃して来たところの真実を、一つの “大発見” として私たちに教えてくれるようである。

ギリシャ語原文を提示すると:

(...) προσῆλθεν αὐτῷ ἑκατόνταρχος παρακαλῶν αὐτὸν καὶ λέγων· Κύριε, ὁ παῖς μου βέβληται ἐν τῇ οἰκίᾳ παραλυτικός, δεινῶς βασανιζόμενος. καὶ λέγει αὐτῷ ὁ Ἰησοῦς· Ἐγὼ ἐλθὼν θεραπεύσω αὐτόν. καὶ ἀποκριθεὶς ὁ ἑκατόνταρχος ἔφη· Κύριε, οὐκ εἰμὶ ἱκανὸς ἵνα μου ὑπὸ τὴν στέγην εἰσέλθῃς· ἀλλὰ μόνον εἰπὲ λόγῳ, καὶ ἰαθήσεται ὁ παῖς μου. (...) καὶ εἶπεν ὁ Ἰησοῦς τῷ ἑκατοντάρχῷ· Ὕπαγε, καὶ ὡς ἐπίστευσας γενηθήτω σοι. καὶ ἰάθη ὁ παῖς αὐτοῦ ἐν τῇ ὥρᾳ ἐκείνῃ.

一般の読者は(私自身も含め)、彼がギリシャ語を持ち出したというので面喰らうかも知れない。しかし、本当は恐るるに足りない。

まず、簡単にこんなふうに思っておくことだ。上に三つ出て来た「παῖς」というギリシャ語は、英語の聖書では普通「servant」と訳される言葉であると。

5 (...) came to him a centurion, beseeching him, 6 and saying, Lord, my servant lieth at home sick of the palsy, and is grieviously tormented. 7 And Jesus saith to him: I will come and heal him. 8 And the centurion making answer, said: Lord, I am not worthy that thou shouldst enter under my roof: but only say the word, and my servant shall be healed. (...) 13 And Jesus said to the centurion: Go, and as thou hast believed, so be it done to thee. And the servant was healed at the same hour.(drbo.org

日本語の聖書ではもちろん「僕(しもべ)」である。
で小笠原氏が引用していたように)

παῖς」は「パイス」あるいは「パーイス」という感じに発音するようだ(少なくとも現代ギリシャ語では)。

百人隊長はローマ帝国の軍隊の士官である.当時,ユダヤの地はローマ帝国の属州であり,その統治はヘロデ王朝に任されていたが,政情を監視するためにローマ軍の部隊も常時駐在していた.イェスのもとを訪れた百人隊長は,聖書の文脈から判断するに,明らかにユダヤ教徒ではない.

フランシスコ会訳の聖書も、その注釈で、この百人隊長を「異邦人」としている。私自身は、その物語の内容から、そこは「異邦人」というだけでは足りず、「信仰に目覚めつつある異邦人」と思うべきではないかと思うが、まあ、それは今は置いておこう。

マタイ福音書 8, 5-13 は,いわゆる Q 文書に基づく一節であろうと思われる.共観福音書内のその平行箇所は,ルカ福音書 7, 1-10 に見出されるが,マルコ福音書には無い.しかるに,ヨハネ福音書 4, 46-54 にこの物語は若干の変奏のもとに語られている.

読者は彼の「Q 文書」がどうしたとかいう言葉は無視するように。ここでの本筋には関係がない。

彼が挙げた三つの福音書の箇所を下段に書いておいたので、必要に応じて参照されたい。

さて、小笠原氏はいよいよ自論を展開しようとする。彼はまず、従来の「servant、しもべ」という訳語に手を伸ばす。

さて,イェスが奇跡的に癒やす百人隊長の「僕」は,原文では παῖς である.この語は確かに「召使い」という意味をも有しているが,本来は「子ども」である.例えば「小児科」はフランス語で pédiatrie であるが,この語は παῖς と ἰατρεία [癒し,治療]に由来する.ちなみに,ἰατρεία と関連する動詞 ἰάθη [(彼は)癒された]と ἰαθήσεται [(彼は)癒されるだろう]が,マタイ福音書 8, 8 et 13 において用いられている.

読者は「ちなみに,」以降は無視してよい。ここでの本筋には関係がない。また、彼のフランス語による説明も、少なくとも説明不足だろう、これだけでは。彼の学識を匂わす以外、役に立っていない。

しかしそれでも、παῖς という語が「子ども」という意味を持つことは本当のようだ。本田神父が参照した下手に参照した*)アボット・スミスという人の『新約聖書ギリシア語辞典』にはこうある。

* そのブログ(労作!)は私によるものではない。

クリックで拡大

私にこの辞書を読み込む力はないが、まあ、こんな感じに書いている。

παῖς 1. a child, boy, youth 
2. servant, slave, attendant :  Mt 8 : 6, 8, 13, Lk 7 : 7

つまり、この『辞典』は、まず 1. に於いて、この語に「子ども」という意味があることを言い、しかし 2. に於いて、今私たちが問題にしているのと同じ聖書箇所を指しながら、「しもべ」という意味を言っている。

しかし私たちは、小笠原氏の論述のおかしさを知るために、このアボット・スミスという学者さんの権威に頼る必要はないと、私は言明しておく。

マタイ福音書において παῖς が「子ども」の意味において用いられていることは,ヨハネ福音書の平行箇所においてイェスが奇跡的に癒やすのは或る βασιλικός[ヘロデ・アンティパス王に仕える官吏]の息子 [ υἱός ] であると言われていることからも推測される.

βασιλικός = royal official

上で小笠原氏は聖ヨハネ福音書のその箇所に「平行箇所」という語を当てているが、これに関しては私は下段に書いておいた。

聖ヨハネ福音書まで「平行箇所」と呼ぶ小笠原氏の姿勢を仮に呑むとしても、「息子(υἱὸς, son)」という言葉と「子ども(παῖς, child)」という言葉は違う。そして、「その “子ども” はその百人隊長の『少年愛』の対象であった」という結論のためにも、ここに「息子」という語が登場することは、そんなに好都合なことではないだろう。何故ならば、「息子」がその百人隊長の「少年愛の対象」であれば、一種の近親相姦を意味するわけだから。それとも、「息子」はしばしば「養子」であったりするわけか? しかしともかく、この辺の小笠原氏の「関連付け」の仕方はどうも「ガサツ」である。

次の「ついでながら,」から始まる段落は、ほとんどただ小笠原氏の「衒学的」なところを披歴しただけのように思われる。そして、いずれにせよ、今の議論の本筋とはほとんど関係がない。飛ばして差し支えない。

ついでながら,もし παῖς が「子ども」であるとすると,παραλυτικός を「中風」と訳すのは誤訳であろう.なぜなら,「中風」は脳血管障害による麻痺である.それは,一般的に言って高齢者によく見られる病理であり,もし子どもに出現するとすれば先天性脳動静脈奇形などの比較的限られた条件においてのみである.むしろ,マタイ福音書 8, 6 で用いられている動詞 βέβληται に注目するなら,それは βάλλειν [投げる]の受動態完了形である.つまり,患者は投げ出されるように急に倒れて,麻痺に陥っているのである.それは,むしろ癲癇発作を示唆している.実際,明らかに癲癇発作の現象が記述されているマルコ福音書 9, 17-27 の一節において,καὶ πολλάκις αὐτὸν καὶ εἰς πῦρ ἔβαλε καὶ εἰς ὕδατα, ἵνα ἀπολέσῃ αὐτόν [そして,発作を起こす霊気は,わたしの息子を殺すために,彼を火のなかへも水のなかへもしばしば投げ込んだ](Mc 9,22) と言われている.「投げ込んだ」と訳した動詞 ἔβαλε は,βάλλειν のアオリスト形である.

さて、ここまでの小笠原氏の論述は、十分に「もやもや」としたものだったけれどもw、また決定的な間違いを犯しているのでもないだろう。彼は「παῖς」という言葉を「子ども」という意味に強く引き付けてみせたが、まあ、確かにその言葉の一つの意味は「子ども」であるようだ。(「一つの意味は」ではなく「本来の意味」でも結構。議論のためにはそれでも差し支えない)

しかしである、たとえそれが「子ども」だったとしても、ただそれだけでは「その “子ども” はその百人隊長の『少年愛』の対象だった」とする「結論」に少しも寄与しない。つまり「論拠」にならない。

では、小笠原氏は他の何をもって、そのような結論に至ることができるのか。それを見てみよう。

次の段落のことだが、読者はその中のギリシャ語を気にする必要はない。彼がギリシャ語に添えている日本語だけを読めばいいのである。そこに彼の一つの「論拠」がある。
そして、そのまた次の段落、「かくして,」という接続詞に導かれた一文が、彼の「締めの言葉」である。

さて,百人隊長と彼の παῖς とは如何なる関係にあるのだろうか?ルカ福音書の平行箇所においては,τινος δοῦλος ὃς ἦν αὐτῷ ἔντιμος [百人隊長にとって価値のある奴隷]と言われている.そこで用いられている形容詞 ἔντιμος の語源である名詞 τιμή は「栄誉,尊敬,尊厳,価値」であり,関連する動詞 τιμᾶν は「崇める,敬う,価値あるものと見なす」である.ということは,百人隊長にとってこの παῖς はかけがえのない愛情の対象である,ということが推定される.実際,もしそうでなかったなら,異教徒である百人隊長はわざわざイェスにその子を癒してくれるよう懇願しに来なかったであろう.当時,単なる召使いや奴隷であったなら,死んでもその代用はいくらでも入手可能である.

かくして,百人隊長と彼の παῖς との関係は παιδεραστεία [少年愛]のそれである,と結論することができる.

しかし、私が思うに、上の「かくして,」という接続詞は一つの貧困である。

賢明な読者なら既に理解しているだろうが、あえてしつこく整理して言えば──

まず、彼の上の口振りから、彼はその「παῖς」という言葉から「servant」という意味を追放していないということが分かる。つまり、彼に代ってまとめれば、彼にとってその言葉は「子ども + 召使い = 年若い召使い」を意味している。

しかし、まだである。それだけでは「παῖς という言葉は “年若い召使い” を意味する」と言ったばかりで、「その “年若い召使い” はその百人隊長の『少年愛』の対象だった」ということを言ったことにはならない。どうしても、それを正当づけるための「ほかの何か」がなければならない。

しかし、彼はその「ほかの何か」の一つを既に上に書いているのである。それはつまりこういうことである。

その時代、その地方では、「召使い」は、死んでも幾らでも “替え” のあるような存在だった。「主人」にとって「召使い」は、「人間」というよりほとんど「道具」と同じだった。「召使い」が病気になっても、「主人」はほとんど気にしなかった。それが “普通” だった。しかるにルカ福音書は、その「召使い」はその百人隊長にとって「価値ある召使い」だったと書いている。そして、その百人隊長はその召使いを癒したいためにわざわざイエスのところまで足を運んだ(或いは、イエスを呼びに人をやった)。しかし、その時代、その地方では、自分の「召使い」をこんなに大事にするのは “普通でない” 。そこには通常の「主人」と「しもべ」の関係を超えたものがあったに違いない。

そして彼は、次に、古代ギリシャでは「少年愛」が “社会風習” として存在し、ローマ帝国にもそれがあったことを画像を掲げながら説明し、それによって上の推測が全く信頼に値するものであることを言おうとする。

以下の画像の幾つかは、私の方で拡大、或いは部分拡大した。しかし、彼がこのような画像を掲示している事実は、私の拡大表示によって左右されることではない。

Frederic Leighton, Jonathan's Token to David (ca 1868)

παιδεραστεία という語は,παῖςἔρως [エロス,愛]に由来する.少年愛が社会風習であったのは,古代ギリシャにおいてである.たとえば,プラトンの対話篇のひとつ,『饗宴』において論ぜられている愛は,παιδεραστεία の愛である.

確かに、古代ギリシャではそのような事があっただろう。しかし、私にとっては「だから何」という話である。しかし小笠原氏にとっては、或る一つの文明に於いて「社会風習」であったほどのものは、何かそれだけで「かなり評価すべきもの」であり、「かなり普遍的に是認されるべきもの」であるらしい。彼の辞書の中には「彼らの “社会風習” が我々とどんな関わりがあるというのか」という言葉はないようである。

彼はまた、別の記事では、同じく古代ギリシャの「少年愛」の世界に「公序良俗」という言葉を当てている。「古代ギリシアではむしろ公序良俗に属する」と。

彼のこれらの言動は、一見ただ「歴史認識」の言葉のように見える。いや、確かに、そうでもあるだろう。しかし、それに留まらない。彼は「カトリック信者」として、その「社会風俗」に対する、またそれを「公序良俗」と呼ぶことに対する、如何なる反対の意も表明していない。ここに彼の “心模様” がある。

口づけをかわす少年愛者と少年(壺絵,紀元前 480年ころ)

イェスの時代のローマ帝国において,そのような少年愛の風習は残っていたのであろうか?然り.皇帝ハドリアヌス (76 - 138) は,130年におよそ18歳で死んだ愛児アンティノウスを悼み,彼を神格化して崇めた.

小笠原氏が使った「愛児」という言葉から、人は「息子」(実子)を連想するだろうが、そうではないようだ。アンティノウス - Wikipedia

また、私はよくは調べていないが、ハドリアヌスがアンティ

ノウスを「養子」にしたということもないのではないか。

Dionysus-Osiris として描かれた Antinous
(西暦 2 世紀,Musei Vaticani 所蔵)

• ハドリアヌス(76 - 138) Wiki
• アンティノウス(111 - 130) Wiki

Wikipedia の「男色」の項にはハドリアヌスとアンティノウスを描いた酷い絵がある。私はこの絵が史実に忠実かどうか知らない。また、それは大して本質的な問題ではない。しかし、これを機会に、私は小笠原氏に訊きたい、はっきりと訊いておきたい。「同性愛を認めるあなたは、このように “肛門に入れる” ことも認めるのですか?」

読者の中には、上の絵(と私の言葉)に眉をひそめた人もあるかも知れない。しかし、小笠原氏は、これと似たようなもの(画像)を下で示して、何事か言うであろう。

また,西暦 1世紀に作られたと推定されている或る酒杯 元の所有者の名にちなんで Warren Cup と呼ばれている には,少年愛をテーマとする浮き彫りが施されている.

上の二枚は私が部分拡大した。しかし、部分拡大したからといって何だろう。このような画像を掲示しているのは小笠原氏である。

彼は、これらの写真を並べた後、驚くべきことに、「こうして我々はやっと,」と言う。「こうして我々はやっと,福音書の意義を把握することができる」のだそうである。

こうして我々はやっと,マタイ福音書 8, 5-13 とその平行箇所の意義を把握することができる: イェスは,たとえ百人隊長が異教徒であり,かつ同性愛者であっても,彼のイェスに対する信仰のゆえに彼を義としたのである.

彼はとうとう、その百人隊長が「同性愛者」であったことを一個の「事実」にしてしまった。

「主よ,わたしは,あなたにわが屋根の下へ入っていただくにふさわしい者ではありません.而して,ただ御言葉でおっしゃってください.されば,わが児は癒されるでしょう」(フランチェスコ会訳:「主よ,わたしは,あなたをわたしの屋根の下にお迎えできるような者ではありません.ただお言葉をください.そうすれば,わたしの僕は癒されます」).

マタイ福音書 8, 8 における百人隊長のイェスに対するこの懇願にならって,ローマ典礼においては,聖体拝領の直前に,「主の食卓に招かれた者は幸い.見よ,世の罪を取り除く神の子羊」という司祭の言葉に続いて,会衆はこう唱える : Domine, non sum dignus ut intres sub tectum meum, sed tantum dic verbo, et sanabitur anima mea [主よ,わたしは,あなたにわが屋根の下へ入っていただくにふさわしい者ではありません.而して,ただ御言葉でおっしゃってください.されば,わが魂は癒されるでしょう](日本の典礼では例外的に,ヨハネ福音書 6, 35 et 68 にもとづいて「主よ,あなたは神の子キリスト,永遠の命の糧,あなたをおいて誰のところへ行きましょう」と唱えているが).

つまり,カトリック信徒は全世界でミサのたびに,同性愛者である百人隊長の懇願の言葉にならって,主に魂の癒やしを願っているのである.

また「同性愛者である百人隊長」と言った。
これはもはや「学者」の言葉でさえない。

にもかかわらず LGBT を排除しようとする者たちがカトリック教会のなかにいるとは ! 主が彼ら・彼女らの目を主の御ことばの真理へ開いてくださいますように !

彼は「人々の目が開かれること」を願っているそうである。

彼の主張の骨子

① 

福音書のその逸話で使われている「παῖς(パイス)」という言葉は、その「しもべ」が「年若いしもべ」であることを示唆している。

② 

ところで、その逸話は不思議である。と云うのは、その時代、その地方に於いては、「しもべ」は普通、そのようには大事にしてもらえないものだからである。この異常な「大事にされ方」は何なのか。

③ 

ふと振り返れば、古代ギリシャからローマ帝国時代にかけて、人々の間に「少年愛」が “社会風習” としてあったことが確認される。ここに於いて、全てが合点される。つまり、① と ② が完全に結びつく。すなわち──その「しもべ」はその百人隊長の「少年愛」の対象だったのである。それしかない

彼の主張の構成、骨子は、彼が如何に博学のガウンを広げようと、このように比較的「単純」なものである。(今の「比較的」という言葉を外したいくらい)

「その時代、その地方に於いては、『主人』が『しもべ』のことをそのように大事にすることなどありっこない」というような考え方が、ここにはある。

しかし、福音書を観察してみよう。

聖マタイ福音書 8章

8 百人隊長は答えて言った。「主よ、わたくしはあなたを自分の家にお迎えできるような者ではありません。ただお言葉だけで十分です。そうすれば、わたくしのしもべはいやされます。9 わたくし自身、権威の下にある人間ですが、わたくしの下にも兵士がいて、その一人に、『行け』と言えば、行きます。他の一人に、『来い』と言えば、来ます。また、しもべに、『これをしろ』と言えば、そのとおりにします」と。

私は思う、このように言う人は「謙遜」であると。そして、このように言う人は、「自分も権威の下にある者ならば、私の権威の下にある者のことも邪険には扱うまい」という程度の心得は持っているであろうと。そういう人は「しもべ」のことを「道具」のようには見做さず、「人間」と見做すであろうと。

聖ルカ福音書 7章

4 長老たちはイエズスのもとに来て、熱心に願って言った。「あの人は、それをしていただく値うちのあるかたです。5 わたくしたち国民を愛しています。また、わたくしたちのために会堂を建ててくれたかたです」。

現代に生きる小笠原氏は「 “しもべ” のことをこれほど大事にするということは、即ち、そこに “同性愛関係” があったということであるに違いない」と推測(実質、断定)している。しかし他方、正にその当時を生きていた「ユダヤ人の長老たち」は、その百人隊長がその「しもべ」のことをそれほど大事にしているのを知っても、少しも「同性愛関係」を疑わなかったようである。

もしそこに「同性愛関係」の疑いが少しでもあったなら、「同性愛には何の問題もない」と考える小笠原氏ほど先進的な考えの持ち主でなかった彼らは、当然、その百人隊長がその「しもべ」のことをそれほど大事にしていると知った段階で、彼のことを警戒し、疑い、彼のことをこれほど誉めることはなかっただろう。*

*「彼は同性愛者だけれども、私たち国民を愛してくれています。私たちのために会堂も建ててくれました。だから、彼は同性愛者だけれども、いい人です、何の問題もありません」というような考え方は、あくまで現代の小笠原氏のような人の考え方であって、当時の彼ら(ユダヤ教徒)にはあり得ない。彼らはレビ記を小笠原氏のようには解釈しないのだから。

どの時代にも「例外的に立派な人」は居るものである。ちょうど、古いアメリカに於いて、「黒人」は「奴隷」であるよりも「人間」だと知った白人があったように。

「しもべ」が特別の美点を持っていた場合は尚更である。必ず、その美点に目をとめ、その「しもべ」を大事にする「主人」があるものである。そのような「主人」と「しもべ」の間に「友情」のようなものが芽生えることもあるだろう。

ローマ帝国に於ける奴隷の扱いは一様のものではなかった

ローマ帝国に於ける奴隷の扱いは一様のものではなく、小笠原氏が言ったような、「死んでもその代用はいくらでも入手可能」などと云った簡単な言葉でまとめられるようなものではなかったろう。
私は Wikipedia の記述を頭から信じる方ではないが、しかし、参考として掲げておこう。

古代ローマの奴隷 | Wikipedia

古代ローマ社会において奴隷は社会・経済分野で重要な役割を担っていた。肉体労働や接客業務だけでなく、高度な知的労働にも従事していた。…

古代ローマの奴隷の用途は、極めて多岐にわたる。…

従者
古代ローマの貴族は、特に忠実な奴隷として、2.3人の従者を抱えていた。彼ら従者は、幼少の頃より将来仕えるべき主人となるべき貴族の子弟とともに、同じ家庭教師から教育を受けて、大切に育てあげられた。ティベリウス・グラックスの従者のように自殺して主人の後を追ったり、ガイウス・ユリウス・カエサルの従者のように命懸けで暗殺された主人の遺体を回収したりなど、その主人への忠実さが美談として伝わっている。

「奴隷」「召使い」「しもべ」であっても、そのような「主人への忠実さ」があったならば、主人としてはその者を愛し、大切にせずには居られなかっただろう。つまり、同性愛の対象でなくても、である。

忠犬ハチ公

こんな例を挙げると福音書の「しもべ」にやや失礼だが、物事を見るためにあえて言うと──私たちは、或る「犬」が、その最期に、人間によって手厚く看病されたことを知っている。それは、彼が「主人に忠実」だったからである。犬でさえそうであるなら、まして人間である「主人に忠実なしもべ」がそのように「大切にされる」ことがあり得ることは、ほとんど「当り前」のように想像される筈ではないか。

ところが小笠原氏は、「LGBT のため」となると、全くの「想像力の貧困」に陥るようであり(初めからかなり想像力の乏しい人なのかも知れないが)、「死んでもその代用はいくらでも入手可能である」とだけ言い、そう言い切るのである。

私は、小笠原氏の「LGBT のため」というのが小笠原氏の「善意」であることは疑っていない。しかし、人間の現実というのはそう簡単ではなくて、「善意でありさえすれば、他の多少の事はどうでもよい」ということにはならないのである。悪くすれば、人は、謂わば「善意の狂気」と云ったようなものの中に陥るであろう。

そろそろ小結論を言うならば──
少なくとも、おとなしく言っても、こう言える。小笠原氏はその「推測」に於いて「行き過ぎ」ている。「推測」を「断定」にしてしまっている。彼の心の中に「LGBT の人たちの苦しみを取り除きたい」という思いがいっぱいあったとしても 、「聖書の言葉を順当に読む」ということに於いて、彼のこの態度は正しくない。「カトリック信徒は全世界でミサのたびに,同性愛者である百人隊長の懇願の言葉にならって,主に魂の癒やしを願っている」など、善意の、しかし、ほとんど正気を失った咆哮である。

聖書箇所

小笠原氏が冒頭で引用している「フランチェスコ会訳」はフランシスコ会が2013年に全面改訂して出した『聖書 - 原文校訂による口語訳』であるようだ。
しかし、ひとこと言っておけば、小笠原氏は「引用」としながらも「イェス」という書き方をしているが、その改訂版はそんな書き方はしておらず、普通に「イエス」と書いているなか見!検索
ところで、私はその改訂版は持っていない。以下は私が持っているその前の版のフランシスコ会訳からである。

聖マタイによる福音書

(フランシスコ会訳)

百人隊長のしもべいやされる
(ルカ 7:1b~10、ヨハネ 4:46b~54)

8 5 さて、イエズスがカファルナウムにお入りになった時、百人隊長 (2) が近づいて来て、6「主よ、わたくしのしもべが中風でひどく苦しみ、家に寝ています」と言って訴えた。7 イエズスが、「わたしが行って治してあげよう」と仰せになると、8 百人隊長は答えて言った。「主よ、わたくしはあなたを自分の家にお迎えできるような者ではありません。ただお言葉だけで十分です。そうすれば、わたくしのしもべはいやされます。9 わたくし自身、権威の下にある人間ですが、わたくしの下にも兵士がいて、その一人に、『行け』と言えば、行きます。他の一人に、『来い』と言えば、来ます。また、しもべに、『これをしろ』と言えば、そのとおりにします」と。10 イエズスはこれを聞き、感心して、ついて来た人々に次のように仰せになった。「あなたがたによく言っておく。イスラエルの中でさえ、これほどの信仰を持っている人を、わたしはまだ見たことがない。11 あなたがたに言っておく。多くの人々が東からも西からも来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブとともに宴会の席につくが、12 国の子らは外の闇に投げ出されるであろう。そこには嘆きと歯ぎしりがある」と。13 それから、イエズスは百人隊長に、「帰りなさい。あなたが信じているとおりになる」と仰せになった。すると、ちょうどそのときに、しもべはいやされた。

(2) 百人隊長はローマ軍の下級将校で、兵卒あがりの職業軍人。彼らはローマ帝国の軍隊の中堅で、金持や有力者となる者が多かった。この百人隊長はイエズスの公生活においてイエズスに出会う最初の異邦人である。また、イエズスを神の子であると証言した最初の異邦人も百人隊長である(マタイ 27:54、マルコ 15:39 参照)。使10章のコルネリオも百人隊長である。彼の改宗がきっかけとなって、聖霊が公に異邦人の上にくだった(同章44節)。

聖ルカによる福音書

(フランシスコ会訳)

百人隊長のしもべの回復
(マタイ 8:5~13、ヨハネ 4:46b~54)

7 1 イエズスは、民にこれらの言葉をことごとく聞かせ終えてから、カファルナウムに行かれた。2 ときに、ある百人隊長の気に入りのしもべが病気で死にかかっていた。3 イエズスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちをイエズスのもとに遣わし、しもべを救いに来てくださるようにと願わせた。4 長老たちはイエズスのもとに来て、熱心に願って言った。「あの人は、それをしていただく値うちのあるかたです。5 わたくしたち国民を愛しています。また、わたくしたちのために会堂を建ててくれたかたです」。6 そこでイエズスは彼らといっしょにお出かけになった。ところが、すでにその家からほど遠くない所まで来られたとき、百人隊長は友だちを遣わして言わせた。「主よ、わざわざご足労くださるには及びません。わたくしはあなたを自分の家にお迎えできるような者ではありません。7 ですから、わたくし自身あなたのもとにお伺いすることさえ、ふさわしくないと思ったのです。ただ、お言葉をください。そしてわたくしのしもべをいやしてください。8 わたくし自身、権威の下にある者ですが、わたくしの下にも兵卒たちがいます。その一人に『行け』と言えば行きます。他の一人に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのとおりにします」と。9 イエズスはこれを聞いて感心し、後について来た群衆のほうに振り向いて、「わたしは、あなたがたに言う。このような信仰をイスラエルの中でさえ見たことがない」と仰せになった。10 使いの人たちが家に帰ってみると、そのしもべは元気になっていた。

聖ヨハネ福音書のその箇所について:
フランシスコ会訳聖書は、聖ヨハネ福音書のその箇所(下記)と聖マタイ及び聖ルカのそれらの箇所(上記)を関連づけている(小見出しの所の小文字で)。バルバロ/デルコル訳は特に関連づけていない。私自身は──私は無学者だが、下手に学問をしなかったことを幸いに思いつつ言えば──聖マタイと聖ルカに関しては、もちろん「平行箇所」と呼んでいいと思っている。つまり「同じ出来事」を描いたものだと。しかし聖ヨハネに関しては、聖マタイ及び聖ルカの内容とかなり違うので、そう呼ぶのに抵抗を覚える。「確かさ」を求める私は、小笠原氏のように「若干の変奏のもとに語られている」とお洒落に言って物事を通過させる気持ちになれない。彼は更に、それを「平行箇所」とも言い切っている。「平行箇所」という言葉自体が或る程度 “幅” を持った言葉で、必ずしも「文字通り同じ出来事を描いている」という意味でないとしても、「強い連関」を示唆するには違いないので、私は聖ヨハネ福音書のその箇所に関しては、その言葉を採用する気になれない。戻る

聖ヨハネによる福音書

(フランシスコ会訳)

イエズス、役人の子をいやす
(マタイ 8:5~13、ルカ 7:1~10)

4 46 イエズスは、再びガリラヤのカナに行かれた。前に水をぶどう酒に変えられた所である。ところで、王に仕える一人の役人がいて、その息子υἱὸς、son)がカファルナウムで病気であった。47 この役人は、イエズスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエズスのもとにやって来た。そして、下って来て息子υἱόν·、son)をいやしてくださるように願った。息子は死にかかっていたのである。48 イエズスは役人に向かって、「あなたがたは、しるしや不思議なことを見なければ、決して信じようとはしない」と言われた。49 王に仕える役人はイエズスに、「主よ、子供παιδίον、child)が死なないうちに、下って来てください」と言った。50 イエズスは、「帰りなさい。あなたの息子υἱός、son)は生きる」と言われた。その人は、イエズスの言われた言葉を信じて帰って行った。51 下って行く途中、僕たちが彼を出迎え、子供παῖς、son)が生きていることを知らせた。52 そこで、よくなった時刻を尋ねると、「昨日の午後一時に、熱が下がりました」と答えた。53 父親は、それが、「あなたの息子υἱός、son)は生きる」とイエズスが言われたのと同じ時刻であることを知り、彼も家族の者も皆信じた。54 これは、イエズスがユダヤからガリラヤに来て行なわれた、第二のしるしである。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

次へ
日記の目次へ
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ