2017.02.08

「LGBT カトリック・ジャパン」の出現

時々メールをくれる信者さんから教えられたことなのだが、日本のカトリック界に「同性愛OK。同性婚OK。性転換手術OK」と主張する信徒グループが発生していた。2015年8月のことである。名称(仮称)を「LGBT カトリック・ジャパン(LGBT CJ)」と云う。LGBTとは

そのグループの共同代表を務めているのは二人の信徒だが、彼らが「同性愛OK。同性婚OK。性転換手術OK」という考えの持ち主であることを手短に紹介しよう。

文中の強調は私による。

LGBTCJ blogspot

2016年12月24日土曜日
主の御降誕おめでとうございます ‒ ペトロ宮野亨より

(…)

では,クリスマスでは,どうでしょうか.赤ちゃんにまでなって,わたしたちに現れてくださった主イエスの「気持ちと心」は,例えばどんなでしょうか?

非暴力,無抵抗,堕胎拒否,LGBT 賛美,命そのもの... この他にも沢山あるでしょう.

(…)

LGBTCJ 共同代表
ペトロ宮野亨

「賛美」と言うからには、「LGBT 全肯定」であるに違いない。

強調と〔 〕は私による付加。

LGBTCJ blogspot

2016年8月18日木曜日
LGBT とカトリック教義 – 性的少数者をカトリック教会へよりよく包容するために

ルカ小笠原晋也(カトリック本郷教会所属)
精神分析家,東京ラカン塾主宰
親 LGBT 活動家,LGBT カトリック・ジャパン共同代表

(…)

ただ,望むらくは,〔教皇 Francesco に於いては〕同性婚と性別適合手術とを是認するところまで踏み込んでいただきた〔い*〕ものである.

*「い」が抜けている。
性別適合手術」とは所謂「性転換手術」のことである。

これで彼らが「同性愛OK。同性婚OK。性転換手術OK」という主張をしていることが分かったと思う。

しかし、もう少し言うと──

もしこれが「信徒だけ」が勝手にやっているものなら、私もこの記事の表題に「出現」などという大げさな言葉は使わなかったかも知れない。しかし、上のような主張を持った彼らに “協力” する「司祭たち」が居るのである。東京教区に。名前を挙げれば、晴佐久昌英神父ホアン・マシア神父小宇佐敬二神父などである。協力とは、彼らのためにミサを立てることである。

また東京教区ニュースも、LGBT CJ のミサが行なわれることを告知することに於いて LGBT CJ に協力している。各号の「ミサ・祈りの集い・黙想会」の項にその告知はある。

それらの司祭たちも東京教区ニュースも、「私たちは必ずしもその二人の共同代表と同意見ではありません」と言いながら、彼らの主張を「一つの意見」として野放しにし、彼らに協力し続けるだろう。

昔なら、このようなグループには「指導司祭」が付いただろう。「指導司祭」は責任を問われる。しかし今は、そんなものはないのである*。あるのは「フレンドリーに協力」する司祭だけである。彼らは責任を取らないし、追及されない。

* 後日の訂正: 気づけば、彼らのサイトにこうあった。
「昨日,小宇佐敬二神父様は,我々のお願いに応じて,LGBT カトリック ジャパン の指導司祭となることをお引き受けくださいました」。「昨日」とは2016年10月4日のことである。
参照: LGBTCJ blogspot  / lgbtcj.org

しかし、その指導司祭は、他の責任ある人たちも、上に言ったような意味で「無責任」であるだろう。

私も、教会はもう少し LGBT の人たちに温かくして(プロテスタントがそうしているように)、彼らの助けになるべきだと思っている。しかしそれは、彼らの傾向や欲求を「丸ごと認める」ことによってではない。LGBT CJ は、いわば、半分はいいが、半分は悪い。彼らは LGBT の人たちの脱出口を塞いでしまう。「そもそも脱出する必要なんかありません」と言うのだから。

しかし、今は、LGBT CJ についてはこれでやめておきたい。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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