2016.06.04

「陰謀論」?

"Conspiracy theory" - Wikispooks

私はこう言い換えましょう。
「だからさ、カトリックの一部の不逞聖職者とフリーメイソンが協力し合っていることはまったく明らかなんだよ」

「陰謀論」 という言葉

注)

このような本は存在しません。
注文しようとしないで下さい。

が、次は事実でしょう。

「陰謀論者」

批判的思考者を退けるために
軽蔑的なタイトル以上に効果的なものはない。

しかし本当は、これはこれらの言葉の言語的起源やら文化的起源やらの問題というよりも、心理学的な問題です。いわば “言語心理学的” な問題。つまり、もしあなたが本当に「言葉」というものに敏感なら、「『陰謀論者』という言葉はもともとは CIA が...」などという議論は不要です。あなたの生[なま]の心が、謂ゆる「レッテル貼り」することが、あなたを富ますよりも反対に、あなたの精神的な視野・視覚をどれほど「塞ぐ」ものであるか──を真に敏感に感じるならば、他に必要なことはありません。

あなただって、今まで二度や三度、「人をそんなふうにレッテル貼りして見ることは駄目だと思う」と言ったことがある筈ではありませんか。しかし、「陰謀論者」に関しては別みたいですねw。でも本当は、それに関しても同じなのです。

そして、これは「道徳」の問題ではありません。「レッテル貼りされた人が傷つく」とか云った問題ではないのです。いや、そういうのもあるけれど、それよりも、あなたの大事な「認識」の力が塞がれるかどうかがかかっている問題なので、重要です。

「陰謀論」とか、特に「陰謀論」とか、それから、この前見た「都市伝説(Urban legend)」とか、その辺の言葉を聞いた時に「ああ、嫌だ。『見る』ことを阻害される感じがして、嫌だ。気持ちが悪い」と感じることが、物事の探索のスタートラインだと思います。

人間というものは、陰謀家(陰謀 “論者” の方ではなく、陰謀を弄する側の者たち、人心操作者たち)に依らずとも、自分で勝手に、放っておいても、こう↓なりやすいものです。

遮眼革

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

次へ
日記の目次へ
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ