今度はこの本について。
「カトリック儀式書 ミサ以外のときの聖体拝領と聖体礼拝」(編集/典礼委員会、発行/カトリック中央協議会、1989年6月1日初版発行)
しかし私は、ピエール・ジュネル師の本の時と同じように言わなければなりません。すなわち、私が所持しているのはこの本の第二版(初版と同じく1989年)であって、2007年に出た改訂新版ではありません。私はそれを所持していません。ですから、私がこれから問題にしようとしていることは、改訂新版の中には無いかも知れないのです。きっと無いでしょう。削除されているでしょう。むしろそう願います。
しかしそれでも、私は「過去は重要」と考えます。何故なら、「過去」と言っても、それはそんなに大昔ではありません。今から約25年前のものです。だから、私たちはそれを見ることで、今に続く日本の神父様方の「意識」をかなりの程度、見ることができると思うのです。人の心というものは、そんなにすぐには変わるものでありませんから。
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驚くべきは、この本の巻末の「付録」に、中央協議会の「会報」を転載する形で、次のように書かれてあることです。
(三)聖体を手に授けるための手引き
(典礼委員会編 カトリック中央協議会『会報』一九七〇年第六号)
(…)
3 家庭ミサのような場合で、少人数が祭壇を囲んですわっている時などには、聖体の器をまわし、各自が右手で、左の手のひらの上に聖体を受け、一同そろうのを待ってから、いっしょに信仰を告白して、皆が同時に拝領することもできます。
p. 118
まずこの文章の中身についてですが、あなたはこの文章が現実的にどういうことを言っていると思いますか? 困ったことに、これは日本語として「なっていない」ものです。しかし、不完全な書き手自身の頭の中で現実的な意味を持っていない筈はないのです。
つまり、質問はこうです。彼は「各自が右手で」何をすると言っているのでしょうか? 現実的に想像してみましょう。まず、隣りの人から聖体器が回って来ます。それを受け取った人はやがて「左の手のひらの上に聖体を受ける」ことになります。しかし、その前に「右手で」何かすることになっています。何をするのでしょうか?
どういうわけか(はっきり書きたくなかったのでしょうか?)、どうしようもなく文章が「ぼかされて」いる、と言っていいのだと思います。しかし、現実的に考えて、ここで「右手で」何かするとすれば、「右手で聖体器から聖体を取る」ことしかないでしょう。他にありますか?
これがその当時の日本の神父様方の御聖体に対する感覚だったわけです(それは以前見た佐久間神父様の提案とも一致しています)。ところで、それはいつの時点の感覚でしたか? 1970年の会報の文章なので1970年の感覚ですか? 違います。1989年の本の中に転載しているので1989年の感覚です。
そして、聞くところによると、その二年前の1987年の第一回目のナイスでは「(信徒の)青年男女が、司祭たちに聖体を授けた」のだそうです(参照)。これが確かならば、やはり御聖体に対するお気楽な意識から出たものでしょう。
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そしてまた、前回見た、聖座が各司教協議会に「手による聖体拝領」を許したあの書簡の中の例の箇所とも一致しています。「しかし、私たちはもっと簡単な方法を採ることもできます。それは、拝領者に聖器の中の聖体を直接取らせることです」(書簡)。
しかし、ここにもう一つの問題があります。それは、聖座はその箇所を1973年には削除しているということです。それにも拘わらず日本の典礼委員会と中央協議会は1989年に出した本の中であたかも「拝領者間の聖体器の受け渡し」と「拝領者が自分の手で御聖体を取ること」が可能であるかのように書いているということです。1970年の会報の記事の「転載」という形であれ、何の修正も注釈もなしでそうしているのですから、そういうことになります。
この事態に驚いた人が居ます。デルコル神父様です。
こう書いておられます。
日本の典礼委員会編、力トリック中央協議会「会報」1970年第6号に発表された「聖体を手に授けるための手引」の3にはこのやり方が次のように紹介されていたのです。
「3 家庭ミサのような場合で、少人数が祭壇を囲んですわっている時などには、聖体の器をまわし、各自が右手で、左の手のひらの上に聖体を受け、一同そろうのを待ってから、いっしょに信仰を告白して、皆が同時に拝領することもできます」。
このやり方が1973年にローマから取り消されたことがないかのように、中央協議会が何も知らせないのを見て、わたしはその問題を確かめるために直接ローマの典礼省に手紙を出しました。間もなく典礼省から返事が来ましたが、その内容は次のとおりです(PROT. n. 2371/74)。
《1.当時までの日本力トリック中央協議会の『聖体を手に授けるための手引』が正式にローマから認められていたが、1973年の法令によって自分の手で直接聖体をとる許可はとりけされた。
2.それは全世界のためであるから、日本の教会も、これから新しい規定に従わなければならない。》
わたしは、この返事を、「ミサの友」週日の上・下141ページと「主日のミサの友」973ページに発表しました。1975年、東京の典礼委員会編集の「典礼暦・聖書朗読配分」の編集者にたのまれて、イタリア語本文と訳文をわたしました。それから、「典礼暦・聖書朗読配分」からこのやり方に関する手引がはぶかれたのです。
しかし、今回、儀式書「ミサ以外のときの聖体拝領と聖体礼拝」が発行されたときに、びっくりしました。取り消されたその “習慣” はそのまま有効であるかのように残っています。和文の118ページの3に。
ここに注意すべきことがあります。118ページのこの許可は、儀式書の本文にではなく、日本語訳の付録として出ています。おまけに、儀式書の21条とむじゅんしていると言わなければなりません。[管理人注1]
このわけで、わたしは、1989年9月8日付で、日本のすべての司教に手紙を出して、以上のことを説明し、118ページに出る問題の三行(「家庭ミサのような…」から「皆が同時に拝領することができます」まで)は、聖座のはっきりした規定にそむくから、なるべく早く公式に取りけすようにお願いしたのです。
ある人から、ノティツィエ誌の省令が聖座の公式文書の中に収録されていないから、「どの程度の拘束力が普遍教会にとってあるのでしょうか」と言われたのです。〔以下省略〕
「ご存じですか? 45 典礼について」
pp. 22-25
「以下省略」したのは、この先の議論は下らないからです。否、もちろんデルコル神父様の御文章が下らないということではなく。
デルコル神父様のこのような動きに反発して「あーだこーだ」と言って来た人たちが居るようなのですが、それを見るのが私にとっては「下らない」のです。
何故なら、そういう人たちは「各教会文書の優先順」とか「聖座の見解と地方教会の見解の間の齟齬の問題」とか云った捉え方の中にその “文書主義” の頭を突っ込むのですが、別の時代ならともかく第二バチカン公会議以降の時代に於いては、そのようなやり方では教会に起こった現象を決して理解できないからです。
一言で云って、私たちは、品のいい教養人としての頭を一時的にでも横に置いて、「生々しい現実」というものに目を向けてみる必要があります。下品な私は、今まで、自分なりに、それを炙り出して来たつもりです。だからもう、ここではこのイラストを再掲することで満足するとします。
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冒頭の本(カトリック儀式書)の改訂新版ではその箇所が削除されていることを望みます。いや、おそらく削除されているでしょう。
しかしながら、なお言えば、たとえ削除されていたとしても、そういうやり方も「可」であると一度は考えてしまった心の傾向というものは、神父様方の心の中に、そしてなかんずく「典礼学者」と言われる人々の心の中に、なかなか消えるものではないでしょう。彼らと彼らの後輩は、心の奥で今もきっと思っていることでしょう、「そんなことは大したことじゃない。“非本質的” なことだ」と。(でしょ? ソットコルノラ神父)